ガラスの靴は、残さない。

置田良

ガラスの靴は、残さない。


 ――初めて『シンデレラ』の絵本を読んだときから、不思議に思っていたことがある。


 ――のみで妻に召し上げられたシンデレラは、果たして幸せだったのだろうか、と。


   *


「そりゃあ、こうして虐められるよりはましだろうけど……」


 文字通り灰を被った頭を振りながら、私は呟いた。


 私は今、シンデレラの童話の世界としか思えない場所にいて、二人の姉に虐められる生活を送っている。


 この生活が始まってから、おそらく一ヵ月ほどが経過した。生まれてからずっとこんな苦しい生活をしている……というわけではなく、私は元々は日本の高校生だった。フィクションでよくある異世界転移、というやつだと思う。

 もっとも、こんな生活をしていると、それが本当のことだったのか次第に疑わしくなってくるのだけれど。


 手に浮かぶ醜い痕を見る。小学生低学年のころ、お湯を被ってしまいついたという火傷の痕。鏡を見ることもできない生活において、私が私のことを、シンデレラなどではない私自身だと信じることができる唯一の根拠だ。


「シンデレラ! ぼんやりしてるんじゃないわよ!」


 頭に水をかけられた。振り返ると二番目の姉が、木製のバケツのようなものを手に持って立っている。

 まったく勘弁してほしい。また水を汲みに行かなくてはならないではないか。地味に水が重いのに。


「わざわざ火傷を見せつけるなんて、私たちへの当てつけのつもりかしら」


 今度は長女が文句を言って来る。この世界では、私の火傷は彼女たちによるものとなっているらしい。けれど、これを当てつけに感じるというのなら、彼女たちも根っからの悪人ではないのかもしれない。

 長女は静かに私に近づくと、耳元に顔を寄せ「あのとき死んじゃえばよかったのに」と呟いた。


 ……前言撤回、コイツらどうしようもないクズだ。


   *


「シンデレラ、私たち今夜お城の舞踏会に行くのよ。王子様のお妃候補として招かれててね。羨ましいでしょう? でも残念、貴方みたいな灰まみれの女、行けるわけないの。アッハ」


 二番目の姉が、床に雑巾をかける私を見下しながらそう言った。


 ついに来たか、このイベントが……。

 童話の通りならシンデレラは「私も舞踏会に行きたい」と言いだすのだけれども……私はこの舞踏会に興味はなかった。むしろ彼女たちが外出するというのなら、今夜は平穏なときが過ごせそうだという感想しか浮かばなかった。


 ご機嫌な彼女たちを適当に持ち上げて、家から送り出した。

 ほっと一息ついていると、青味がかった紫のローブを着た老婆がいつの間にか部屋の片隅に立っていた。


「……舞踏会に行きたくないのかい?」

「別に。何か願いを叶えてくれるっていうなら、元の世界に返してほしいけど」

「そいつは難しいね」

「へぇ……」


 私が異世界人だとこの人は把握しているのか。少し、この魔女であろう人物に興味が沸いた。


「私はこの世界にそっくりな作り話を知っているのだけれども、その筋にそって動かないと駄目なのかしら?」

「駄目じゃあないけど、私は困るね。契約が果たせなくなってしまう」


 困っているようには聞こえない、含み笑いを忍ばせた声で老婆が答えた。


「契約、ね。私は魔女がシンデレラの味方をしてくれるのは、健気なシンデレラを憐れんでと記憶しているんだけど?」

「はは。誰かの味方をするのなら、同じぐらい誰かに迷惑をかけることもそりゃああるさね。それでどうだい、この老体を助けると思って王子様に一目会ってもらえないかね?」

「……会うだけでいいのなら」

「お、意外だねぇ。もっと説得に手こずると思ってたよ」


 別に大した理由じゃない。もしも王子様が、どんな理由でも一緒になりたいと思えるような良い男なら積年の謎が解けるなと、ふと思っただけだ。


「ま、あんたの気が変わらないうちに魔法を掛けさせてもらうよ。ほ~れ、ちちんぷいぷいごよのおんたから~」


 なにその呪文? と思っているうちに着替えが終わっていた。「ほら、見てみなさい」と魔女は鏡も作り上げる。小癪なことに、とても可愛らしくそれでいて綺麗なドレスだ。姉たちのドレスのように過剰な装飾がないのがいい。ひんがいいとも言う。


「まんざらでもなさそうだねぇ。よかったよかった。アンタぐらいの年頃の娘は素直が一番さ。そら行ってきな。ああ、一応言っておかなきゃねぇ。十二時にはその魔法は解けてしまうから、それまでには城を出るんだよ」


 私はドレスを翻し、城へと向かうことにした。準備の良いことに既に家の外には、かぼちゃの馬車が用意されている。

 そんな私の背に「もしも私がアンタをこの世界に呼んだとしたら、恨むかい?」と声を掛けられた。「そりゃあそうでしょ」と、私は素直に答えてやった。


   *


 結論から言うと、王子様は確かに良い人そうだった。

 外見も薄めの顔立ちで私好みだったし、一国の王子様というよりは、女子にあまり慣れていない同年代の男子という印象が強かった。いかにも遊び慣れしていますという感じではなくてよかったなぁ、と人ごとのように思う。


