第83話 理想は本番前に終わっている事
カヌア王妃を勇王城に帰して早二日。私は相変わらず、執務室で仕事に忙殺される生活を送っていた。
白狐達のサポートのおかげで、処理する書類の数は減っている。しかし、慣れないデスクワークに四苦八苦する彼らのサポートや、管轄部門の引継ぎなども並行して行っている事から、全体の総量自体は然程変わっていなかった。
改善の為には皆がもう少し優秀になってくれるか、より効率的な運営システムの構築と増員が必要だ。
後一日でそれが出来るかと自らに問い、到底無理だと自答する。
町でも村でも、統括と管理は容易い事ではない。必要な物資や予算をやりくりし、全体を整えて細部の綻びにも目を配る。問題が出れば適切な部門に依頼をかけ、解決と検証を繰り返してエキスパートを育て、時間をかけて一個の集合体として成長していく。
ここは出来て、まだ八日。
充実していくのはまだまだこれからだ。初代町長に任命したアラタを中心に、私の下で働く七人とゴルドノーザ町長に任せた五人。合計十三人で二千近い住民達の生活を背負い支える。
軌道に乗るまでは苦しく辛い。
だが、命を背負うというのはそういう事だ。楽しいだけでなく、嬉しいだけでなく、悲しかったり泣きたかったり怒りたかったりしてしまう。
少しずつ、進んで行ければ良い。
焦る必要はない。
「皆、少し休もう。カラ、昨日作ったミックスベリーのゼリーを持ってきて。カルはお湯を沸かしてポットに入れてきて。レトとサトは少し顔色が悪いから、夕方まで寝ておいで。アラタは目の前の書類が終わったら今日は上がって良い。ゴドウ、フクマ、サンザは水浴びしたら外の屋台で買い食いしておいで。今日こそ落としてくるんだぞ? 他は少し目を閉じて休んで。私はお茶に使う薬草を摘んでくる」
私が羽ペンを置くのと同時に、そこかしこから疲労による呻きが上がった。
適宜休憩を入れているとはいえ、昨日の朝から今日の昼までぶっ通し。長時間の狩りの経験がない数人は限界が近く、休ませるか上がらせるかの指示を出す。
欲を言えばゴルドノーザ町長も帰らせたい所だが、彼はもうここの中枢メンバーとなってしまった。
彼がいないと回らない仕事が多くあり、一段落したら引継ぎを急がせようと思う。任せてしまった五部門の内三つでも空けば、今の仕事地獄を卒業できるはずだ。そうすれば、新居で待つ奥さんと水入らずの生活を送れ、これまでの苦労を清算できる。
あと一日しかないが、出来る限りの事をしよう。
「行って来る。すぐに戻るから」
「逃げないでくださいね」
「そっちこそ」
ゴルドノーザ町長と軽口を言い合い、窓を開けて外に出る。
執務室は古代遺跡の地上一階に位置していて、壁一枚を挟んだ外は私が作った薬草園だ。腰ほどまである葉ばかりの一年草、地を覆う苔の様なような二年草、小さな黒い実をつける三年草と多年草に、何百年と生きる樹木まで様々植わっている。
その全てが薬効効果のある薬草で、疲労回復と栄養補給に優れた葉を摘んで触手のザルに入れていく。表面のちりやほこりは軽く叩いて取り、香り出した薬臭を嗅いで新鮮さを確かめる。
水気もカビ臭もない、爽やかな清涼感がすぅっと鼻腔を抜けて喉を潤す。
流石は森の中で見つけた優良株達。重さ当たりの成分量が他の倍近くあり、不純物が限りなく少ない。わざわざアルコールに漬けて精製する必要が無く、少し刻んで湯に潜らせるだけでお手軽薬草茶の出来上がり。
鼻歌交じりで窓に戻り――――この場にそぐわない雄の匂いを感じて薬草入りのザルだけを部屋に放り込んだ。
「いらっしゃ――」
ピュンッ、ともヒュンッ、とも違う軽い音が真っ直ぐ過ぎる。
気付くと私の身体は胸のあたりで真横に切断されていて、胸の上下と両腕が斬り離されていた。地面に落ち行く中で見えた断面は非常に鋭利で綺麗で美麗で、犯人の技量に拍手を送ろうと断面から触手を生やして接合し直す。
チッという舌打ちが聞こえ、追撃の剣閃が無数に踊った。
繋ぎ直せる事から対不死の危険はなく、甘んじて全部受けてまたつなぎ直す。斬られて繋げて斬られて繋げて、何度も何度も繰り返して犯人が飽きるまでずぅっと続ける。
三百回か千回か、そのくらいで斬撃はやっと終わった。
身体を治して身形を正し、非道な襲撃者に微笑みを向ける。無駄な事をしてご苦労様と視線で嘲り、次瞬に目を斬り飛ばされて視界が黒く染まった。
どうでもいいが、他の匂いがない所を見ると一人で来たのか。
無謀なのか豪胆なのか、それとも已むに已まれぬ事情でもあるのか?
