第一章 ただ、正しき道へ

1  突然の来訪者

 空は青く、そのどこまでも広がる世界を雲がのみ、今日も渡り歩いている。見上げればそれは、紛れもなく晴天と呼べるものだった。


 夏と呼ばれるその季節が、そろそろ次の時節へと移り変わろうとしていた。太陽も丁度、頂点に昇った今の時分。まだまだ日差しは強い。強いはずなのだが、しかし、吹きすさぶ風とこの場所が、その気候に反して青年に寒気を感じさせた。


 大きな破壊の跡。大地を抉った巨大な半球状の穴。


 穴と呼ぶには径が広すぎたが、青年が立つこの地にあるのは人の力をもってしては到底作りえない、そのおぞましい爪痕だけだった。『ある』というのは間違いかもしれない。 

 本当は何もなかった。それは全てを消し飛ばした痕なのだから。


 元よりこの地は人が住まうには厳しい土地だった。視界に映るのはごつごつとした岩が多く、荒野とすら呼ばれるかもしれない。だがそんな環境でも、ここに小さいながらも村があったことを、青年の持つ地図は示していた。


 人々の営みがあった。彼らが身を寄せ合う家屋や、必死に耕した田畑や、賑やかな笑い声がここにはあるはずだった。

 しかし、今ではその名残すら欠片もなく――。


 その黒い瞳で青年はしかとその光景を見据える。

 止まり木すらないこの地に、鳥のさえずりを期待するというのも甚だしく、ただただ風音だけが耳を支配していた。


 その強く吹き付ける風が、青年のそう長くもない黒い髪をなびかせ、身に纏う肢体全てを包むローブも風を孕み、はためく。目深にかぶった彼の古ぼけた帽子は、手で押えつけていなければとうに空へと舞っていただろう。


 この季節には似つかわしくない旅人然としたローブは、照り付ける太陽と舞い上がる砂塵から身を守るため。旅の途中、噂を頼りにこの場所まで足を運んだ次第だが、噂以上の惨状に青年が身を凍えさせる。人々のする噂話が現実より劣るというのも稀な話だと青年は思った。

 

 まったく人の手には余るほどの惨状だったが、青年はこれほどの破壊をもたらすものに心あたりがあった。


「ラステア……」


 漏れた言葉は青年にしてみれば声を発したつもりはない。

 視線を外し、仰ぎ見た空に浮かぶ雲は、いつもより足早に過ぎ、彼らでさえこの地に長く留まることを拒んでいるように思えた。

 やがて見ているだけで背筋を凍り付かせるその場所に、青年は背を向けた。


 聞こえる風の音が、更に激しさを増したように思えた。




―・―・―・―・―・―・―・―・―・―




「はいよー、日替わり定食お待ちどーさん!」


「おう。ありがとよ。兄ちゃん!」


 ここは宿場町ミルガーデン。この街に数ある宿の中の一つでの、見目恐ろしい大男と、エプロンに三角巾姿の少年による平和な昼食時のやりとり。取り立てることもないような日常の風景。まだあどけなさの残る金髪の少年が、昼時の慌ただしい店内をこれまた慌ただしく駆け巡る。 


 大衆向けのこの宿では、一階は主に食堂スペースになっており、二階に宿泊スペースが設けられていた。泊まりはしなくとも食事だけ摂っていく客も少なくない。というより、そういった客が大部分を占めている。

 値段の割に量と味に定評のある料理は、この宿唯一の利点であるといっても言い過ぎではない。


「小僧! こいつを三番テーブルに出してくれ」


「はいよ!」


 厨房から張り上げられた声に少年は応え、すばやく指示通りに動く。この時間帯が一番忙しい。もう少し経てば客足が減り、少しははのんびりできるのだが。


 少年はこの仕事を始めて間もないが、毎日早くその時がこないかと願っていた。言われたとおりに料理を運ぶと、再び注文をとりに新たなテーブルへと足を向けた。


 ミルガーデンは大陸における、二つの大都市をつなぐ街道のほぼ中間に位置している。


 世界最大宗教のレナード教。その第二の主要都市である聖地ドリスと、大陸随一の貿易港をもつハイゼルンがその二大都市である。旅人の多くが一日、二日滞在し、足早に通り過ぎていくような街であったが、それなりに栄えていた。


