第15話 混沌のアギラ


 三方を山に囲まれた盆地の中に、その都はあった。


 夜だというのに明かりが絶えないそこは、高さが三メートルの石の壁で全体を覆われている。壁から一定距離までの木は伐採され、切株をわざと残置する事で、街道以外の馬や攻城兵器の通行を阻害までしていた。


 壁の上を見回る射手が、非常に鬱陶しい。


 切り株は歩兵の足も鈍らせ、矢の射程の目印にもなる。これを考えたという現在の領主はかなりの切れ者だ。地の利と戦時の敵の攻め手をしっかり考え、有事の際に最大の砦とこの地を化すのだろう。


 堅実かつ実直な性格が見て取れる。


 私は感心しつつも、決して焦らない。


 要は、正面から当たらなければ良いのだから。



「しなずち様。黒巫女衆、都内への潜入完了しました」



 黄色に輝く粒子を耳の周りに漂わせ、傍らの巫女が私に伝えた。


 風の魔術に、音に指向性を持たせて遠くまで届ける物がある。


 音は空気の振動であり、それを拡散するのではなく収束させてやれば遠くまで届く。それに始点、中継、終点を加えてやると音声伝達ができ、彼女は潜入している巫女達との通信役を務めていた。


 ダークエルフ達に伝わる秘伝の術だそうだ。


 術の理論と構築に物理学の匂いが強く、おそらくは転生者の知識が用いられている。こちらの世界でそれを適切に使いこなせるのは、普段から狩りで使用している彼女達くらいのものだ。


 彼女達を巫女にして良かったと、改めて思う。


 体術、魔術、諜報、暗殺などに秀で、隊としても群れとしても行動できる。


 即戦力として申し分なく、唯一不安だった私の不在時の指揮は、ユーリカが自分を頭に黒巫女衆を名乗らせてほしいと言ってくれたおかげで解決した。朱巫女衆を率いるシムナへの対抗心が透けて見えるが、互いに高め合ってくれるなら大歓迎だ。


 反目し過ぎないように気にする必要はあるものの、巫女衆同士の考えは似通っている。巫女頭のガス抜きを念入りにすれば問題はない。


 私は通信役の巫女と口づけを交わし、労をねぎらった。



「伝令を頼む」


「私の口元が始点です。そこに話せば直接伝わります」


「……もしかして今の…………」


「………………はい、伝わりました」



 長い耳の端まで真っ赤に染まった彼女は、恥ずかしそうに目をそらした。


 耳を澄ますと、散らばっている十の隊全てからの抗議が聞こえてくる。


 湿った音がしたがナニをしているのか。始点の付近でというなら上か下か。私の分は残っているか。声が大きい者もいて、このままでは潜入している意味がなくなりそうだ。


 さっさと伝令を済ませてしまおう。



「黒巫女衆に伝達。朱巫女頭シムナと第二軍団長ノーラが先に都市内に潜伏している。彼女達には派手に動いてもらうように言ってあるから、動きがあったら派手に暴れろ。一番戦果を挙げた隊は明日の側仕えを任せる。但し、全員生存が条件だ。危なくなったら必ず私に合流するように」



 元気の良い返事がすぐに返ってくる。


 潜入任務だと言っているのに――――いや、声を収束しているから周りには伝わらないのか?


 音に敏感な獣を狩る彼女達が大声を出しても気にならないほど、この術は完成されているのか。自分の認識が甘かった事を恥じ、私は彼女達への信頼をより強く大きく増した。



「――――しなずち様、シムナ様に動きが――」



 言い切る前に、都の内から火炎竜巻が上がった。


 壁を隔ててもわかるほど高く、家数件を丸ごと呑み込む太さに脅威を抱く。


 ノーラでもあの大きさはまだ無理だ。となると別に術師がいて、誰かが交戦に入ったと思うべきだろう。


 風で巻き上がった残骸が目に入り――――奇妙な事に、遠目でわかる程の頻度で斬られて斬られて細かく刻まれている。


 じっと目を凝らすと、二つの人影が宙の残骸を蹴り跳びながら戦っていた。


 高密度の魔力を纏い、得物の魔剣を振るって剣閃を飛ばす男装の女性。


 血色の羽衣を思い通りに変形させ、長大な刃で斬り結ぶ黒髪の女性。


 どちらも私は知っている。


 黒髪の方はシムナで、男装の方は魔王レスティだ。


 アガタから聞いただけで直接の面識はないが、戦闘方法と外見の特徴、高位で強力な魔術を扱える魔力量、今のシムナと斬り合える剣術、全てを持ち得る規格外なんて魔王以外にありえない。



「被害状況を報告」


「――全員無事です。また、全隊が行動を開始しました」


「想定外の事態だ。火炎竜巻の付近にいる隊はすぐ離れるよう指示。一分暴れたら戦闘を継続しつつ都市外に離脱。集合地点までの移動の指揮をユーリカ、補佐はエリスに一任する」


