6-3

 神代キザシは、目の前の獲物たちを観察していた。


 ……かつては、静かな森の中で暮らしていたオオカミの群れだったのだろう。そのいでたちは、誰かと似ているような気がする。

 だが、今となっては憤怒に染まった赤い目と、長く発達した牙を持った怪物に様変わりしていた。人間によって、群れごと幻獣に変貌させられてしまったその集団を、キザシは心の中で憐れむ。同時に、このようなことを平気でしでかす襲撃者たちへ、怒りを募らせた。


 キザシは、ズボンのポケットから一組の黒い皮手袋を取り出し、両手に嵌める。そして、背中のベルトに吊っていたホルスターから、今度は幻想子ファンタジウム専用の拳銃を取り出した。銃は、ドイツの銃器メーカ製の四十五口径の軍用銃。次に、ジャケットの内ポケットにしまっていた反幻想子アンチ・ファンタジウムが封入された弾倉マガジンを取り出し、装填。遊底スライドの一部が赤色に発行したことを確認してから、遊底を引いて弾倉内の反幻想子をチェンバーに送り出した。これで、準備完了—―。


「戦いの、始まりだ」


 真正面の幻獣の群れに向けて、キザシは突っ込んでいく。


 ウオオオオオォォォォォォォォォォン!!

 キザシの動きに気付いた、群れの奥にいる一体が遠吠えをあげた。どうやら、あれが群れのリーダー格なのだろう。取り巻きたちが一斉に、キザシに向かってとびかかる。


 手始めに右手の銃で二発。キザシに飛びかかってきた最前列の二体がそのまま地面へと落下する。放たれた弾丸は正確に心臓を貫いていた。


(残り、八体—―)


 そのまま、残りの何体かの突進を左右にステップしつつ、ギリギリの距離で突進をかわした。そして、最後の一体の突進をやり過ごしたところで、皮手袋を嵌めただけの左手を握りしめると、思いきり何かを引っ張る動作をした。


 その瞬間、キザシとすれ違った一体の幻獣の。そのまま胴体は道路の上を転がっていったが、分かたれた首から上はまだその状況を認識していないようだった。気づいたところで、すでに絶命していた。


 一分も立たぬうちに、キザシは三体の幻獣を仕留めていた。その様子を、車のバリケードのかげから見ていた隊員たちは、目の前で起こる光景を現実のものとは思えなかった。


 だが、狼の幻獣も愚かではなかった。正面からの一斉攻撃が危険であることを悟ると、今度はキザシを全方向から取り囲む。リーダー格は遠くで指示を出しているため、現在六体の幻獣に取り囲まれている。

 さすがのキザシも、背後は見ることができない。六体全部で一斉に攻撃すれば何体かは撃ち漏らすだろう。そう幻獣のリーダーは踏んでいた。どうやら、幻獣化しても、生前の賢さは健在だった。


「……なるほど。お前たちは、俺が戦ってきた幻獣の中でもかなり賢い部類に入る。だがな……それだけで俺は殺せない」


 何やら意味深なセリフを残し、キザシは体勢を低くし、構えた。しばらくの間、両者の睨みあいが続く。だが、先にしびれを切らしたのは幻獣だった。リーダーの指示を待たずして、キザシの背後にいた幻獣の一体が無鉄砲に突撃した。


 だが、それでもキザシは冷静だった。すぐさま自身のほうへ向かってくるのが一体だと察知し、そのまま攻撃することなく体当たりを回避しただけだった。

  攻撃はされずともそれが、引き金になったことは間違いない。残りの五体も次々と襲いかかる。


 ――どんなに五感が鋭敏で優れていようとも、人間にこの波状攻撃を躱しきることなど、できやしない。


 だが、あろうことかキザシは目を瞑った。諦めたのではない、彼はタイミングを待っていたのだ。襲い来る幻獣たちに最も効率よく、最大のダメージを与えるために。


不可視の断罪インビジブル・パニッシュメント—―」


 キザシが両手を広げると、彼の周囲には、あり得ない現象が起こった。六体すべての幻獣がまるで時間でも止められたかのように、空中ではりつけになっていた。驚愕の念に駆られる幻獣をよそに、キザシは広げていた両手を胸元に寄せる。


 ……遠くで見ていた隊員たちは、一様にその瞬間をと口にする。


 キザシの行動とともに、空中で静止していた幻獣が次々と、バラバラに裁断されていったのだ。ある幻獣は胴体を真っ二つに、またある幻獣は首、前足、後足のすべてが切り落とされていった。リーダー格の一体を除いたすべての幻獣が、一瞬のうちに絶命した。


 キザシの周りには、無数の幻獣のが散らばっていた。


(残りは……)