 街道を行きかう旅人の数は相当なもので、古くからある『西へ行く者、信心深き者。東へ行く者、富を求めし者』という言葉がこの街をよく表していた。


 ミルガーデンの近隣には丁度、街道を歩いて一日分といった距離に東西とも隣町が存在している。というより、街道上には大体その間隔で街が並んでいた。街道を外れて少し南下すれば、人が住むには不向きな土地が広がっている。二大都市に比べ、かなり見劣りするが、実質ミルガーデンがこの大陸第三の都市になる。


 そんな調子で、日替わり定食があまり意味をなさない街ではあったが、昼時の苛烈さは日毎の日課といったところだった。


 時間を確認する暇もなく少年が給仕役に勤しんでいると、その戦場のような喧騒も次第に弱まり、店内の客が織り成す会話の端々も耳に届くほどになった。昼を大分まわり、どの食事処も落ち着き始める時刻だ。


 この店も、客はテーブルに三組とカウンターに一人となっている。少年がいい加減立ちっ放しにうんざりしてきたころ、厨房から声がかかる。


「よし、休憩だ。小僧、これでも食ってろ」


「ぐはー、やっと休憩かー」


 少年は大きく一息つき、三角巾を剥ぎ取るとカウンターに座った。仮にも店員が客と同じ場所に座るのはどうかと思うのだが、親方が気にするなというのだからその通りに気にしないことにしていた。


 厨房を見やれば口ひげが特徴的な、いかつい大男が大きな鍋をゴシゴシと音をたてながら洗っている。この宿の店主でワイズという名前があるが、少年は親方と呼んでいた。別にそう呼ぶようにと言われたわけではない。周りの客がそう呼ぶのを何度か聞いて、少年自身もいつのまにかそう呼ぶようになっていた。


 どうみても宿屋の店主に似つかわしくない肉体と、それに刻まれた傷の数々。

宿の店主が親方というのはどういう了見かと初めは思っていた少年も、今では全く違和感を覚えなかった。


「親方はまだ休まないの?」


 毎日、自分が休憩している間も休まないワイズが少年は気になっていた。が、すぐに疲れなどまるで滲ませない声で答えが返ってきた。


「おまえとは鍛え方が違うんだ。いらん心配はするな」


 そういえば、自分が働き始める前は一人で切り盛りしていたことに思い至る。

 立ちっぱなしで延々と料理をしていたというのに、少しも疲れている様子が見えない。

 とんでもない人だなと、内心つぶやきながら、出されたまかない飯を口に運ぶ。見てくれこそ、残り物の寄せ集めといった感じだが、常連ができるのも肯ける味だ。日によって大して代わり映えもしないまかないをこの日も少年は一気に平らげた。


 食後にぼんやりと店を見渡す。周りを見れば綺麗な華など一つもない。訪れる客といえば、なにがそんなに不満なのか、多分に目をいからせた男達がほとんどだ。彼らが持つものといえば虫も誘われるような甘い香りなどではなく、獣も避けていくような歴戦のキズばかり。


 どういうわけで、この店には集まるのはこんな男達ばかりなのだろうと少年は考えようとした。が、一間で答えへと行き着き、愚問であったことが知れる。店の佇まいは言わずもがな、店主が店主だ。これで綺麗な娘に来てくれというのは無茶な注文だろう。


 しかし、もちろん綺麗な華を愛でたい気持ちもあるのだが、どうしてか少年はこの店のこういう無骨なところも気に入っていた。店に訪れる客が親方に惹かれて集まった、と言えなくもないからだろうか。


