第2話 風間繻樂 一

ある世界の夜中。大きな一軒家。その家の一角。部屋に一人の着物を着た男性が、机で文を書き綴っていた。

愛するー―へ

どうやら誰か、女性に宛てた恋文の様だった。彼はその女性の事を考えているのか、思い出しているのか、とてもにこやかな笑顔で文を綴っていた。

彼は上流貴族階級、奏音宮翔稀馬(そうおんのみやときま)。明日に結婚式を控えた婿だ。

翔稀馬が文を書き終えた時、翔稀馬は部屋の戸の前に誰か来た事を感じた。

「誰だ?この様な時間に」

翔稀馬は立ち上がり障子戸を見据えた。彼から見る影は女の様に見えた。不審に思っていると、彼の上から2人の男が降り、翔稀馬の両腕を掴み捕えた。天井裏に潜んでいたらしい。

そして目の前の戸が開き、戸の前にいた者が姿を現した。

「!そなたはーっ」

翔稀馬の前に現れた者は、長い髪を後ろで団子に束ね、着物を着ていた。その女は方手に鞘から抜刀された刀を手にしていた。刃は女の後ろから照る月明かりに、鈍く怪しく光っていた。

翔稀馬はその女を知っていた。以前求婚を求められ、断った女だった。

「あのような者の物になるのなら、我が殺し永遠に我が物にっ!」

女は刀を構え、翔稀馬に向かった。

翔稀馬が声を出す前に、一人の男が翔稀馬の口を手で抑えた。

「ん゛っ―――」

翔稀馬の声はこもり、外に聞こえる事は無かった。

必死に避けようとしたが、2人の男に捕えられ身動きが取れなかった。

女の持つ刀は翔稀馬の腹に突き刺さった。翔稀馬は抑えられた口から血を吐いた。彼は刺された瞬間、確実に死ぬと感じた。

(すまぬ。我が最愛の新妻よ。先逝く我を許してくれ…)

翔稀馬は死を感じ、明日、妻になる女性の事を思い出し、悲しくなった。“死にたくない”と心の底より願っていた。

もう、二度と触れる事の叶わぬ肌。手。唇。顔。身体。

もう、二度と見る事の叶わぬ笑顔。美しい姿。しぐさ。武術。

もう、二度と聞く事の叶わぬ声。笑い声。可憐で透き通る声。

全てを、全てを、感ずる事も、触れる事も、見る事も、聞く事も、叶わなくなる“死”

