12-2

 東京都大田区、新東京国際空港第3ターミナルビル。

 マルク・ウィンザーは展望デッキにて、長いフライトの疲れを癒していた。十二時間超も座りっぱなしで、体中がバキバキになっていた。体を伸ばしたり、空港内を歩き回ったりして、固まった筋肉をほぐしつつ、待ち合わせているメンバーとの合流を待っていた。


(来ないな……)


 だが、予定の時刻を過ぎても一向に現れる気配がない。組織の連絡先は知ってはいるが、相手の連絡先は到着後に交換する予定だった。


 連絡もなしに遅れることに対して、考えられる可能性は二つある。

 ひとつは、相手がずぼらな性格で時間を全く気にしていない可能性。迷惑もいいところだが、いくら何でもこれは希望的観測だろう。

 もうひとつは、という可能性だ。一番考えられるものであり、最悪の事態。要はアメリカから出国できなかったのだ。偽造パスポートがばれたのか、あるいは〝死せる戦士たちエインヘリャルの楽園〟のメンバーとして捕まったか。どちらにしろ、こんな場所で悠長に過ごしていたら自分の身も危うい。


(ここから離れ、すぐに組織に連絡を取ったほうがいいか、あるいはもう少しだけ待ってみるか……)


 今のところ、周囲にマルクを監視する人影はいないようだった。だが、今にもこの国の警察が踏み込んでくる可能性は否定できない。難しい判断をマルクは迫られる。


(あと五分だけ待つ。それでも来なければ、この場からすぐに離れよう)


 展望デッキを出るため、脇に置いてあるバックパックに手を伸ばしかけた時だった。


「お前が……マルク・ウィンザーか?」


 背後から声を掛けられ、マルクの体に緊張が走る。気配もなく、いつの間にか近寄られたことに驚きを隠せないが、相手が誰だかわからない以上、驚く素振りを見せるわけにはいかない。


「それは、誰のことですか?」


 背後の相手を刺激しないよう、マルクはゆっくりとバックパックに再び手を伸ばす。バックの中には一応、自衛のための武器がある。入国早々、ひと悶着起こしたくはないが、警察に逮捕されるわけにはいかなかった。


「あぁ? まどろっこしいことを言う奴だな。アタシはセシル。〝セシル・バレンタイン〟だ」


 その名前を聞き、マルクはバックパックの中に仕込んでいた武器を手放す。そして、そのまま振り返ると、背後の人物の顔をまじまじと見つめた。

 名前のとおり、マルクの待ち合わせ相手は女だ。ただ、目の前の彼女は大きなサングラスで目元を隠しており、その表情すべてを読み取ることができなかった。


「あんたが、セシル・バレンタイン……」


「そうだ。ん? アタシの顔に何かついてるのか」


「なあ、あんた。会って早々悪いが、聞いてもいいか?」


 どうして約束の時間に遅れた。そう聞くつもりだったが、マルクの頭の中は、別のことでいっぱいだった。


「どうしてそんなをしてるんだ?」


 セシルの髪は、不自然なくらいに明るいオレンジ色をしていた。


「これか? 出国する前に染めてきたんだ。別にこの国じゃ不思議じゃないだろ。向こうにいたとき、日本のことを知ってるオタクが見せてきやがったアニメじゃ、もっと奇抜な髪色をしていた」


「いったいどんなアニメを見たんだよ! なあおい、空港内を見ただろ。あんたと同じような髪の色をした奴はいたか? いないだろ!!」


 我を忘れて、マルクはセシルにまくし立てる。

 テロリストという立場上、行動する際に目立つわけにはいかない。ただでさえ外国人のコンビで活動するのだから、人びとに覚えられやすい。そのうえで、奇抜な髪色をしていたら、どうぞ私たちを覚えてくださいと言っているようなものだ。


「確かに、そこらを歩いてる奴らは黒か茶色の地味な髪色ばっかだったな。だけど、アタシよりもっと変な奴が印刷されたパネルが、空港内にはそこかしこに置いてあったぞ」


「アニメのキャラと一緒に考えるな!」


 頭に血が昇りすぎたためか、マルクは眩暈めまいに襲われる。まさか、彼女がここまで天然だとは思いもよらなかった。


(ひょっとしたら、一か月前のワシントンの作戦が計画段階で潰されてしまったのは、このせいなのかもしれない)


