序章 第二話 現状


 世界の在り方とはどういうものか。私がそれを知ったのは、皐月 圭としての生を不本意に終えた後の事だ。


 不幸な飛行機事故だった。


 離陸直後のバードストライクでエンジンが停止し、機体を立て直す暇もなく墜落。飛行場近くの集合住宅に突っ込み、三百人以上の犠牲が出た。


 そして、その内の三十一名が、四人の女神によって囲われた。


 彼女達は地球の女神で、力の女神アーウェル、知の女神キサンディア、勇の女神クロスサ、繁栄の女神ヴィラと名乗った。


 地球外の異世界に侵略戦争を仕掛ける為、尖兵として私達の魂を確保したのだという。


 大半の者達は反対した。


 自分自身の死すら受け入れられないのに、勝手に戦争に巻き込まれるなんてたまったもんじゃない、と。


 それに対し、アーウェルとクロスサは反対する者達に力を注ぎこんだ。


 戦う力、望みを叶える力、エゴを貫き通す力。


 ――――人が溺れやすい力。


 戦争に反対する内の十二人がアーウェルに、十人がクロスサに染められた。


 抜け駆けのような簒奪で、遅れを取らぬようにとキサンディアも八人を配下に選んだ。残ったのは私一人だけ。どうなるかと思っていると三柱の女神達は配下を連れていなくなり、一柱の銀の女神が私の前に残された。


 褐色の肌に銀色の長髪。


 扇情的な凹凸を隠しきれない銀色の薄い衣。


 神々しく凛とした、静かな佇まい――――まさに女神と形容するに相応しい美女だ。


 しかし、そのクールな雰囲気・口調とは裏腹に、内向的な小心者だった。


 目が合うと怯え、すくみ、今にも泣き出しそうに表情を歪めた。まるで自分の病気が普通じゃないと自覚した時の兄のように、一つ一つの仕草に懐かしさと愛おしさが溢れている。


 私は彼女を落ち着かせて、簡単に話した。


 少しずつ、少しずつ、取り留めもない話で段々と警戒を解いていく。名前から始まり、好きな食べ物や色、動物など、しばらく話して微笑みを引き出し――――そして、私の置かれた状況を問うた。


