4 月夜の晩の用件は
「ふぃ~、疲れたー」
バフンという大きな音を立て、アイリはベッドに倒れこんだ。
一日歩き通し辿り着いた先の町の宿。ミルガーデンに比べれば大分小さなこの町は外壁もなければ、衛兵も立っていなかった。
とはいえミルガーデン同様、宿が主な町の財源である街道沿いの町ということは変わりない。もう夜も遅いというのに宿には問題なくチェックインできた。
「このペースでいけば六日後くらいにはハイゼルンに着きそうだ」
さほど疲れた様子も無くプルートはベッドに腰を下ろした。道中は平穏無事に過ぎ、プルートの予定よりも大分進んでいる。
豪華さはないが質素が過ぎるわけでもない二人部屋には年季の入った調度品が置かれている。小さなテーブルの上にはこの町の名産なのか菓子がお盆の上に並んでいた。
(ここまでは何も問題なく来れたな)
ベッドでくつろぐアイリを見ながら、プルートはぼんやりと思った。旅に慣れているプルートは肉体的にはほとんど疲れていなかったが、精神的には疲れを感じていた。今部屋に着いたばかりだというのに、そう思うと急に煙草と外の空気が吸いたくなった。
「ちょっと外に出て来る。適当にメシでも食べててくれ」
アイリにそう言い残すと、プルートは宿の外へ向かった。
夜の闇に白い煙がうっすらと映る。宿から少し離れた場所に、公園を見つけたプルートはそこで一服することにした。遊具もないこの公園には木々とベンチだけが、ただただ寂しそうに並んでいた。
さして大きくもないこの町では街灯が少なく、明かりもまばらだ。月明かりのおかげで困ることはなかったが。
サワサワと木々を揺らす風が生暖かい。
まだ夏であることを感じる。
そろそろ日付も替わろうかという時間。周りは静かなもので人の気配もない。
――いや、
微かにプルートは違和感を覚えた。
長い旅の中で、幾度となく闘うことを余儀なくされたプルートの勘がそれを告げていた。
次の瞬間には、二つの影がプルートの前に現れる。
誰何の声をあげる間もなく影の一つがプルートに向かう。
(速い……!)
そのスピードでただ者ではないことを悟りつつ、プルートの体を目掛けて打ち込まれた拳をかわす。かわしざま放った上段への蹴りは、空いた腕で難なく防がれていた。武器を携帯しなかった自分にプルートは内心舌打ちする。
(こうなることも予想できたはずだ。なのに……)
ふと見ると居たはずのもう一人が視界にない。瞬間、背後からの攻撃をプルートは勘だけでかわし距離をとる。
見れば二人は黒ずくめ。顔まで覆っているその姿は自ら闇の住人と紹介しているような風体だった。動きからも訓練された人間であることは見てとれる。
なぜか武器を使ってはこなかったが、月で明るい今夜でも襲ってきたところをみると人違いではなく、しかも急ぎの用であるらしい。何の用かプルートは大体察してるつもりでいるが。
「お前ら何者だ?」
「…………」
返事のかわりに再び二つの影が走り出す。
(……だよな。やっぱりのしてから聞くしかないな)
プルートは普段二本の剣を使っていたが、無手での体術にも自信があった。小さい頃、父から受けた修行は今思い出しても身震いする。
二本の剣は父の形見であったが、あまり器用ではないプルートは、せっかくの双剣も一本ずつ使うことが多かった。今は一本もないわけだが。
プルートも二人に向かって走り出すと、一人目を接触する直前にかわし、無視をした。
その奥にいた二人目は、プルートのスピードとタイミングがずれたことに驚きの色を滲ませたが、素早く身構える。しかし、プルートの蹴りを完全には受けきれず体が流れた。逃さずとどめに入ろうとした時、後ろからもう一人の攻撃を感じ身を引くしかなかった。
(二人ってのはやっかいだな……。雑魚じゃないようだし……)
プルートが心の中で愚痴っていると、影の一人が呟きだした。
「なんだ?」
訝しがりながらも、プルートは自分に何か問いかけたものだと思い尋ねたが、それは違った。ただの暗がりだった景色に光が増し、プルートの影が伸びる。見れば呟いていた者の手に光を放つ球が生まれていた。
「魔術!? さっきのは呪文か!」
一人文句を言いながら駆け出す。放たれた光球がプルートに襲いかかる。
ドオォォォン!
爆発音が鳴り響き、一瞬夜の闇が振り払われた。
その爆煙の中から突然現れたプルートに、魔術を放った一人は不意をつかれ蹴りをまともにくらい昏倒する。そのまま奥のもう一人に向かい、一気に倒そうと拳を繰り出したがそれは叶わず、かわされた。
「まだ半分はタバコ入ってたのにな。弁償してもらうぞ」
プルートから距離をとった相手に言い放つ。
炸裂型の魔術だと読んだプルートは、光球が自分に当たる前にタバコの箱を投げつけ直撃を避け、その爆発に乗じて攻撃を仕掛けたのだった。
「……える……し……」
プルートに応えたのか何かを呟く。
「何だ? 本当に弁償してくれるのか?」
ヒイィ――ン……。
突然プルートの立っていた地面に魔法陣が輝く。
「――ってお前も呪文か!」
慌ててその場から跳び離れると、魔法陣から炎が渦を巻いて立ち昇る。
「くっ!」
炎で巻き起こった風圧に体が流される。それでも飛ばされそうな帽子を押さえながら、間一髪避けることができた。
この隙に仕掛けられるだろう攻撃に身構えたが、その気配はない。やがて炎がおさまる頃には倒した一人も含めて、黒ずくめ達の姿は消えていた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
ダダダダダダッ! バン!
