第44話 アルセア神の思惑(上)


「父様」



 白い世界から覚めると、私の顔を覗くカーマの顔があった。


 二つ三つの雲が流れる青い空にひょっこり一つ。


 ココがあの世かと思って左右を見ると、広大で深い窪地の真ん中に私は寝ていた。窪地の上には見覚えのある大樹が横一線に並んでいて、おそらく気を失う前と場所は変わっていない。


 違うのは、消されたはずのカーマがいて、甘く艶めかしい香りを漂わせているくらいだ。


 赤銀の長い髪が私の胸の上に垂れ、褐色の手が額に触れる。


 心配そうに私を見つめる綺麗な顔は、どことなくヴィラの面影を感じさせた。受肉する前と大して姿は変わらないのに、彼女達の美貌のベクトルは親子と分かる程に似通っている。


 愛しい女性をつい抱き寄せようと手が出てしまい、頭の上から黒褐色の邪魔が入った。


 丁度死角になっていたそこには、笑顔を引きつらせたドルトマがいた。一目見てわかるほど見事な青筋を額に浮かべ、私の迂闊な行動に憤怒と嫉妬を燃やしている。


 私のせいじゃない。


 カーマがヴィラに似ているのがいけないんだ。


 必死に目で訴えるが、暗い瞳で有罪判決を宣告してきた。何とか食い下がろうと眼力を強めるも、闇より深い底無しの愛憎は、一切の慈悲なく私の失態を攻め立てる。


 頭頂部に手を当てられ、嫌な汗がどっと噴き出す。


 掌の向きから何を意図しているのかすぐわかった。頭をブンブン振って拒絶を伝え、プライドをかなぐり捨てて大粒の涙を周囲に撒き散らす。



「何か言う事は?」


「ごめんなさい。絶対とは言えないけどもうしません」


「ごめんね、父様。私はドルトマのモノだから、父様のモノにはなれないの」



 子供をあやすような手つきで、カーマが私の頭を撫で回す。


 親としての威厳が、尊厳が、優しい感触を感じる度に音を立てて崩れていく。


 やはり幼い姿がいけないのか。何とか皆を説得して元の大人らしい姿に戻らないと、このままではどちらが親かわかった物ではない。


 泣きそうになりながら、私はドルトマを見る。


 琥人に消される前に比べ、全身がずぶ濡れで衣服は乱れ、僅かに温泉の匂いが感じられる。複数人の女性と逢瀬の残り香も染みついていて、身体の至る所にあるキスマークから何をしていたのかは容易に察せられた。



「カーマだけじゃ足りないのか、この節操なし」


「おまっ!? それを言う資格があると思ってるの!?」


「ふーん、十九歳と十九歳と二十一歳? 仇を討とうと私が頑張って戦ってる中、温泉に入りながらお愉しみだったんだ、そーなんだ?」


「わかっていってるだろ!? 琥人にカルナチカまで飛ばされたんだよ! よりによって女湯に、しかも前にパーティを組んでたアマゾネス姉妹の目の前に!」


「あぁ、平和の為、民の為とかもっともらしい大義名分掲げて、実は身体目当てで監禁されそこなったっていう三姉妹? カーマがよく我慢できたな?」


「あの三人、ドルトマが好き。ただの身体目当てなら焼いてた」


「良い子。繁栄は愛の下にある。ヴィラも喜ぶよ」


「えっへん」



 得意げにするカーマを褒め、私は起き上がった。


 服と床がこすれ、ザッという懐かしい残音が耳に染みる。


 私が寝ていたのは畳だ。一定数の日本人なら幼い頃から慣れ親しんだ日常の一つ。この世界にはある筈のない、在り得る筈のない非日常の一つ。


 一体、何なんだ?


