6-4

 幻人げんじん

 その存在が確認されたのは、かつての天幻戦争のさなかだった。まだ幻想子ファンタジウムの存在が解明される前、幻獣たちと戦っていた前線の兵士たちが発症する謎の奇病として恐れられていた。

 幻人となった兵士は次々と味方を襲い始め、当然ながら、兵士たちの士気は激減。妖精たちが、容易に人類の防衛線を突破する要因となった。ただ、そのあとすぐに幻想子が発見され、対策が講じられたことによって、再び戦線を押し返す。それが、泥沼の戦線の幕開けともなったのだが。

 そして、戦争初期で幻人化した人間は兵士、民間人を含め、と言われている――


 神代かみしろキザシと松本志帆まつもとしほは、息をひそめて、目の前に現れた〝それら〟の様子をうかがっていた。トンネル内には、大勢の隊員たちが逃げる足音が、せわしなく響き渡っていた。

 突如として現れた六体の幻人。原因として想定できるのは、六人のテロリストが自らにに打ったという注射器のせいだろう。

 衣服はそのままに、真っ赤に燃える炎のような眼をぎらつかせながら、幻人たちはふらふらと漂っているようだった。その様子は、まるで夢遊病のごとく、心ここにあらずといった感じだ。

 それでも、キザシは知っている。すぐに彼らは人間を見つけ次第、本性をむき出しにして襲い掛かってくるものであると。


「松本、俺が一度に相手できるのはまでだ。一体、頼めるか?」


 キザシは振り向かず、隣に立つ志帆に言う。それを聞いた志帆は珍しいと思いながらも、キザシに頼られたことを内心嬉しく思った。


「ええ主任、任せてください。なんなら、二体でも三体でも、やらせてもらっても構いませんよ」


 それを聞いたキザシはフッと、口端をあげた。相棒が志帆でよかった、そう言いたげな表情だ。だが、ここは戦場、笑っている余裕などない。


「ありがとう。だが、ここは言い出した俺の指示に従ってくれないか?」


「もちろん」


 迷いなく言い切ると、志帆は来ていたジャケットを脱ぎ捨てた。

 ジャラリ。複数のプラスチックがぶつかり合う、にぎやかな音がする。ジャケットを脱いだ志帆の体には、大量のショットシェルが巻き付けられていた。

 すべてのショットシェルには、反幻想子アンチ・ファンタジウムが詰められている。志帆の得意とするのは、これらの弾丸を用いた散弾銃ショットガンによる近接戦闘CQB

 志帆は手にしていたショットガンのボルトを前後させ、中に装填されていた実弾をすべて排莢する。ガシャガシャと地面に落ちるショットシェルを気にも留めず、志帆は体に括り付けている弾をいくつか手に取ると、素早く手に持つ銃へと装填した。

 準備完了、いつでもいけます。そうとばかりに、志帆はキザシに視線を送った。


 だが、それはも同じであった。体内を巡る幻想子に慣れたとばかりに、幻人たちはふらふらと漂うことをピタリとやめた。


「ウオ、……ア…………アアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!」


 人語ではない、もはや獣の咆哮が空気を震わせる。その衝撃は、志帆の体にもビリビリとはっきり伝わる。

 だが、彼女は怯むことはなかった。幻人との戦いは経験済みだし、何より隣には長年組んだ相棒である〝断罪者パニッシャー〟神代キザシがいるのだから。


「来るぞ!!」


 キザシの掛け声とともに、六体の幻人たちが一斉に跳ぶ。五メートルは優に超えているだろうか、トンネルの天井にもう少しで届きそうなくらいの跳躍だ。そして彼らの狙いはもちろん、キザシたちだ。


「松本! 一番右端のやつを頼む」


 そう言って、キザシは右から二番目にいた幻人から順に左へと、右手に持った拳銃を五発、続けざまに撃つ。対して志帆はキザシの指示通り、右端にいた幻人へとショットガンの銃口を向ける。ズドン、というキザシの放つ拳銃よりも野太い銃声がトンネル内に広がる。


 空中で銃撃を受けた幻人たちは、先ほどまでキザシたちが立っていた場所へと着地。四体は心臓以外の胴体を抑えながら、苦しむ様子もなく立っていた。もう一体は頭部に穴があいているにもかかわらず、倒れ伏すことなく平然としている。さらに、志帆に撃たれた幻人は右脚の膝から下を吹っ飛ばされ、地面に獣のよう這いつくばっていた。

