2-1:季節外れの転入生

「まったく……、昨夜はえらい目にあったよ」


 そう言いながらアタルは、目の前の昼食に箸をつけ始める。

 昨夜の出来事。それは不正流通する幻想子ファンタジウムを求めて、アタルは川崎のとある倉庫街に侵入した。しかし、どこの誰だか分からない人物を助けたせいで、自分の帰り道を失うという失態を犯す。しかも、あの場には幻想子を闇ルートで売りさばく危ない連中が血眼になって、侵入者を探していた。あのあと、何とか発見されずに、別の帰り道を見つけ出せたから、事なきを得たのだが……。


「そうだね、昨日は私も大変だったよ」


 アタルの愚痴に対して、長テーブルを挟むようにして真向いに座る少女が答える。ボブカットに青縁のメガネをかけた少女は、人懐っこい笑みをアタルに向けていた。その様子を見ていたアタルも、つられてしまうかのように苦笑する。テーブルを挟む少女――服部美幸はっとりみゆきをひと言で例えるなら、地味な雰囲気の少女であった。


「まあ、お互い何にもなかったから、結果オーライということにはなるんだけど……」


 そう言いながらアタルは辺りを見回す。周囲にはアタルと同じ年頃の少年少女が、和気藹々わきあいあいとしながら食事にふけっていた。

 彼らの着ている衣服は二種類に分けることができた。ひとつはアタルと同じで、黒をベースに白いラインがあしらわれたブレザータイプの制服。もう一つは男女とも黒いスラックスに、白いシャツ。最も特徴的なのはその上に徽章きしょうの入った白衣を着ていることである。これは、美幸がしている格好と同じだ。


 ――ここは幻想子の研究機関に付属する教育機関、『桜鳳おうほう学院』の食堂である。


 その高等部の教育目的は二つある。一つは幻想子に絡んだ事件、災害に対応するための職業、〝幻闘士ファンタジスタ〟の育成。そして、もう一つは日々進歩していく幻想子そのものへの研究であった。


 そのため、この学校には二つの学科が存在する。幻闘士の育成のための『戦闘科』と、幻想子の研究のための『研究科』。通常の高等教育に加えて、戦闘科には幻想子を用いた戦闘訓練、研究科には実験が必修になっている。

 

 前者にアタル、後者には美幸が所属している。同じ学び舎にしても学科が違うため、それぞれのつながりは薄い。その点で言えば、アタルと美幸の組み合わせは少し珍しい存在であった。


「あっ、そうだアタル君。今朝聞いたんだけど、戦闘科に新しく転入生が入ったって、本当?」


 ひととおり昼食を済ませた美幸は、アタルに尋ねる。


「ああ、その話か。本当だよ。僕のクラスは、その話で持ちきりさ」


「へぇ、そうなんだ。その口ぶりだと、まだその子を見てないみたいだね。かなり可愛い子って聞いたんだけど」


「それも、散々きいたよ。でも僕には関係ない話だから、あんまり興味はないね」


 朝からのクラスの盛り上がりっぷりに、アタルは辟易へきえきしていた。たかが転入生というのに、なぜああも盛り上がれるのか不思議だった。


「それにしてもおかしな話だよ。年度の始まりの四月ならわかるけど、今はもう六月。時期がずれてるし、何よりも僕らはまだ一年生だ。だったら、転入じゃなくて、最初からこの学校に入学すればいいじゃないか」


 アタルの漏らした本音を聞き、美幸は少し驚いた表情に変わる。


「アタル君は知らないの? 転入生があの『月宮家つきのみやけ』の現当主の孫だってことを」


「月宮家?」


 アタルは美幸の言うことが分からず、困惑する。そもそも、アタルは俗世間に興味がない。だから月宮家と言われても、どんな一族なのかさっぱりだった。アタルの鈍い反応に、流石の美幸も目を皿のように丸くさせる。


「アタル君、今から二十年前に〝戦争〟があったことぐらいは知ってるよね?」


「それくらいは知ってるさ。そのせいで、幻想子なんて物質が認知されるようになったんだから」


「そう。それでね、戦争で疲弊した日本政府を陰から支え、戦前と同じくらいまで建て直したのは各地に散らばる財閥だった。そして、その一つが『月宮家』」


「そりゃあ、今の時期にこの学校に入れるわけだ。結局は〝コネ〟ってことじゃないか」


「もちろん口利きがあったのは嘘じゃないと思うよ。でもそれだけじゃない、その子は今までオーストラリアに留学してて、実力も折り紙付きだって」


「ふーん……」


 美幸の熱心な口調から、なんとなくその転入生がすごいということが分かる。こんな風に美幸が言うということは、相当腕の立つ人物のようだとアタルは思った。だが、優れていればいるほど、自分と接点を持つことはないだろうとも思う。身分も、実力も全く違う次元にいるとなれば、それはもう別の世界に生きていると言っても過言ではない。