 彼女の噂をいろいろと事前に聞いてはいたが、どれも血の凍るほどのおぞましいばかりだった。そのため、出会って早々に調子を狂わせられる。この様子だと、待ち合わせの時刻に遅れたことを問いただしたところで、たいした理由は返ってこないだろう。


「もういい……。とにかく合流できたことだし、早くここから出よう。いつ警察が踏み込んできてもおかしくない」


 セシルとのやり取りで精神を摩耗したマルクは立ち上がる。その時になって、彼は自分よりもセシルのほうが身長が高いことに気が付いた。ヒールの高い靴を履いているせいもあるが、それを差し引いても、彼女のほうが数センチ高い。おまけに、小顔でスレンダーなモデル体型をしているセシルは、空港内でちょっとした注目を集めていた。

 マルク自身、決して身長が低いほうではないし、見た目に関しても悪いほうではないと思っている。だが、さすがに目の前のセシルと比べられたら見劣りする。


「分かった。んで、今日はこの後どうするんだ?」


 能天気そうに、セシルはマルクを見下ろす。なんとも言えないが、それが少しだけマルクの気に障る。だが、これ以上精神衛生を悪くするのもよくないと思い、気にしないように努めた。


「とにかく、横浜方面に移動だ。そこで一泊して、明日、日本のメンバーと合流することになってる」


「今日はもうそれだけか?」


「そうだ。長いフライトで疲れてるだろ、ゆっくり休んで明日に備えるんだ」


 マルクはバックパックを背負うと、スーツケースとともにその場から移動しようとする。すると、その行く手を阻むようにセシルが立ちはだかった。


「なあ、せっかく日本に来たんだ。任務ミッションの成功祈願ということで、どっかで一杯やらないか?」


「勘弁してくれよ。こっちはずっと座りっぱなしなうえに、時差ボケで疲れてんだ。それはあんたも同じだろ」


「別に、アタシはなんともない。なんなら今すぐ作戦につくことだってできるさ」


「…………脳筋女」


 つい、思ったことがボソッと口に出てしまった。今言った小言をセシルに聞かれていないことをマルクは期待したが、残念ながら彼女の耳は拾い上げていた。


「あぁん!? 今なんか言ったか?」


「いや、なにも」


 白を切るように、マルクはセシルから顔を背けながら、先を急ぐ。セシルもそれ以上の追及はしてこなかった。少し遅れつつも、マルクの背中を追いかける。


(だから嫌だったんだよ……)


 足早に電車のホームに向かいつつ、マルクは頭の中で思った。日本に来る前からセシルと意気投合できるとは思っていなかったが、ここまで相性が悪いとは予想外だ。組織の中でマルクは主に工作員として、頭を使う役割を担ってきたが、反対にセシルは前線で戦う戦闘員なのだ。仕事が違えば考え方も異なる。だが、仕事以外のプライベートな部分でも明らかに彼女とは反りが合わない。このままでは、作戦行動に支障をきたす。


(担当を変えてもらうなら、早いうちがいいか……)


「なあおい、本当に行かねーのかよ」


 背後で不貞腐れるセシルの声が聞こえる。緊張感のかけらも見せないセシルに、マルクは次第に腹が立ってきた。


「ふざけるな。そんなに酒が飲みたきゃ、一人で行け」


 ぶっきらぼうにマルクは言い放つ。それでも、セシルの態度はなにひとつ変わらなかった。


「ちぇーっ、つまんねえの。せっかく誘ってやってんのに。付き合い悪い奴。いいよ

、アタシ一人で行くから」


 拳を握りしめて、マルクはひたすら耐える。この作戦が終わったら、しばらく仕事を休ませてもらう。そう固く胸に誓った時だった。とある懸念が、マルクの胸の中に湧き上がる。


(もしこの女が、歓楽街でトラブルでも起こしたら……)


 ありえない話ではない。このがさつで粗暴な性格の女が酒を飲んで暴れでもしたら、いったい誰が止めるというのだろう。最悪、警察に捕まるか、更なる騒ぎに発展しかねない。そうなれば、セシルとコンビを組まされたマルクにも責任が及ぶ。

