第78話 会議は進む。されど踊らず。


 翌日、昼。


 眠る羊亭の酒場を貸し切り、私達は床に大きな地図を敷いて集まっていた。


 ラスタビア勇国を中心に、東西南北の隣国までを記す大地図。各国の主要都市に置かれた駒が戦力の規模を表していて、勇国と東の女戦王国、西の帝国が同程度に大きい。当面の相手をしなければならないのは勇国だが、侵攻後の情勢次第では女戦王国と帝国も無視できない要素だ。


 そこも踏まえ、私は集まる面子を工夫していた。


 私と巫女衆以外に、この場にいるのは二十名ほど。ヴァテア、エルディア、ガニュス、グアレス、ミカ、エハ、捕虜にしている勇国国民の顔役達に白狐族の顔役達。


 全員が全員、難しい顔で唸っていて、よくわかっていないエハも眉間に皺を寄せて真似している。その可愛らしさに白狐の顔役の女性は微笑みを浮かべ、ミカの怖気が走る黒い瘴気に恐れ戦く。


 割と余裕あるね、君達。



「改めて状況を整理しよう。私達女神軍はアルセア神から任された白狐族の保護が主目的だが、十二尾のミサへの白狐族族長達の所業が許せず開戦した。捕虜にしている勇国国民と白狐族達にはお詫び申し上げると共に、終戦後を見据えた準備と協力をお願いしたい」


「協力と言ってものぉ……」


「勇国は徴兵制ではないので、国民は戦の素人です。我々白狐族は言霊を使えはしますが、とにかく数が少ない」


「出来る事は限られるし、生活もある。住んでいた場所を失って不安もあるのに、『次の戦争の準備をしろ』は酷ではないかね?」



 顔役達が思い思いの意見を口にする。


 確かに、彼らの言う事は尤もだ。


 老若男女入り混じった捕虜達に、こっちの都合を押し付けるのは非道以外の何物でもない。『勝手に巻き込んでおいて勝手を言うな』くらい言われても仕方ない事だ。


 本来、戦は軍人の仕事。


 民が戦に駆り出される事態は、施政者の怠慢によるものに他ならない。起こり得る戦への備え、先見、戦争の回避といった、国として当たり前の仕事を怠った結果である。


 侵略側の私にも適用されるのかは疑問だが、こうして準備をしているから適用外と思いたい。しかし、捕虜達の自発的な協力を得られるかがその後の治安を大きく左右しかねず、出来る事なら今の内に解決しておきたかった。


 前線で戦っている間、自陣の奥でレジスタンスに決起されてはたまらない。



「仰る事はごもっとも。私も皆さんに戦ってほしいとは思いません。戦争に必要なある物を、可能な限り多く作り出して欲しい。そして、それが出来れば当面の衣食住の保障が出来る」


「ん? 戦わなくて良い? で、準備をしろ? どういうことだ?」



 ガタイが良い、血の気が多そうな雄の白狐が首をかしげる。


 ダイキによく似た脳筋っぽい顔をしていた。迂遠な表現では理解が足らず、逆に混乱させてしまいかねないか。


 私は地図上の一点を指し示し、指先から血を出してぐるっと丸で囲んだ。


 勇国と帝国の国境に近い未開拓の森の中。そこには、私達女神軍が拠点に改造した大昔の古代遺跡がある。



「今日明日中に、ここに皆さんの仮の住まいを建設する。畑作や放牧もすぐできるように仕上げるので、勇国との終戦までに出来るだけ多くの食料と資材を生産して頂きたい。生活に必要な分は手元に残し、余剰分だけ頂ければ結構だ」


「あぁ、開拓しろって事か。家もあるってんなら、ある程度は大丈夫か?」


「いや、ダメだ。捕虜になっている国民は千二百、白狐族は約五百。最初の収穫までに必要な、合計千七百人分の食料が無い。買うにしても、それだけの量の運搬は大規模に過ぎるし、購入には莫大な金が要る」


「種や苗、農具や家畜も必要だ。ある程度は作れなくもないが、農具の質で農作業の効率はかなり変わるぞ?」


「魔狩人もだ! あの辺りには凶暴な魔獣がたくさんいる! 餌場とでも見られたら被害がとんでもない!」



 様々な意見が飛び交い、そこかしこで議論が湧く。


 何だかホッとした。これまで落としてきた国々の中でも、勇国の民達はかなり優秀だ。何が必要で何が足らず、どうすれば良いかを考える頭がしっかりしている。


 これなら、ミカに統率を任せて大丈夫か?