「了解。しなずち様は?」


「魔王を確保する」



 私はそう言い残し、全力で地を蹴った。


 ヴィラには悪いが、やはり魔王の相手は私がしないと……。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 城壁を跳び越え、混乱に惑う都市に身を投じる。


 戦火はまだ広がっていないが、火炎竜巻を見た兵士達は慌ただしく動き、大急ぎで身支度を整えたであろう狩人達も協力している。


 立場の異なる二陣営が円滑に動けている事を考えると、この都市は王の目の内に入っていると見ていい。


 直に混乱は収まり、いつも通りの日常に戻ってしまう。



「妖なる者の夜の欠片、我が血から生まれ、糧を求めて果てなく貪らん」



 両手から周囲に血をばらまく。


 私の着地と同時に地面にかかり、八つの蛇の目を形作る。目は二回三回瞬きを見せて、中心から私と瓜二つの人型が八体這い出した。


 狩り蛇。


 黒百合の里で増やした守り蛇を使うより、こっちの方が混乱を煽れる。異常に気付いた兵士がこちらに近づいてきていて、周りの人々も顔を向けた。



「喰らえ、呑み干せ」



 私の命に狩り蛇達は駆けた。


 近場の獲物を片端から捉え、体内の血を呑み干し捨てる。辺りに青白い死体がいくつも倒れ、惨状を見た者達が更なる混乱を生み出し広げる。


 その只中に、私は駆けた。


 生き残りが恐怖に腰を抜かし、我先にと逃げ出して一本の道ができる。中央を飛竜より早く駆け抜け、今も立ち昇る火炎竜巻を目指す。



「敵しゅ――」



 まだまともな兵士の頭に足をかけ、跳躍ついでに頭蓋を砕く。


 良く鍛えられていたらしく、地から跳ぶのと同じくらい高く遠く飛べた。


 二つの建物を跳び越え、適当な家屋の屋根に足をつける。薄い木の板の感触が伝わり、次の本気の跳躍を寸ででやめた。


 屋根と屋根を小刻みに跳んで駆ける。


 可能な限り真っ直ぐ、最短路を意識してとにかく急ぐ。それでも辿り着くのに数分を要し、凄まじい勢いで燃え盛る炎の壁を目の前に見据える。



『――――』



 歌声が聞こえた。


 どこの言語なのか、そもそも言葉なのかもわからない、美しい女性の歌。聞き覚えのあるそれの出所を確認すると、防衛隊と思しきパーティとノーラが対している。


 立体配置のキーボードを叩きながら、楽団の指揮をしているかのような腕と指使い。


 ノーラは歌声で周囲の魔力を扱いやすいように変質させ、あらかじめ定めた動作をする事で魔術を行使する魔術陣を用いる。その展開速度は詠唱など足元にも及ばず、火球、氷柱、突風、電撃、地突と、異なる属性の魔術が秒間二から三で舞っていた。


 防衛隊側の魔術師達が防御魔術で対抗するも、速度も威力も間に合っていない。


 特別魔力が強い少年が最前衛を務め、防御しきれない分を斬り払っている凌ぎ続けている。しかし、受ければ重症、もしくは死が確定する魔術の雨に疲労が滲み、表情は苦しく歪んでいた。


 実力から見れば、手を貸す必要はない。


 しかし、これは戦だ。


 試合ではなく死合でもない。己と味方の生存を優先し、戦士の尊厳を踏みにじる事こそ至上命題とするべき。



「第一か第三への手土産にするか」



 指先から血を一滴地面に垂らす。


 どす黒く粘性を帯びたそれは、守り蛇五百体分が濃縮された特別な雫だ。


 土に染み、内に入る。同調した意識が移動した場所を教えてくれ、防衛隊パーティの後方に回らせて時を待たせる。


 私は血液で鞭を作るとノーラと別方向からパーティを攻めた。


 司令塔なのだろう、剣士の一人が指示を飛ばしてこちらに注意が向く。



「栄え給う、茂り給う」



 パーティの死角、後方の地面から三匹の大蛇を生やす。


 微かな体臭から、魔術師二人と剣士一人が女性と分かっている。大蛇にその三人を丸呑みさせ、すぐに土の下へと引きずり込んだ。


 残されたパーティは目を見開き、理解が追い付かず隙を見せる。


 防御に穴が出来、ノーラの火球が後衛の魔術師まで届いた。一瞬の光と共に爆発が起き、剣士と少年がこちらの足元に、それ以外は火炎竜巻の圏内まで吹き飛ばされてほんの一瞬で消し炭と化す。



「くぉ――ふぐっ!?」



 鞭から刃に作り替え、二人の首を飛ばす。


 少年は可哀想だったが、戦場においては歳も境遇も関係ない。勝者は等しく、敗者を踏みにじる義務を持つ。


 運が悪かったと諦め、来世で幸福を掴むと良い。



「しなずち!」


「ノーラ、状況を教え――?」



 ノーラを見て、指差す方向に言葉が止まった。


 まっすぐ上を指し示す白い指。


 私が見上げると、靴と羽衣の血色と、一部桃色だが大体肌色のソレが目の前に現れた。


 『すぐ』目の前に。

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