 それが先週発表された中間試験で216人中、「101」番目の成績だった神代アタルの思ったことであった。


「アタル君は、興味のないことには本当に疎いんだね」


 食堂を出てから廊下を歩くアタルの隣で、美幸は呆れ半分といった感じで言う。美幸はアタルと並ぶにしても、肩に頭が届かないくらいの小柄であった。そのためアタルは美幸と立って話す時は少しばかり、見下ろす形になる。


「歴史はあまり得意じゃないんだ」


「でも、月宮家については、ほぼ一般常識の範囲内だと思うんだけど」


 恥じも、悪びれもせず答えるアタルに、美幸はため息をつく。そんなやり取りを何回か続けていた時だった。


「なんだろう、あれ?」


 食堂と本棟をつなぐ渡り廊下に、ちょっとした人だかりが出来上がっていた。それは、美幸が口に出す前から、アタルも気が付いていた。

 遠くから様子を伺ってみれば、全員が黒のブレザーを着ていたため、戦闘科の生徒であることが容易に分かる。しかも、彼らのネクタイはアタルと同じ群青色、一年生だ。


「……なるほど、あれが噂の転入生ってやつか。にしても、すごい人気者だね。僕は、ああいう取り巻きみたいなのは好きじゃないけど」


 アタルはそう言いながら、ぞろぞろとこちらに向かってくる集団を観察する。誰もかれもが、何かをとり囲むようにして、狭い渡り廊下を塞いでいた。


(学校の案内をするにしても、いくらなんでも多すぎやしないか?)


 転入生への熱狂にぶりに、アタルは唖然とする。

 アタルが集団とすれ違うために、廊下の端に寄った時だった。突然、通路を塞いでいた群衆がぱっと二手に分かれる。すると、人だかりの中から、真新しい制服に身を包んだ、転入生の姿が露わになった。


(そんな、まさか……)


 わあ、と隣で驚きの声を上げる美幸に反して、アタルは言葉を失う。

 くすんだ暗めの金髪ダークブロンドでウェーブのかかった長い髪、整った顔立ちに、凛とした鳶色の瞳。すらりと長く伸びた手足の振舞いには優雅さが漂う。そして、誰もが目を奪われるような、美貌がそこにはあった。


『もう二度と会うことはないだろう』


 昨夜、そう言って背中を見送った相手がいま、自分の目の前を歩いている。驚きのあまり、気が付けば、アタルは歩みを止めていた。


「どうしたの?」


 突然立ち止まったアタルを、美幸は不思議そうに見つめる。

 カメラ越しだったということもあり、美幸は目の前の彼女が、昨日助けた人物であることを知らない。そのため、アタルが急に動揺する理由が分からなかった。


「……なんでもないよ」


 一瞬の間を置いて、アタルは前へと歩きだす。

 自分は彼女の顔を知っているが、向こうは知らない。変に動揺すれば、周りから不審がられ、面倒なことになる。何も知らないふりをして通り過ぎれば、問題はない。そう自分に言い聞かせた。

 それは、目立つことを極端に嫌う、アタルの順守すべき

 未だに首をかしげたまま、アタルの様子を伺う美幸。だが、進みだしたアタルに置いて行かれないように、彼の背中をひょこひょこと追う。


「オーストラリアでの生活はどうだった?」

「こっちに進むと食堂」

「ねえねえ、どんな武器を使っているの?」

「お屋敷の広さはどのくらい?」


 寄ってたかって、彼女を取り囲む生徒たちは、思いつく話題なら何でも提供していた。さすがの転入生も多少、鬱陶しげな様子である。だが、愛想よく振舞ったり、周囲に適応しようする様子は微塵も感じられない。周りに振り回されない、しっかりとした自己アイデンティティを持っているかのように思える。


(どうして昨日、彼女は、あんなところにいたんだろう?)


 アタルの疑問は解消されない。しかし、それを本人に問いただすことはできない。あの場にいた事実を、自ら明かすことになるのだから。


 そんな疑念をよそに、アタルと美幸、そして転入生の一団がすれ違う。彼女に夢中の取り巻きたちは、アタルの存在など気にも留めない。もちろん、それはアタルも同じであった――が。


 グイッと、唐突にアタルの制服の右袖が、誰かに引っ張られる。

 服部か? などと、アタルは思いもしたが、そんな疑問はすぐに打ち消される。美幸はアタル左隣にいるのだ。彼女が右袖を引っ張ることなど、不可能。


(……だとしたら、いったい誰が、僕の袖を引っ張るんだ)


 振り返って確認すれば、右袖を引いていたのは、彼の予想にしなかった人物だった。そこには、名前すら知らない転入生。理由はまったく分からないが、彼女がアタルの袖を引っ張っていたのである。

