12-1:分島妃織の挑戦状

「もう耐えられない。暑い、暑すぎる……」


 そう漏らすと、神代かみしろアタルは額に汗を浮かべながら、降参とばかりに長テーブルに崩れ落ちた。


「確かに、今年の夏はいつもよりも猛暑日が多くなるって言われてるけど……」


 そんなアタルの向かい側に座る眼鏡をかけたボブカットの少女、服部美幸はっとりみゆきも彼に呼応する。だが、彼女はアタルのように崩れはせず、手うちわでその場の暑さをごまかしているようだった。


 ここは、東京にある幻想子に関する教育機関、『桜鳳おうほう学院』の食堂。七月という夏の日差しが燦燦さんさんと降り注ぐ窓辺の席に、神代アタルと、服部美幸は汗を流しながら昼食をとっていた。

 入学当初は心地のよい太陽光ではあったが、この時期となれば、それは殺人的なほどに強烈な熱を帯びていた。窓辺の席があまり人気がない理由を、ふたりは今になって、嫌というほどに思い知らされる。


 暑いなら日陰の席に移ればよいと思うだろうが、そこにはすでにスクールカースト上位の生徒たちの予約席となっている。下手にカースト下位の生徒が占拠していたとなれば、たちどころに面倒な騒動が勃発する。すでに、今月になってその手のいざこざを三回も見かけている。

 無論、アタルは下位のグループに属しているし、面倒な騒動に巻き込まれるのは御免だ。そのため、わざわざ熱線に曝される窓辺の席に居座り続けているのだった。


「こういうときは、素直に彼女がうらやましいって思うよ……」


 そう言いながら、アタルは食堂の中心部に向けて恨めし気な視線を送る。

 アタルの視線のその先、そこには桜鳳学院の戦闘科の一年生の集まる一団があった。彼らは和気あいあいと楽しげに食事をとっており、その集団の中には、誰もが注目する有名人がいた。

 その人物とは、くすんだ金髪を持ち、透き通るような白い肌の持ち主だった。そして、凛とした鳶色の瞳は、見定める者すべてを威圧する鋭さを持っていた。


 彼女の名前は、レイラ・グローフリート。およそ一か月前、この学校に転校してきたと同時に、あれよあれよとその名を上げる、いま最も勢いのある幻闘士ファンタジスタであった。


「いいんだよ、アタル君。レイラさんに頼めば、君もきっとあの中に入れるよ」


「冗談じゃないよ。彼女に頼んだところで、僕があのキラキラした集団に馴染めると思うかい?」


 アタルの心中を察してか、美幸は嫌みのひとつを言ってみせる。だが、アタルはその提案を即座に否定した。

 アタルとレイラは、互いに秘めた過去を共有している。それゆえ、ふたりは幻闘士として協力関係を結び、時折発生する幻想子ファンタジウムが引き起こす災害、〝幻災〟に立ち向かっている。


 だが、それはあくまで学外での話。桜鳳学院内では、互いに近寄ることなく、無関係を装っている。何か用があればメッセージでやり取りするなど、学校内では極力、波風立てぬように努めている。なぜそんな七面倒なことをしているのかといえば、それはひとえに、アタルの素性にかかわるからであった。


 五年前、当時小学生だったアタルは、その時乗っていた飛行機が墜落するという事故に巻き込まれた。彼を除き、乗客は全員死亡。奇跡的に一命をとりとめたアタルは、政府の意向もあり、事故の生き残りであることは公表されず、闇へと伏せられた。

 それから、アタルは人から注目されることを嫌うようになる。誰かに興味を持たれることなく地味に、影に隠れるように毎日を過ごしていた。すべては、平穏な人生を送るために。


「それにしても……、彼女は相変わらず人気者だね」


 離れた席で談笑するレイラを横目で眺めながら、アタルはつぶやいた。転校してきた当初は、追い回されてうっとうしそうにしていたが、今となっては周りも彼女も慣れたのだろう。普通の高校生らしい学校生活が送れて、アタルとしては何よりだった。


「ここんところ、レイラさんの活躍は華々しいからね。三日前にも、四等級クラス・フォーの幻災を鎮圧して、八人の民間人を救出したんだから。このままいけば、数年後には本当に〝十輝聖じゅっきせい〟になってたりしてね」


