グッドバイ地球

銀鮭

第1話 グッドバイ地球


「地球を爆破するだって? しかも3分後に……うそつけ!」

 カウンターに坐る客の男は、私の顔をしゃに見上げてにが笑った。


「いえ、本当です。ただ、爆破するのじゃなく、消滅させるのです」

 私は、真面目な顔でこたえる。


 そう、爆破などすれば地球の破片がゴミとなって宇宙を汚してしまう。宇宙をきれいにするのが目的なのだからゴミを撒き散らしては意味がない。


「じゃあ、どうやって消滅させるのよ。地球って、けっこうでっかいぜ」

 男はおでんのちくわをかじると、急いでコップの酒を飲み干した。


「でも、お客さん。宇宙のなかじゃ地球なんてちりほこりのような小さな存在です。人智をはるかに超えた力にとっては、それは容易に達成されるんです」


「まあ、おやじさんがそういうのならそうなんだろう」

 男は立ち上がって、財布を拡げる。「──で、いくら?」


「地球が消滅するってのに、いまさら御代を頂いても意味がありません。サービスします。きょうは、どうもありがとうございました」

 私は慇懃いんぎんに頭を下げて礼を言った。


「え、無料なの!?」

 男は一瞬驚いたが、「だったら、まあ、ごちになるとするか」と言って逃げるように立ち去った。


 私の話に恐れをなしたのか、それとも私自身に恐れをなしたのか──。

 どちらかといえば、私自身のほうに恐れをなしたのだろう。

 

 私は男に早く帰ってもらいたいがために、屋台の内側で、10パーセントほどだが体を膨張させたり縮小させたり、あるいは第三の手をカウンターにのぞかせたりして、少しばかり男を驚かせたのだ。


 というのも地球調査員である私が、上司から、地球を消滅させる最終決断を迫られたのはほんの1時間ほどまえのことだった。


「おい、ジョーンズ。あとはお前だけだ。ビビンチョもカンチョも決断したんだ」

と、上司は私を促した。


 ビビンチョ、カンチョ、というのはチュウレンポウと同属の宇宙人で、どちらかといえば地球存続には穏健派であり、私と同じように数十年を費やして地球を調査していたのだ。強硬派のグレイとグンジョは74年前に人類が初めて核実験をしたときから地球消滅を主張していた。


「あのう、チュウレンポウも決断したのですか?」

 私は上司に訊ねた。

「ああ、ビビンチョ、カンチョに続いて地球を離れた。もう、残っているのはお前だけだ」


 つまり、上司は私に地球消滅に同意し、さっさと引き上げろといっているのだ。

これは、大国の核軍縮条約からの離脱や、テロ国家による核開発の継続などで、地球での核紛争のリスクが確実に増大していることが原因である。

 宇宙に放射能を撒き散らされてはかなわない。もう、われわれは地球人を見限ったということなのだろう。


 この決断を地球人が聞けば、宇宙人は何て野蛮な奴だと憤慨するかもしれない。


 しかし、本当は宇宙人は争わない。絶対的な平和主義者である。もし宇宙人が地球人と同じように領土意識があれば、数億年前には地球はグレイが支配し、火星はグンジョ、水星はビビンチョ、木星はカンチョ、土星はチュウレンボウの支配星になっていたはずだ。


「そうですか。私だけですか……」


 しかし長年、職業を転々と変え地球人を調査してきた私にとって、このろくでもない生き物が棲む、美しい地球は第二の故郷のように懐かしいものになってしまっている。その故郷を消し去るのは、耐え難い。


「ジョーンズ。もう決済は下りている。こちらとしても準備はできているのだ。ようするに、君が脱出するための時間調整をするだけだ」


「だったら、だったら午後の5時53分でお願いします」


 今日3月22日の東京の日の入りの時刻は17時53分だった。この美しい地球から沈み行く太陽を眺めることで、地球との決別をしようと考えたのだ。


「わかった、ジョーズ。火星基地で待ってる」


 さっそく私は屋台の片付けにはいった。そこへ飛び込んできたのがさっきの男だった。この忙しい時に、一杯だけとはいえおでんを見繕って出してやったのは、この男が、私が最後に接する地球人になるだろうと考えたら急に寂しい気持ちになり、少し話したくなったからだった。


 しかし、最後の3分は私の時間として残してほしかったのだ。殺伐としたビル街とはいえ、そのビルの谷間から観ることができる夕焼けの美しさは何ものにもかえがたい。心が和む。その夕焼けを見ながら飲む缶コーヒーの旨さに、口では言い表せないほど幸福感を与えられるのだ。


 もちろん、富士山に夕焼けや、瀬戸内海に沈み行く夕日など、地球では、どこにだって素晴らしい夕焼け、夕暮れを観ることができるのだ。人間など生まれなければ、地球は宇宙一美しい、保護されるべき星だったのだ。火星や金星などの夕暮れなど、ちっとも美しくない。


 私は屋台から急いで夕焼けの見える橋の上にやって来た。もちろん缶コーヒーは忘れない。


 青い惑星が、赤く、茜色にそまってゆく。

 5時52分。もう、あと1分で地球は消滅するのだ。

 残念だが仕方がない。原因は人間にあるのだから──。


 しかし、テレビドラマの『初めて恋をする日に読む話』の最終回が3月19日でよかった。おかげで全話観ることができたが、はじこいロスが、少々私を投げやりにしているかもしれない。まだ話が続いていたら、私は地球消滅には断固反対し、その間は、地球は安泰だったのだから──。


 しかし、昨夜イチローが引退を表明したというのは、合体しているビビンチョ星人が見限った地球を離れたからに他ならなかった。もちろん私もジョーンズから抜け出して、火星の基地へワープすることになる。


 さて、もうそろそろ時間のようだ。


 グッドバイ地球! グッドバイ地球人! そして、グッドバイ深キョン!


 私は、火星基地への瞬間移動のため地球人の姿から本来の姿である手3本、足5本の軟体動物のような容姿に戻り、真ん中の手を尻の穴に入れ、舌先を右乳首に巻きつけ、肛門の代わりにもなる第三の足の指を使って右耳の耳たぶを挟んで5度引っ張り……そして、なんだっけ、え? わ、忘れた! ああ、時間がない。ああぁぁぁぁぁ、練習しとけばよかった──グッドバイ俺! 


                               〈了〉


 








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