 まっすぐ前を見据えるキザシの前には、リーダー格である幻獣が残されているだけだった。すべての仲間を殺されたその幻獣は、抑えきれぬほどの怒りに燃えていた。

 一対一の決闘に、誰もがなるだろうと予想していた。だが、幻獣のリーダーがとったのは予想外の行動だった。


 ……目の前のキザシに背を向けて走り出す。それは、〝逃走〟。


 その様子を呆気にとられたように見ていたキザシは、してやられたように笑った。


「訂正する。お前は戦ってきた中で〝一番〟賢い奴だ。もし、お前が幻獣でなければ俺は見逃していただろう。だが……悪いな、これが俺の仕事だ」


 右手に持っていた拳銃を左手に持ち帰ると、キザシは手刀を逃走する幻獣目がけてまっすぐ振り下ろした。僅かな時を経て、最後の幻獣は頭から尻尾にかけて真一文字に割けた。


(すべての幻獣の撃滅を、確認)


 圧倒的な力で、キザシは幻獣たちをねじ伏せた。


     ××


 キザシが幻獣と戦っている間、車両の進行方向側での戦いは苛烈を極めていた。

 黒煙と硝煙の匂いが立ち込めるトンネルの中では、銃声による応酬が幾度も交されていた。

 志帆と隊員たちは、襲撃者たちと銃撃戦を繰り広げていた。だが、後方でキザシが幻獣たちを一手に引き受けてくれたおかげで、劣勢だった戦況は徐々に優勢へと傾いいていた。

 襲撃者たちは、適切な銃器の訓練は受けていなかったのだろう。数では向こうが有利ではあるが、こちらには正規の訓練を積んだ精鋭がそろっている。しだいに襲撃者側の負傷者が増え、抵抗する戦闘員の数は減っていった。


「戦況は私たちが勝っている! このまま押し返せ!!」


 キザシに指揮を任された志帆は、初めてなりにも、うまくやっていた。日ごろから気難しいキザシに合わせて行動していた志帆にとって、中規模の集団を自由に動かすことなど、さほど難しいことではなかった。


「松本さん! 敵の残り人数、十をきりました!」


「分かりました。でしたら、相手に降伏勧告をします。うまくいけば、降伏、もしくは相手に動揺を広められるかもしれない」


 敵への降伏勧告を考えられるほど、戦況は動かぬものになりつつあった時だった。後方の幻獣を片付けたキザシが戻ってきた。


「松本、状況はどうなっている?」


「主任……向こうはすべて片付いたのですね。戦況は私たちが制圧しつつあります。こちらは何人か負傷者が出ていますが、命にかかわる重傷者はいません。対して、襲撃者側は死傷者多数、抵抗する戦闘員は残り僅かとなっています」


「よし、よくやった」


 キザシから褒められたことに志帆は少しだけ顔をほころばせる、だが、ここが戦場であることを思い出し、またいつもの鋭い表情に戻った。


「主任、指揮を引き継がれますか?」


「いや、奴らを追い詰めたのはお前の成果だ。最後までやりぬけ」


「はいっ!」


 そう言うと、志帆は自分が乗っていた車に戻り、車内から拡声器を持ってきた。目的はもちろん、襲撃者たちに降伏勧告をするためだった。

 トンネル内で反響する銃声は、開戦した時よりもまばらになっていた。今なら向こう側にも声が届くだろう。


『すでに後方のトラックに載せていた幻獣たちはすべて始末した。残るはそこで戦っているあなたたちだけ。もう戦える人数が残っていないことも知っている。今すぐ武器を捨てて投降しなさい!』


 トンネル内に、拡声器で大きくなった志帆の声響き渡った。さすがに、これだけで抵抗がおさまることはないだろうと志帆は踏んでいた。だが、予想に反してトレーラーからの銃声がぴたりと止んだ。あっさりと抵抗をやめたことを意外に思いつつも、志帆は車のバリケードから顔をのぞかせた。


 銃を捨てた数人の襲撃者たちが、こちらに向かって横一列に並びながら歩いてきた。

 人数は六人。皆、黒いライダースーツに身を包み、顔を隠すようにフルフェイスヘルメットを着用していた。


『そこで止まりなさい! 止まらなければ、撃つ!!』


 志帆の要求とともに、隊員たちが一斉に銃を構えた。万が一、あのライダースーツの中に爆弾を隠して自爆攻撃でもされれば、甚大な被害が出る。

 六人の残党たちは志帆に言われた通り、その場で歩みを止めた。


(随分と素直に、松本の言うことを聞くな)


