第3章

「Good morning everyone」


2時限目の授業が始まった。


2年1組の生徒たちに挨拶するとテキストの6ページを開くように言った。


だが、江野自身の教卓の上のテキストは閉じられたままだ。


内容は今朝、職員室にいる間、パラパラとめくっただけで全て暗記している。




淡々と授業は進んでいった。


時折、江野がランダムに生徒を指差し数行の英文を訳させる。


間違いがあればそのばで訂正する講義を行う。


答えに間違った生徒を叱ることもない。一見退屈そうな授業だが、


不思議と生徒たちは熱心に聴いている。


というよりも、江野の授業の空気をみだすことを、生徒たちは本能的に


危険なことだと感じ取っていた。


肌で感じる緊張感。よほどの感性が鈍い者でないかぎり、


彼のいる空間に張り詰めた、厳かな空気は打破できなかった。




そのクラスのひとりの女生徒。林田郁美は漫然とした恐怖を


江野から感じ取っていた。


確かにファッションも今時のビジュアル系の出で立ちをしている。


だが、そんなことではない。江野に対して何か浮世離れというか、


この世の者ではないという強迫観念が頭をもたげる。




こんなこと他人に話せば一笑にふされるかもしれない。


しかし、郁美の感じるものは確実に実体を持っているかのように


形作って威圧してくる。


 郁美がノートに視線を落としていると、視線を感じた。ふと頭を上げる。


一瞬、江野と目が合った気がした・・・。






昼休みの屋上。数人の生徒たちがいた。弁当を食べたり、だべったりしている。


その中に、林田郁美の姿もあった。




「はぁ?江野は人じゃないって?」


フェンスに身を預けながら、速見藤吾は言った。郁美はあわてて訂正する。




「そうはいってない。なんだか人間離れしてるっていうか・・・」




「ああ、それならオレそんな感じするな」


そばで聞いていた浅川が同意して、言葉を続けた。




「なんか美術の天宮に似てね?雰囲気とかさ」




「確かにそんな感じはするな。でもなんか違う」


速見は真っ青な青空を見上げて言った。




「なあ、速見。お前も知ってるだろ?1年の奴が変になったこと」


浅川が問いかける。




「1年の男子が、登校できなくなったって話だろ」


速見が、かったるそうに答える。




「何?その話」


郁美は二人に問いかけた。その問いに答えたのは、浅川だった。




「半年ほど前、天宮の授業でさ、デッサンやってたらしいのよ。


 石膏像の。そのとき一人、生意気な奴いてさ、


 まともにデッサンしないわ、女子にヌードモデルになれって


 ふざけてたらしいんだわ。すると、天宮が近寄って


 そいつに手をかざしたら、いきなりそいつ白目向いちゃって


 倒れたってさ。後でわかったんだが、脳卒中らしい」




「脳卒中?高校生で?」


郁美の驚く声が響く。一瞬の間、ほかの生徒の視線が速見たちに注がれる。




「それでどうなったの?」


郁美は必要以上に声をひそめた。




「どうなったって、それきり意識が戻らず、今でも病院にいるらしい」


速見がぶっきらぼうに答える。




浅川も調子に乗って、郁美に向かってなぜか自慢気に話し出す。




「ほかにも天宮については、いろんな噂が立ってる。


 美術室を脚を動かさずに移動してたとか、放課後、


 誰もいなくなったグランドの真ん中で空中に浮いてたとか・・・」




「浅川、お前バカか?都市伝説だよそんなもん」


速見が一蹴すると、浅川の勢いはそがれた。苦笑いを浮かべ、頭を掻く。




「たださ・・・」


速見は少し真剣なまなざしになった。




「あの新任の江野って奴、左目あたり髪にかくれてるじゃん。


 でもオレ見たんだよ、一瞬。あいつ左目赤いんだ。


 カラコンとかじゃなく、目玉全体が・・・」




まさかと言う顔で郁美は速見を見た。




「とにかく、天宮と江野って同じ空気持ってんだよな。


 なんかやりにくい教師が増えたって感じだ」


速見はため息混じりにつぶやいた。

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