 そんな物思いから覚め、少年が食後のお茶を汲むべく腰をあげたところで、店内にいかつい声が響く。


「おう! この店は客にこんな虫を食わせるのか! ああん?」


 ガラの悪い客ばかりの店だ。一見の客の中にはこんな難癖をつけてくる者も少なくない。

 それにしたって働き出して日も浅いのにこんな手合いは何人目だっただろうか。やれやれ、食後で良かったと思いながら少年は腰を上げた。


「どうしました、お客さん?」


「見ろよ、このスープにこんなでかい虫が入ってやがった。まったく気分が台無しだ。どうしてくれる?」


 二人組の男たちはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。旅の傭兵かごろつきか、そんな風体の男たちは、ご丁寧にスープ以外の料理はきれいに平らげてくれていた。運んだ時こそそんなものが入り込んでないことは確認済みだが、衛生面に自信がある店でもない。配膳後に入り込む余地はないこともないのだが、二人の態度から十中八九、嫌がらせで料金を支払わないつもりだろうと少年は推察した。


「おっかしいなぁ。運んだ時には入ってなかったし、この虫、死んでから七日から十日は経っているようだから飛んできて入ったはずもないだろうに」


「なに適当言ってやがる! これはさっき潰したんだから、そんな前に――あ」


 あまりに簡単にボロを出した男に、げんなりしながら少年は告げる。

 

「はぁ……。まあ、お代は結構ですよ。お客さん」


「なめやがって! このガキ!」


 小馬鹿にした態度の少年に、逆上した男が殴り掛かる。


 一瞬だった。


 曲がりなりにも幾度かの修羅場をくぐっただろう男は、少年にあっさり拳をいなされた後、頭部への蹴り一発で完全にのびていた。


「お代は結構なのでさっさと連れて出て行ってね」


 少年が連れの男の方を見据えながらそう言うと、男は「ひぃ」と小さく悲鳴を上げながら倒れた男を担いで、飛ぶように店の外へと出て行った。


 パンパンとエプロンを払いながらお茶汲みに戻ろうとする少年に、店内の客から拍手が沸き起こる。この時間に訪れている客は日替わり定食を頼むような連中が多く、この店のこんな様子を目にするのも初めてではなかった。

 あがる賞賛の声にどうもと応えながら、少年がお茶とともにカウンターに戻ったところで不意に横から声がかかる。


「働き者だな、お前さんは」


「デビスさん、来てたんだ。いらっしゃい!」


 見れば常連の客が隣に座っている。少年は笑みを浮かべながら、軽い挨拶をした。

 これだけ毎日来てくれればさすがに顔も頭に入る。見た目に人の良さが表れている初老の男性だが、髪の毛が大分薄くなっているのがそこはかとなく侘しい。衣服はすっかりくたびれていて、お世辞にも上流階級には見えない。もっとも、金持ちがこんな店を通い詰めることはないだろうが。


 それでも少年はこの初老の紳士が好きだった。彼に限らず、この店の常連と言える人達は皆、気のいい連中でその常連の顔を見ると少年はなんとなく嬉しくなる。


「ワイズよ。随分いい子を拾ってきたじゃないか。腕っぷしは強いし、よく働いている」


「拾ってきたんじゃない。コイツは転がり込んできたんだ」


 油汚れと格闘中のワイズが顔を向けずに応える。


「お前さん、まだ何も思い出せんか?」


 少年がわずかばかり寂しそうな笑顔を浮かべ頷くと、質問した初老の紳士は、困ったような顔をした。だが、少年のその笑顔もすぐに屈託のないものへと変えられる。


「そんな顔しないでくれよ、デビスさん。親方には良くしてもらってるし、なんとかなるって!」


 少年には記憶がなかった。正確に言うと、ワイズの店に転がり込んだ以前の記憶がなかった。自分のことについて何一つ、名前すら思い出すことができない。しかし、根っからの性格なのか、少年に悲愴感はなかった。