 志帆の指示に従う残党たちを見ていた、キザシは疑問に思った。あれだけ派手に攻めてきたのだから、降伏することなどはなから考えていなさそうに思っていたが。


『全員ヘルメットを外してから、ライダースーツの中に何も隠していないことを見せなさい』


 隊員たちに緊張が走る。残党たちが自爆攻撃を仕掛けてくるとすれば、今以外に考えられない。ひとりでも駆けだしたら、容赦なく射殺する。各々が持っていた銃の引き金に指を乗せた。


 それでも、六人の残党たちは不審な素振りひとつ見せることなく、ヘルメットを脱ぎ捨てた。


(若いな……)


 目の前の、素顔をさらした六人を見たキザシは最初にそう思った。全員、二十代後半から三十代前半の男女だった。おそらく、敵方の指揮役が早々に死亡したのだろう。それゆえ、残された若い残党たちは、降伏することにしたとなれば納得がいく。

 だが、六人の残党たちは不思議なことに、感情を表に出していなかった。作戦が失敗したことへの悔しさや、同志を失ったことへの悲しみに暮れる者は誰一人いない。茫然自失とは違う、全員が心ここにあらずといったように、どこか遠くを見つめているようだった。

 それが、キザシには不気味に思えて仕方なかった。

 

 続けて、六人はライダースーツを脱ぎ始める。スーツの中からそれぞれが着用していた普段着があらわになった。Tシャツ、ポロシャツ、チュニック、どれも街中でも普通に見かける格好に、志帆は爆弾が隠されていないことを確認した。


「主任……、どう思います? 爆弾は所持していないように思えますが、まだ体内に爆弾を隠している可能性は残っています」


「ああ、隊員たちを近寄らせるのは待ったほうがいい」


「わかりました」


 地面に伏せるよう、志帆が彼らに告げようとした時だった。


「おい、何やってる!!」


 隊員の一人が驚いたように声を上げた。

 志帆とキザシは、急いで残党たちのほうへ視線をやると、六人全員が地面に倒れていた。


「何があった!?」


 キザシが近くにいた隊員に問いかける。


「全員が一斉に注射器のようなものを首に当てかと思えば、そのまま地面に倒れました」


「自決だと? 気をつけろ! 心臓が停止するすると起動する爆弾かもしれない」


 その場にいた全員が耳を塞ぎ、物陰に身を潜めた。

 ……一分が経過した。何も起こらない。それでも厳戒態勢を崩すことなく、さらに時間が経過する。


 三分が経過。それでも爆発が起こらなかった。


「う゛っ……、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」


 突然、大きな呻き声がトンネル内に広がる。耳を塞いでも聞こえるほどの大きな呻き声に、隊員たちは総毛立つ。声を上げていたのは、ほかでもない、自決を図った六人だった。


 キザシは急いで状況を確認する。地面に倒れていた六人は、まだ死んではいなかった。だが、全員がこの世のものとは思えないほどの苦しみに、さいなまれていた。ある者は白目を剥いて泡を吹き、別の者は弓なりに体を曲げて、胸に手を当てて苦しんでいた。あまりの惨状に、誰もが言葉を失う。


(こいつら何だ? 自決用の毒を服用したにしては、速攻性がない)


 異様な光景に驚きを隠せないキザシと志帆。だが、残党の六人はぱたりと、苦しむことをやめた。

 トンネル内は、一瞬にして静まり返る。あまりの出来事に、心臓が停止すると起動する爆弾のことを誰もが忘れていた。しかし、彼らは爆弾など最初から持ってはいなかった。


 ……トンネル内に横たわる静寂を破ったのは、キザシと志帆の持つ端末のアラーム音だった。


「なんで……幻災警報が……?」


 端末の表示内容を確認した志帆の顔が凍り付く。


「主任、《三等級クラススリー》の幻災警報が……」


「なんだって!?」


 震える志帆の声とは対照的に、キザシはその日一番の驚愕した声を出した。


(こいつらまさか――)


 ビクン。

 先ほど死んだ襲撃者の死体が、雷に打たれたかのように脈動した。その瞬間、キザシはすべてを理解した。


「お前ら、トンネルの入り口に向かって走れ!! こいつらが自分に打ったのは毒薬じゃない! ……幻想子ファンタジウムだ!!!」


 それを聞いた隊員たちは、一斉にトンネルの入り口方面に向かって、我先にへと走り出す。そして、キザシと志帆だけがその場に残された。


 あらめて、六人の死体が転がっていた場所に目をやると、そこにはすでに死体などなかった。代わりに、皮膚の色が青白いという程度ではないほどに真っ白で、深紅に燃える双眸そうぼうをもった〝それ〟が六体立っていた。奇妙なことに、頭に生えていた毛髪は、まるでグラスファイバーのように透明で、光を乱反射させていた。さながら、虹色だ。


 ――人間が幻想子を致死量以上に取り込み、発症する《フェーズⅠ》。それは、。—―〝幻人げんじん〟の誕生だ。


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