第91話 ユリエ

 ふう・・・。

 やあ、ごめんね。毎回、僕の話を尻切れトンボで終わらせて。こんなことしないで、普通に怖い話を聞かせろって感じだよね?

 はは、そもそも聞きたくないって?

 まあ、そんな顔しないで。せっかくここまで話してきたんだ。最後の最後に、僕の話をして、全部終わらせるつもりだからさ。どうかそれまで、ご清聴願うよ。

 さて・・・、残すところ十話か・・・。

 うーん、どうしようか。あと十話しか話せないとなると、どんな話をするか迷うねえ。

 ・・・ああ、じゃあ、こうしよう。

 今までは、それなりにああだこうだと言って、どんな系統の話か、繋がりを意識しながら語ってきたけど、それはやめにするよ。

 ラスト十話は、僕が知っている限りでも、とびきりの怖い話。いわば、僕のお気に入りの話をしていこうか。つながりも何も無しにね。

 まあ、僕が個人的に怖いと思ってるだけだからね。好みの問題になるから、怖いかどうかは君に委ねるよ。

 それじゃあ、再開しようか。百モノ語を————。


 —ユリエ—


 その人は昔、随分と古めかしい和風の家に住んでいた。 

 和風の家っていうよりは、日本家屋って言った方が正しいかな。さすがに茅葺き屋根じゃないけど、瓦屋根で、土壁で、天井は梁が剥き出しになっているような、そんな家。

 住んでいたのは、その人を含めた姉妹二人と、両親と、おじいちゃん、おばあちゃん。一家六人がそれぞれの部屋を持てるほど、その家は広かった。

 その人が小学校低学年の頃のこと。お姉ちゃんが身長比べをしようと言い出した。

 ほら、よくあるでしょ?柱に傷を付けて、”○○、何歳”とかって書くやつ。どこで覚えてきたのか、お姉ちゃんは、やろうやろうって言って聞かない。

 ああ、自分の方がちょっぴり高いから、それを見せつけたいんだな。その人はそう納得して、渋々身長比べをすることにした。

 二人で、普段は客間として使っている続き間の和室に行くと、縁側に面している方の真ん中の柱に目を付けた。カッターを使って、こら、背伸びしないのって言い合いながら、お互いの身長の位置に引っ掻き傷を付けていった。

 当然、お姉ちゃんのほうが若干身長が高かったそうだ。歳が二つ離れていたし、まだ小学生の頃のことだから、体格の差は否が応でも出てくる。

 あたしの方が高いね。

 お姉ちゃんはそう言って、満足そうに笑った。最初からそう言いたかったんでしょ。そう思いながら、それぞれの位置に下の名前と年齢を刻んでいると、ふと誰かから見られているような気がして、振り返った。

 でも、誰もいない。和室にいるのは、お姉ちゃんだけ。

 どうしたの?

 ・・・ううん、なんでもない。

 その次の日。お姉ちゃんが不機嫌そうな顔をして、和室に来てといった。

 なに?

 なに、じゃない。何よ、これ。

 お姉ちゃんは、昨日、傷を付けた柱を指差した。当然、そこには自分たちの名前と年齢が刻んであるだけだ。

 これが、どうかしたの?

 よく見なさいよ、ほら、ここ。

 お姉ちゃんはそう言って、上の方を指差した。

 そこには、”ユリエ 15”という、自分たちと同じ様式で刻まれた見慣れない名前があった。それは、お姉ちゃんの傷の、やや上の位置に刻まれていた。

 あんたが、いたずらしたんでしょ。

 あたし、そんなことしてない。

 嘘つき。あんたが悔しがって変な名前書いたんでしょ。

 そんなことで、悔しがらないもん。

 しばらく言い合ったけど、埒が明かなかった。結局、一方的に自分がしたことにされてしまった。親に言いつけられると思ったけど、柱に傷を付けたのかと怒られそうだと思ったのか、お姉ちゃんは、このことは黙っておいてあげるからと、高圧的に釘を刺してきた。あんたも共犯なんだからね、とでも言いたげに。

 すっかり言いくるめられたその人を置いて、お姉ちゃんはドタドタと和室から出ていった。ひとり取り残されたその人は、その”ユリエ 15”の傷をじっと見つめた。

 自分がやったんじゃないのになあ。・・・あれ?

