コールド・ウォール

中目黒サニ太郎

第1章・コールドウォール

 1

 鍵盤の上を飛び跳ねる彼女の右手は執拗に主旋律を繰り返し、その中の一つの鍵盤が、自分の上を通り過ぎていく彼女の指を恨めしそうに眺めている。そいつの気持ちも分かるけれど、ここには彼女とぼくしかいない。そして少なくともぼくは、彼女の味方だ。そいつとぼくは鍵盤上を往復する彼女の指を眺めているしかない。

 

 滑らかに流れるメロディが、彼女の長い栗色の髪を撫でた。ぼく達はどこかの暖かな日差しの中にいる。他には何もない。色も、音も。彼女とぼくの後ろに広がる世界ですら。とうとう彼女の指が例の鍵盤に触れた。音は鳴らなかった。彼女はぼくの方に振り返ると微笑みながら言う。


「たまには触れてあげないと拗ねちゃうんだよ。私と同じようにね」


 そして、無声映画の役者のようにはっきりと口角を上げると、舞台装置が幕を下ろし、彼女はカーテンの向こうに消えていく。

 

 そんな夢を見た。

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