「ははっ、それは頼もしいじゃないか。なら僕も、陰ながら応援させてもらうよ」


 美幸の言った事件を、もちろんアタルは知っている。当事者として、その場にいたのだから。そして美幸も、アタルとレイラの関係を知っている。

 そんな複雑な関係を持つ三人は、それぞれの場所でいつも通りの昼休みのひと時を過ごしていた。


「あ゛ー、もう限界だ。服部、悪い。僕はもう教室に戻る」


「そうだね……。ここよりも実験室のほうが涼しいし、私もそっちに行くよ」


 美幸より先に、暑さに耐えかねたアタルが、獣のような唸り声を上げながら降参宣言する。そんなアタルに同意するかのように、美幸が食器のが載ったトレーを持ち上げた時だった。


「アタル君、あれ……」


 美幸の様子に気が付いたアタルは、彼女の視線の先へと顔を向ける。

 視線の先には、先ほど話題にしていたレイラのいる一団がいる。だが、いつの間にか、そこに集まる生徒は倍に増えていた。半分は席に座ったままで、もう半分は立ったまま、座った生徒を見下ろしていた。

 新たな生徒の一団の合流かと思えたが、両者の間には友好などではなく、異様な雰囲気が漂っていた。やがて、その様子にアタル以外の食堂にいた生徒たちも気が付き始める。次々と会話をやめると、食堂の中心へと好奇の視線を向けていた。


 静まりかえった食堂で、立っている生徒の中から一人の女子生徒が堂々と前へ躍り出る。それは、明るい茶色の髪をひとまとめにした、いわゆるサイドポニーと呼ばれる髪型をした少女だった。見た目に関しては、レイラと同様にかなりの美貌を持った美少女である。だが、彼女は目の前にいるレイラに対して、明らかに敵意の視線を向けていた。


 遠目から見ていたアタルも、それが穏やかな状況ではないことを悟る。その場にいいた誰もが、固唾をのんで状況を見守っていた。


 やがて、レイラの前に躍り出た少女が、先に口火を切った。


「レイラ・グローフリート、この私と勝負しなさい!」


 迷いのない澄み切った声は、食堂に立ち込めていた静寂を切り裂くようだった。


     ××


「ふうー、やっと涼める場所に来れたよ」


 すでに学校での授業は一通り終わり、アタルとレイラ、そして美幸の三人は、学校から少し離れたファミレスに来ていた。そして、流れる汗をハンカチで拭いながら、アタルたちは案内された席に座る。そのあと、とりあえず三人ともドリンクバーを頼んだ。


「……で、昼のあの騒ぎは何だったんだい?」


「あんたも見てたならわかるでしょ。単純に言えば、〝宣戦布告〟よ」


 各々好きな飲み物を片手に、冷房の効いた店内で一息ついたあとだった。彼らの話題は当然、昼の出来事になる。


「宣戦布告? ということは、君は彼女に何か悪いことでもしでかしたのか」


「冗談はよして。少なくとも、人から恨みを買うようなことをした覚えはないわ。それに、あたしの面識のある生徒じゃなかった」


「じゃあ、なんで?」


「知らないわよ! 逆にあたしのほうが聞きたいっての!」


 見ず知らずの生徒から敵意を持たれる理由に心当たりなどなく、レイラは困惑していた。すると、それまでのアタルとレイラのやり取りを聞いていた美幸が口を開く。


「……レイラさん。お昼にあなたに宣戦布告してきたのは、同じ戦闘科の一年生、分島妃織わけしまきおりだよ」


「分島妃織……、確かそれって……」


 その名前に、レイラは心当たりがあった。

 それはおよそ一か月前。転校したてのレイラに、が学校にいる実力者たちの名前を教えてくれたことがあった。そしてその中に、レイラと同じ実力をもった三人の一年生の中に、彼女の名前があった。