 六体すべてに弾丸が命中しているのにもかかわらず、幻人は意に介さない様子でよろよろと、キザシと志帆ににじり寄る。幻人全員が銃創を追っているにも関わらず、血が流れ出ることはなかった。だがそれは、彼らにとって、取るに足らないかすり傷のようなものであった。銃創の周り皮膚が波打ったかと思えば、傷跡は瞬時に塞がれていく。志帆の攻撃で片足を失った幻人も同じであった。失った足がまるで植物の根のように、ひざ下の断面から生えていく。


 幻想子による超再生能力。

 幻人の脅威レベルは、幻獣のそれとは比べものにならない。その理由の最たるものはこの能力にある。

 どんな傷でも、数十秒。仮に下半身を失ったとしても、三分もすれば元通り歩けるほどに回復する。自然のことわりを逆行するその力は、脅威以外の何物にも形容しがたい。

 ただし、再生能力が高くとも、決して不死身というわけではない。人間の急所、つまり脳と心臓を破壊すれば、幻人は再生することなく活動停止する。ただ、それは簡単なことではない。脳か心臓のどちらか一方を破壊したところで、すぐに再生が始まる。そのわずかな瞬間に、残りのもう一方を破壊する必要がある。もちろん、その間も幻人がおとなしくしていることなどない。


 再生していく幻人たちを見ても、キザシたちは驚くことはなかった。いままで何度も見た、馴染みのある光景だ。


 一瞬の間を置いて、幻人たちが駆けだす。そのスピードと瞬発力は、人間の限界を超えていた。それでも焦ることなく、キザシと志帆もそれぞれの武器で応戦する。拳銃とショットガンの発砲音を響かせながら、向かってくる脅威へとためらいなく引き金を引き続ける。幻人も四方八方へ散りながらと、銃弾を躱しつつ、確実に距離を詰めていった。


「一体は頼んだ!!」


 そう言いながら、キザシはあろうことか、迫りくる幻人へと突っ込んでいった。相棒が前に出たことで、志帆は一旦射撃を止め、その間に再度ショットガンへの再装填リロードを行う。


 一方のキザシは恐れずに、拳銃を胸元に構えながら距離を詰める。そして、一番先頭を走る幻人に回し蹴りを食らわせた。幻人が地面に勢いよく叩きつけられたところで心臓二発、頭に二発、弾丸を即座に叩き込む。


 攻撃の成否を確認する余裕などなく、背後から別の幻人が襲い掛かる。キザシは振り向くことなく、拳銃を背後に向けて発砲。銃弾は襲い掛かろうとした幻人の眉間のど真ん中に風穴を開ける。一瞬幻人が怯んだところで、キザシは何も持っていない皮手袋だけをはめた左手を大きく右から左へ振りぬいた。すると、キザシの周りに集まっていた幻人の手足が宙を舞う。


「「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」」


 怒り、困惑、それとも恐怖からなのか、体の一部を失った幻人たちが一斉にたける。たが、それはつかの間の事。すぐさま再生した手足で、再びキザシへと向かっていく。


不可視の断罪インビジブル・パニッシュメント!」


 先ほどの戦闘でも使った技を再度放つ。だが、何かを察した幻人たちは、一斉にキザシから遠ざかる。それでも、出遅れた一体の両足を切断。それを見逃さなかったキザシは、着地に失敗し地面を転がる一体へと拳銃を何発か発砲。そのうちの一発は頭部に、もう一発は心臓に、確実に着弾した。

 ここまでの戦闘で、キザシはすでに二体の幻人を仕留めた。残りはあと、三体。


 キザシが五体の幻人と苛烈な戦闘を行っている間、志帆も負けず劣らずの戦いを繰り広げていた。

 初手で右足を吹っ飛ばされた幻人は、まっすぐに志帆へと突っ込んでいく。それは志帆も承知している。幻人は、おのれを攻撃するものから優先的に排除する傾向がある。おそらく、生存本能からなのだろう。

 先ほどの空中を飛ぶ幻人たちへの攻撃は、幻人たちの気を引くためのもの。そして、志帆の相手は、女の幻人だった。だが、幻人化したところで、男も女も関係ない。身体能力は、飛躍的に上がっている。