 よく見ると、その傷は自分たちの傷と比べて少し妙だった。

 自分たちの傷はカッターを使って付けたからか、綺麗に刻まれている。でも、その”ユリエ 15”の傷は、所々ささくれ立っていて、言ってみれば、雑に付けられているように見えた。

 まるで、爪で引っ掻いたみたいに———。

 急に怖くなって、急いで和室を出た。それからしばらくの間、和室に近寄らないようにした。

 ところが、ある日のこと。和室から突然、お姉ちゃんの金切り声が聴こえてきた。驚いて様子を見に行くと、あの柱の前で、お姉ちゃんが腰を抜かしている。

 お姉ちゃん、どうしたの?

 何よこれぇ!またあんたがやったの!?

 お姉ちゃんは震えながら、柱を指差した。

 そこには、お姉ちゃんの名前が刻まれていた、———はずだった。なぜか、お姉ちゃんの名前と年齢が、上書きされて、ぐちゃぐちゃに乱されていた。引っ掻いたような傷によって。

 あんたがやったんでしょ!

 違うよ!ここに来てないもん!

 嘘つき!正直に言いなさいよ!

 言い争っていたら、それを聞きつけて、おばあちゃんがやってきた。

 どうしたね、何を喧嘩しとるんね。

 おばあちゃん!これ!

 お姉ちゃんが金切り声を上げながら、柱の傷を指差した。

 妹がね、変なこと書いたの!ユリエって!

 ・・・ユリエ?

 おばあちゃんはそう呟いた途端、みるみるうちに青ざめた。

 ゆ、ユリエ、ユリエ・・・!

 おばあちゃん?どうしたの?

 心配して、声を掛けた瞬間、おばあちゃんが急に後ろ向きに倒れた。

 お、おばあちゃん!おばあちゃん!

 揺さぶっても、おばあちゃんは目を見開いて口を開けたまま、声にならない声を漏らすだけだった。 

 二人して、おばあちゃんの急な豹変ぶりに怖くなって泣き喚いていたら、その騒ぎを聞きつけたおじいちゃんが救急車を呼んだ。そのまま、おばあちゃんは病院に運ばれていったけど、三日後に亡くなった。

 その間、おばあちゃんのお葬式やらなんやらでバタバタしていたのもあって、お姉ちゃんとはほとんど口を利かなかった。幼いながらにも、二人の間には、あの傷のことについて話すのはタブーみたいな空気が流れていたそうだ。

 それからしばらく経った、おばあちゃんの四十九日が終わった頃のこと。夜寝ていたら、ふと目が覚めた。時計を見ると、真夜中の十二時。今まで、そんなことなかったから、急に怖くなった。布団をかぶって目をつぶったけど、なぜだか眠れない。

 心細くなって、襖一枚隔てたお姉ちゃんの部屋に行くことにした。一緒に寝てもらおうとして。それで、音を立てないように、そーっと襖を開いて、お姉ちゃんの部屋を覗いた。

 ところが、敷かれていた布団にお姉ちゃんの姿は無かった。

 そんな、どうして———。

 よく見ると、毛布が捲られている。もしかして、トイレかどこかに行っているのか?

