八
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俺の畑はこれからどうなるのか。中に埋めた女の死体はとうに骨になっているだろう。いつ誰が見つけるんだろうか。はたまた死体が埋まっていることに気づいていない家族が新しく種を撒くのか。まあ、もう死んじまったんだから関係ねえか。
司は自分の身体を真上から見下ろしていることに気がついたとき、自分はすでに死んだということを理解した。
自分の亡骸を前にして泣く妻や我が子を見ると、やはり殺しておけばよかったと、後悔で胸が疼いた。
根っからの殺人鬼なのだ。
しかし、もう妻も子供達も自分の手で殺すことはできない。
年老いてからというもの、体力も無くなり、視力も悪くなり、足腰も悪くなった。
若い頃のように体は動かない。昔のように殺しもできない。殺しても解体に何日もかかってしまう。人一人解体するのは手間も時間もかかることを司は身にしみてわかっていた。
なので、殺したい願望は胸の奥に押し込め、晩年は気の良い老人を演じてきた。
妻にも優しくなり、こどもたちともよく遊ぶようになった。
人殺しのできなくなったクソみたいな人生、早く終わればいいという願いが叶ったのか、ある夜、司はぽっくりと死んだのである。
ピンコロという言葉の通り、全く苦しまず、寝ているうちにすうっと体から抜け出した。
終活なぞまったくしていなかったため、処分しなければならないものがそのままの状態になっているのだ。自分はまだ死なないだろう、あと十年は生きるだろうという勝手な思い込みがそうしたことだ。
例えば、愛用していたノコギリ、肉切り包丁、拘束器具等々殺しに使った道具が庭の小屋の奥底に隠したままになっている。
家族の留守をみて、たまに手に取り眺めては血で変色した刃に頬ずりをしたものだ。
それに、獲物を縛った縄や猿轡。そうだ、一番見られてはならない箱があった。
箱の中には被害者たちの着ていた血まみれの服が当時のまま入っている。それもたまに気が向いたときに自分に身につけてみたりしていたのだ。
これを見られたら自分はどう思われるであろうか。
変人呼ばわりされるのは間違いない。変人で済めばいいがそうはいくまい。いってもらっては困る。裏切られたと絶望し落胆するだろう。果たしてそれは憎しみに変わるだろう。
そんなことを考えると、嬉しくなって意地汚く笑った口元、荒れた薄い唇から黄色い歯が漏れた。
「なんて楽しいことが起こるのか。ああ、俺はその状況を楽しみたい」
畑を掘り返し、たくさんの骨を見つけるだろう。
きっと家の周りの土という土を掘り返すことになる。
家の周りに埋めた沢山の死体を発見することになる。
一躍日本中のニュースになる。果たしてこの家族はどうやって生きていくのか。実の父親が殺人鬼だ。己の体の中にもこの殺人鬼の血が流れているとわかったらこどもたちはどうなるであろうか。
狂うか。嬉しがるか。
そんなことを考えながら畑の方へ足を向けていると、ある場所に女がいることに気づく。
確かあの場所には……
「ああ、懐かしい。瑞香じゃないか」
自分が過去にしたことは忘れたのか、親しげに優しくににこやかに瑞香に声をかけたのである。
目の前にいる瑞香は、元気が無いように見えた。
ぼうっと突っ立ているのだ。目を凝らしてようく見る。
「ほほう、これはまた。あの時のままの格好だとは。そうか、死ぬということはそういうことか。最後の格好で居続けるということか」
司は馬鹿にした笑いを一つ、今さっき感じた懐かしい気持ちはどこへやら、肩を上下に揺らして鼻の下をこすった。自分の格好を見てみた。いつもの寝間着だ。嘲笑う。
「あなたを、ここでずうっと待っておりました」
瑞香は下を向いたまま、小さい声で話し出した。
「あなたが死ぬのを、待っていました」
抑揚のない声に司はぴたりと足を止めた。様子のおかしさが伝わってきた。
「でも一つ思い出せないのです。どうやって殺されてここに埋められたのか。それをさあ、教えてくださいな。お互いもう死んでしまったんですから」
瑞香はまだ下を向いたままでいる。
「なるほど。それが知りたくて待ってたということか。おかしいものだなあ。おまえはここでいったい何十年待っていたんだ。よし、そんなに知りたいなら教えてやろう。まだ忘れちゃいない。ようく覚えてる。お前は小屋の中のものに気づかなければまだ生きていられたんだ」
あの小屋の中には人がいた。私はそれを助けようとしただけなのに。
「あの人は、あの小屋の中にいた人はどうしたの」
「まだそんなことを言ってるのか。君は殺される前もその女のことを気にかけていた。まあ待ちなさい。順を追って教えてやるから」