 無理に女を捧げさせて、巫女に仕立てる必要はないだろうか? いや、妖怪らしく贄はしっかり頂くべき? どちらにしても問題ないように思えるし、必要になってからでも問題はない?


 私が思考の堂々巡りを続けていると、後ろに控えていたラスティが私を抱き上げて一等前に出た。


 魔王らしい、無辜の民を食い物にする邪悪な舌なめずりを一つして、私を含めた全員の背筋を凍らせた。何を考えているのか、何をしようというのか、内容によっては止めなければならないだろう。


 湿った唇が開かれる。



「これはまた、随分と建設的な意見が多いな。彼らなら放り込んで放っておいても問題ないんじゃないか?」


「何言ってるの、正気!?」


「いやいや。主様は妖怪で、私は元とはいえ魔王だ。本来なら捕虜など、武力と残虐で意志を奪い、馬車馬のように働かせて使い捨てる物だろう? 今の主様は、温くて温くて吐き気がする」


「私も同感だ、しなずち様。今、私達は勇国から奪っている。奪った物に遠慮してどうする? 優しさで戦をして、勇王相手に勝てると思っているのか? 勇者は守る為に強くなるのだ。勇者の中の勇者たる奴は、こと守りに関しては苛烈で手強い」


「そういう事だ。南では散々非道を繰り返してきただろう? 良い子ぶるのは主様らしくない」


「…………むぅ」



 シムナと二人で声を張り、わざわざ聞こえるように私を叱る。


 反論しなかった事から、不安と恐怖が場をざわめかせた。出口に近い端の者達が逃げ出そうとして駆け出し、先回りしていたカラとカルに威圧されて逃げ戻る。それに対して強面の白狐達が前に出て、今にも一戦始めかねない空気に転じていく。


 無理矢理分水嶺を作ったか。


 どうするかを決めるのは、あくまでも私。彼らの自己意志を承認とみなして契約を結ぶ線はこれで消えた。後出来るのは、捕虜達の意志を最後まで尊重するか、顔役である彼らを洗脳して捕虜全員を従わせるか。


 なんだか、美しくない。


 気に入らない。


 これって、どっちを選んでもラスティとシムナが用意した選択肢だろう?


 私の選択ではない。



「………………わかった」



 小さく、それでいて聞こえるように、私は一言呟いた。



「私は私の原点に戻ろう。奪った集落は八つ。巫女として一人ずつ、計八人の娘を贄として捧げてもらう。それで、残り千七百余りの繁栄を約束する」


「な、何……?」


「これは保障ではなく『契約』だ。食料、水、住居、医療、防衛等々、繁栄に繋がる全てを与える。八人の犠牲で、残りの全てを生かせ」


「馬鹿を言うなっ! そんな事、決められるわけがないだろ!」



 私の言葉に様々な反論が上がる。


 妥当で、尤もで、正論で、無駄。今はどちらの立場が上か、全く理解せず把握しようともしていない内容で罵倒が飛ぶ。


 わずかでも甘やかした代償がこれか。


 最初から奪って与えていれば、もっとすんなり済んだか? いや、遅かれ早かれだ。 どうなった所で、結局は何も変わりはしない。終着は、いつでもどこでも常に一つ。


 ――――今までもそうだった。



「うち、は……応じる」


「ゴルドノーザ町長!?」


「おい、何を考えてる!?」



 造反者の出現に、私達に向いていた意識が逸れた。


 矛先は、スキンヘッドの精悍な中年男性だ。立派な髭を湛え、捕虜に落ちても威厳を保つ立派な雄。周りから浴びせかけられる非難に口元を苦々しく歪めていて、しかし、その瞳には怒りではなく、慈愛と謝罪の念が篭っている。



「私には……娘が三人いる。テルキド村とフィルクト村は年若い娘がおらず、契約は結べん。代わりを差し出す事をお許し願いたいっ」


「ハ、ハビス!?」


「ばかもんっ! 老い先短い儂らなんぞより、バルンカイトを助けてやらんかっ! お主らの為なら、儂らの命くらいくれてやるわいっ!」


「先生方、申し訳ない。ですが、数で考えるなら、たった三人で九百の命が救える。白狐の方々やバルンカイトには悪いが……私は彼らを救いたい。どうか……っ」


「了承しよう。捧げられる者がいないなら仕方がない。他はどうか?」



 出来るだけ冷たい声色と瞳を装い、残りの五人に選択を迫る。


 何度やっても、これはキツイ。


 安易に手を差し伸べると契約に歪みがでてしまうから、こちらから代替を提示する事が出来ないのだ。ゴルドノーザ町長の様に、自ら対価か代償を支払ってもらわないといけない。でないと、双方に対して手酷い反動が待っている。


 ひとまず、八つ中の三つはこれで解決だ。


 残りの五つはどうなる?