 そう思って正面を見ると、それは本当に在り得ない姿で私を迎えた。


 蜜柑満載のお盆を乗せたコタツに入り、鼠色のちゃんちゃんこを着て大福を頬張る――――



「あ、やっと起きた。ほらほら、とりあえず入って入って。まだ点けたばかりだからそんなにあったかくないけど」



 ――――無性に殴りたい笑顔を浮かべる琥人だった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 心を落ち着かせ、コタツに脚を入れて一つ驚く。


 これは床にテーブルだけを置いただけの物ではない。掘り炬燵だ。


 前世の祖母の家にもあった、伝熱管で発熱させるタイプのモノ。電源をどこから取っているのかはまったくもって不明だが、自然に膝を曲げられる楽な姿勢と、下半身を覆う温い空間に緊張がほぐれる。思わず掛け布団を胸の辺りまで被り、安堵の温もりを全身で堪能する。


 警戒しなければならない状況を忘れ、この瞬間だけは童心に帰った。


 琥人が押すお盆から蜜柑を取り、尻に指を入れてべりべりと剥く。房を二つに割って種がない事を確認し、半分を一度に口に入れてもう半分をカーマに渡した。


 ドルトマが物欲しそうにこちらを見る。


 男は甘やかさない主義なので、自分で剥くようお盆を押し渡す。数度の視線の交換の末、仕方ないと諦めた彼は一つ取って指を入れ、慣れない手付きでぽろぽろ皮を剥がし始めた。


 力加減が甘く、房を爪が切って汁が飛び散る。


 愛する夫の危機と、カーマが一房口に咥えてドルトマに向く。


 意図する所を察し、私はドルトマをガン見して断るよう圧をかけた。目の前で娘が汚されるのを見せられ、正常でいられる程に私は強くない。


 黒い笑顔がこちらを嘲り、熱烈で狂おしい程のディープが始まる。


 今から始めますとでも宣言するような情熱的な音と熱。自分がやるならあんなに気持ちよく満たされるのに、他人にやられるとここまで苦しく辛いものなのか。しかもそれが娘に対してだなんて、不死でなかったらこの場で憤死していてもおかしくなかっただろう。


 直視できず、誰もいない方を向いて泣きながら歯を食いしばる。


 そんな私達を見て、琥人は馬鹿みたいに大声で笑った。


 楽しそうに楽しそうに楽しそうに、私の苦痛を喜劇とみなす。ムカついて肩から触手を放ったが、打ちすえる前に剥いた蜜柑を握らされ、改めて力の差を見せつけられてしまった。


 化け物が。



「あははっ。それじゃあ、自己紹介しよっか。僕は琥人。理の女神アルセアの尖兵で、ハイエルフの里長を務めてる」


「…………女神軍第四軍団長しなずち。繁栄の女神ヴィラの尖兵だ」


「うん、知ってる。アルセアと一緒にずっと見てたから」



 背中と尻に鞭打ちたくなる笑顔が、当たり前のように返答した。


 色々問い質したくはあったが、口でも力でも勝てそうにない。八つ当たりの様にお盆から更に三つをかっぱらい、乱暴に剥いて二つを一気に頬張った。


 甘酸っぱい香りが口の中から鼻に通り、荒んだ心を落ち着かせる。


 そしてもう一つの精神不安定要素、カーマとドルトマに残りの一つをくれてやった。


 一応私達がいる事を示しておかないと、ずーっと貪り続けて本当にこの場でやり始めかねない。少なくともカーマはその気でやる気満々。ヴィラも巫女達もいないんだから、今はやめてよ、お願いだから。


 欲求不満で憤死しそう。



「アルセア神はこの世界を去ったと聞いた」


「そうだよ? 今は地球にいる。この蜜柑は僕の家の近所の商店街で買った奴なんだ。おいしいでしょ?」


「……向こうとこっちを行き来できるのか?」


「正確には、地球とディプカントとアラルカルヴァ、ティタノマイカの四世界だね。こう見えて三回転生してるんだ。先輩って呼んで良いよ?」



 琥人は腰に手を当てて『えっへん!』と胸を張った。


 カーマは可愛らしかったが、こっちは頭にチョップを打ち込んで「生意気だ」とでも言ってやりたい。しかし、確認しないとならない事が多い事から、ぐっと我慢して抑え込む。


 地球の事はもうどうでも良いとはいえ、このディプカントの事は私達に直接関わる。


 何が必要で何をしなければならないか。知らなければならない事は何か。それらを聞き出さない限り、無駄に感情をぶつける余裕はない。


 それに、世界を去っておきながら未だ干渉しようとするアルセア神の思惑は何だ?