 しかも、来日初日にして作戦を続行不可能に追い込むとは、前代未聞だ。下手をすれば、逆に組織から命を狙わねかねない。


 とはいうものの、セシルを説得できるほど、マルクは組織の中で強い権限を持ち合わせていない。たとえ必死にお願いをしたところで、この脳筋女に話が通じるはずもない。どうしようもできない境遇をただただ呪いながら、マルクは渋々セシルに付き合うことにした。


「……わかった。そんなに飲みたいなら、付き合ってやる。ただし、一杯だ。一杯だけだからな!!!!」


「あ、ああ。悪いな、無理に付き合わせて」


 目を剥いて迫るマルクに多少威圧されながらも、セシルの不機嫌はそれなりに解消された。その代わり、マルクが負うストレスはどんどん膨れ上がっていく。

 足取り軽やかで上機嫌なセシルと、疲れた体を引きずるように、思いつめた表情のマルク。あまりにかけ離れた顔つきの二人は、そのまま目的地へ向かう電車へと乗り込んでいった。


     ××


「ぷはぁーっ!! 生き返るわー」


 満足げな表情を浮かべながら、セシルは持っていたビールジョッキをテーブルに置いた。最初の一口で、すでにジョッキの中身の半分はなくなっていた。


 横浜に着き、大きな荷物をホテルに預けたマルクとセシルは、約束通り歓楽街に繰り出していた。そこで手ごろに見つけたバーで作戦の成功として祝杯を挙げることとなった。


「なんでこんな目に……」


 セシルはとてもご満悦な様子であったが、その隣のマルクは面倒だとばかりに、自分のジョッキに注がれたビールを見つめていた。


「なに落ち込んでんだよ。せっかくコンビを組むんだ、もっと明るい顔をしろよ」


「そう思うなら、今すぐホテルに返してくれ」


 セシルに対して、マルクは素っ気なく返す。約束してしまったからには、付き合わなければならないが、はやいとこ切り上げたいというのが本音だ。


「つれねぇな。ここはアタシの奢りなんだから、気にせず好きなだけ飲め」


「一杯だけだ、何度も言わせるな。あんたもそれを飲んだら帰るぞ」


「えーっ!! アタシも一杯だけかよ」


「当たり前だろ! 明日大事な作……じゃなくて、〝ミーティング〟があるんだぞ。二日酔いで話が聞けませんでしたじゃ、俺たち何のために日本に来たんだ」


「ちっ、仕方ねえな。まあ、今日は飲めただけ良しとするか」


 不平をこぼしながら、セシルはジョッキのビールを一気に飲み干す。まるで水のように酒を流し込む姿は、勇ましい戦士のようである。店内にいた他の客たちも、その飲みっぷりに目を奪われる。

 だが、ここは酒場である。酒のせいもあり、いつもよりも気が大きくなった輩が、セシルの美貌にハエのように引き寄せられていく。


「お姉さん、いい飲みっぷりだね~。どう? 一緒に飲まない?」


 マルクとセシルはバーのカウンター席にいたが、セシルの隣に誰かがジョッキを持って座ってきた。


(くそっ、ナンパかよ……。面倒なことになる前にさっさと店から出よう)


 予想どおりナンパ目的の輩が寄ってきたと、マルクは警戒する。

 面倒なことになる前に、セシルを店から連れ出そうとした時だった。セシルの隣に座る人物の姿がちらりとマルクの視界に入る。


 それは、男ではなく意外にも女だった。パンツスタイルの灰色のスーツを着ており、仕事帰りなのだろう。セミロングのストレートヘアをしているが、特徴的なのはその眼つきだった。なんとも言えない鋭さがある。……悪く言えば、目つきが悪い。さらに酒に酔っているせいか、完全に目が据わっており、近寄りがたい雰囲気を出していた。