「確かに、お前さんなら何とかしそうだな。そういえば街でお前さんのことが少し噂になっていたぞ。やはりあの村の生き残りじゃないかってな」


 十日前、ミルガーデンの南方にある小さな村が一つ、壊滅した。オズ村という小さな村だった。原因は今もって分からない。遠く離れたミルガーデンからも、オズ村の方角から奇妙な輝きと不気味な振動が観測された。そのただ事ではない様子にミルガーデンから多数の人がオズ村を訪れたのだが。


 そこには人も、人のいた痕跡すらも、欠片も残ってはいなかった。ただ寒々しい破壊の跡だけがそこに在り、風の音以外全ての音がそこから消えていた。


 少年は丁度そんな事件のあった次の日に、ワイズに助けられた、らしい。南の荒野のど真ん中に倒れていた少年を、村の救出作業を手伝おうと出向いたワイズに見つけられたのだ。 

 もっとも村は救出しようのない有様だったのだが、錯綜した情報のおかげでワイズはそのことを知らなかった。そんなタイミングに、そんな場所で見付かったものだから、少年は村の生き残りではないかと言われていた。しかし、村の生存者が他に見つからず、少年自身の記憶もないため確認しようがなかったのだ。


「とりあえず、落ち着くまでウチにいればいい。その後動いたって遅くはないだろう。小僧、残りの皿を洗ってくれ」


 ようやく一段楽したらしいワイズは前掛けで手を拭きながら少年に申し付ける。


「ありがとう、親方。デビスさんも、ゆっくりしていってくれよな」

 少年は食べ終わった食器を抱え、ワイズと入れ違いに洗い場に行く。


 ワイズとデビスは一言二言しゃべったかと思うと、ワイズは二階へと上がって行った。

 デビスはゆっくりと食事をとった後、「ごちそうさん。頑張れよ」と言い残し、お金を置いてドアのベルをガランと鳴らした。




―・―・―・―・―・―・―・―・―・―




 宿泊用の部屋の支度と、夜の仕込みを始めたワイズに代わり、大量の皿を洗いながら少年は今まであったことを思い出していた。といっても十日分しか記憶はなかったが。


 最初の記憶はひたすら歩く自分。うつむいていたのか足と地面の映像ばかりが頭によみがえる。


 どこに向かっているのか、どこを歩いているのか分からない。ゴツゴツとした岩のような地面が歩きにくいことこの上なかったが、とにかく、ここにいてはいけないという思いだけが働き、足を動かす。そして不意にその記憶はプッツリと途切れ、次の記憶はこの宿のベッドの上。


 それが今から九日前。


 それから二日間、まともに起きることができなかった。ようやく動けるようにはなったが、行く当てもなく、持ち合わせもなかった自分をワイズはしばらく泊まっていけと言ってくれた。


 タダじゃ悪いと思ったが手持ちも何もない。それならば、と店の手伝いをさせてもらっている。自分が村の生き残りかどうか知る術はなかったが、この事件に無関係ではないのだろう。


 これから自分はどうすべきなのか。その答えはまだ見つからない。

 しかし、一つだけ分かることがある。考えているだけでは、仕方がないということだ。


「このまま何もせずにいたってオレのことを知ってるやつが、ひょっこり訪ねて来たりするわけじゃない。行動あるのみ、自分探しの旅に出るんだ!」


 少年は決意し、思わず口に出していた。握りこぶしも作った。皿もうっかり落とした。


ガシャン!


 店に響き渡る、哀れな皿の断末魔。


「くぉら! 小僧!」


 ……とりあえず少年の旅立ちは少し遅れることになりそうだ。




―・―・―・―・―・―・―・―・―・―




 夜。夕食時の忙しさがひと段落したころ。


「ここに記憶喪失の少年がいると聞いたんだが会わせてくれ。オレの連れ合いかもしれない」


 突然の訪問者、来たる。

 ワイズがちらりと少年を見やると、そのまま親指でさす。そして来訪者が一言叫んだ。


「アイリ! 生きてたか!」


 テーブルを拭いていた金髪の少年は、一度目を丸くした後、はぁ……とため息一つ。


「……ひょっこり訪ねて来るんだな」


 人生って分からない。一つ勉強になったと少年は思った。

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