忘れ物に気づき家に戻って見ると、お前は何かを探していた。何を探しているのか気になって見ていたら、鍵、鍵と声に出していたのでようやく鍵を探しているってことがわかった。しかし、その鍵はいくら探しても見つからない。
だって、俺が持っているんだから。
なのに一生懸命探していて、見ていておもしろかった。でも、俺の部屋に入ってもらっては困る。中には見られたくないものがたくさんあるからね。
俺がナイフを手にちらつかせてみせても逃げることなくその場にいた。恐怖で動けなかったんだろうとすぐにわかったよ。
お前はすごく怯えた顔をしていた。畑の中に埋まっているもののことを話したら、おまえは耐えられずに吐き散らかした。
吐き散らかした吐瀉物が口の周りについていた。
俺が首に手を回した時もただ震えるだけだった。
「だから、簡単だったよ。『この前の』みたいに騒がなかったから。すうっと力を込めていった。あそこまで騒がないのも初めてだったから、俺の方が驚いたよ」
その後、体を、頭、右腕、左腕、胴体、と順に八つにバラしてこの畑に埋めた。
ここに右腕、ここに右足、ここに胴体と、埋めた場所を踏みつけて歩く司は人を虐めて困らせ楽しんでいる。
「そして、そこに頭」
指をさしているところは、瑞香が今立っているところだった。
小屋にいた女は、お前に助けてくれと言ったときにはすでに両の脚を切り落とされていたんだ。傷口はそのままにしておいたから、出血多量で死ぬと思ったんだが、あとで見たら自分で止血してやがった。だから生きてたんだ。
でもそのあとに俺が生きたまま腕を切り落とし、舌を切り落とし、絶望の縁に追い込んで、畑まで引きずって行った。そこで、以前殺した女が埋まっているところを掘り起こし、ほぼ骨になった頭を見せてやった。これは瑞香だと言ってやったよ。
おまえも今からこうなるんだぞってな。そしたら発狂して声にならねえ声を体が張り裂けんばかりにあげるから、気がすむまであげさせてやった。そのうちに過呼吸になり失神した。
「お前の頭の横にもう一つ頭が埋まってる。それが小屋の中にいた女の頭だ」
司は瑞香の怖がる様子をまだかまだかと待ち構えていた。
「おや、これはひどい話だね」
月に映される木の影の内に潜んでいた昭子が顔をおもいきりしかめて誰にともなく言う。
その声は太郎と侍にしか聞こえない。
「ほほう、首を切り落とされたというのであれば、この俺と同じってもんだなあ」
「なあに関心した声出してんだい。首を落とされてるって言ってもあんたとじゃあまったく状況が異なるってもんだろう」
自分と同じ状況下にあると、侍が嬉しそうに目を細めたのを見てすかさず昭子がばっさりとその解釈を切り落とす。
「侍さんは切り捨てだったろ。でも、瑞香さんの場合は覚悟ができてなかった。無論、殺されたのが先だから覚悟も何もあったもんじゃないけど」
太郎が昭子の影に重なった。侍の影が首を振るように左右に揺れている。
畑の横にある木々が揺れていると錯覚するようにうまく影の内に潜んでいる三人は、勝手に木の影に同化して動いていた。
「この男が死体の埋まっているところに野菜やなんかの種を撒いて育てて、出来上がった野菜を次の獲物に食わしていたってんだから、本当にどうしようもない話さ」
昭子の影がすうっと細く起き上がるように伸びた。
「でも、よくそんなところで育ったな。普通死体を埋めたところに種なんか撒いてもそうそううまくできやあしないだろうに」
侍の影も昭子に続くように起き上がる。
「死体だけじゃあうまくは育たないでしょうけど、こいつは畑仕事を趣味にしていたってんだから、そこは知恵を絞ったんでしょ」
太郎が影から月明かりに照らされてゆっくりとその姿を現したとき、昭子も侍も太郎の横に並んで、顔に笑みを浮かべて瑞香と司の方を向いていた。
司ははまだ三人の存在に気づいていない。
三人は、この畑に何人埋まっているかをやいのやいのと言い合っている。侍は五人と言っているがその根拠はどこにもなかった。
昭子は、この男は結婚して家族も持っている。瑞香のあとにそんな何人もは殺せないはず。瑞香とあと一体か二体くらいだろうと意見を曲げない。
太郎は顎をさすりながら周りを見回していく。
奥の小屋、土が盛り上がっている畑、この畑は広くはない。いっても田舎の個人宅の裏に作ったものだ。家庭菜園に毛が生えた程度である。
「四人だな」
太郎が己の口を左右に大きく引き裂いて笑った。
「四人だ」
自信たっぷりに顎を上げてみせた。
「そうかい、太郎がそういうなら確実だわね」
瑞香の前に殺された人たちがどこに埋まってるのかと聞こうとしたところで空気に怒りが帯び始めた。
「お。来るみたいだぜ」
太郎が空を見上げる。昭子と侍も空を見上げ「あら、本当だ。今回は早いねえ」などと呑気なことを漏らしていた。