もっと彼女と共に有りたい。

寄り添い、彼女の支えになりたい。

もっと近くで、これからもずっと…

彼女の側に我がいたい。

側にいるのは我だ。

死ぬ前にそんな独占欲が出て来てしまう。だが、それ程までに彼女を愛していた。

突き刺さった刀を、女は横に切り裂いた。翔稀馬の腹からは胃や腸、人間の臓器が飛び散った。赤黒い塊達と赤い血が、畳を赤黒く染めた。

女はその刀を翔稀馬の首に持ってきた。

そして、勢いを付け横に刀を振った。その時の刀は薄緑色の風が取り巻いていた。


ゴッ、ベション…


翔稀馬の首は刎ねられ、落ちた衝撃で彼の方眼は潰れた。刎ねられた身体からは血しぶきが吹き荒れた。血は溢れ、辺りに水溜りを作った。

彼の顔は方眼が潰れ、方眼は大きく見開かれていた。まるで、殺した者を恨むかの様に。死ぬ事への哀しみにくれ、二度と会う事の叶わぬ彼女を想うかの様に。

女は直ぐにその場を立ち去り、男達も彼から離れ、立ち去った。


時を同じく、そこから離れた別の土地。政府の建物の一角。部屋に一人の女性が眠りについていた。

激しい足音と共に、彼女の部屋の前で大声を出す男。やっと眠りにつく事が出来た頃だった。眠りが浅く、直ぐに彼女は眼を開け、体を起こした。

「何だ。何事だ」

彼女は戸に向かい聞いた。

戸の前の者は躊躇い、言いにくそうに男は答える。

「はっ、大変申し上げにくいのですが、先ほど…奏音宮翔稀馬様が、惨殺されました」

彼女はその言葉に血の気が一気に引き、全身の血がなくなる様な感覚に陥った。

彼女は風間繻樂(かざましゅらく)。母親が貴族、外交士の娘、父親が政府首長の間に生まれた。繻樂は政府大役人階級。未婚の二十四歳だ。

政府首長は国を治めるのに対し、外交士は他の国々との貿易などを取り仕切る、繻樂の国の最高権力者だ。

繻樂の国は今、父親が政府首長、父方の祖父が外交士を務めていた。

繻樂は翔稀馬と明日に結婚式を控えた、嫁だった。

「――それは、本当か?」

繻樂は震える声で聞いた。

「はっ、本当でございます」

「そうか。直ぐに出る。下に嵐(らん)を」

繻樂は指示をしながら着替え出した。

「御意」

男は階段を駆け下りた。

繻樂は寝巻の着物を脱ぎ、普段着の着物を着た。刀を左右に一本ずつ拵えた。

そして部屋から飛び出し、階段を駆け下りた。一刻でも早く、彼の元へ向かいたかった。

信じられない。彼は死んでいない。と心の中で叫び続けた。

やっと、結婚というところまで辿りつけたのに。世継ぎ問題で親に詰め寄られる事も減ると感じていたのに。長かった十四年もの間。やっと、やっとそれに終わりが来る筈だったのに。またここで振り出しに戻るなど考えたくなかった。

何故?


何故、死ぬ。


我の大切な者達は


何故、いつも死んで逝く…


繻樂の周りでは十四年前からずっと、大切な者、親しい者、皆全てが死んで逝くという現象が起きていた。

故に付けられた呼び名は―――


呪いの女、繻樂


繻樂が家の外に出ると、嵐と言う金色に輝く長い鬣(たてがみ)と、額の中央に金色に輝く一本の角が生えた、ユニコーンが走って来た。繻樂は嵐の背に飛び乗った。

「繻樂様、市女笠(いちめがさ)をっ」

女中が慌てて市女笠を持ってきた。

「いらぬ。嵐、あの方のところへ急げ」

「御意」

嵐はそう答えると、走るスピードを上げた。ユニコーンは最速。追いつける動物はいない最速を持っている。ここから、翔稀馬のところへも、馬なら十分程度かかるところも、ほんの数分で行きつくことが出来る。


翔稀馬の家に着くや否や嵐から飛び降り、翔稀馬の部屋に駆け込んで行った。嵐もすかさず、後について行った。

翔稀馬の部屋の前には役人達が溢れていた。繻樂はそれを掻き分け、前へと出た。

そして、繻樂の眼に映った光景とは、言い表せない程の血の部屋だった。部屋中に血生臭い匂いが充満し、辺り一面、血の海が出来ていた。畳には翔稀馬の腸(はらわた)が飛び散り、腹がぱっくりと開いた首なしの身体が横たわり、刎ねられた首は落ちた衝撃からか、方眼が潰れ、顔が変形し、ぐちゃぐちゃになっていた。

「―――っ翔稀馬様ぁっ!」

繻樂は部屋に入り、翔稀馬の身体に駆け寄った。そして胸や身体をさわり手を握った。

「翔稀馬様、翔稀馬様」

繻樂はその場に座り込み、何度も何度も翔稀馬の名を呼んだ。みるみる繻樂の着物は血に染まって行った。繻樂は翔稀馬の顔にも近付き、見つめた。暫く見つめ、そっと頬を触った。もう、冷たく硬かった。

もう血は通っていない。死んだ。

改めてその事実が心に突き刺さった。

もう、二度と触れる事の叶わぬ肌。手。唇。顔。身体。

もう、二度と見る事の叶わぬ優しい笑顔。美しい姿。しぐさ。武術。

もう、二度と聞く事の叶わぬ声。笑い声。

全てを、全てを、感ずる事も、触れる事も、見る事も、聞く事も、叶わぬ翔稀馬様の“死”

