2-1:季節外れの転入生
「まったく……、昨夜はえらい目にあったよ」
そう言いながらアタルは、目の前の昼食に箸をつけ始める。
昨夜の出来事。それは不正流通する
「そうだね、昨日は私も大変だったよ」
アタルの愚痴に対して、長テーブルを挟むようにして真向いに座る少女が答える。ボブカットに青縁のメガネをかけた少女は、人懐っこい笑みをアタルに向けていた。その様子を見ていたアタルも、つられてしまうかのように苦笑する。テーブルを挟む少女――
「まあ、お互い何にもなかったから、結果オーライということにはなるんだけど……」
そう言いながらアタルは辺りを見回す。周囲にはアタルと同じ年頃の少年少女が、
彼らの着ている衣服は二種類に分けることができた。ひとつはアタルと同じで、黒をベースに白いラインがあしらわれたブレザータイプの制服。もう一つは男女とも黒いスラックスに、白いシャツ。最も特徴的なのはその上に
――ここは幻想子の研究機関に付属する教育機関、『
その高等部の教育目的は二つある。一つは幻想子に絡んだ事件、災害に対応するための職業、〝
そのため、この学校には二つの学科が存在する。幻闘士の育成のための『戦闘科』と、幻想子の研究のための『研究科』。通常の高等教育に加えて、戦闘科には幻想子を用いた戦闘訓練、研究科には実験が必修になっている。
前者にアタル、後者には美幸が所属している。同じ学び舎にしても学科が違うため、それぞれのつながりは薄い。その点で言えば、アタルと美幸の組み合わせは少し珍しい存在であった。
「あっ、そうだアタル君。今朝聞いたんだけど、戦闘科に新しく転入生が入ったって、本当?」
ひととおり昼食を済ませた美幸は、アタルに尋ねる。
「ああ、その話か。本当だよ。僕のクラスは、その話で持ちきりさ」
「へぇ、そうなんだ。その口ぶりだと、まだその子を見てないみたいだね。かなり可愛い子って聞いたんだけど」
「それも、散々きいたよ。でも僕には関係ない話だから、あんまり興味はないね」
朝からのクラスの盛り上がりっぷりに、アタルは
「それにしてもおかしな話だよ。年度の始まりの四月ならわかるけど、今はもう六月。時期がずれてるし、何よりも僕らはまだ一年生だ。だったら、転入じゃなくて、最初からこの学校に入学すればいいじゃないか」
アタルの漏らした本音を聞き、美幸は少し驚いた表情に変わる。
「アタル君は知らないの? 転入生があの『
「月宮家?」
アタルは美幸の言うことが分からず、困惑する。そもそも、アタルは俗世間に興味がない。だから月宮家と言われても、どんな一族なのかさっぱりだった。アタルの鈍い反応に、流石の美幸も目を皿のように丸くさせる。
「アタル君、今から二十年前に〝戦争〟があったことぐらいは知ってるよね?」
「それくらいは知ってるさ。そのせいで、幻想子なんて物質が認知されるようになったんだから」
「そう。それでね、戦争で疲弊した日本政府を陰から支え、戦前と同じくらいまで建て直したのは各地に散らばる財閥だった。そして、その一つが『月宮家』」
「そりゃあ、今の時期にこの学校に入れるわけだ。結局は〝コネ〟ってことじゃないか」
「もちろん口利きがあったのは嘘じゃないと思うよ。でもそれだけじゃない、その子は今までオーストラリアに留学してて、実力も折り紙付きだって」
「ふーん……」
美幸の熱心な口調から、なんとなくその転入生がすごいということが分かる。こんな風に美幸が言うということは、相当腕の立つ人物のようだとアタルは思った。だが、優れていればいるほど、自分と接点を持つことはないだろうとも思う。身分も、実力も全く違う次元にいるとなれば、それはもう別の世界に生きていると言っても過言ではない。
それが先週発表された中間試験で216人中、「101」番目の成績だった神代アタルの思ったことであった。
「アタル君は、興味のないことには本当に疎いんだね」
食堂を出てから廊下を歩くアタルの隣で、美幸は呆れ半分といった感じで言う。美幸はアタルと並ぶにしても、肩に頭が届かないくらいの小柄であった。そのためアタルは美幸と立って話す時は少しばかり、見下ろす形になる。
「歴史はあまり得意じゃないんだ」
「でも、月宮家については、ほぼ一般常識の範囲内だと思うんだけど」
恥じも、悪びれもせず答えるアタルに、美幸はため息をつく。そんなやり取りを何回か続けていた時だった。
「なんだろう、あれ?」
食堂と本棟をつなぐ渡り廊下に、ちょっとした人だかりが出来上がっていた。それは、美幸が口に出す前から、アタルも気が付いていた。
遠くから様子を伺ってみれば、全員が黒のブレザーを着ていたため、戦闘科の生徒であることが容易に分かる。しかも、彼らのネクタイはアタルと同じ群青色、一年生だ。
「……なるほど、あれが噂の転入生ってやつか。にしても、すごい人気者だね。僕は、ああいう取り巻きみたいなのは好きじゃないけど」
アタルはそう言いながら、ぞろぞろとこちらに向かってくる集団を観察する。誰もかれもが、何かをとり囲むようにして、狭い渡り廊下を塞いでいた。
(学校の案内をするにしても、いくらなんでも多すぎやしないか?)
