第7話 しなずちという妖怪(下)


 全く明かりの無い新月の夜だというのに、私にははっきり見えた。


 一年前に私を放り出して失踪した、銀髪長身のダークエルフ。


 当時憎らしかった、男の掌より少し大きい胸と引き締まった腹と腰。風呂の度に揉んで柔らかくしてやった尻と太ももは今もそのままか。


 長命種というのは、本当に憎たらしいほど美しい。


 人間として生まれた事を、修行中はつくづく悔やんだものだ。だが、私はもうあの頃の貧相で残念な女ではない。


 しなずち様の巫女となり、妖怪という種族に私は転じた。


 肉体は強化され、第一軍ほどではないが治癒力も上がった。自分の身体を少しだけ弄れるようにもなり、苦労したものの、しなずち様好みの魔乳にまで育つ事も出来た。こうして闇を見通す能力も普通に使え――――あぁ、なんだ師匠? 自分の乳と私の乳を見比べて?


 大きさも形もしなずち様の趣味だぞ。私のじゃない。


 私なら、もう少し張りと弾力を重視する。ツンと上向きで、下から持ち上げた時にしっかり手で覆わないと指先で挟めない、そんな形が理想の中の理想だ。


 真っ直ぐ前を向くか少し下に向く、垂れていると評価がつく一歩手前の大きさと大きさと大きさを強調するようなのは趣味じゃない。こんな、少し持ち上げれば自分で吸えるだらしない代物は、やはり男を悦ばせるだけの駄肉に過ぎない。


 だから私は、この乳は趣味じゃない。あくまでしなずち様に合わせているのだ。


 まぁ、どちらも貴女にはたどり着けないでしょうが、ね?


 私は、もう過ぎ去った場所にある彼女の胸を、嘲るような笑みでじぃっと見つめた。それに気づいた彼女は赤面し、悔しそうな表情を浮かべ始める。



「しなずち、というのか。アレは」



 魔剣を抜いたヴァンパイアが、こちらを見ずに私に問う。



「正確には『欠片』だな。貴方達が押し入ったしなずち様の寝所の壁に『狩り蛇の目』があっただろう? アレを陣としてしなずち様の血を媒介に造り出される。習性はグールに似ているものの、討伐難度は比較にならん。媒介となった血液が全て無くなるか、ああやって王蛇の毒で固めないと為す術無く血を吸われる。吸われたら最後だ」


「ああなる、か」



 ヴァンパイアが顎で示す先に、二人分の死体があった。


 肌が青白く、苦悶の表情を浮かべている。


 お気の毒に、と私は思った。同時に、しなずち様の糧となれた光栄をあの世への誉れとせよと、心の内で押し付ける。


 ――――ヴァンパイアが鋭い切っ先をこちらに向ける。



「ジョンソンは孤児の出でな。仕事もなく盗人をしていた所を私が拾って育てた。口は悪いが頭が良く、常識も良識も持った自慢の息子だ。ヤバックは亜人に偏見を持たない良い奴だった。先日猫娘と結婚して、この任が終わったら南の海に旅行に行くと楽しみにしていたよ」


「不幸で災難だ。猫娘の腹に娘がいれば、ソフィアの名を送ろう。化け物に返り討ちにされて手籠めにされた元勇者の名だが、化け物の贄になった男の娘には丁度良いな」


「っ!」



 明らかな怒気が発せられ、切っ先が走る。


 達人でも見切れない速度の剣閃が迫り、私は袖を刃に変えて全て弾いた。ついでに同じ速度で剣閃を返し、斬り裂く前にヴァンパイアの身体が霧に変わる。


 どうせ背後から仕掛けてくるのだろう?


 私は霧の集まるタイミングに合わせ、背中の羽衣を十本の槍に変えて突き出した。だが、実体化より一瞬早かったようで、霧は離れた場所に逃れて形を成す。


 怒り、驚き、困惑。様々な感情で顔が歪んでいる。


 半年前の私もこうだったのだろう。


 自ら巫女となることを強要され、肉体も魂も犯し尽くされた姉様の姿が脳裏に浮かぶ。当時は嫌悪を催していたが、今は途方も無く羨ましくて羨ましくてたまらなく濡れてくる。


 切なくて、切なくて、切なくて、欲しい。



「貴様らは何者だっ!?」


「勇者ソフィアは半年前に死んだ。今の私は、女神軍第四軍の一番槍、朱巫女衆巫女頭のシムナ。で、今師匠の身体を貪っているケダモノが我が主、しなずち様だ」



 ハッとヴァンパイアは表情を変え、師匠のいた方に目を向けた。


 まるでスライムのような血液の塊が、褐色肌の雌を取り込み、中を蠢かせて嬲っている。


 半透明の血色で所々見えにくいものの、頬を赤く染めて欲情している表情だけは見て取れた。肝心のナニをされているかは濁ってわからず、多分五本くらい一気に挿れられているんじゃないかと勝手に思う。


 まぁ、今後はいつでも見られるから別に良いか。


 それにしても、私はいつ襲ってもらえるのだろう?


 ノーラ様に、『男はくっ殺で恋に落ち、堕ちる姿に愛を注ぐ』と教えてもらった。それからずっと我慢しているというのに、一向に無理矢理押し倒して犯してくれない。


 今夜も、しなずち様が発情するようにノーラ様に頼んで強力な性魔術をかけてもらったというのに。


 師匠の方が女として魅力的だとでも?


 私は溢れた嫉妬と不満を羽衣に篭め、百の刃に変えた。全てを先程以上の速度で振るい、ヴァンパイアに向かって剣風を飛ばす。


 地面を抉り飛ばして迫るソレを、ヴァンパイアは霧化でやり過ごす。


 また実体化する所を狙おうとするが、完全に不利な情勢と悟ったのか蝙蝠化して逃げていった。あっという間に見えなくなり、私は耳を澄まして警戒を続ける。


 しなずち様が造った欠片は、壁二面と窓一面、天井一面で計四体。


 一体は師匠達を襲い、もう三体は近づいていた増援に差し向けていた。宵闇に小さな叫びが幾つか生まれてすぐに消え、分かっていた結末に僅かばかりの冥福を祈る。


 ほんの数分もすると、眠りの香で包まれた町は暗闇の静寂に再び包まれた。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





『あーもぉやだあぁああぁああああーーーーっ!』



 数時間後。クルングルームから数十キロ離れた森の中で、つんざくような子供の声が頭の中に響いて響く。


 大事な仲間を失い、泣きたいのはこっちの方だった。だが、あっちにはあっちの苦労があり、少しでも状況を好転させるために私は涙を呑んで報告を続ける。



「勇者ソフィアは女神軍の手に堕ちていた。第四軍、主は『しなずち』だそうだ。おそらく、ダイキとアガタと同格か、それ以上の化け物だろう」


『その化け物の欠片にうちの裏部隊の半数がやられたんですけどぉおおおお!? 勇者クラスだって何人もいたんだぞ!? てか何なのアレ!? HP全然減らないし回復するし展開早すぎて救援間に合わないしムリゲー! 一発食らっただけで即死とかチート過ぎんだろ、いい加減にしろ!』


「即死魔法とか即死技じゃないだけマシだ。対策は出来る」



 ソフィア――――シムナと言ったか――――は、『血を媒介』と言っていた。おそらく血がキーワードなのだろう。


 即死に見えたのは、血管から強制的に血を吸い取った結果だ。


 ジョンソンとヤバックの死の時間が違ったのは、噛みついた血管の太さか重要度が違うから。首と太ももはどちらも大きな血管が通っているが、首の方が出血した時に死に至る時間は短い。


 あくまで一般的な法則に基づいている分、無理筋を通すチート連中に比べるとまだ優しい。


 問題は、手数と絡め手の多さと人外の動き、スピードの速さ。


 対人や大型魔獣との戦いに慣れた我々には、比較的小型で素早く、頭の良い化け物は経験がない。


 私以外は、近接戦は無理だ。



「ギンタ。生き残っている仲間は何人いる?」


『うえぇええええぇぇぇ…………俺達とミュウとアーカンソー。アンダルはこっちでも人間のままだったから寿命で、カミカワは百五十年前のミスリル鉱山崩落で逝った。でも、ダークエルフって言ってもミュウはもう歳だし、あっちの時間感覚が染みついたアーカンソーは十年単位で寝てるから、すぐ動いてくれるかどうか……』


「動かすしかない。でないと、私達が五百年かけて築き上げたこの国が滅びる」



 それだけは避けなければならない。


 この国は、私達のような世界遭難者が集う安息の地だ。そのように、私達六人で作り上げた。


 大鎌の勇者アンダル。


 鍛冶神官カミカワ。


 黒百合のミュウ。


 聖天アーカンソー。


 管理遊戯者ギンタ、もといギュンドラ。


 そして私、閃夜のユーゴ。


 神々の争いに巻き込まれて生まれた世界を放りだされた私達が、私達のような者達を保護し、当たり前の生と当たり前の死を保証する。


 命ある者の権利を守る。


 女神軍だろうが何だろうが関係ない。私達の生は、死は、私達の物だ。


 奪うというなら抵抗しよう。


 全力で。全霊で。



「アーカンソーは私が起こしに行く。ギンタはミュウに連絡を取ってくれ。里から動けないようなら、王蛇の毒の収集依頼を頼む」


『簡単に言わないでよ。討伐ランクSSの古種サーペントなんてそうそうお目にかかれないんだから……』


「その辺はお前の能力で助力しろ。転生の度に世継ぎを産ませる母体を用意してやったろう? 今回の件で一度チャラにしてやる」


『あ~…………うん』



 およそ四百年分のツケを対価に提示すると、ギンタは渋々了承した。


 ギンタの能力『管理遊戯者』は、シミュレーションゲームのような『管理する遊戯』を現実で行う。自支配領域内の物流、人の流れ、気候や作物の実り具合、魔獣の発生状況と被害者の数、兵士の練度等々、全てをリアルタイムで把握することができ、非常に効率よく国家運営ができる。


 王蛇のエンカウント情報を集めて討伐隊を編成し、最短ルートで差し向ける事も難しくない。



「頼む。それと…………」



 言うべきか言わないべきかを悩むが、言っておいた方が良いか。



「私達が勝てなかったら、お前だけでも南の同盟国に亡命しろ」


『絶対ヤダ!! もしそんなことになったらお前の棺桶解体して薪にするからな!?』


「ああ、その時は好きにして良い」



 お前さえ生き残れば、遭難者の終息地はいくらでも作れる。


 幸い、南の同盟国には似た思想の指導者がいる。アーカンソーを起こしに行く前に、彼に書状を送っておこう。


 世界から放り出された遭難者の事。


 彼らの拠り所としてギンタが有用な事。


 今敵対している女神軍について知りうる情報。


 おそらく、私ではあの化け物に勝てない。アレの欠片にすら苦戦し、私一人では一体滅する事もできないだろう。


 だから………………頼んだ。

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