もっと翔稀馬様と共にありたい。

翔稀馬様となら、この先の未来が変えられる気さえもしていたのに。

もっと近くで、これからもずっと…

翔稀馬様の側に我がいたかった。

何故、皆我の周りから消えて逝くのだ。

何故、常に我だけが残される。

許せない。


許せない。


許せない。


必ず、殺す。


ふつふつと繻樂の中に強く大きな復讐の種が湧きあがり、花が咲き開いていた。


繻樂は立ち上がると、鞘から刀を抜刀した。二本の刀を部屋の外にいる役人に向けた。

「誰だ。殺したのは。名乗り出ろ。我が殺してやる」

「お、お待ちください。我々ではっ」

役人達は必死に弁明した。

「そうだ、止めろ、繻樂!この中にいるとは限らないだろう!」

嵐が繻樂を必死に制止しようとするが、繻樂は止まらなかった。

「嘘を言うな!この家で、そなた等以外に誰が出来るのだ!」

繻樂は誰の聞く耳も持たなかった。役人達は必死に弁明を続けた。

「黙れ。名乗り出ぬのなら、ここにいる貴様等全てを殺してやる!」

「お、おお止め下さい」

役人達はたじろいだ。

繻樂は刀を握り締め、「殺す」と呟きながら、近付いた。

その時、役人達の群衆から飛び出してきた者がいた。その男は素早い動きで繻樂の懐に入ると、鳩尾を殴り、繻樂の意識を奪った。繻樂はとたんに身体の力を失い、刀を床に落とした。そしてその男の胸の中に落ちた。男は繻樂を抱きあげた。

「彼女を送って来る。彼女の刀。しまって持って来い」

男は繻樂から鞘を取り、役人に投げ渡した。

「ここの調べは終わったでしょう?早く綺麗にしてやりなさい。こんな無残な姿、さらされ続けるのは可哀想ですよ」

男は役人に指示をし、部屋を出て行った。

その後を嵐もついて行った。


「悪いな、霞(かすみ)」

嵐は男と繻樂を背に乗せて歩きながら言った。

「いえ、このぐらいは別に。こちらこそ、階級上官にこのような事をしてしまいました」

霞と言う男は謝ってはいるが、心はこもっていなかった。

「いや、そうでもしないと止まらなかっただろう。我ではどうにも出来なかった。感謝する」

「いえ」

霞は短く答えた。

「…明日、あの方の葬儀でしょう」

霞は重々しく言った。

「だろうな」

嵐は辛そうな厳しい顔をした。

「辛いでしょうね。結婚式が、葬式に変わり、誕生日が命日に変わるとは」

「実質、今日の夜中と言っても、今日は明日だからな。もう日付は変わっている」

翔稀馬が殺されたのは、前日の夜としても、日付は変わった後で、命日と呼ばれる日は実質、結婚式の日だった。そしてその結婚式の日は、繻樂の二十四歳の誕生日だった。

「ええ、残酷ですね。戦場では良く見る武将の首切り。このような場所で見る事になるとは。先日も繻樂は一人の武将の首を落としてきたところなんですけどね。それと、今夜のこれは同じですかね?」

霞は問う様に言った。

「言いたいのは、同じではない。だが、向こうの武将にも同じ様に、家族や愛しい人がいるだろう。残されたものが感ずるものは同じ。人の命を奪っておきながら、いざ自分がその立場になった時、今までの自分の行いを肯定し、自分を正統化するならば、最低だな」

今まで殺してきた者は、命令によるもの、罪人だから、敵だからと、自分の行いに理由を付け、棚に上げ、自分側の誰かが同じ様に殺された時、相手を責め立て自分も同じ事をしていると認めない。それは最低だ。と嵐は言っていた。

「確かに。ですが繻樂はそのような事、しないでしょうね。強いですから」

霞は確信を持って言った。

「ああ。(だが強いからこそ、脆いところもある。守ってやらないと。また、繻樂の周りが死んだからな)」

嵐は短く答えたのち、心に再度誓いを刻んだ。

二人が話をしながら歩いていると、繻樂が寝ていた家に着いた。

「ここか」

霞が家を見て残念そうに言った。

「ああ」

「結婚前夜にも関わらず、自宅への出入りは禁止ですか」

「ああ。ここ幾年だったか、もう長い間入れてもらえていない。この家がもらえたのも一年前。それまでは、ずっと民宿だ」

「ああ、知っている。ただ、前夜ぐらい、自宅でもと思っただけですよ」

「呪いの女、だからな」

嵐は眼を伏せた。

「そうですか」

霞は嵐から降りた。

「後は任せよ」

「御意」

嵐は頭を下げ、その場を立ち去った。霞は繻樂を抱き抱え、家に入って行った。


「………」

繻樂はゆっくりと眼を開けた。眼に見える物は天井。ゆっくり身体を起こし、自分の腕を見た。服が、寝巻の着物に変わっていた。

「…?あれは、夢?」

繻樂は混乱した。辺りは明るく朝日がさしている。既に朝だった。

「おい、誰かいないのか?」

繻樂は戸に向かって、人を呼び付けた。

「はい、お目覚めの様で」

その者は、戸を開けずに戸の前で答えた。

「霞様?」

繻樂はその声で気付いた。

「ええ。さあ、御仕度を。葬儀のね」

そう霞が言うと戸が開き、女中が入って来た。戸は再び閉まった。

「やはりそうですか。昨日の事は本当で?」

「ええ、残念ながら」

繻樂は立ち上がり、着替えを女中に頼んだ。

「霞様。まだそこにおられますよね?」

「ええ、いますよ」

「もう大体分かっているのでしょう?教えてもらいたい」

繻樂は喪服の袖に腕を通して言った。

「御意。犯人は歌須美周(かすみあまね)と言う女です。昨晩中、兵の総力を上げ追いましたが、逃げられました。我の情報によると現在他の町や村へ逃走中。これは我しか知らぬ情報。庶民の民や上官に知られるのは、避けたいのでね」

