第40話 汝、妖怪なりや?


 目が覚めると、柔らかな感触が目を、張りのあるしなやかさが頭の後ろを覆っていた。


 女と雌と、最近出回り始めたハーブ入り石鹸の爽やかな香りが鼻腔を満たす。


 社ではどの巫女も使用している組み合わせだ。ただ、混じる雌の匂いは誰よりも強く、そのバランスから誰であるかがすぐにわかった。


 私の女神。



「ヴィラ」


「おはよう、しなずち。起きて早々だが、訊く事がある。お前は何だ?」


「貴女の尖兵だ」



 即答すると、ヴィラは私の頬を抓った。


 身体は痛くはないが、心は痛い。


 間違った答えだったかと自らに問い、『愛する貴女の』と言わなかった事が原因ではと思い至る。言わなくても当然の事なれど、当然だからこそ言葉にするのは大事な事だ。


 自分の非を認めて、私は彼女に――――



「お前は妖怪だ」


「…………そっちか」


「こっちだ。お前が私の愛する尖兵であるのは当然であり、寝所以外でわざわざ言う必要はない。それより、最近のお前は前世の友やら何やらの影響でお前らしくない。お前はお前自身を認識できているのか?」



 目を覆う膨らみが退き、蒼い瞳が私を覗きこむ。


 思わず唇を奪いたくなる美しさだ。


 しかし、今の彼女は行動ではなく言葉を待っている。私自身の、私自身への認識を。


 私は目を閉じ、自分を感じた。


 蠢く肉。淀む血溜まり。磨り潰された無数の命。絶望に背を向ける小さな意志。


 それが、私。



「私はしなずち。死を否定し、死の否定を否定し、生も死も、命をも操る妖怪だ」


「そうだ。なら、ドルトマとカーマが死にに行くとして、お前がすべき何だ? 前世のように、あの二人の死を許すのか?」


「……………………」



 ポタリと、頬に一滴落ちた。


 目を開けると、ヴィラは泣いていた。


 歯を食いしばって、大泣きしたいのを必死に堪えて。捩じ切れそうな程に絞られた心から、二人への想いを言葉に変えて搾り出す。



「ドルトマは信徒だ。カーマは娘だ。私達の家族そのものだ。その二人が死にに行くのを、黙って許すのが是と言えるのかっ?」



 声を震わせ、何を言わんか察せと告げる。


 頬の涙が一つ、また一つと増えて流れる。


 優しい温もりがほんの少し瞬いて、すぐに冷たい悲しみに変わった。私は目の前の泣き顔を両手で挟んで、目尻にこぼれる小さな滝を指で這わせて堰き止めた。



「否だ」



 跳び起きるように、私は立ち上がる。


 部屋には私達以外誰もおらず、廊下で三つの熱がこちらを窺っていた。音で感知できない所を見ると、ヒュレインが風の魔術で隠しているのか。


 きっと、光魔術で姿も消しているだろう。


 だが、熱を残すのは詰めが甘い。



「ヒュレイン、付近を巡回中の朱巫女衆を招集し、ダークハイエルフの里に向かえ。私とヴィラの連名で、戦が終わるまで樹海からこの町に逃れるよう伝えろ。最悪、力ずくでも構わん」


「へぁっ!?」


「アシィナは宿の手配と、もし負傷者が出た場合の救護を。リザは……最悪、樹海がなくなるかもしれないから、その余波から町を守れ」


「承知しました」


「はぁっ!? 樹海がなくなるとはどういう事じゃ!?」



 私の命に戸が開かれ、三者が三様の反応を返す。


 特に、リザの反応が激しい。


 強い剣幕で私に詰め寄ろうとして、ビクンッと体を震わせてからぎこちない動きで正座した。言動の不一致に疑問が浮かび、一つの心当たりを確かめる為に服を捲って裸体に剥く。


 全身に刻まれた、アシィナの血蛇の文様。


 元凶に目を向けると、意地の悪い笑いがそっぽを向いた。それなりに楽しんだ満足感が表情の中に見て取れて、またやったのかと大きく大きくため息を吐く。



「昨夜は随分拙かったから、ちょっと教えてあげようと思って。腰とか胸とか足とか口とか」


「はぁ…………わかった。なら、しばらくの間はリザの指導をアシィナに任せる」


「やめい! しなずち殿もこの女の腹黒さは知っておろう!? 妾を剥いてあんな……口に出すのも憚れる様な痴態を幾つも幾度も…………っ!」


「次の伽は凄いから、壊さないように気を付けてね」


「お前も『また』壊さないように。治すのは私なんだから」


「善処しまーす」


「っ!?」



 私達の言葉と返しに、リザは顔を青くしてヴィラとヒュレインを交互に見る。


 ヴィラは気の毒そうに、ヒュレインは「死にはしないから……」と目を背けた。


 縋るような虚ろな瞳がこちらに向き、私は血色の羽衣を作って彼女に着せる。これで彼女も私の巫女で、アシィナが何かやらかしても寸での所で守ってやれる。



「アシィナは新人の教育係でもあるんだ。ちゃんと言う事を聞いていれば優しいから、我慢して頑張るんだぞ?」


「い、嫌じゃっ……染められるなら最初からしなずち殿が良いのじゃ…………」


「大丈夫よ、リザ。おいたしたらちょーっとお灸を据えるだけだから。せいぜい関節を外したり継ぎ直したりを何十回か連続でやったり、殆ど丸見えのうっすい羽衣を着せて町で買い物させたり、人気のありそうでなさそうな所で自分でする練習をさせたり…………あぁ、貴女の身体はしなずち様専用だから、そっちの意味で変な事はさせないわよ? そこだけは安心して」


「ヒュレイン、助けて給うっ! 妾とお主の仲であろう!?」


「ごめんねー、新人巫女の通過儀礼だと思って諦めてねー」


「しなずち殿! 何でも、しなずち殿の望む事なら何でもしようぞ! じゃからこの腹黒巫女から妾を解放して――――」


「あーっ、そんなこと言うんだー? じゃあ、まずは極薄羽衣で町の外を警備しよっか」


「嫌じゃぁああああああああああああっ!」



 絶望するリザの頭を撫でて慰め、私は改めてヴィラに向き直る。


 座る彼女の頭を胸に抱き、私の鼓動と熱を伝える。寝所の余韻と同じように、言葉の要らない対話を交わす。


 三人が見ているから口付けは無し。


 もししたら、ドルトマ達に追いつく時間が無くなるほど四人の相手をしなければならない。それがわかっているヴィラは、名残惜しく指と視線を重ねて交わした。


 今生の別れではないし、安全な場所なら私を目指して転移もできる。


 離れているようで、私達は他の誰よりもずっと近い。それでも離れるのは苦痛を伴い、傍らの安らぎが愛おしく愛おしい。


 ドルトマ達も、きっとそう。


 だから、誰にも奪わせない。


 誰にも邪魔はさせない。


 あの二人には私達二人分の加護があるのだ。何があっても何に遭っても、幸せになる義務と責務を背負っている。


 だから――――



「じゃあ、行って来る」


「いってらっしゃい」



 ――――二人の敵は私達の敵だ。

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