転入生への熱狂にぶりに、アタルは唖然とする。
アタルが集団とすれ違うために、廊下の端に寄った時だった。突然、通路を塞いでいた群衆がぱっと二手に分かれる。すると、人だかりの中から、真新しい制服に身を包んだ、転入生の姿が露わになった。
(そんな、まさか……)
わあ、と隣で驚きの声を上げる美幸に反して、アタルは言葉を失う。
くすんだ
『もう二度と会うことはないだろう』
昨夜、そう言って背中を見送った相手がいま、自分の目の前を歩いている。驚きのあまり、気が付けば、アタルは歩みを止めていた。
「どうしたの?」
突然立ち止まったアタルを、美幸は不思議そうに見つめる。
カメラ越しだったということもあり、美幸は目の前の彼女が、昨日助けた人物であることを知らない。そのため、アタルが急に動揺する理由が分からなかった。
「……なんでもないよ」
一瞬の間を置いて、アタルは前へと歩きだす。
自分は彼女の顔を知っているが、向こうは知らない。変に動揺すれば、周りから不審がられ、面倒なことになる。何も知らないふりをして通り過ぎれば、問題はない。そう自分に言い聞かせた。
それは、目立つことを極端に嫌う、アタルの順守すべき行動規範。
未だに首をかしげたまま、アタルの様子を伺う美幸。だが、進みだしたアタルに置いて行かれないように、彼の背中をひょこひょこと追う。
「オーストラリアでの生活はどうだった?」
「こっちに進むと食堂」
「ねえねえ、どんな武器を使っているの?」
「お屋敷の広さはどのくらい?」
寄ってたかって、彼女を取り囲む生徒たちは、思いつく話題なら何でも提供していた。さすがの転入生も多少、鬱陶しげな様子である。だが、愛想よく振舞ったり、周囲に適応しようする様子は微塵も感じられない。周りに振り回されない、しっかりとした
(どうして昨日、彼女は、あんなところにいたんだろう?)
