第61話 怒る常識人、堕ちる常識人


「さて、大馬鹿者共。私の言いたい事はわかるかい?」



 細く小さい鞭をパシンパシン鳴らし、氷より冷たい瞳でアンジェラは私達を見下ろす。


 停車している馬車列の横に、私、ユーリカ、グアレスの三人は正座させられていた。


 罪状はそれぞれ、『いたいけな少年を穢そうとした罪』、『嫌がる少年を危険な目に遭わせた罪』、『何も知らない少年を正しく導こうとしなかった罪』だ。


 元娼婦とはいえ、それなりの家柄でそれなりの教育を受けて来たアンジェラにとって、私達の所業は目に余る物だったらしい。エハ達を連れて合流して事情を話したら、羽衣で調教用の鞭を作ると『正座』と短く言い放った。


 あの時の眼光には鳥肌が立った。


 その気はない筈なのに、背中を叩かれたり、頬を張られたり、踵で踏み躙られたりといった情景が目に浮かび、恍惚に頬を赤らめ果てかけている自分が想像できた。


 ユーリカとグアレスもそうらしく、鞭の音がする度に小さく体を揺らしている。


 一回やってもらおうかな?



「エハの育ての親は俺だ。どう育てるかは俺の勝手だろ?」


「私も父親にそう言われて、幼少から英雄になるのだとしごかれ、躾けられたよ。おかげでリタと出会うまで女の楽しみ方を知らず、坊やにもらわれなかったら一生独り者だっただろうねぇ。子供は可能性の塊だ。勝手な押し付けで道を減らすんじゃないよ」


「彼を止める為の人質として適任と思ったので拘束しただけです。それ以上でも以下でもありません」


「捕える前にブラシで性感を刺激したのはなんだい? 子供の泣き叫ぶ声に興奮して、坊やに跨ってる時と同じ顔をしてただろ? 遠眼鏡でよぉ~く見えてたよ」


「繁栄の女神の尖兵として、信徒に神の教義を伝えるのは私の義務だ。アンジェラだってわかるだろう?」


「白狐族の成人は二百歳なんだよ、坊や。見た所、あの子は精々百十歳。早めに性に目覚めたとしても百六十歳が妥協ラインだ。同年代の子達との共同生活の中で、ゆっくり男を目覚めさせればいい。娼婦も孤児も奴隷も、あてがうにはまだ早い。歴代のギュンドラ王みたいにしたいなら話は別だろうけどねぇ?」



 成人前から女遊びに手を出し、何人も孕ませている悪例を提示される。


 彼は自身の転生を確実にする為という大事な目的があるものの、世間一般からの評価は女癖の悪い馬鹿殿だ。それとエハを同じにするのは気が引け、私は素直に自分の言い分を引っ込めた。


 馬車の一つから、エハの顔がひょこっと出る。


 細い褐色の指が耳の付け根を掻き、気持ちよさそうに頭をよじる。見えない尻尾はきっとふかふかのもふもふで、よじる動きに合わせて、掻いている巫女に十四本の毛束を擦り付けているに違いない。