 彼女は、私と共に異世界へ渡るのだと語った。


 何故と正すと、世界と神々のルールなのだと言う。最初は納得いかなかったが、内容を最後まで聞いたら不満も何も砕けて消えた。


 一つ。世界一つに属する神の数は決まっており、あぶれた神は自らの居場所を確保するために他世界に侵略しなければならない。


 一つ。他世界に侵略する為の戦力として、属していた世界から死者の魂を連れていける。


 一つ。配下とする死者は神自身の力で存在を作り替え、尖兵に仕立てないとならない。


 一つ。尖兵は神と、神は尖兵と命運を共にしなければならない。


 付属。死した者の魂は、尖兵であれ転生であれ、すぐに処遇が決められる。


 「そっか……」と私は言い、彼女の頭を撫でていた。


 兄には会えない。


 その事実に、私の心は打ちのめされた。


 誰かが勝手に決めたレールに沿って、誰かが勝手に決めたルールに従って、誰かの勝手な意志で動いて、勝手な誰かの為に働く。


 こんなに無意味で無価値に思える事はない。


 私が大事にしていた約束は果たせず、私達は二度と会うことは出来ない。


 思わず、私は彼女を抱きしめていた。


 縋りたかった。大声で泣いて、兄に謝った。涙で顔をぐちゃぐちゃにして、心がぐちゃぐちゃに締め付けられた。


 困惑しながらも、彼女は私を受け止めてくれた。


 優しく抱きしめ返し、頭を撫でて慰めてくれ――――しばらく抱き合って、落ち着いた私達は話し合った。


 異世界への侵攻は避けられない。しかも、あの三女神と一緒の旅程で、だ。


 あちらは最低でも八人いて、こちらは一人。侵攻の速度差から非難を受けるのは簡単に予想ができ、どうしたらよいかと思考を巡らす。


 私は、生前持っていた記憶の中にヒントがないかを探した。


 人数に劣っていても効率的な侵攻を行える方法。


 できれば、侵攻されていると思われない方法が良い。自らの意志で私達に付き、従い、統治を受け入れる。一滴の血も流さず、喜んで私達を迎えてくれる、そんな方法。


 ――――神。


 思い至って、私は私の持つ言霊を彼女に伝えた。


 兄の病をきっかけに空想した一つの形。不死信仰を起源に据え、中国と日本の伝承・神話とを混ぜ合わせた、私だけの妖怪。


 『しなずち』。


 『死なず』『血』であり、『死なず』『知』であり、『死なず』『池』であり、『死なず』『地』であり、『死なず』『治』。


 『死』『なずち』から中国の『みずち』、『死』『なづち』から日本の『のづち』と繋げ、水龍と地龍の属性も持たせた。


 また、『死』『無』『不』『血』という『死』の否定を否定する対不死性能も持つ。


 繁栄の女神たる彼女は、私の言おうとしていることをすぐ理解した。


 象徴と信仰。


 たった一人と一柱だけで、他の三柱を出し抜く方法だ。


 それから先はあっという間だった。


 彼女の力で私は私の言霊を身に宿し、妖怪となった。


 もちろん苦労もあった。特に世界渡航船『アルファンネス』で侵攻先の世界に向かう間――――おおよそ三か月間――――は試行錯誤の連続だった。


 変わった自分自身を知り、慣れる事に一か月。


 出来る事と出来ない事の把握と訓練に一か月。


 ヴィラとの間に生まれた恋愛感情に折り合いをつけるのに一か月。


 キサンディアの尖兵達が知恵を貸してくれた事は非常に助かった。全裸のヴィラを私の寝床に仕込む悪戯は頭が痛かったが、アーウェルとクロスサの尖兵のように洗脳されておらず、知識と経験豊富な人物ばかりだったので足りない知識と経験を適切に補えた。


 そして異世界『ディプカント』に降り立ち、『アルファンネス』を中心に各方面へ侵攻を開始した。


 最初は作物の不作や疫病、感染症に悩まされる村を探し、豊穣の加護と生命力の活性化で救済を与える。さながら救世主の降臨とでも見られるような一幕で、村人達は盛大な感謝と対価を私達に捧げてくれた。


 若く麗しい娘が、村一つにつき一人ずつ。


 私は彼女達を巫女として受け、近くの山々の中腹に居を置いた。見下ろす限りの村々に自ら統治を捧げさせ、巫女を通して出来得る限りの繁栄を授けて回った。


 当時、周辺一帯が病に沈み、本国から隔離されていたから余計に良かった。


 噂を聞いた村や町がこぞって私達に加護を求め、巫女と統治権が向こうから集まってくる。併行して静かに緩やかに侵攻も進め、一年もすると三十を超える村と町、都、国が傘下へと入っていた。


 ――――と、ここまでは良かった。


 良かったのだが、厄介な問題というのは、いつも突然に面倒な所から現れる。


 つい一週間前の話。女神アーウェルの第一軍と女神クロスサの第三軍が、勇者と魔王の連合軍に敗退した。


 報を受けて、私はすぐ第三軍と勇者・魔王連合軍の戦場を回った。


 勇の女神クロスサの尖兵は、過度の勇気を与えられて潜在能力を引き出され、恐怖を感じない猪武者となっていた。軍団長以外は一騎当千とまではいかないが、尖兵同士での連携は千倍の規模を跳ね返し、常勝無敗。たった一人の落伍者もいなかった。


 ただ一つ。圧倒的に数が足りない。


 四つの国を落とした勢いに乗り、隣国へと第三軍は攻め込んだ。だが、たった十人では幾つもの戦線は維持できず、敵国は優れた指揮統制で守り切れない所を的確に攻めて落とす。


 丁寧に丁寧に押し返され、いつの間にか前線指揮所は国境の外まで追いやられた。


 兵の質はこちらが上なのに、その手際は実に見事。アレには感嘆しか心に浮かばず、敵ながら思わず拍手を送った程だった。


 そして、その時のクロスサの憤慨っぷりもまた見物。


 金色に輝く長髪の幼女が、軍団長にあやされながら羽毛の枕を引き裂き捨てる。あまりにやり過ぎて部屋いっぱいに羽毛が溜まり、生み出された静電気で可愛らしい悲鳴を上げていた。


 今思い出しても、笑いが込み上げてくる。



『しなずち、会議中だ』



 ヴィラの念話で思考の海から意識を上げる。


 目の前では、テーブルの上に映し出された地図を見ながら女神キサンディアが説明をしていた。


 現状の支配領域の規模と、近隣の敵性勢力の規模について。特にアーウェルとクロスサの担当域が予断を許さない状況らしく、声に厳しい色が混じっている。


 いけないいけない。あまり聞き逃していたら、後で何を言われるかわかったものじゃない。



『ありがとう、ヴィラ』


『後でおしおきだ。今夜は寝られないと思え』


『孕ませるつもりで臨もう』


『あぁ、枯らしてやるとも』


『…………フフッ』


『フフフッ』


「第四軍はピンク色のラブラブオーラを抑えてください。会議を進めますよ」

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