第11話 黒百合の里(下)


 ダークエルフは森の狩猟者であって守護者ではない。


 弱肉強食の理を認め、命は消費し消費されるものと理解している。


 自分自身の命でさえ、世界から見れば消費されるものだと覚悟している。


 いつ死んでもおかしくはなく、それが強者からの捕食か、病魔による侵食か、何であっても大差はない。


 だからといって、死を恐れていないわけではない。


 悲しまないわけでもない。


 厳しい理の中で生きるが故に、群れの繋がりは強く、個々のそれも同様だ。例え里を追放された者であっても、家族であることに変わりはない。


 この日、この時、この瞬間、里の広間に集まった全ての者達が仲間の一人の冥福を祈る。


 どんくさいからとからかいつつ仕事を手伝った姉貴分。


 失敗を教わり、同じことにならないようにと諭された妹分。


 おっかなびっくり包丁を触っていた昔から、ナイフ一本でハニーベア一頭を解体するまでの成長を見届けた母親と父親。


 彼女を支え、育み、共に生きた者達。


 皆が皆、地に膝をつけ、祈りを捧げる。


 来世の幸福を願う。



「…………長。我々で仇は取れないのでしょうか?」



 隣の年若い青年が涙を流す。


 妹のように可愛がっていた娘が殺され、怨嗟の業に取りつかれているようだ。纏う魔力が暗く淀み、普段のピシッとした氷の如き鋭さがない。


 私は彼の頭を撫で、優しく言い聞かせる。



「私達だけでは無理よ」


「国王の直轄部隊ほどではありませんが、我々も精鋭です。たった一匹の化け物風情――――」


「その直轄部隊の半数がたった一匹に取られたのよ。勇者も一人、倒されるのではなく配下にされていると」


「ですがっ」


「シェイル、しっかりなさい。普段の貴方なら、如何に勝つ為の材料を積み上げられるかを考えるでしょう。目的に目を奪われてはいけません」



 自分でも思う所があるのか、彼は顔を俯かせて咽び泣いた。


 周囲を見渡すと、同じように淀んだ魔力を持つ者達が泣いている。


 私も泣きたい。


 だが、里長として彼らを導くのが私の役目。私が泣くのは、やることを全てやった後――――?



「嘘」



 私の言葉に皆の視線が集まる。


 指導者としては迂闊と自責すべき事だが、長年培った魔力感知能力で感じ取ったソレに、消耗していた精神では耐え切れなかった。


 里の北から高速で近づく二つの魔力。


 一つは取るに足らない程度の大きさでありながら、静かに練り続けられた重みのある流体。どっしりと、かつ堂々としている血色のそれに本能が恐怖を掻き立てる。


 もう一つは、以前無かった血色が混じっているけれど、毒の紫と風の緑が枝葉を揺らす荘厳な大樹。


 三十年前は若木だったのに、どうやってそこまで仕上げられたのか。あの娘の負けず嫌いならありえなくもないかと思いつつ、私の足はいつの間にか地を蹴っていた。


 老体に鞭を打ち、一直線に駆ける。


 息が切れても関係ない。途中にある物を避け、跳び越え、最短距離を駆け抜けて、ほんの数分程度で私は里の北外れに着いていた。


 そこには、黒髪黒目の青年にお姫様抱っこされた、銀髪褐色肌のダークエルフがいた。


 血色のリボンで長い髪をまとめ、大輪の薔薇が刺繍された漆黒の羽衣を纏い、里を出て行った時に比べてずっと大人びた雰囲気で、私の姿を見つけると苦笑しつつ手を振って――――。