「おっ、ひょっとして、こっちの男は姉さんの連れかい?」


 突如現れた女は、マルクの存在にも気が付いたようだった。怪しいまれないようにどう答えればいいか、マルクが考えているうちに、先にセシルが口を開いていた。


「そんなところさ。ところで、あんた一人で飲んでんの?」


「そうそう。この国暑いだろ。暑さを払うために、こうしてひとり寂しく飲んでんの。なのに、男はあたしに声一つかけてもくれない」


 女は初対面にもかかわらず、セシルたちにからみ始めた。

 その雰囲気じゃ誰も近寄らないだろうな、と冷静にマルクは分析する。


「姉さんたちは観光客かい?」


「いいや、仕事で日本に来たのさ」


「仕事? もしかして、モデルかなんかやってんの?」


「まさか、アタシにはそんな仕事似合わないよ。あんたと同じ、OLみたいなもんだ」


 会話の中でセシルがぼろを出さないか、マルクは気を揉んでいたが、どうやらそこら辺は彼女もわきまえているようだった。


「へえ~。姉さん名前はなんていうの? アタシは和水唯花なごみゆいかっていうんだ」


「セシル・バレンタイン。こっちの男は、マルク・ウィンザー。よろしくねユイカ」


 そう自己紹介して、ユイカとセシルは握手をする。ほんの数回言葉を交わしただけだったが、すでに二人は意気投合していた。


「よーし、セシル。あんたと今日であったのも何かの縁だ。祝杯を挙げるぞ」


 そう言うと、唯花はバーの店員に酒を追加で三人分注文する。そして、あっという間に三人の目の前には並々とビールが注がれたジョッキが置かれていた。


「おい、一杯だけだっていっただろ」


 脇でこっそりと、マルクはセシルに抗議する。


「仕方ないだろ、ユイカが勝手に注文したんだし。せっかくなんだから、現地人から生きた情報を聞くチャンスと思えばいいいだろ」


 予想外の展開になりつつあるが、ここで無理に退店するのは怪しまれる可能性がある。仕方なしに、できるだけ自然体でいることをマルクは選んだ。


 だが、この選択は大きな誤りであったことを、しばらしてマルクは思い知らされる。


 ……二時間後。


「あはは!! あんたサイコーだよ、セシル!」


「ユイカこそ、いままであってきた奴の中で一番面白いわ!」


 唯花とセシルは、バカ騒ぎをするほどにすっかり打ち解けていた。そんな彼女たちの目の前には、空になったジョッキやグラスが所狭しと並べられている。


(こいつら、化け物だ。いったいどんだけ飲むんだよ……)


 マルクも例に漏れず、唯花に付き合わされる形ですでに何杯か飲まされている。酒にはそこまで強いほうではない、マルクの顔は赤く染まりかけていた。反対に、セシルはなんともない様子で、平然と唯花と会話を続けている。


「そういえば、セシルって歳いくつなの? 見た感じ、あたしに近そうだけど」


「えー、それ聞いちゃう? ……27歳」


「まじー!? それあたしと同い年じゃん! やっぱあたしたちの出会いは必然だわ!」


(俺よりそこそこ離れた年上かよ……)


 年齢の話でなぜそこまで盛り上がれれるのか、マルクには不思議でしょうがない。おまけに、セシルのほうが年上だということに若干ショックを受けていた。


「んじゃあ、マルクはいくつなの? セシルと同い年?」


「あっ、それアタシも聞いてない。 もしかして……、40超えてたりとか?」


「そんな老けとらんわ! いったいどうしたら、中年のおっさんに見えんだよ」


「じゃあ、いくつよ?」


「……………………にじゅういち……」


「ぷっ――!」


 セシルと唯花は二人して、笑うのをこらえる。


「なんで笑うんだよ! 年下ってのがそんなにいけないか?」


「わかった、わかった。そんな怒るなって。なあ、いい子だから」


「いきなり子ども扱いするなよ!」


 ――ふたりのペースに乗せられつつあることに、不幸にもマルクは気が付いていない。

 

 このあと、唯花とセシルは店を三軒もまわり、大いに楽しんでいた。無論、そこにはマルクも連れていかれる。そして、最後の店となってはセシルたちをよそに、ほとんど寝ていた。


 日本に来た初日から、マルクはさんざんな目にあわされた。だが、彼の身に降りかかる災難は、まだまだ序章に過ぎなかった。

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