第2章

江野は美術室に向かっていた。というよりも、ある人物の匂いを


嗅ぎ取っていた。




3階に上がると、角部屋に美術室はあった。扉を横に引き開ける。


室内に入ると、一人の男が木製の椅子に座り、


目の前のカンバスに絵筆を走らせている。


描いている絵は120号のPサイズ。かなりの大きさだ。




その男は理科系の教諭のように白衣を着ていた。


すさまじい勢いで絵筆を動かしているが、


その白衣には、一点の絵の具の飛まつも着いていない。


江野が室内にいても、何の同様も見せず、その絵筆の勢いを止めない。




「A longo tempore, sed ego(久しぶりだな)」


その白衣の男は江野に背を向けたまま言った。




「immo vero(そんなことはない)」


江野は答えた。




「この国の言葉で話したらどうだ?誰かに聞かれたら変に思われるぞ」


江野にそういわれ、白衣の男は苦笑いしながら立ち上がる。


そして江野と対峙した。




その白衣の男は、180センチを超える長身だった。


それでいて余計な贅肉は着いておらず、スマートだ。


髪は茶褐色の短髪で、前髪を横に流している。


顔は彫刻のような端正な顔立ち。それえはまるでギリシャ神話に出てくる


神をも想起させた。肌も白雲のように白く、その白さが言葉では尽くせない


威厳をかもし出している。




「人間の名ではなんと呼ぶんだ?」


江野は問いかけた。




「天宮務」


白衣の男は淡々と語った。




「天の務め・・・・・・か安直なネーミングだ」


江野の口元に苦笑が滲む。今日、初めて見せた表情だ。




「お前こそ江野生人とは。江野は『エノク書』からとったのか?」


天宮も苦笑いを見せる。続けて言葉を重ねた。




「お前が現れるとは正直考えてなかった。だが、末路は想定内だ」


天宮の目が冷酷に光る。




「まあいい。お前が何を考えていようと無駄だ。好きなようにはさせない」


江野は天野をにらみつけた。その瞬間、江野の瞳が赤く染まった。




「そうすぐに殺気立つ。それがお前たちの悪いところだ。感情的過ぎるんだよ」


天宮は再び、椅子に座り描きかけの絵に向かい合う。




江野は美術室を出るとき、天宮が描いている絵を見た。


それは暗雲の隙間から一筋の陽光が差しているものだった。


至極単純な絵ながら、神々しさをかんじさせる一枚だった。




江野が美術室を出て行こうとしたそのとき、天宮が彼の背後に声をかけた。




「ドアはちゃんと閉めていけよ」




江野は雨宮の言葉を無視して、そのまま廊下へ出た。




「しょうがない奴だ」


天野はほくそ笑む。


次の瞬間、まるで自動ドアのように、音を立ててドアは閉まった。


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