 諦めて自分の布団に潜り込もうとしたけど、部屋にひとりでいるということが分かって、さっきよりも怖くなってきた。どうしようか迷ったけど、部屋を出て、お姉ちゃんを探しに行くことにした。

 多分、トイレにいるんだろう。それか、台所で水でも飲んでいるのかもしれない。そろそろと廊下を歩いて、そっちに行こうとしたところ、普段は閉めているはずの和室の襖が開いていることに気が付いた。

 鳥肌が立った。逃げようかと思ったけど、なぜか吸い込まれるように、足がそっちの方に向かっていた。怖いもの見たさというよりも、中にお姉ちゃんがいないことを確認しなければと思って。

 とうとう襖の前まで来て、恐る恐る中を覗いた。

 息を呑んだ。

 そこには、柱の前に佇むお姉ちゃんの姿があった。

 真っ暗な中、寝間着姿で柱の前に突っ立っている。なぜか上を見上げるような姿勢のまま。

 ・・・お、お姉ちゃん?

 声を掛けたけど、お姉ちゃんは無反応だった。恐る恐る和室の中に入ると、お姉ちゃんの元へ向かった。

 ねえ、お姉ちゃん?どうしたの?何してるの?

 泣きそうになりながら訊くと、お姉ちゃんは上を見上げたまま、

 

 ————ユリエお姉ちゃんと話してるの。


 なぜか、そこからの記憶が無いそうだ。

 気が付いたら朝になっていて、普通に自分の部屋にいて、布団で寝ていた。朝ご飯を食べに台所に行ったら、いつものようにみんなが朝ご飯を食べていた。もちろん、その中にお姉ちゃんもいた。

 あれは、夢だったのかな?

 そう思うことにした。薄気味悪くて、お姉ちゃんに訊けなかったそうだ。昨日の夜、和室で何してたの?とは。

 その日、学校から帰ってくると、陽が明るい内に恐る恐る和室に行った。柱に何か変化があるのではないかと思って。

 すると、あり得ないことが起こっていた。

 あのぐちゃぐちゃの傷や、”ユリエ 15”の傷はおろか、自分たちの付けた傷すら、消え失せていた。まるで、最初から何も無かったかのように。

 柱の前で呆然としていると、

 ———何してるの、あんた。

 振り返ると、お姉ちゃんがいた。

 お、お姉ちゃん。あの傷が・・・。

 はあ?何言ってるの?

 き、傷が消えてるの。あたしたちの付けた傷が・・・。

 傷?なんのこと?

 なぜかお姉ちゃんは、傷のことなどまるで知らないといった風だった。

 変なこと言ってないで、宿題でもしなさいよ。

 お姉ちゃんはそう言って、和室を出ていった。ひとりで柱の前にいるのが嫌で、急いで自分も和室から出た。

 それから、お姉ちゃんとはあまり話さなくなったそうだ。会話はするものの、心を通わすことをやめて、距離を置いて過ごした。あんなに一緒に遊んでいたのにと、両親からは不思議がられたけど、いくら姉妹でも成長するにつれ、そうなるものなのだろうと納得された様だった。

 やがて、お姉ちゃんは大学進学と共に家を出て、自分も同じように家を出た。進学したのが遠方の大学だったから、滅多に実家に帰ることはなく、お姉ちゃんともほとんど会うことはなかった。

 それから今に至るんですけど、この前、お姉ちゃんが結婚したんですよ。

 その人は、俯きながら続けた。

 いわゆるできちゃった婚なんですけど、両親は初孫だからか、とても喜んでて。それで、最近は実家とよく連絡するようになったんですけど・・・。お姉ちゃん、もう産まれてくる子の名前を決めてあるらしいんです。どうやら、女の子みたいなんですけど。

 ・・・ユリエって名前らしいんです。

 私ね、思うことがあるんです。お姉ちゃんの名前はエリカ、私の名前はカナエっていうんですけど。

 小さい頃、母からこんな話を聞かされたことがあるんです。あなたたち姉妹は、名前がしりとりで続くように名付けたんだって。エリカ、カナエっていう風に。

 ユリエ、・・・エリカ、カナエ。

 ユリエって、一体誰なんでしょうね?母は何も知らない風ですし。・・・もしかしたら何か隠してるのかもしれませんけど、怖くて訊くこともできないんですよ。

 その人は、そう話し終えた。

 ユリエちゃんは、もうすぐ産まれてくるそうだ。

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