「そう。彼女は幻闘士ファンタジスタランキング128位で『刃嵐ブレイド・ストーム』の称号コードを持つ、〝桜鳳四天王〟のひとり」


「〝桜鳳四天王〟? なんだい、それは?」


 聞いたこのない単語に、アタルは首をかしげる。


「桜鳳学院の一年生の中で、コードを持ってる四人の生徒のこと。アタル君は気にしてないと思うけど、いま学校の中じゃその話題で持ちきりだよ」


「へえ、まさかランキング上位の幻闘士が四人もいたとは知らなんだ」


「まあ、もともとは三人だったんだけどね。一か月前にひとり加わって、四人になったから、四天王って誰かが呼ぶようになったんだ」


「ん? 一か月前だって? それじゃあ、四人目ってのは……」


「何よ、あたしで悪かったわね」


 驚くアタルを前にして、レイラはぷいとそっぽを向く。


「そうか、そういえば君もランキング上位者だったね。なるほど、君に勝負を挑んできた分島さんの肩書は分かった。で、彼女はいったいどんな人なんだい?」


 何気なく、アタルは美幸に尋ねる。だが、それを聞いた美幸は、目を丸くさせると、あきれ返ったように大きなため息をついた。


「アタル君、それを君が聞くの?」


「あれ、何かあったっけ?」


 美幸に呆れられる心当たりなどなく、アタルはきょとんとする。


「分島さんは君と同じクラスだよ。もう二か月も同じ教室で過ごしているはずなのに、顔も名前も覚えていないのは正直どうかと思うよ」


「え? あー、言われてみれば確かに、うちのクラスにそんな女子生徒がいたような……」


 視線を天井に泳がせながら、アタルはクラスメイト達のことを思い出だそうとする。……が、彼らの名前をひとつも思い浮かべることができなかった。唯一覚えのある人物といえば、それは担任の和水唯花なごみゆいかだけ。しかし、これは例外だ。覚えているというよりは、彼女を敵に回すと危険だという防衛本能が働いているおかげだ。


「美幸、その手のことをアタルに期待するのは無駄よ」


 テーブルに頬杖をついていたレイラは、アタルから顔を背けながら言い放つ。それを聞いたアタルも心の中では心外だと思いつつも、明確に否定するだけの自信はなかった。


「まあまあ。それよりも、レイラさんは本当に分島さんと面識がないんだよね? だったらどうして、彼女はあんなことを言ったのかな?」


「これは単純に僕の予想だけど、案外、色恋沙汰が原因だったりして?」


「はあ?」


 突拍子のないアタルの発言に、レイラは度肝を抜かれる。


「例えば、分島さんの彼氏が君に惚れたのさ。それで怒った彼女が逆上して、君に勝負を吹っかけてきた。どうだい、ありえない話じゃないだろう?」


「「それはない」」


「………………………………」


 レイラと美幸に同時に否定され、アタルはそれ以上何も言えなくなった。


「分島さんにそういった話は聞いたことがないよ。それに……」


「それに?」


「分島さんはとってもプライドが高いの。それも、並みの人じゃ扱いきれないほどに」


「へえ、プライドがね……」


 そう言いつつ、アタルは目の前にいるレイラに気づかれないように視線を流す。目の前にいる彼女もプライドが高いほうだが、それよりも高いといわれる分島妃織はどんな人物か気にはなる。


「その分島妃織からの勝負なんだけど、あたし、受けることにするわ」


 手に持ったマグカップを見つめたまま、レイラは決意を口にする。

 それを聞いたアタルと美幸は特に驚きはしなかった。なぜなら、あの大勢の生徒のいる食堂で、ああも堂々と宣言されてしまったら逃げ道などない。よほどの自信が分島妃織にはあるのだろう。


「それで、その分島妃織からの勝負の内容は?」


 勝負を受けるにあたり、肝心なのはその内容だ。はじめから妃織に有利な内容だとすれば、レイラがわざわざ受ける必要はない。


「まだ内容は聞かされていない。明日の昼休みに校舎の屋上で話すって言ってたわ。ご丁寧に、もし内容が気に食わなければ、拒否もできるし、変えてもいいとまで言ってきた」


「大した自信家だ」


「まあ、なんにしてもあたしに勝つ気でいるのは確かね。とにかく、勝負の内容は明日にいならなきゃ分からないんだから、また明日集まりましょう」


 明日、分島妃織がどう出るのか三人は待つことで意見は一致した。その後、ファミレスで取り留めもない話をして、その日は解散することにしたのだった。

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