 正座しているガワを残し、地中から馬車に向かって体を伸ばす。



「坊や? 何回か叩かれたいかい?」


「ゴメンナサイ、ハンセイシテマス」


「全く……グアレス。保護した白狐とエハを一緒に生活させたいんだけど、問題は?」


「さぁな? シュウの野郎――――父親からは、俺に預けた理由も経緯も聞いてねぇ。尾の数が多すぎて大勢に回されるとでも思ったんじゃねぇか?」


「在り得なくないけど、しっかり調査した方が良いね。ハーロニー、マイア。二人は白狐の娘達と知り合いだったろ? 頼めるかい?」



 アンジェラの後ろに控える扇情的な巫女二人が呼ばれ、互いに顔を見合わせる。


 ハーロニーは顔の右半分に火傷痕があり、マイアは四肢を切断されていた娘だ。それぞれ傷痕を血色の仮面や血の義肢で補い、夜の踊り子のような服装はとてつもなく魅力的だ。


 ただ、この二人はそれだけではない。


 元、帝国の暗殺者。


 未だ纏うどす黒い魔性が、彼女達の女にスリルと生を感じさせる。横に侍らせて寝ると言葉に出来ない優越感に満たされ、情報収集の為とはいえ、今離れるのは惜しく思えた。



「しなずち様。十尾の双子はいかがですか?」


「まだ百七十歳ですが、発育は良い方です。きっとお気に召されるかと」


「わかった。気を付けて行っておいで」


「「承知致しました」」



 許可を与えると、二人はすぐ携帯用の装備を背負って駆けて行った。


 元は人間だというのに、鬱蒼と茂る森をエルフのように跳び抜けていく。速度も速く、まだ見ぬ暗殺者としての実力を何となく察せられる。


 特にマイアの動きは素晴らしい。


 両手両足を触手や鉤爪など、その都度適した形に変えて跳び回っている。幹や枝を掴んで引き、勢いを殺さずに次を掴んで引いてを繰り返す。


 あっという間に視覚で追えなくなり、匂いもどんどん遠ざかってすぐ消えてしまった。



「裏の仕事はあの二人に任せれば安心だ。今までも、やり過ぎた客の仕置きとかを何度も頼んでるのさ」


「ちゃんと戻ってこれるのかよ?」


「問題ない。私達の目的地はあの山向こうの古代遺跡だ。軍学校の卒業試験に使ってる場所だから、傷の花園の娼婦達は皆知ってる。迷う心配はないよ」


「え? それ初耳。両国から攻め込まれない?」


「そこは坊やの仕事だろ? 女神の教義をみっちり教えて帰してやれば良い。上手くやれば、両方の軍は坊やのモノさ」



 一際大きく鞭を鳴らし、黒い手段をアンジェラは語る。


 確かに、それは私の領分だ。


 サポートに徹する為に南ではやらなかった、国落としの常套手段。一部を洗脳して集団に戻し、徐々に増やしていって全体を掌握する方法だ。


 初動で気付かなければすぐ手遅れになり、ネズミ算式にクーデターのリスクを積み上げていく。


 最終的には両国トップとの協議次第ではあるが、こちらに有利な材料は作っていて損はない。


 腕っぷしだけでなく頭までよく回る巫女に、褒美を与えようと両手を広げて笑顔を向けた。意図する所を察し、周囲の目を気にしつつ控えめのハグがやってくる。


 逃がさないように思いっきり抱きしめ、ユーリカとグアレスに目配せする。二人は頷くとスッと立ち上がり、馬車に乗り込んで皆でさっさと行ってしまった。


 二人だけで残り、アンジェラの腕の力が抜ける。



「何のつもりだい?」


「許してもらおうかと」


「あぁ、私を堕とそうってのかい? そんな事で説教が短くなると思ってるなら大きな間違いさ。たっぷり搾り取って、たっぷり絞ってやるから覚悟しな」


「……アンジェラ、愛してる」


「っ!?」



 耳元の小さな囁きに、鍛え上げられた身体がビクンッと跳ねた。


 やっぱり、そうなんだ。


 奴隷商の元締めを襲撃した時、私の愛の言葉に彼女は動揺していた。自分には向けられる筈がないと諦めている言葉をかけられ、女としての本能が強く刺激されている。


 囁きながら最後までしたら、一体どうなる?



「ぼ、ぼうや、それい、いじょうは…………っ」


「時期を見て作ろうね。私とアンジェラの愛の証」


「ぅんっ!? ちょっ、ぼう、やっ!?」


「愛してるよ、アンジェラ」



 互いの熱が混ざって香る。


 甘い匂いと甘い言葉で彼女を満たし、天邪鬼な上の口を塞いで貪る。最初こそ抵抗されたが、奥底に持つ願望が顔を出し始めると冷たかった瞳に熱が灯った。


 後は、満足するまで注ぎ続けるだけ。


 馬車が遺跡に着くまで、あと二日はかかる。明日の昼までに出れれば、十分に追いつける筈だ。


 それまで――――



「離さないから……」



 囁きと一緒に耳の中に舌を入れ、声にならない絶頂が鼓膜を叩いた。

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