第41話 逃亡と進攻


 宿場町を出て樹海に入り、全速で走り続けておおよそ四時間。


 奥に行くにつれてより大きな樹が多くなり、枝ぶりも葉付きも豊かで見事。時間があれば巫女衆全員で森林浴といきたい所だが、先を行くドルトマを追いかけている今はそうもいかない。


 リザから聞いた話では、ハイエルフの里まで普通の人の足で二週間かかる。


 街道が敷設されていない事と面倒な回り道が多い事が原因だが、常人を遥かに超える跳躍力があればほぼ直線距離で移動できる。同じ速度でも半分の時間で駆け抜けられ、ハイエルフとダークハイエルフ達はこれが為に樹海の内で暮らしていける。


 そして、ドルトマは幼い頃から、この樹海が生活の場で遊び場だった。


 勇者として鍛えられた身体能力を以ってすれば、二週間を一日に縮める事も出来る。本当なら胸を張って自慢できるし称賛できるが、今の今はただひたすらにその速度が憎い。


 全然追いつけない。



「近付いてはいるが、まだまだ先か」



 徐々に近づく大きな熱源を目指し、幹を蹴って枝に、枝を蹴って幹にと跳躍を繰り返す。


 私の速度はドルトマの約七割増し。


 生物としての体の作りが根本的に違うし、目的に合わせて肉体を構築し直せる点が速度差を大きくしている。しかし、出発時間の違いが私達の距離を大きく離し、事前の試算では途中で追いつけるかどうかギリギリと出ていた。


 樹木を傷付けないよう、気を遣って跳んでいる場合じゃないかもしれない。



「――――ん?」



 ふと、正規ルートと思われる獣道の脇に複数の熱源を見つけた。


 大小合わせて五十程度。全て人型で大きな荷物を持ち、少し開けた場に火を焚いて休息を取っているようにも見える。


 しかし、問題が一つ。


 一団の内の一人、子供と思しき小さな熱の様子がおかしい。


 形は小さいのに熱が強い。子供の体温が高いと言っても限度があり、何か病気にでもかかっているのか、ぐったりと横になって動く事すら辛そうだ。



「…………クソッ」



 私はルートを変えて、彼らの付近に跳び下りた。


 何人かが私の接近に気付き、剣や弓などの武器を持って出迎えた。その中には昨日蹴散らしたハイエルフの斥候達が混じっていて、よくよく見ると全員が耳の長いハイエルフばかりだった。


 武器の威嚇を無視して、私は子供に真っ直ぐ歩み寄る。



「止まれ!」


「病を前に止まってたまるか! 時間が惜しい! 何日、何時間前から症状が出ている!? ご老人、この子の脈の早さを教えてくれ。貴女が母親か? 食欲はあるか? 水分は取れるか? 近日中に食べなれていない何かを食べていないか?」



 私の指示と問いに、皆戸惑って狼狽える。


 急に訪ねたのは私の非だが、危険な命を前にそれは駄目だ。


 冷静に、客観的に、正確に判断と行動をしなければ簡単に命は終わる。それを知るからこそ、私は彼らの無駄に苛立ち叫んだ。



「わかっているだろう!? この子は病気だ! 熱は四十度三分、脳にとっては危険な温度だ! 病状は一刻を争う! 氷魔術が使える者は小さな袋に氷を詰めて首の左側を冷やせ! 多少は苦痛を和らげられる! 薬師はいるか!? そこの樹の根の陰にカルタマ草とアンドレイクがある! どっちも解熱剤の材料だ! 精し方はわかるな!? 武器を持ってる木偶の坊どもは何でもいいから魔獣を狩って来い! 最低この子の体積と同じくらいの大きさの奴! その間に私は病原菌を特定して一掃する! 急げ!」



 怒声に圧され、動ける者達が一斉に動き始める。


 後ろに髪を纏めた少女が魔術で氷を作り、受け取った背の高い青年は細かく砕くと目の細かい絹袋に入れた。子供の母親に袋が手渡され、首筋に当てられると子供の辛そうな呼吸が少し穏やかになる。


 私は子供の手を取って、手首に人差し指と中指を当てた。


 周囲に見えないよう、接触部分から細い触手を潜らせ伸ばす。血管を伝って全身くまなく拡げて探り、見つけた原因に強く強く強く歯噛みする。


 よりによって、か。



「…………ガーナウス球菌の肝臓内異常繁殖。この歳でガーナウス肝臓病かっ」


「ガーナウス!?」


「おい、それってアシィナ様でも治せなかった不治の病だろう!?」


「ミルニアっ! アルセア様、ミルニアを見捨てないで下さい、お願いしますっ!」



 子供の病名が分かって大人達に動揺が広がった。


 ディプカント特有の細菌性疾患、ガーナウス肝臓病。


 肝臓内で分解される毒素を球菌が横取りして蓄毒し、一定量に達すると異常繁殖して血液中に放出する病だ。発症から短い時間で致死量の毒素を全身に撒き散らし、処置をしようにも患部が広範過ぎてまず間に合わない。


 致死率は、ほぼ百パーセント。


 もし奇跡的に助かったとしても、発病して二十四時間以内に治療薬を打たないと脳細胞が破壊されて一生植物状態に陥る。そうなってしまえば二度と意識は戻らず、一生涯を通して回復の余地はない。



「熱が出始めたのはいつだ?」


「ぇ……朝ご飯を食べて、ここまで歩く間だから、五時間くらい…………」


「そうか。なら、助かる」



 私は確信を篭めて、母親に伝えた。


 この病気が不治の病だったのは数か月前までの話。


 アシィナの研究で治療薬が発見され、発病を見逃さなければ十分に治療が可能となった。

治療薬の手持ちは無いものの、原材料は豊富にあるからこの場で作って投与が出来る。


 意識あるまま解剖されながら、研究の助手を務めた経験が活きる。



「本当は経口投与が望ましいが、私の方が時間がない。血管内に直接治療薬を投与して球菌を一掃する。二週間分の薬刺青を入れておくから、カルナチカ温泉町にいるアシィナ・リサイアに経過観察を頼むように」


「アシィナ様がカルナチカにいるのですか? 南の山脈の悪魔に囚われていると聞きましたが……」


「その悪魔は私だ。それと、アシィナはこれを含む七つの病気の特効薬を精していたから社を離れられなかっただけ。更に言えば、原材料は私の血」


「え? えぇ?」


「鼻の中が苦くなるけど、我慢するんだぞ」



 私の声に、子供は小さく頷いた。


 全身に張り巡らせた触手を解き、血液と化して分離する。含まれる薬効がこの子の血と混ざって隅まで巡り、五分もすれば球菌と毒素を全て駆逐するだろう。


 その間に、右半身を少し浮かせて脇腹の背中側に手を触れる。


 汗腺から皮膚の内側に侵入し、薬効成分を集中させた血液を十分な量溜めていく。手を離すと触れていた部分に朱色蛇の刺青が浮かび、母親を呼んで処置の結果を確かめさせた。



「これで大丈夫。この刺青は薬の塊だから無理に消さないように。本来の刺青と違って少しずつ血液中に溶けて行って、二週間もすれば跡形もなく消える。未来の旦那様には綺麗な肌を見せたいもんな?」


「ぁ……あぃぁ……と」


「どういたしまして」



 子供の頭を撫でると、リザと同じ虹色の髪が柔らかく、ふわふわと吸い付いた。


 まだまだ幼い、か弱く、儚い命。


 上がっていた熱は三十九度にまで下がっていて、もう少しすればあと二度くらいは下がる。そうなれば、力強く活発な、生きる力に溢れた姿を見せてくれる筈だ。


 処置の完了を告げると、周囲から安堵のため息が漏れた。


 両親と思しきハイエルフの夫婦が礼を告げ、幾許かの金貨を差し出してくる。対価としては適当だろうが、私はそっと手で押し返してより相応しい代物を要求する。



「金貨より情報が欲しい。貴方達は何故里から―――いや、里を出た?」


「わ、私達は別に…………」


「荷物の量を見れば大体の状況はわかる。食料と水、換金しやすそうな品に最低限の衣類、用途のわからない骨董品……というより、形見、か。それらを纏めて大人数でなんて、里から逃げて来たとしか思えない」


「………………」


「何故だ?」



 私の問いへの返答は沈黙だった。


 余程言いたくない事があるのか、それとも言えない事情があるのか。どちらにせよ、この場で時間を無駄にしている場合じゃない。


 任せられる相手に任せよう。



「…………わかった。私はしなずち。女神軍第四軍団長で、繁栄の女神ヴィラの尖兵だ」


「め、女神軍!?」


「そちら側で後ろめたい事があるなら、何も言わなくて良いから、この子の薬刺青が消える前に私達を頼れ。朱色の羽衣を着る巫女達か、町々の長に刺青を見せれば保護してもらえるよう頼んでおく。少なくとも、この子が運命の相手を見つけられるくらいまでは」



 見た所四十歳くらいだから、あと八十年はかかるか。


 悠長に過ぎると怒られそうだが、彼等の時間間隔は他の種族と違いすぎる。それを許容するのは私達の仕事だ。


 最悪、リザに丸投げしても良い。


 英雄なら、旗頭に丁度良いからな。



「私はもう行く。熱がぶり返すようなら解熱剤を使って、狩ってきた魔獣はよく煮込んで食べやすいように調理して。私の処置は栄養失調になりやすいから、少量でも回数を増やして十分に食べさせて。あと、そっちの二人はダイエットに食事制限しないでしっかり運動する事。魔術師だからって物を取るのに魔術使って横着しない。君はもう少し軽い剣を使って。肘を痛めてる。貴方は奥さんの体調をしっかり見て。妊娠してるよ?」


「あぇ!? テミス!?」


「ご、ごめんなさい。教えたら里に残るって言うかもしれなかったから……」



 指摘を受けて、スレンダーな女性が告白する。


 横にある大荷物を見ると、妊婦にもかかわらず、かなり無理をしているように見えた。私はダイエット中の二人に荷物を割り振り、追加で持たせて運動量の足しにする。


 身体的負担より子供の方が大事らしく、抗議の声は上がらない。


 種族として数が少ない彼らにとって、子は何にも代えがたい宝物だ。皆で守り、皆で育み、皆で教える大事な未来。


 番いの青年の背を押して、パートナーの横に無理矢理寄り添わせる。


 手を膨らみかけの腹に当てさせ、命の始まりを実感させる。そして彼の拙さを頭を突いて教えてやり、先達として伝えるべき教訓を強く厳しく語りかけた。



「女の嘘を見抜けて二流、嘘の意図を見抜けて一流だ。男として三流だよ? 恥ずかしくないの?」


「す、すまんっ。テミスが巻き込まれたらって思うと……」


「切羽詰まってるなら、使える物は何だって使うんだよ。馬とか騎獣とか取ってこれなかったのか?」


「グリフォンがいたけど、全部儀式の生贄にされたよ。それでも足りないって、隣の家のヘイレンまで連れていかれて…………今度はテミスもって思ったら居ても立っても――――」


「お、おい、スルーカ! それ以上はっ!」



 別の一人が声を上げ、スルーカと呼ばれた青年が気付く。


 今、自分は何を言っていたのか。


 折角黙っていた事を何故言ってしまったのか。


 絶望に表情を歪ませ、私を見上げる。私は彼の肩に手を載せて、慈しみを篭めて小さく訊いた。



「何人犠牲になった?」


「へ、ヘイレンだけじゃない。ガナック、ビューズ、アルフロウ、エンダにジュッカにウェイレンも…………」


「友達か?」


「家族だっ。里は区切りがあって、その中に住む全員は血の繋がりが無くても家族同然だっ。それを、あのクソ族長がっ」


「…………わかった」



 ぐちゃぐちゃに泣き出したスルーカに、それだけ伝えて立ち上がった。


 記憶と思考をグルグル回し、これまでに得た情報を整理して隠れた情報を類推する。


 社に来たのは、ヒルディアとジルランカ。追っ手はハイエルフ。


 二つの里は長年対立していて結婚を認めようとしないが、ヒルディアの家族は認めている。ここまでの情報で、私はジルランカがハイエルフにとって重要な何かなのだろうと思っていた。


 加えて、ドルトマの『ジルランカは起動には必要ない』『ジルランカは安全装置の停止に必要』という言葉。


 ジルランカは『終了』に必要なのだ。ああ、そうだ。ここまでは良い。ここまでは。


 では、今里で起こっている悲劇は何だ?


 ハイエルフは安全装置の停止に必要だからジルランカを求めていたのだろう? なら、起動については目途が立っているのではないのか?


 そもそも、樹海にはハイエルフとダークハイエルフがいて、樹海の危機にハイエルフだけが立ち向かっているのは何故だ?


 ダークハイエルフはドルトマを筆頭に対決姿勢を見せていて、樹海の危機より安全装置の起動阻止を重視している。


 ―――――起動阻止?



「追われていたのは、ジルランカだけじゃない? まさか、ヒルディアが『起動』に必要なのか?」



 そう考えれば辻褄が合う。


 ダークエルフ族は家族の絆が強い。


 直接の血の繋がりが無くても、里を追放した者だとしても、その後を心配し、死を嘆く。ユーリカの訃報を聞いた黒百合の里の様に、ダークハイエルフもおそらく同じ。


 ヒルディアを守る為にハイエルフと対立した?


 その為に、安全装置の起動阻止、ひいては破壊を目標としている?



「いやいやいや。なら尚の事、ハイエルフはジルランカが必要だ。ヒルディアを用いない起動に相応の犠牲が必要なら、終了にも相応の犠牲が必要とな…………る?」



『ジルランカがいなければ、ソイツはダークハイエルフ達を襲うんだな? それで足りなければハイエルフの里も』



 自分が言った言葉が浮かび、最悪の展開が組み上がる。


 頭からサッと血の気が引き、何も考えられず足が動いた。


 地を蹴り、幹を蹴り、枝を蹴り、間にある全てを蹴散らしてただひたすら駆け続ける。蹴った箇所が穿たれ、折れ、その分の力が速度に加わる。


 さっきまでは樹海の保持の為に加減した全速だったが、今は加減しない全霊の全速だ。速度はドルトマの三倍に達し、ロスした分を取り戻そうと一足一足に力を籠める。



「リザ。やっぱり、樹海はなくなるかもしれない」



 覚悟と決意を吐露し、私はそれ以外の思考を断った。

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