また、会えたね
芝樹 享
言葉がとどく 前編
少女はおもい病に侵されていた。先天性の病気らしいと主治医に告げられた。ウィルス性の珍しい病気と言うことが分かった。
病室の中、ひとり読書や漫画本で空想を広げるのが、少女の日課になっていた。
世界にも例がないほどの病気であった。そのため、外への外出が認めてもらえなかった。まるで、牢獄に閉じ込められている感覚である。唯一、病室内には大枠の窓があり、病室の陰気さをなくしていることがせめてもの救いであった。
本来なら、同じ年齢の子供たちと遊べる環境にあるはずだが、それもできず両親は心底つらかった。傍らで見守る女性看護師や主治医も見ているだけで辛いものがあった。
女看護師は、せめて基本的な教育は学ばせてあげたいと自ら少女の指導役として買って出る。主治医はやむなく認可した。
少女の名はクスハラアキという。
アキの知識の吸収力ははやかった。彼女は看護師に自分の置かれている立場、自分の病気は治るのか、外の空気を思いっきり吸ってみたいなど好奇心や願望を訴え続ける。
女看護師は、いたたまれないながらも、我慢し伝えられる範囲でアキに告げる。
ある日、無数の風船が外で飛ばされている光景をアキは、窓から眼にした。近くの広場でお祭りが開かれていたようだ。
「そうよ、これだわ!」
彼女は狭い病室にうんざりしていた。女看護師にペンと紙、そしていくつかのゴム風船を用意して欲しいと熱望する。
看護師はアキに訊ねた。
「アキちゃん、紙とペンと風船を用意できたけど、どうするつもりなの?」
少女は応えた。
「いくつか手紙を書いて、風船に乗せて飛ばすの。私とお友達になってくれる人がいるかも知れないって思って……」
看護師は少し驚いた。彼女も風船が空に舞い上がった光景を、窓から眺めていた。手紙を書くくらいの希望をこの子は捨てていない、生きることに諦めていないのだと気づいたからだ。
「私も協力するわ! 風船はアキちゃんの病室からも見られるところから飛ばすわね!」
「看護師さん、ありがとう!」
アキは一生懸命に手紙を
準備が出来た。アキ自身、自分で風船を飛ばしたいと願ったが、主治医から身体に
「大丈夫よ、アキちゃんの想いの分、私が心を込めて空に放つわ!」
アキにとって看護師の言葉はなによりも彼女の心を救った。励みにもなった。
快晴で澄みきった空に、色とりどりの風船が舞い上がっていく。
アキは病室から願いをこめ、窓から舞い上がっていく風船をながめた。
風船を飛ばした日から一週間がたった。少女宛に何通かの返事が届く。看護師はアキの満面に映る笑顔を想像した。しかし、アキの病状は、その日を境に段々と悪くなってくる。
アキは、
ベッドで横たわりながらも、手紙を読んで欲しいと看護師に訴えた。
返信の手紙は三通あった。
三通のうちで、一通にアキと同じほどの年齢の子からの手紙があることに看護師は気づく。その手紙の子は、アキよりもひとつ年上だった。
『はじめまして、アイナといいます。まさか、風船に手紙がくっついているなんて思っても見ませんでした。病気をされているそうですね。あたしのお兄ちゃんも病気になって入院しています……』
看護師はアキに伝わるようゆっくりと手紙を読んでいく。アイナの日常や彼女の兄のこと、彼女の通う学校のことが三枚の便箋に事細かに書き綴られていた。写真まで同封されていた。
写真にはどこか青々と茂った芝生にたち、笑顔で控えめにピースサインをして佇んでいる。ピンク色のフレアスカートを身に着けていた。
アキは想像し
看護師はいたたまれずにいた。だが、必死でこらえている。看護師自身も昔、入院したときに話し相手になった看護師やいろいろと世話になった医師、友だちがいたからだった。
アキはかほそい声で看護師をみつめ、小さな口で訴えた。
「看護師さん、わたしの代筆、おねがい、できますか?」
「引き受けてあげる。でも、アキちゃんの言葉を私が
「うん」
看護師は、ペンと便箋を用意するとアキの言葉を待った。
アキは、幼少の頃からのこと、病気のこと、元気になったらやってみたいこと、アイナと一緒にやってみたいことなど、など。
アキの口は、病気しているにもかかわらず、よく回っているようだった。生きることに諦めがない眼がそこにあった。
「……アイナさんに会ってみたい、です。もし、元気になれたら会いに行ってもいいですか? なぁんてね……」
看護師が彼女のこの言葉が冗談であることがわかっていた。
ふたりとも顔から笑みがこぼれる。
「うふふっ……」
看護師は、最後に元気な頃のアキの写真を同封した。
返事を出してから一週間が経った。アキは体力が衰弱しているのか、以前までの元気な表情までなくなっていた。主治医も治る見込みのある長時間の手術に、彼女の
彼女の衰弱の激しさに生きる気力が、徐々に失われつつあることに看護師が気づきはじめた。依然としてアイナからの返信がなかった。看護師自身には、アイナが唯一の希望だった。彼女の励ましでアキがまた元気になってくれることを望んでいたようだ。それものぞみが薄くなりかけていた。
女看護師はため息をはき、ナースステーションへと戻った。
戻る途中、子供に呼び止められた。
「あ、あの、クスハラアキという子の病室は、どこになりますか?」
「……?」
中学生くらいの少女だった。ショートヘアにポロシャツ姿。一瞬の見た目では、男の子と間違いそうだった。つば付きのキャップ帽を目深に被り、スカートではなくジーンズパンツの様相である。
女の子と気づいたのは、独特な声と特定の人しか知らない、アキの苗字だった。
―――もしかして、この子……。
「あの、看護師さん?」
「あ、ごめんなさい。クスハラさん、なら『集中治療室』にいるわ!」
「そ、そうなんですか?」
人見知りの性格なのか、口調に不安さがにじみ出ているように看護師には感じたようだ。
「え、ええ。もしかして、あなた、アイナさん?」
「あ、はい!」
上ずったように顔を上げ、少女は看護師をみつめた。
後編へつづく
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