 けれど私は今、川のせせらぎを聞き、水面に揺れる月を眺めながら「もうすぐ十二時だな」なんて、一人考えていた。

 魔女の忠告通り、私は魔法が切れる前に城を後にしていたのだ。


 物語の通りに私は王子様に気に入られ、私も正直まんざらでもない心地で楽しんでいた。失敗は、私に心に張り付いていたあの疑問のせいだった。この王子なら見た目だけで私を判断したりしないのではないかと、肘まであるシルクの手袋を外し、醜い火傷の痕を見せてしまった。

 彼は、一瞬目を見開き、私の手から視線を逸らした。その彼の行動に、自分でも驚くほど、私はショックを受けていた。彼がひるんだ隙をつくように、私は王子様を振り払いこんなところまで逃げてきたのだ。


「私だって、王子様の事、見た目だけで判断してたっていうのにね」


 零れた独り言は存外に私の心を刺した。試すようなことをした私の方が、間違いなくあの王子より性格が悪い。


 遠目に見える城に掲げられた時計を確認すると、あとちょうど三分で、私に――正確には私のドレスに――かけられた魔法は解けてしまうらしい。


 月光に煌めく、足先のガラスの靴が、目に、心に、毒だった。


「こんなもの――!」


 童話の中では城に置き去りにされるガラスの靴を、私は目の前の川に投げ込んだ。ガラスの靴はクルクルと回りながら月光をあちらこちらにまき散らせ、一瞬前まであんなにも明らかだった美しさを水面の下に隠した。

 このドレスもよほど同じようにしてやろうと思ったけれど、流石に露出狂になる勇気はなく、なんとか踏みとどまった。


灰塚はいづかさん!」


 唐突に、私の名前を――元の世界での私の名前を――呼ぶ声がした。振り返る先に居たのは、あの王子様だった。


「……なんで?」


 なんでここにいるの? なんで私の名前を知っているの? 様々な「なんで?」が胸と頭を覆いつくす。

 あまり運動が得意でないのか、あるいはよほどあちこちを駆けまわって探してくれたのか、王子様は私の横に来ると、体を折って苦しそうな息を漏らした。


「私を探しに来てださったのね。ありがとう。でも残念、もう魔法が解けてしまうの」

「え……?」


 顔だけを持ち上げる彼に対し、私はお城の時計を指さした。時計の針が示す時刻は、もうあと数秒で、十二時に至ろうとしている。

 指をさしたことにつられて王子様が時計の方を向いたその瞬間、私はガラスの靴を追うように、川へと身を投げた。


   *


 キーンコーンカーンコーンと響く音、バッチコーイという叫び声、ちょっと鼻につく消毒液の匂い。

 目を覚ますと、私がいたのは西日が射し込む学校の保健室だった。


「よかった……戻れたんだ……」


 窓の向こうを眺めながら呟くと、意外にも私の言葉に返事があった。


「良くないよ。あんな無茶をするなんて」

「…………王子様?」

「様は止めてください、様は。そのあだ名、嫌がらせだと思うんだよね」


 なぜかそこには、私と同じ学校の制服を着て唇を尖らせる王子様の姿があった。


「その髪、地毛?」

「まず聞くのはそこなんだ。でも、聞いたことない? 他のクラスにハーフがいるって話くらいは。名前はめっちゃ日本人だけど……王子清也おうじ せいや、一応灰塚さんと同じ学年」

「……なるほど、まだ夢の中なのね」

「残念だけど、夢じゃないよ。いやもしかしたら夢だったのかもしれないけど、その場合は僕と灰塚さんで同じ夢を見ていたことになるかな」


 淡々と彼は説明をした。要約すると、私と彼があの世界に迷い込んだのは、私も出会ったあの魔女のせいらしい。


「こんななりだからさ、ちょっと元気一杯な女子にからかわれることが多くて……。それで僕が『外見で人を判断しない、素敵な女子と会わせてください』なんてあのお婆さんに言ったらあんなことになってしまって……。ごめん。僕に出来る償いなら、なんでもさせて欲しい」

「別にいいけど。あの婆さん、何者?」

「なんか、辻占い師……らしい」


 まあ、なんでもいいか。


「あっさりしてるね」

「だって考えても分からないことに時間を費やすの、無駄でしょう? それよりこれどう思う?」


 私は火傷痕を見せながら尋ねた。


「どうって……痛そうだな、と」

「醜いとは――」

「思わない!」

「そっか。ありがとう」


 そして私は、少し緊張しながら、思いつきを提案することにした。


「さっきのお詫びの件だけど、もしよかったら私と付き合って貰えないかしら? 外見以外で人を判断するためには、その人のことをある程度深く知らなくてはならないというのが、今回の私の教訓なんだけど、どう?」

「付き合うって、その、彼氏彼女の?」

「別に友達からでもいいけど?」

「いえ、是非にお願いします」


 こうして私は、王子様と付き合うこととなった。形からのものではあるけれど、いい関係を築けそうな気がする。


 案外、シンデレラもこんな感じだったのかもしれないなんて思いながら、夕焼けに染まる校庭を眺めていた。





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ガラスの靴は、残さない。 置田良 @wasshii

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