「あぁ~……ただいま、ミュウ様」


「おかえり、ユーリカッ」



 もう、涙が止まらなかった。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 嫌な事を思い出す。


 兄貴の発作が起きて、集中治療室に運ばれた数日後。やっと目を覚ました兄貴を母さんが泣きながら抱きしめていた光景。


 兄貴がもう起きないのではないかと、恐怖と絶望がずっと傍らにいた数日間。


 私は、頭を軽く振って過去を払った。


 目の前の老女はユーリカの里帰りを喜んでいる。ユーリカ自身は複雑なようだが、少なからず嬉しくもあるようだ。


 俗に感動的な再会というのだろう。


 彼女達の絆が一目見てわかる。何十年と離れていても想っていられる温かな絆。


 それをぶち壊す私は、あの数日間と同じか。



「この方は私の主、しなずち様です。ヴァンパイアが逃げ帰るほど強いお方で、一週間の道のりを六時間で走り通す持久力と速力、肉体を好きに変化させられる特殊な力をお持ちです。私のこの胸もしなずち様が育てて下さいました。巫女の契約がなかったとしても、私はこの方の種で孕む事を悦び以外では感じないでしょう」



 色々と突っ走った説明に頭を抱える。


 そうじゃないだろう。いや、そうなのか?


 離れ離れだった家族に男を紹介する女の気持ちはわからないが、何だか外堀を埋めるような言葉選びに思えなくもない。老女もそう思ったのだろう。しわくちゃの顔から袖で涙をふき取り、すぐに表情を険しくさせる。



「ユーリカ、貴女の婚姻は認めません」


「相変わらず勝手ですね。では掟を受けさせてください」


「掟以前の問題よ。彼は――――いえ、さっき『契約』って言った? 彼と何らかの契約をしたの?」



 老女の問いに、ユーリカは下腹部を擦って顔を赤らめた。


 心底嬉しそうに、それでいてミスリードを誘うための作った狂気を含ませる。私を悪者にして、この後にあくどい要求をしやすいようにしているのか。


 なかなかの悪女だ。でも嘘じゃないから、私から正す事はない。


 むしろ、援護射撃しておこう。



「身と心と魂を私に捧げ、生涯仕える契約だ。全身の細胞に刻んでいるから、破棄は不可能と言っておく」


「っ! なんて外道なっ!」


「戦争は外道だよ――っと、名乗りがまだだったな。女神軍第四軍団長しなずち。ギュンドラ王国に侵攻中の第一・第三軍の支援の為、ダークエルフの娘達を巫女として貰い受ける。ユーリカの家族を殺したくはないから、素直に従ってくれると嬉しい」



 私の一方的な要求に、老女は着ていたローブの下からワンドを取り出した。


 強大な魔力が集まり、詠唱が始まる。内容に聞き覚えがあり、たしか植物系の魔術だった気がする。


 第二軍で食料増産に使えないかと研究していた奴だ。


 特徴は、周囲の生命体から栄養を奪い、枯死させる事。


 受けても良いが、必要はない。スッと距離を詰め、私は老女の口を掴んだ。



「ムグッ!?」


「だが、これはあくまで私の勝手な希望だ。必要であれば、巫女となる娘以外を皆殺しにしても良い。ユーリカには悪いが、彼女が産む新しい家族が心を支えてくれるだろ――――!?」



 手の甲から生えてきた芽を見て、私は老女を離すと腕を切り離して後ろに跳んだ。


 腕が地面に落ち、芽が急速に成長していく。


 縦に伸び、横に太くなり、枝葉が茂って上が広がる。たった数秒で数百年分の成長をすませ、私と老女の間には周囲のどれよりも立派な巨木が出来上がった。


 老女が戸惑っている。


 おそらく、想定以上の効果が出たのだろう。ノーラがアレを実験体の盗賊に使った時は、全身の栄養を吸い取っても五年程度の成長だった。魔力差があったとしても、ここまで結果に差がつくのはおかしい。


 ふと、自分の特性を考える。


 不死、水、地――――ああ、これだ。


 水と土はどちらも植物の成長に欠かせない要素。そのどちらも強力に持つ自分は、今のような植物魔術と相性が悪いのではないか?


 突然の事に戸惑うユーリカを、残った腕で掴み、抱き寄せる。


 彼女の羽衣も私の血だ。アレを喰らったら、ユーリカまで犠牲になりかねない。


 失いかねない。


 兄貴のように。



「久々に全力を出すか。ユーリカ、見て学べ。お前達巫女が羽織る『それ』の使い方をな」



 油断はしない。


 自惚れもしない。


 この世界に来て初めての、私を殺し切れる可能性だ。


 私は失った腕の断面から、一帯を浸すほどの血の濁流を噴出した。

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