嘘だ。嘘だ。と現実逃避を始める司は、俺は他人の子を育てていたのか。自分の子供だと思っていたのに、他人の子だったのか。と信じられない。信じたくないと顔を大きく左右に振り続ける。
「なあ、教えてくれよ。妻はともかく、子供らはまったく気づいてなかったんだよな。そうだろ、父親が違うなんて知らなかったんだろ」
太郎にすがりつくが、その手を軽くいなし、
「知ってたさ。時間をかけて説明したんだ。お前の妻は頭が良かっただろう。ゆっくり刷り込むようにして、理解させた。そしてお前が完全にこの家族に心を許すのを待った。家族が宝物に変わるのを待ってたんだ。復讐するためにな。だからお前に逆らわず、波風立てず、何もねだったりもしなかっただろう」
「それは俺の育て方がよかったから、」
「何言ってんだよ、父親のすることはぜんぶその男がしてたんだよ。本当の父親だからな。子供たちはその男に甘えてたんだ。つくずく馬鹿だなおまえは」
呆然とする司に、太郎は、
「やっぱおもしれえ。死んでからも悩むんだな人間てもんは。どうなるわけでもないのに」
「太郎ちゃん、面白がってないで、この先をさっさと教えてやんなさいよ。ここからが一番おもしろいんだから」
昭子が太郎の着物の袖を引っ張り、話の先を聞かせろとねだる。司の慄く表情が見たいのだ。
わかったと頷き、
「これからお前は殺される」
「どういうことだよ」
司の声は震えていた。
「お前は最近体調がよくなかっただろう? それはな、おまえの妻が長い年月をかけてお前の食い物に仕込みをしてたんだよ」
「毒を持ったってことか。は、犯罪じゃねえか」
「おもしろいこと言うなお前」
太郎が体を強張らせている司をまじまじと見た。
「お前の妻はお前を痛めつけて苦しませて殺すはずだったんだけど、そこだけがうまくいかなかった。さぞ残念だろうな。苦しまずに死んだんだから、さぞやるせないだろう。それはさておきだ、これからお前は永遠にひとりぼっちになる。一人で闇の中に落ちて行く。そこで殺され続ける。先は無い。殺されたあとにあるのは完全な闇だ。その中にポツンと未来永劫居続ける。その気持ちだけがお前の友達だ。この地球ってもんが終わりを迎え、みんなが違う世界へ行っても、お前の時間はここに貼り付けられたままだ。哀れだな」
暗闇の中に一人なんて信じられない。頭おかしくなるわね。
司の耳の奥の方で昭子が楽しげに言っているのが聞こえる。
「瑞香」
そうだ、瑞香を生き返らせればこうならない。
司は瑞香を生き返そうと、その体を探す。
しかし、己が八つにバラした瑞香はもうこの世にはいない。
生き返らせられるわけがないのだ。
そんな奇行に走った司には目もくれず、三人は瑞香の元へ歩く。
家がぼうっと音を立てた。
車のエンジンが遠くに響く。
山の中にポツンと佇むこの家が赤々と燃えていようと、誰にも気づかれない。
妻は馬鹿じゃない。家が燃え終わる頃には雨が降り出すことも計算しての今日の決行だ。
あれだけ灯油を浴びせたら、残すことなく燃え切るだろう。
慌ただしく動いたのはこのためだ。本当だったら死ぬのはまだ先の話だった。弱って動けなくなってから生きたまま焼き殺すはずだった。しかし死んでしまったらすぐに燃やさないと死体はあっという間に腐る。
妻はすぐに天気を調べ、やるべきことを考えた。
「この先はおまえさんの仕事だ」
太郎が少しかがんで瑞香と視線を合わせた。
ゆっくりと首を引いた瑞香はどこかホッとしていた。
「でも、一つわからないことがあるんです」
「なんだい、言ってみな」
自分が助けようとしていた子がちゃんと成仏できたのか気になって仕方ないと正直に言った。
「ああ、その子はここにはもういないよ。瑞香さんがそのことでいつまでも苦しんでたらその子もきっと悲しむぜ」
太郎はそれだけ言うと、瑞香の肩に手を置いて、
「この男はこれから苦しむから、ようく見ておくといい。残念ながら君が手をかけるのは、今ではないけど、それでも、惜しみない苦しみが未来永劫終わることなくこれからやってくるから」
二回、瑞香の肩を叩くと、あとは時間の問題だ。君はそれまで『また』消えることになると思うけど、こいつの苦しみはいつでも見られる状態にあることを忘れるんじゃ無いよ。
瑞香は太郎が言った『また』という言葉を反芻した。そして、眉間に皺を寄せて力強く頷くと、はっきりと怒りを込めた目を司に向けた。
司は一心不乱に土を掘り起こしていた。厳密には土に触れることはできないけれど、自分に火をつけて置き去りにした家族のことをなかったことにしようと、瑞香を生き返らせようと狂ったように土の中に手を突っ込んでいた。
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