「何を企んでいる?」


「失敬な。アルセアが出て行った事で直に神界再編が始まるから、僕達が管理していた物を君達に引き継いで欲しいだけだよ」



 頬を膨らませ、あざとい可愛らしさを琥人は演出する。


 いや、無意識にやっているのか。


 意図的に行っているなら、それらしい不自然な所作が垣間見える。動きと動きの間に微妙なラグが出て、作った感情と行動が乖離し露呈する。


 観察している中で、琥人に不自然な様子はない。


 無邪気で、外見年齢相応で、可愛らしく、憎らしく、恐ろしく、底知れない。もう数ヶ月早くこの樹海を攻めていたら、こんなのとやり合わなくてはならなかったのか。


 もし運命の女神がいるなら、いくらでも感謝を捧げたいと思う。



「また失礼な事を考えてる?」


「気のせいだ。で、管理を引き継ぐって、それの事か?」



 私は無残に打ち捨てられた、穴だらけの黒い棺を指差した。


 改めて見ても中には何もなく、有った痕跡すらない。


 ドルトマ達が嘘を言うわけがないから、何かしらのからくりが在るのだろう。



「そうだ、琥人。安全装置はどうした?」


「ドルトマ、一応他里の長に対して呼び捨てとか……まぁ、もう良いけど。アレはアラルカルヴァに返したからもういないよ。棺はあくまで演出で、開けた時に光と一緒に出てくるようにやってただけ。ソレから出てくると、得体の知れない何かに見えてそれっぽく思えるでしょ? それが魔力を無限に吸って稼働と修復をし続けるだけの魔法兵器だとしてもね」



 『皆簡単に驚くし、信じるから面白かった』と、琥人はさらっと言って捨てた。


 なら、ここに来るまでに会ったハイエルフ達の家族はどうした?


 ヒルディア達は? ウッドレイクの異常発生もコイツの手の内だったとでもいうのか?


 私は深呼吸して逸る気持ちを抑え、琥人に向けて問いを放つ。



「生贄にされた逃亡者達の家族は?」


「今頃温泉にでも入ってるんじゃない?」


「ヒルディアとジルランカは?」


「ジルランカに片想いしてた子達が取り戻そうとしたんだって。ハイエルフもダークハイエルフも起源は同じだから、二人が結婚しても大した問題じゃないんだよねぇ~」


「ウッドレイク――」


「あ、それは今本当に起こってる問題。そろそろ対処しないと樹海が腐海になっちゃうんだ。でも、それくらいなら君でも対処できるから大丈夫大丈夫」


「………………」



 激しい頭痛に頭を押さえる。


 聞いた話と集まった情報、それを基に推測した内容が現実と違いすぎる。それも、潜入して時間をかけて調べればわかるような事ばかりではないか。


 よくよく考えて、今回の私は打算的で感情的に過ぎなかったか?


 ハイエルフとダークハイエルフの里を樹海ごと手に入れるとっかかりとヒルディア達を見て、ウッドレイクと安全装置の話からドルトマ達の危機と焦り駆けた。急ぐ理由も幾つかあったが、リザを楽しむ時間があったのだから所詮言い訳にしかなり得ない。


 結局、私が自爆して無様を晒しただけではないのか?



「…………グスンッ……」



 掘り炬燵の中にもぞもぞ入り、頭から掛け布団を被って寝る。


 恥ずかしさと情けなさが心を冷ます分、オレンジ色の光が全身を温める。熱源に近い足が少し熱く、手で擦って紛らわしながら誰にも見られないように涙を流す。



「しなずち」


「……何?」


「駆けつけてくれて、僕らは嬉しかった」


「…………うん」

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