「アイリ! 無事か!?」
勢い良く開けたドアの向こうの光景に、プルートは驚愕した。
アイリはベッドで寝そべって、茶菓子を食べながら本を読んでいたのだ。
あまりにものんびりとしていたアイリの様子にプルートは拍子抜けした。
「ん? そんなに慌ててどうしたん? 遅かったね」
首だけドアに向けながら喋るアイリ。
気楽なアイリの様子にプルートの気が一気に抜ける。
「……ベッドでお菓子は良くないぞ。カスが落ちるし」
「それもそうだな」
プルートから注意を受けたアイリはそう言うと残りの菓子を一口で食べた。
逃げた方向さえ分かれば、一人担いでいる襲撃者に追いつくことはできただろう。しかし、自分が襲われたということはアイリも危ないと思い、プルートはすぐに宿屋に戻ったのだが――。
予想に反してアイリは読書に勤しんでいた。だがこの状況に、プルートは不自然さをわずかに感じていた。
「何を読んでいたんだ?」
気を取り直してまた本の方へと顔を向き直してしまったアイリに尋ねる。
「聖書だよ。レナード教の。あんまり面白くないけど、他になかったからな」
レナード教は世界最大の宗教である。アイリは基本的なことや常識的なことは覚えていたが、自分のことだけは綺麗に忘れていた。
「そんなことよりどこまで行ってたんだ? すぐ戻るかと思って食べないで待ってたってのに」
「まだ食べてないのか。そりゃ悪かったな。それじゃあ飯食べに行くか」
そうして二人は遅い夕飯をとるため、抱いた違和感を置き去りにして、夜の町へと繰り出すことにした。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「それで? さっきは何してたんだ?」
こんな時間だったので普通の飯屋は開いておらず、たまたま見つけた飲み屋で食べることにした。おそらく街の常連達だろう。静かに飲む者、仲間と騒いでる者、様々だったが皆馴染んでいる様子だ。
「ん? ああ、さっきは煙草買おうと思って店を探してたんだ。結局、もう閉まったようで見当たらなかったがな」
野菜炒めに箸を伸ばしながらプルートが答える。
「ふーん、そっか。えらい勢いで帰ってくるから何かあったのかと思ったぞ。そういえば宿とってから言うのもなんだけど、こんなのんびりしてていいのか?」
言いながら、アイリはアイリで串刺しで焼かれた鶏肉にかじりつく。
「夜だと魔獣か、運が悪ければ幻獣に出くわすかもしれないからな。それにラステアの行方もおそらくハイゼルンだろうというくらいだ。急いだところで成果のほどは定かではないが、お前がそこまで言うなら今からでも――」
「うん、明日にしよう!」
プルートが言い終える前にアイリは決断した。 ラステアの所有者がいるかも分からないのに、魔獣がでるかもしれない道を歩くなんてまっぴらごめんだ。理由を聞きたかっただけで、急ぎたいわけではなかった。
魔獣とは幻獣以外の魔術を操れる生物の総称であり、可愛げの残るものから遭遇したら即座に逃げなきゃならないものまで幅広い。とは言ってもかわいい魔獣なんてものは稀で、大抵は人を見たら襲ってくる。会わないのに越したことはない存在だ。
幻獣は神話でこそ、世界を護る存在とされているが、決して人を襲わないわけではない。
そして魔獣とは比べものにならないほどの知性と強大な力を誇る。
並みの人間がもし幻獣に襲われた日には、遺言を考えなければならないほど、心底出会いたくない存在だ。もっとも普通に生きてれば生涯一度も出会わない人がほとんどだろう。
幻の名が示すように、そう出会える存在ではないのだ。
魔獣も幻獣も通常、人里にはほとんど近づかないが、特に魔獣は夜になると活動的になるものが多い。
そのため、夜間に街の外に出ることは旅慣れた者ほどしない。プルートは大抵の魔獣ならば倒せる自信はあったが、もともと夜まで歩く気はなかったのでアイリの意見に従うことにした。
遅い夕飯ですっかり満腹になった二人は、明日に備えて寝ようと宿に戻ってきた。アイリはやはり疲れていたのか、すぐに寝息を立て始める。
プルートは眠れずにいた。さっきの黒ずくめ達。アイリを不安にさせないためとはいえ、襲撃を受けたことを隠しておくのは心苦しい。実のところプルートは、ハイゼルンにラステアが向かうことを確信していた。しかし、急ぐ必要がないことも分かっていた。
プルートは、長年の目的に近づいていた。
(なのになぜ、こんなに追い詰められた気分になる……?)
答えは分かっていた。しかし、もう止まることはできない。予想通り、向こうから手がかりがやってきたのだから。
襲撃者が魔術を使ってきたのは厄介だった。魔術が使える者と使えない者では差が顕著にあらわれる。戦い方の幅がまるで違ってくるのだ。さっきの二人が使った魔術もそれ自体でダメージを与えるというよりは、威嚇や目くらましの意味合いが強いようなもので、直撃していても致命傷になるというほどではなかった。
とはいえ魔術にもっとも有効なのは魔術である。使えないプルートにとってこれ以上厄介な敵はなかった。
魔術が扱える者はそんなに多くない。また、その中で戦闘に使えるような強力な術士となるとさらに少ない。
(やっぱり一筋縄じゃいかないな。だけど次は逃がさない……)
そんな決意をしながら、プルートはいまだ落ちてこない瞼を無理やり閉じた。
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