一体何が原因なのだろう? いやぁ、私には想像もつかないな。
「改めていらっしゃい、ガルドーン勇王陛下。気は済みました?」
目を再構成して、丈夫な造りの革の服を着る屈強な青年を見定める。
鎧ではなく服なのか。
敵地に攻め入るのには相応しくない、不十分な守りの装い。護符や護布を仕込んでいるだろうが、先の戦いでその程度は気休めにもならないと知っている筈だ。
おそらく、戦うのが目的ではない。今のもただの八つ当たりだろう。
勇王は剣を鞘に納めると、親指を下に向けて『地獄に堕ちろ』と短く示す。
「済むかよ、クソがっ。カヌアに何をしやがった? グアレスとミサ様の複製を連れ帰ったかと思えば、城内外で肉欲祭りが始まった。俺も妻達を眠らせられなかったら、ベッドに括りつけられて一度に全員の相手をさせられてたぞ?」
「この町で反乱を起こそうとした報いを受けてもらいました。具体的には、空気感染する媚毒と媚薬の混合を王妃全員に飲ませて、貴方の身柄を押さえてもらおうかと。失敗したようで非常に残念です」
「ある意味、成功してるぜ? 本当なら今日、うちの精鋭を連れてテメェを襲撃する予定だったんだ。朝から全員盛りまくってて、俺一人しか来れなかったんだがなっ」
「それは重畳。欲を言えば、王妃の内の誰かと一発やっていて欲しかったですね。そうすれば、貴方も今頃発情した獣になっていたのに」
「笑えねぇ冗談は嫌いだぜ?」
「冗談ではなく本心ですよ」
眼圧の衝突が不可視の火花を散らし、私達の間の空間を歪ませた。
我が強く、愛を大事に抱く彼は実に良い素材だ。十数人の王妃達と心を通わせ、互いに支え合う様は尊く美しい。私の下でしっかり愛と繁栄の成就をさせて、幸せの中に堕ちてもらうとしよう。
黒い感情を心底に隠し、私は遺跡の中へと手を指し示す。
嫌そうな顔で勇王は半歩退き、警戒を表して見せた。罠があるのかないのか以前に、私を信用できないと言わんばかりの露骨さ。いっそ清々しいそれを軽く無視し、私は私の意志を正面から押し付ける。
「では、こちらへどうぞ。丁度休憩を入れていて、お茶を煎れる所だったんです。私を殺し切れない事はご理解頂けたでしょうから、お互いの落とし所でも話し合いましょう」
「チッ! そうするしかねぇだろうなっ。なら、ヴァテアとエルディア皇女を呼んでくれ。あの二人なら中立的な立場で仲裁してくれんだろ」
「承知しました。そろそろ向こうも小休止している頃でしょうし、すぐにでも呼ばせましょう。ヴァテアはもしかしたら干からびてるかもですが、多分大丈夫です」
「…………無理そうならいい」
「連れてきますよ。さぁお前達、行っておいで」
足首から蛇を二匹生み、二人の下に向かわせる。
ヴァテアはもう全員に仕込んだし、エルディアはエハとの仲をゆっくり進めようと考えている。私達に付き合う時間は十分にある筈で、仲裁を頼む相手として確かに適任だ。
でも、あまり時間は取れないから手早く行こう。
やるべき事は山ほどあり、待たせている者達も非常に多い。さっさと終わらせてさっさと戻って、ささっと書類と仕事を片付けて本来の侵攻に戻らないと。
白狐の件が終われば、社で皆で一ヶ月の休養なのだ。もう目の前にまで近づいていて、あとほんの少しで手が届く。
ヴィラとシムカとアンジェラにたっぷり注いで、膨らんだお腹を撫でながらもっともっとたっぷりたっぷり。
想像してたらムラムラしてきた。
本当に、本当に本当に早く済ませよう。
「…………我慢できなくなったら、カラとカルを食べよう。うん」
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