 凛とした表情でこちらを見つめる彼女に、アタルは激しく動揺する。冷や水を浴びたように、全身を巡る血が凍りつくように感じた。


「な……なにか?」


 アタルは全身全霊の力をもって、動揺を顔に出さないように、理由を転入生に問うた。


(ここで下手なことをすれば、彼女に感づかれる。いや、もしくはもう知っているのか? ……確かに、相手は巨大財閥、〝月宮家〟の人間。僕が昨夜、あそこにいたということを突き止めるのは、造作もないことなのかもしれない)


 目まぐるしく頭の中で渦巻く疑念に、アタルは眩暈めまいすら覚える。

 そんなアタルに対して、袖を引く転入生は、真っ直ぐアタルの目を見つめていた。彼女の鳶色の瞳から読み取れる感情はなく、アタルはさらに危機感を募らせる。同時に、その蠱惑的こわくてきな美貌を向けられ、胸が熱くなるのを感じていた。


「あなた……、昨日の夜、どこにいた?」


 核心を突くような、鋭いひと言。背中から冷汗を噴き出しつつも、取り繕った表情を崩さないようアタルは注力する。しかし、それはすでに無駄な努力であるかもしれなかった。


(きのうのことを聞いてくる以上、僕とあの倉庫を結びつける根拠が、彼女にあるかもしれない。ここで変な反応をすれば、かえって、あの場にいたことを確信させてしまう)


 頭をフル回転させて、この場を最小限のダメージで乗り切る方法を考える。だが、半ば追いつめられたこの状況をひっくり返す起死回生の返信リプライなど、そう簡単に思いつくはずなどなかった。


「どうして、僕にそんなことを聞くんだい? ……というか、君はだれ?」


 どうしようもないくらいの三文芝居であることは、アタルも承知している。それでも、何も思いつかなかったのだ。それでだめなら、仕方ない。


「……なんとなく」


 そう言っただけで、転校性は目を伏せた。

 これには、アタルも予想外だった。どうやら、彼女も確信めいた裏付けを持っていないようである。きわどいところで、アタルは救われた。

 よくよく考えれば、彼女もまた倉庫街に不法侵入している。お互い様と言いたいところだが、余計なことを言ってボロを出すわけにはいかない。


「ちゃんとした理由もないのに、僕は答えないといけないのかい? ……まあいいや、昨日は自分の家にいたよ。これでいいのかな」


 ピンチを何とかしのげて、アタル多少強気にでる。そして、いまだ唖然としている美幸に目配せした。美幸は一瞬だけきょとんとするが、すぐにアタルの言いたいことを察したようだった。


「あの……、彼と何かあったんですか?」


 美幸の援護射撃もあったためか、転入生はきまりが悪そうにアタルの袖を離した。


「ごめんなさい。ちょっと昨日、あなたに似たような人と会ったから、勘違いしたみたい。気にしないで」


 素直に謝る彼女は、そのまま先へと進んでいった。何事かと様子を見守っていた生徒たちも、彼女の後を追うようにして、アタルから遠ざかっていった。


「なんだったの、今のは?」


 集団を見送ったあと、災厄が去ったとばかりに、大きく胸を撫で下ろすアタルを美幸は問いただす。


「……とんでもなく驚いたよ。きのう、あれほど体を張って助けた人物が、目の前に現れたんだから」


 その一言は、美幸に大きな衝撃を与えた。


「そんな、まさか……。もしかして、倉庫で接触したとき顔を見られたの?」


「僕としては、そんなへまをした覚えはないんだけどね。でも、彼女は僕と『似たような人と会った』と言ったから、やっぱり顔を見られたのかもしれない」


「どうするの? 私たちがやってたことがばれるかも」


 怪訝けげんそうな表情を浮かべながら、美幸はアタルに問う。


「僕を狙って尋問してきたあたり、もしかしたら向こうに確たる証拠でもあるのかもしれない。でも、本当に確信した様子はなかったから、しばらく様子を見ることにするよ。なあに、このことが外部に漏れることはないだろうさ。僕と彼女はあの倉庫街に不法侵入しているんだから。……だけど、幻想子ファンタジウムの奪取はしばらく控えようか」


「私もそうであってほしいんだけど……。でも、幻想子がなくて、アタル君はなの?」


「持ちこたえてみるさ」


 心配そうに、美幸はアタルを見上げていた。そんな美幸の懸念を気にせず、アタルは飄々ひょうひょうとしたまま答えた。


 美幸の心配をよそに、アタルの頭の中は転入生への警戒で埋め尽くされていた。

なぜなら、彼女に接触されるのは、彼にとってみれば、好ましくないものである。


 あんなに目立つ存在の近くには、いられない。ただ、それだけだった。

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