 それでも志帆は銃を構え、引き金を引く。右肩に衝撃が伝わるともに、放たれた反幻想子の散弾は、目の前の幻人を捕らえた。志帆の弾丸を浴びた幻人は、後方に三メートほど吹っ飛ぶ。だが、痛みに呻くことなく、むくりと何事もなかったかのように再び立ち上がる。幻人の着ていた衣服は当然ながらボロボロに崩れ、左肩、脇腹、太ももに大きな裂け目ができていた。だが、傷跡はすぐに修復され、反撃に打って出る。最高速の踏み込みとともに、五メートルほどあった距離はすぐに詰められた。


「オオ……オ゛オ゛オ゛ッ!!!!」


 下からすくい上げるように幻人は右手を振り上げた。幻人の手先には鋭く尖った爪が伸びており、もろに食らえば頸動脈は簡単に切り裂かれる。すんでのところで志帆は仰け反って一撃を躱すが、幻人の爪は志帆の左頬を浅く裂いた。


「くっ……」


 数歩、後ろへ飛び退いたところで、志帆は左頬を拭う。拭った左手の甲には、べっとりと真っ赤な血が付着していた。傷跡が残るほど深くないが、鈍い痛みと熱を頬に感じる。

 対峙する幻人は、指先についた志帆の血を舌先でべろりと舐めとった。その表情は、獲物をいたぶる快感に浸っているようだった。その一部始終を見た志帆は、背筋が寒くなるのと同時に、激しい嫌悪感を感じた。


 再度、幻人が志帆目がけて突撃してくる。今度は確実に仕留めるとばかりに、強い踏み込みで向かってくる。だが、志帆も同じてつを踏むわけにはいかなかった。銃を構えると同時に、引き金を引く。照準をほとんど見ず、感覚だけで弾丸を放った。


 志帆の散弾は幻人の下半身に集中して命中する。足腰にダメージを追った幻人は一瞬だけふらついたが、そのまま勢いに任せて突っ込むことをやめない。しかし、志帆はその一瞬のふらつきを見逃さなかった。すぐさま次弾を、発射。

 近距離で放った散弾は幻人の右太ももから下を吹っ飛ばした。片足を失った幻人は前のめりになり、頭を地面に打ち付けながら転げた。幻人は志帆の真横を滑るように転げていく。やがて数メートル離れたところで停止する。


「ア……アア……」


 うめき声をあげ、幻人は失った右脚をばたつかせながら、立ち上がろうともがく。だが、志帆は容赦なく散弾を浴びせていった。一回、二回、三回……五回も引き金を引き、無数の散弾を幻人に浴びせた。そして志帆の残弾は残り一となった。


 虫の息となった幻人は、地面を這っていた。体には志帆から受けた弾痕が、無数に残っていたが、これでもまだ死なないその生命力には目を見張るものがある。

 死なない幻人を前にして、志帆は腰に差していたサバイバルナイフを抜いた。その刃先には反幻想子が埋め込まれている。鈍く光る刃先は、冷徹な表情をする自分の顔を映し出していた。

 はあ、と志帆は息を吐き出す。いつから自分はこんな表情をするようになったのだろうか。そんな考えが頭をよぎるが、志帆は迷うことなく、サバイバルナイフを目の前で地面を這う幻人向けて投げつけた。

 空気を切り裂くように回転しながら、ナイフは狂うことなく幻人の頭部に突き刺さった。


「ギャッ!!」


 一瞬の悲鳴とともに、幻人は動きを止めた。だが、志帆はそれだけで終わらなかった。動きを止めた幻人のそばに駆け寄ると、その心臓向けて散弾銃を構える。


「これで、終わり」


 躊躇うことなく、引き金を引く。銃声がしたかとおもえば、幻人の胸の真ん中には大きな穴が空いていた。そしてもう二度と、幻人は動くことはなかった。

 さらさらと幻人から生える長い虹色の髪が音もなく崩れていく。形象崩壊を見届けたところで、志帆は幻人に背を向けた。


(早く、主任の加勢を――)


 戦闘で高ぶる気持ちを抑え込みながら、志帆は冷静に次の行動へ移る。すこし離れたところでは、キザシが残る三体の幻人相手に死闘を繰り広げていた。流石のキザシも幻獣との連戦で疲弊しているようだった。


 志帆がキザシの下へ駆け寄ろうとした時だった。ぞくりと、背後に何かの気配を感じた。


「なにっ?!」


 慌てて振り返ってみれば、志帆の背後には幻人が立っていた。燃える赤い目は完全にこちらを敵として認識しているようだった。


(どうしてまだ幻人が? さっき戦ったやつは、確実に仕留めたはず)


 驚きを隠せない志帆だったが、咄嗟にナイフを構えようと腰に手を伸ばす。だが、幻人のほうが一足早かった。激しく、鈍い衝撃が志帆の体をうった。


「うう……っ……」


 幻人のフルスピードでのタックルで、志帆の体はその場から二メートル以上も吹き飛ばされた。受け身を取り損ねた体のあちこちが、悲鳴を上げるように一斉に痛み出す。痛みで胸が苦しくなるが、そこは何とかこらえて、早く立ち上がろうと地面に手をついた時だった。


「松本ッ、大丈夫かっ!!」


 離れたとこからキザシの声が聞こえたような気がした。だが、今にも遠のきそうな意識の志帆には、返事をする余裕などなかった。

 当のキザシは三体の幻人のうち一体を仕留め、残り二体になっていた。それでも、気を抜くことなどできるはずもなく、熾烈な戦いは続いていた。ましてや、負傷した志帆の下へと駆け寄ることなど不可能だった。


(いったい、奴はどこから――)


 途切れ途切れに、志帆へと視線を送るキザシは思考する。倒れた志帆のすぐそばには、先ほど志帆が倒した女の幻人が形象崩壊を起こしていた。ということは、志帆を襲った幻人は、戦闘の途中から現れたの幻人であるというのか。


「逃げろっ、松本! 殺されるぞ!」


「…………」


 キザシが叫ぶ。だが、志帆からの返事はなかった。聞こえていないのか、はたまた返事をすることができないのか。どちらにしろ彼女は危険な状態に陥っていた。

 七体目の幻人はゆっくりした足取りで、志帆の真横にたどり着いた。そして、うつぶせのまま地面に横たわる志帆を足でひっくり返すと、その細い首に手をかける。そのまま、成人女性の体重など気にもしない様子で、ゆっくりと志帆を持ち上げた。

 苦しみにもがく志帆を見ながら、幻人はニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべていた。次第に志帆の抵抗は弱まる。その様子を、キザシはまざまざと見せつけられていた。このままでは志帆は確実に……死ぬ。


「松本っ! くそッ! ……志帆オォッ!!!!!」


 ほかの幻人を押さえつけながら、キザシは力の限り叫んだ。だが、どうすることもできない。このまま、目の前で志帆を失うのを見せつけられるというのか――

 普段は冷静沈着なキザシの心に、恐怖が浮かぶ。


(もう…………ダメみたい……、さようなら、キザシ……)


 途切れかけた志帆の脳裏に、諦めの言葉が浮かんだ時だった。体が突然楽になったような気がした。これが死というものなのか、そんな考えが浮かんだ時だった。

 ドサッ!体が何か硬いものに打ち付けられた衝撃を感じた。


「ゲホッ……ゲホッ、なにが…………?」


 幻人に絞められた首が解放され、志帆はむせ混む。突然のことに困惑しながら、志帆は顔を上げた。目の前には間違いなく幻人が立っている。ただ、何かに驚いた様子で動きを止めていた。はじめ、志帆には何が起こったのか理解できなかったが、視界がはっきりとしていくにつれ、状況を把握していった。


 目の前の幻人の胸の中心、心臓を、真っ白な剣が貫いていた。


「オ……ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オオオオオオ!!!!!!」


 何者かの攻撃に怒り狂ったように幻人が吠える。そして、背後に潜む敵へと振り向いた時だった。


「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛――オッ?」


 くるくると何かが空中を舞う。それはスイカくらいの大きさで、ふさふさとした毛が生えたような球体上の物体。雑音ノイズを発しながら、地面に落ちると、コロコロと、どこかへ転がっていく。やがてそれは、うるさい音を発するのをやめ、静かになった。


 ドスン、首から上がなくなった幻人の死体が、地面に倒れる。その様子を、志帆はあっけにとられながら、見ていた。


「大丈夫ですか? 志帆――」


 汚れひとつない、小さな右手が、志帆へと差し伸べられた。

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