アタルの疑問は解消されない。しかし、それを本人に問いただすことはできない。あの場にいた事実を、自ら明かすことになるのだから。
そんな疑念をよそに、アタルと美幸、そして転入生の一団がすれ違う。彼女に夢中の取り巻きたちは、アタルの存在など気にも留めない。もちろん、それはアタルも同じであった――が。
グイッと、唐突にアタルの制服の右袖が、誰かに引っ張られる。
服部か? などと、アタルは思いもしたが、そんな疑問はすぐに打ち消される。美幸はアタル左隣にいるのだ。彼女が右袖を引っ張ることなど、不可能。
(……だとしたら、いったい誰が、僕の袖を引っ張るんだ)
振り返って確認すれば、右袖を引いていたのは、彼の予想にしなかった人物だった。そこには、名前すら知らない転入生。理由はまったく分からないが、彼女がアタルの袖を引っ張っていたのである。
凛とした表情でこちらを見つめる彼女に、アタルは激しく動揺する。冷や水を浴びたように、全身を巡る血が凍りつくように感じた。
「な……なにか?」
アタルは全身全霊の力をもって、動揺を顔に出さないように、理由を転入生に問うた。
(ここで下手なことをすれば、彼女に感づかれる。いや、もしくはもう知っているのか? ……確かに、相手は巨大財閥、〝月宮家〟の人間。僕が昨夜、あそこにいたということを突き止めるのは、造作もないことなのかもしれない)
目まぐるしく頭の中で渦巻く疑念に、アタルは
そんなアタルに対して、袖を引く転入生は、真っ直ぐアタルの目を見つめていた。彼女の鳶色の瞳から読み取れる感情はなく、アタルはさらに危機感を募らせる。同時に、その
「あなた……、昨日の夜、どこにいた?」
核心を突くような、鋭いひと言。背中から冷汗を噴き出しつつも、取り繕った表情を崩さないようアタルは注力する。しかし、それはすでに無駄な努力であるかもしれなかった。
(きのうのことを聞いてくる以上、僕とあの倉庫を結びつける根拠が、彼女にあるかもしれない。ここで変な反応をすれば、かえって、あの場にいたことを確信させてしまう)
頭をフル回転させて、この場を最小限のダメージで乗り切る方法を考える。だが、半ば追いつめられたこの状況をひっくり返す起死回生の
「どうして、僕にそんなことを聞くんだい? ……というか、君はだれ?」
どうしようもないくらいの三文芝居であることは、アタルも承知している。それでも、何も思いつかなかったのだ。それでだめなら、仕方ない。
「……なんとなく」
そう言っただけで、転校性は目を伏せた。
これには、アタルも予想外だった。どうやら、彼女も確信めいた裏付けを持っていないようである。きわどいところで、アタルは救われた。
よくよく考えれば、彼女もまた倉庫街に不法侵入している。お互い様と言いたいところだが、余計なことを言ってボロを出すわけにはいかない。
「ちゃんとした理由もないのに、僕は答えないといけないのかい? ……まあいいや、昨日は自分の家にいたよ。これでいいのかな」
ピンチを何とかしのげて、アタル多少強気にでる。そして、いまだ唖然としている美幸に目配せした。美幸は一瞬だけきょとんとするが、すぐにアタルの言いたいことを察したようだった。
「あの……、彼と何かあったんですか?」
美幸の援護射撃もあったためか、転入生はきまりが悪そうにアタルの袖を離した。
「ごめんなさい。ちょっと昨日、あなたに似たような人と会ったから、勘違いしたみたい。気にしないで」
素直に謝る彼女は、そのまま先へと進んでいった。何事かと様子を見守っていた生徒たちも、彼女の後を追うようにして、アタルから遠ざかっていった。
「なんだったの、今のは?」
集団を見送ったあと、災厄が去ったとばかりに、大きく胸を撫で下ろすアタルを美幸は問いただす。
「……とんでもなく驚いたよ。きのう、あれほど体を張って助けた人物が、目の前に現れたんだから」
その一言は、美幸に大きな衝撃を与えた。
「そんな、まさか……。もしかして、倉庫で接触したとき顔を見られたの?」
「僕としては、そんなへまをした覚えはないんだけどね。でも、彼女は僕と『似たような人と会った』と言ったから、やっぱり顔を見られたのかもしれない」
「どうするの? 私たちがやってたことがばれるかも」
「僕を狙って尋問してきたあたり、もしかしたら向こうに確たる証拠でもあるのかもしれない。でも、本当に確信した様子はなかったから、しばらく様子を見ることにするよ。なあに、このことが外部に漏れることはないだろうさ。僕と彼女はあの倉庫街に不法侵入しているんだから。……だけど、
「私もそうであってほしいんだけど……。でも、幻想子がなくて、アタル君は大丈夫なの?」
「持ちこたえてみるさ」
心配そうに、美幸はアタルを見上げていた。そんな美幸の懸念を気にせず、アタルは
美幸の心配をよそに、アタルの頭の中は転入生への警戒で埋め尽くされていた。
なぜなら、彼女に接触されるのは、彼にとってみれば、好ましくないものである。
あんなに目立つ存在の近くには、いられない。ただ、それだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます