しなずち ~兄を亡くした俺は、最悪の妖怪に転生して女神と異世界を侵略します~

花祭 真夏

序章 第一話 前世と今世


『なあ、圭』



 病室の外の桜を眺めながら、兄と俺はソフトクリームを食べていた。


 兄は桜味だ。色は花びらなのに味は桜餅の葉っぱの味。少ししょっぱくて、俺はあまり好きじゃなかった。


 俺のはバラだ。口に入れるとバニラ味をベースに鼻腔にバラの香りが通り、まるで満開のバラ園にいるような気分になれる。


 でも、兄はバラが好きじゃなかった。


 生まれつき心臓が悪く、ずっと病室暮らしだったから――――外の世界を連想させる物を嫌っていた。


 それに、バラは植物の中で生命力が強い。自分の今を嫌でも認識させられると、泣きそうになりながら兄は語っていた。


 俺は罪悪感を感じながらも、バラしか食べない。


 本当は兄に食べて欲しい。


 例え治る見込みがない病気でも、バラの生命力が兄を支えてくれるかもしれなかったから。


 それが、科学的な根拠がない願掛けだとしても……。



『なんだよ、兄貴』


『ごめんな。今日は友達と遊びに行く筈だったんだろ?』


『どうでもいい』


『もうすぐ死ぬ私なんかより、友達を大事にしろよ』


『兄貴の方が大事だ』



 いつでも会える奴らより、もう会えなくなる兄貴の方が大事だ。


 運動ができなくてがりがりに痩せて、いつ発作が起きて死ぬかもわからない。


 看取れるかわからない。


 看取れなくなるかもわからない。


 だから、俺は出来る限り兄と一緒にいた。


 父さんも母さんも、治療費を稼ぐために働き通しで面会になかなか来れない。


 俺だけしか一緒にいられない。


 俺しか、いない。



『次に発作が起きたら死ぬんだろ? ずっと一緒にいるよ』


『――――圭が心配だよ。母さんに、圭が学校で虐められてるって聞いたよ』


『どうでもいい』



 本当にどうでもいいことだ。


 そんな連中の事で割く時間はない。俺は、俺には、兄との時間が一番大事で価値がある。


 例え後でどうなっても良い。俺にとっては、今が全てなんだ。


 今だけしかないんだ。


 未来なんて知らない。



『何で兄貴なんだろうな……?』



 病気の事。


 何で、兄だったのだろうか?


 兄だけだったのだろうか?


 俺達は双子だ。なのに、心臓の病気は兄だけに出た。


 俺の分まで、兄が引き受けてくれたんじゃないか?


 本当なら俺も負わなきゃいけないものを、兄だけが背負ってるんじゃないのか?


 何でだよ……。



『――――昨日の夢なんだけど』


『夢?』


『俺が死んだら、神様が次の世界に連れてってくれるって』



 何だよそれ。


 俺はソフトクリームを頬張った。


 バラの香りで気分が落ち着く。いや、そうでもしないと落ち着いていられない。



『次の世界に行く前に、体は治してくれるってさ』



 死ぬ前に治せよ。神様だろ?


 いや、それ以前に夢か。



『俺には夢があるよ』


『何だ?』


『兄貴と花見に行きたい』



 フフッ、と兄は笑った。



『来世でも一緒だったらな』


『一緒だよ。そうでなきゃ、神様を思いっきり殴ってやる』


『それで圭に罰が当たるのは嫌だな……まあ、頼んでみるよ。俺の方が先に逝くんだから、先に神様にも会えるだろ』


『俺もすぐ行くよ』


『ゆっくり来いって。最低、私の分も幸せに生きてから、さ』


『すぐ行くよ』



 本気で、俺は兄に言う。


 別に自殺して後を追うわけじゃない。でも、こうでも言わないと待っててくれないと思えた。


 さっさと逝って、勝手に行ってしまうと思えた。


 そんなの許せるか。



『――――そっか』



 兄は食べかけのソフトクリームを俺に渡し、ベッドに横になった。


 横になって、穏やかに微笑んで、俺を見た。



『……待ってる』



 そう言って、兄は眠る様に目を閉じた。


 それっきり、兄は二度と目を覚まさなかった。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「………………」