「あ、しなずち様。昨日捕虜を任された時に白狐の娘を何人か調教したら、巫女になりたいって言ってましたよ? 各集落につき二人から三人ずつ。それで賄っても良いんじゃない? あと、私を眷属にしてくれるって話はまだぁ~?」


「リタ。今それを言うとバルンカイトの町長が可哀想だぞ? それと、眷属には今夜するから」


「絶対ですよ? あ、ドゥドゥ町長。あの娘なんか良いんじゃないですか? 国内で暴れまくって、陛下とミサ様とヴァテア様が三人がかりで封印した魔神族。一応捕虜の数には入ってますよ?」


「ぇ? あ、いやいや、でも、封印に封印を重ねてやっと抑え込めている代物だ! とてもじゃないが危険すぎる!」


「って、アイツまだ生きてんのか!? 魔力を無尽蔵に吸い上げて魔脈に流す封印式を五重にかけてんだぞ!?」


「ヴァテア。この辺の魔脈って確か、ナルグカ樹海に繋がってるよな? ウッドレイクの異常繁殖はお前らが原因か」


「やべっ! そ、そんな事より、アイツだけはやめとけ! 言語が通じないし意思疎通も出来ないし、ガワが女ってだけの超危険物だ! いくらお前でもどうにも――――」


「バルンカイトからはその彼女を頂こう。ちなみに拒否権はない」


「聞けよ、おいっ!」



 横が何やらうるさいが、私の意志は固まった。


 強力な味方は多い方が良い。運用に難があっても、それはそれで魅力の一つ。少しくらいやんちゃな方が側に置いて退屈しない。


 そうと決まれば、さっさと貰い受けよう。


 だが、蛇身に取り込んだ捕虜達の中にそれらしい娘はいなかった気がする。封印と言ってもいたし、バルンカイトの町に置いてきてしまったか?



「ドゥドゥ町長! 絶対渡すなよ、絶対渡すなよ!?」



 飛び出そうとしたヴァテアを、羽衣の触手でマイアとハーロニーが取り押さえる。


 四肢と胴体を床に繋がれ、それでも脱しようと統魔まで使い、ラスティの吸魔魔術に阻まれた。あまりの必死さに魔神の程度が窺い知れ、どれほどのものか期待で胸が膨らんだ。


 未だ迷うバルンカイト町長に流し目を送る。


 町長は自信なさげに周りを見て、他の顔役達に頷かれた。背に腹は代えられぬと、元当事者の制止を振り切って、懐から鞘付きの小さなナイフを取り出し捧げる。


 包丁より少し大きいかという程度の、煌びやかな装飾に偽装した封印核をこれでもかとちりばめた逸品だ。拘束式封印術式が並列二種で三重、吸魔式封印術が直列で五重、時空式封印術が並列三種で一重に施され、自分がかけられたらと思うとゾッと背筋が寒くなる。


 これ、魔神という種族なのではなく、魔の神そのものなんじゃないか?



「……民の為ならば、私は悪魔にでも魂を売ろう。このナイフを抜き放った時、魔神の封印は解かれ、現世へと現れる。これでバルンカイトの民達をお願いしたい」


「承知した。ここに八つ全ての集落との契約は成った。開拓地への出立は明後日を予定している。それまでは食事と休息を取って、英気を養うと良い」



 私はナイフを受け取り、指を鳴らして巫女達を自分の背後に退かせた。


 逃げ道を解かれた者達は一人、また一人と酒場の外に出て、家族の待つ仮宿に戻っていく。皆酷く疲れた表情と動きでゆったり出て行き、エルディア達とグアレス達もそれに続いた。


 残ったのは、私達とヴァテアだけ。


 それが何を意味するのか。正確に理解しているヴァテアは透化で逃げようとして、ラスティの雷撃魔術を受けて固い木の床に頭から倒れ込んだ。

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