第16話 悪い妖怪との契約(上)


 メキッ、ともゴシャッ、とも違う嫌な音と共に、私の顔の上にソレは降り立った。


 滅茶苦茶痛い。


 羽衣も靴も私の血液製だから、対不死属性がついている。まがりなりにも不死である私には弱点と言ってもよく、地味に今までで一番大きなダメージだと言えるだろう。


 いや、それはいい。それはいいんだ。


 もっと大事な、確認すべきことがある。



「シムナ、下着は?」


「しなずち様が襲うのには邪魔だろうと思い、羽衣に取り込んだ。ああ、無理矢理引きちぎって突き入れる方が好みか? それとも、口に含んで嫌がる素振りを見せた方が猛るだろうか?」


「……着けずに羽衣を肌蹴させてくれると嬉しい」


「そうか! では、私の処女は今夜限りだな! これでミュレー達にからかわれずに済む!」



 何事もなかったかのように、自信に満ちた顔でシムナは私の上から跳び下りた。


 降りた後、風で裾が巻き上がったように偽装してチラリと下を見せてくる。


 誘っているのだろうが、今お前は魔王と戦っているんだろう? 私でも危うい筈の相手なのに、その余裕は一体何なんだ?



「…………魔王は?」


「アレだ」



 シムナが空を指差し、視線をそちらに向ける。


 収まってきた火炎竜巻の火の粉に紛れ、風魔術でゆっくりと降りてくる男装の令嬢。得物の剣は鞘に収まっていて、右手には『切断された』左腕が握られている。


 はて?と私は疑問に思った。


 勇者ガイズ達の話では、魔王は肉体と魂で二重に構成情報を持ち、両方を同時に傷付けないと再生し続ける不死族――――そうか、不死族か。


 頭の外的鈍痛に頭痛が加わる。


 妖怪の対不死性能は魂にも影響を及ぼすのか。


 この事が知れれば、今度は第二軍の支配域に駆り出されるかもしれない。確か、スペクターやレイスが大行進している地域があった筈。効率的な対処法を現在も模索していると言うし、対処と材料調達を任される可能性は高い。


 いい加減、第四軍の支配域に戻りたいのに。



「貴様がソフィアの主か?」



 優雅に降り立った魔王が私に問うた。


 身なりは、お世辞にも良いとは言えない。


 服の所々が焼け焦げ、裂かれ、滑らかな白い肌には赤い筋がいくつも刻まれている。左腕の断面は出血を抑える為に焼き潰したらしく、血こそ出ていないが、額から大粒の汗をかいて激痛の程を表していた。


 対して、シムナに目立った外傷はない。


 いくらか羽衣の血液が減っているものの、その程度は補充すれば問題ない。身体も小さな火傷と斬り傷が少し。放っておいても半刻かからず治りそうだ。


 一体何をどうしたらこうなるのか?


 少し考えて、魔王が死にたがりであることを思い出す。


 死を望んで戦場にいるなら、生きようとする者と違い防御が疎かになる。白兵戦では勇者ソフィアが勝っていたから、巫女となって色々強化されたシムナなら圧倒出来て不思議はない。



「お初にお目にかかる。私は女神軍第四軍団長しなずち。勇者ソフィアは数か月前に屠り、彼女の姉の嘆願でシムナの名を与え、配下に加えました」


「魔王レスティ・カルング・ブロフフォスだ。彼女に対不死武装を与えてくれて感謝する。これで、私もやっと逝けそうだ」



 動かぬ腕を放り捨て、魔王は剣を抜いた。


 瞳に宿る光と強さに彼女の本気さが窺い知れる。しかし、私はその目が途方も無く気に入らない。


 アレは死こそ本望、死こそ救いという大馬鹿者の目だ。


 実際に死を経験した私からすれば、勘違いも甚だしい。死の先に救いなんてありはしない。あるのは厳格なルールに則った絶望と、死者と交わした永遠に果たせない約束だけ。


 だが、この手合いにそんな講釈は通じない。


 不本意ではあるが、手伝ってやるしかないだろう。


 私なりのやり方で、彼女の本望を果たして見せる。彼女の望みが果たされるのであれば、どんな形でも納得してもらえるに違いない。


 私は魔王に向き合わず、魔王が捨てた腕を拾った。


 まだ温かく、断面は滑らかで損傷が少ない。きめ細やかな肌は生命力に溢れており、指を重ねると力強い鼓動が聞こえてくる。


 まだ生きたいと言っている。



「この腕、貰って良いか?」


「……どうするつもりだ?」


「私は妖怪。妖怪に何かを望むなら対価を払うか、代償を負う必要がある。死を望むお前に代償は合わない。この腕を対価として貰い受ける」


「好きにしろ。この身も今夜限りなら、腕の一本も惜しくはない」


「承知した。この腕を対価に、魔王レスティの望みを叶えよう。ここに契約は成った」



 第三者が見て、十人が十人とも引くような邪悪な笑みを私は浮かべた。


 守り蛇二万匹分の血を濃縮し、腕の断面にそっとつける。太い血管から内部に侵入し、毛細血管の隅々まで行き渡り、突如として血管と筋肉が隆起した。


 ギチュギチュという心地良い肉音と共に、断面から肉が盛り上がる。


 骨が生まれ、肉に包まれ、各器官を生成し、次第に形が出来ていく。すらっとした脚、小ぶりな尻、鍛えられた腹筋を包む艶やかな腹部、オリジナルの三倍は大きな胸、水を滴らせたくなるうなじ、赤く煌めく長い髪、釣り目の似合う整った顔立ち。


 一部始終を見ていた魔王、ノーラ、シムナの三人は何度も瞬きをした。


 特にノーラとシムナは、出来上がった彼女と魔王を何度も見比べ、一部を除き同一人物と認識している。魔王も剣を持ったまま自分の胸を触り、明らかな違いを認めていた。


 私はユーリカ達にしたように、血液を羽衣に変えて彼女を包んだ。


 彼女の目に光はないが、しっかりと両の脚で立ち、私の手を力強く握っている。溢れる生命力と女性はシムナのそれに匹敵し、満足な仕上がりに私は思わず髪を梳いた。



「貴様、なに、を?」



 目の前で起こった事が信じられず、魔王は狼狽した。


 無理もない。私の傍らにいるのは魔王レスティそのものだ。


 身体の部分部分が私の好みに合わせて改変されているものの、問われた全員がレスティと答えると確信できる。それ程に瓜二つだった。



「左腕に守り蛇の血を与え、肉体を再構成させた。血液はまだ殆どが私の血だが、馴染めばレスティ・カルング・ブロフフォスそのものになる。後は、この娘かお前かの望みが叶えば契約成立だな」



 レスティの羽衣を変化させ、細身の剣を握らせる。


 まだ自意識を持っていないので、羽衣を介して私が操作していた。何度か素振りさせると豊かな胸が大きく揺れ、私の心を昂らせる。



「じゃあ魔王レスティ、契約を果たそう。さぁ、レスティ。お前の望みを果たせ」



 私が命じると、レスティは魔王レスティの懐に踏み込んでいた。

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