 目が覚めて、まず思い浮かんだのは『最悪』だ。


 もう何年前の話だ。


 あの約束は果たされなかった。病に殺された兄は死後の世界の入口で待っておらず、私はその他大勢の巻き添えと一緒に、世界を渡る女神達の供として囲われた。


 生まれた世界を捨て、この世界に来たのは一年前。


 排気ガスや各種汚染物質にまみれていない世界は新鮮だったが、実を言うと、私が感じたのはそれだけだ。


 戦い、殺し、奪い、犯す。


 例え子供でも、例え老人でも、例え妊婦でも例外はない。


 人間であった頃の良識は斬って捨て、兄との約束などなかった物と断ち捨てて、『俺』は『私』の女神の為に、新たな生をやり直す事を選んだ。


 だというのに、何故こんな夢を今更見る?


 私はもう、兄の為に生きる皐月圭ではないのだぞ?



「…………まだ約束は果たされるとでも思っているのか?」



 答えられる筈のない自分に問う。


 少し待ったが、案の定、答えは浮かばない。


 私は安宿の硬いベッドから身を起こし、少し部屋を歩いてから窓を開けた。


 どんよりとした曇天が私を出迎える。


 いつ雨が降ってもおかしくない『理想的』な空模様に、私の気分は落ち着いていった。視線を下に向けてレンガ造りの中世の街並みを眺め、まばらに行き交う人影の数を頭の中で数えていく。


 通りの商人達は店を開けようか開けまいか悩んでいるようだ。


 雨が降れば客入りは少ないし、痛む品は多くある。


 一人、また一人と店に入って戸を閉めた。それを見た行商や旅人達も今日の宿を探して回り、明日の晴天を信じて空に祈る。



「……ん?」



 重苦しい足音が廊下から響いてくる。


 次第に近づいてきて、丁度ここの部屋の前で止まった。しばしの沈黙が流れたかと思うと、唐突にノックも名乗りもなく木製のドアが蹴破られる。



「おやおや……」



 部屋に入ってきた者達を見て、私は肩をすくめた。


 両刃の長剣を抜刀し、全身鎧に身を包んだ男が五人。


 どこの所属かは、剣や鎧に刻まれた紋章を見ればわかる。剣とペンを量りにかける天秤は、この商業都市ディーフの都市防衛隊。そして、おそらく荒事専門の玄人だ。


 金属製のフルプレートにもかかわらず、一つ一つの動きに乱れも淀みもない。


 ――――男の一人が進み出て、私に対して剣を向ける。



「薬師のケイとは貴様だな?」


「相違ありません。何の御用でしょうか?」


「貴様が異世界からの侵略者『女神軍』の一員であると通報があった。真実かどうかの確認の為、我らと共に来てもらおう」


「抜刀している剣士様について来いと言われても、恐ろしくて足がすくみましょう」


「問答は必要ない。来ぬなら斬る!」



 各々、男達は思い思いの構えで殺気を漲らせる。


 なかなかに良い腕と連携だ。


 前も左右も、行けば即座に斬りかかられる。熟練した腕前と余程の修練を積んでいないとこうはいくまい。


 唯一の逃走路である背後の窓にも、二人分の体温が隠れていた。


 ドアの前での沈黙は、彼らの配置準備の確認だったのだろう。


 さあ、どうするか。



「参ったな――――ヴィラ、この都市の処遇はまだ決まらないのか?」


『たった今、決まった。アーウェルの奴が最後まで抵抗したが、キサンディアがうまく説得してくれたよ』



 部屋の中に、女性としては低く、無関心で、不愛想で、美しく、麗しく、艶めかしい声が染み渡る。


 男達は突然の声に戸惑い、構えが揺れた。私はその隙に右手を左肩の位置まで持っていき――――



『女神軍第四軍団長しなずちに命ず。商業都市ディーフの命、全てを皆殺せ』


「御意に、我が女神」



 指先から細く長い血液の刃を噴き出して、その場の全てを斬り裂いた。

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