第17章

「わあ、きれいな絵ですね」


松田玲子は感嘆の声を上げた。




美術室で天宮務と松田玲子は、彼が描いた


暗雲から陽光が差し込んでいる油絵、5点の連作を見ていた。




だが、天宮はその言葉を聞いてかすかに鼻で笑う。


彼女はそれには気づいていない。




「これって希望の光を表してるんでしょう?」




松田玲子の問いを無視する天宮。




「でも、この崩壊したような街の上から


 光が差し込んでいる絵なんて、なんだかシュールだわ」




「ところで松田先生。あなたの光は弱いですね。


 しかし、少しは役に立つかもしれない」




「天宮先生、何をおっしゃってるのかわからないんですけど」


松田玲子は首をかしげる。




「あなたは教師になる前は、金欲しさに男と情事を


 重ねることもいとわなかった・・・人間らしいといえば


 人間らしいですか・・・」


 そう言いながら、天宮はくすくすと笑う。


さすがに彼女もそれに気づき、顔を紅潮させた。




「な、なんて失礼な!天宮先生が私の何を知っているっていうんですか」




「わかるよ。人間ごときのやってることは・・・」


天宮の表情が変わる。彼の目には冷徹さしかなかった。


松田玲子はその場に立ち竦んだ。




「さあ、わずかに残っている光を私に譲るんだ」


天宮はそう言うと、松田玲子に向かって右手を向けた――。




陽は西に傾き、山すそに隠れようとしていた。


白川八幡神社を囲む森もその影を濃くしつつあった。


神社の本堂の中で、戸川光明と江野生人は向かい合い、


互いにあぐらを掻いた状況で、見詰め合っていた。


重々しく戸川老人の口が開く。




「本来、陰陽道は魔や災厄を遠ざける呪術じゃ。だが、


 あなたにはそれが必要とされておる。


 これから、禁呪の法を行う。式神を使役し、


 あなたの力になるよう命じるつもりじゃ」


戸川老人はそう言うと、江野の目をみつめる。




「これから、強力な式神が数知れぬ現れる。


 このわしにもどれだけ従わせることができるか、


 正直自信は無い。それはあなたとて同じこと。


 彼ら式神の妖力に耐えられるかどうか・・・


 もし、あなたが耐えられなければ、式神共はあなたを食い尽くすじゃろう」




「早く始めてくれ。時間が無い」


江野の冷静な口調に、戸川老人も苦笑した。




「あなたが何者か、まだ想像もつかぬが、


 この禁呪の法で何かつかめるかもしれんのう」


戸川老人はそう言うと、呪文を唱え始めた。




「オン・アミリテイ・ウン・ハッタ


 オン・マカ・キャロニキャ・ソワカ


 オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン・・・」




 白川神社の上空に暗雲が垂れ込み始めた。


それは微風すらない白川郷の中で、猛烈な渦をつくっていく。


その中心は、ぽっかりと空いた暗黒の空洞だった。


その空洞から、おびただしいほどの数の黒い何かが白川神社に向かって、

うがつように突進してくる。




戸川老人はさらなる気合を込めて呪文を唱える。

彼はすでに全身汗でびしょぬれだった。神社の屋根を突き破り、式神たちは現れた。


それも数え切れぬほどに・・・・・・。




黒い式神―――それは決して人の力では使役できぬ存在。


戸川老人は恐怖で震えだした。一瞬の気の緩みが命取りになる。


だが、対する若者は微動だにしいない。


その態度に驚愕していた戸川老人だったが、


彼をさらなる恐怖が襲った。




黒い式神に呼ばれ、日本国中の怨霊、悪霊がこの白川神社に集い始めたのだ。


もはや、神社の本堂は闇に閉ざされた。


恐るべき黒い式神と無数の怨霊によって空間を埋め尽くされたのだ。




怒り、憎しみ、妬み、嫉み・・・・・・様々な負の念が江野を中心に渦巻いた。




戸川老人は必死に平静を保つように精神集中する。額を滝のように汗が流れる。


もし、目の前の若者の心がわずかでも揺らげば、黒い式神と怨霊たちは


自分だけでなく、この若者も地獄へ引きずり込むだろう・・・・・・




と畏れに震えていた戸川老人は見た。


若者の背後から3対――6枚の羽が開くのを・・・・・・それだけではない。


若者の背後からは、7つの大蛇が現れたのだ。


そして、彼の顔が14の数に増えていく。




江野を取り囲み渦巻いていた式神たちの動きに変化が起きた。


信じがたいことに、黒い式神と無数の怨霊たちが


若者から逃げようとしていることが肌でわかったのだ。




(この男・・・いったい何者?)


戸川老人はこれほどの強大な力を持つ存在を


知らなかった。あの人には決して従わぬ黒い式神と凄まじい数の怨霊が


おびえているのだ。




それまで閉じていた14の数の江野の左目が開く。


その14の目に黒い式神とおびただしい数の怨霊が、


蟻地獄に落ちた蟻のように吸い込まれたいく。


――いや吸い込まれているのではない。彼に喰われているのだ。




 式神と怨霊たちは必死に逃れようとしている。


だが、若者の14の赤い目と7頭の大蛇が容赦なく闇の魂を喰らい、


地獄へ連れて行く。




 戸川老人はすでに失神寸前だった。全身を極度の恐怖が駆け巡る。


やおら神社の本堂は水を打ったように静かになった。




そこには鎮座する若者が一人たたずんでいるだけだった。


江野は何事も無かったかのように立ち上がった。


手も触れずに本堂の扉を開けると、ふわりと外に出る。




ガクガクと震える戸川老人に肩越しに言う。


「人間にひざま着く気は毛頭ないが、礼を言う」




江野はそれだけ言うと、停めてあったYZF-R1へ向かった。

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