繻樂は女中に帯を締められ、髪を結わえられながら聞いていた。

「面識は?」

「有り。奏音宮様に求婚をしていたそうです」

「そうか」

繻樂は黒無垢を着て部屋を出てきた。

黒無垢とは喪服であり、結婚式の白無垢とほぼ同じ。色が黒か白かの違いである。その他に被りものには顔を隠す様に黒網が付いている。これが葬儀の正装だった。

霞も喪服の着物を着ていた。

「ま、今日は大切な葬儀故、一旦忘れましょう。兵が探しておりますので、ご安心を」

霞は深く考え込む繻樂に言った。

「ああ、そう…だな」

繻樂の声は震えていた。身体も。今すぐにでも泣きたかったのだ。だが繻樂は堪え、泣こうとはしなかった。

「!」

その時、霞が繻樂の手を握った。

「すみません。何の関係もない女性の手を握るなど、禁忌を犯してしまい」

霞は二人の手を二人の着物で隠しながら言った。

「…よい。今だけだ。出る前には…」

「分かっています。十分承知の上です。」

繻樂が言い終わる前に、霞が口を挟んだ。

繻樂は救われていた。その霞の手に。

震えて、憎しみに、哀しみに、恐怖に、とどまる事を知らない溢れ出る憎悪に、呑み込まれていきそうだった。そんな時に霞の手は、その闇を払うかの様に、光を与えた。その手が、その手があったからこそ、堕ち止まった。

家を出る瞬間、二人は握っていた手を離した。そして外へと向かった。

外には馬車が止まっていた。近くには、二人の男女が喪服を着て立っていた。

繻樂は二人の姿を見付けると、近付いて行った。霞はその場で止まった。女は繻樂と同じ様に近付いて来る。

「全く、“また”なのね。いい加減にして欲しいわね。どうするの?大事な息子さんを死なせて。また我等の家を汚すのね」 

女は隣に来るなり耳打ちで繻樂に言った。その声は酷く冷たく、繻樂の鼓膜に突き刺さった。

「すみません。お母様」

繻樂は怯えた声で言った。その女は繻樂の母親だった。そして馬車の近くにいるのは父親だった。

「お黙り。貴様の声等聞きたくない。それに御后様だろう?貴様に母などと呼ばれたくないわ。何で生まれてきたの?何で貴様なんかが。呪いの女め」

母親は気を悪くしたのか、繻樂を睨み付けて言った。

「霞。こちらへ」

そして母親は霞を近くに呼び寄せた。先とはまるで違う、美しい柔らかな表情だった。

霞は返事をし、寄って行った。

「そこで何をしている?早くお乗り」

母親は立ち尽くす繻樂を見下しながら言った。

繻樂は頷き、馬車の方へ向かった。

「霞。あれの面倒ありがと」

母親は繻樂の事を“あれ”と呼び、霞の手を取り、子袋を握らせた。それは金だった。繻樂の面倒を見た駄賃と言うやつだった。

「いえ」

霞はそれを受け取り短く答えた。そうゆうものは黙って貰っておくのが決まりだった。

母親は来た道を戻り馬車へ向かった。霞も後ろをついて行った。

馬車には既に繻樂の父親と、繻樂が向かい合わせで乗っていた。霞は母親の手を取り、馬車へ乗る手助けをした。

「良かったら、霞も乗る?」

母親が乗り終わった後、聞いてきた。馬車には後一人乗れるスペースがあった。

「その有り難いお言葉だけ頂いておきます。我はあなた様方と同席出来るほどの身分ではございません故」

霞は丁寧に断った。

これは、しきたりの様なものだ。身分の上の者が下の者に同席を促し、下身分の者はそれを断る。断られる事が分かっていても、一度尋ねる事が決まりなのだ。

「では」

母親は微笑んだ。

霞は馬車の戸を閉め、頭を下げ、馬車を見送った。

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