第34話 揺れる背中

 君は怖い夢を見たことあるかい?まあ誰にだってある話か。幽霊がでてくる夢じゃなくったって、怖い夢は誰しも見るものだしね。

 高い所から落ちる夢。誰かに殺される夢。身近な誰かが死ぬ夢。

 占いなんかの題材にもなってるよね。深層心理が反映されて、どうだのこうだの。こんな夢を見たらこんなことが起こる予兆、なんてね。全く馬鹿馬鹿しいよ。あんなの当てにならないに決まってる。

 でも、深層心理が夢に現れるってのは、あながち間違いじゃないのかもね。


 —揺れる背中—


 年配の人から聞いた話。

 その人が若い頃のこと、疎遠だった母親が死んで、葬式に出席することになった。

 気が滅入る。内心、親族の集まる場には出向きたくはなかった。なぜなら、実家とは折り合いが悪かった。学生時分に将来の事で揉めて就職と共に実家を飛び出して以来、そういった場にはほとんど顔を出してなかったからだ。

 しかし、二度と顔を見るもんか、そう思っていた母親でもいざ死んだとなると、話は別。複雑な気持ちで久しぶりに実家に帰省した。

 案の定、父親や他の兄弟からは白々しく出迎えられた。いくら昔の話とはいえ、修復不可能なまでに罵り合った仲だったから、当然の事。もちろんそれを覚悟しての帰省だった。

 田舎特有のだだっ広い和室に通されて、線香をあげた。遺影には懐かしい笑顔の母親が写ってる。ああ、こんな顔も、昔はよく見たのにな。複雑な気分で、棺の中の母親の顔を見ようと覗き込むと、なぜかもう白い布が掛けられていた。

 どういうことだ?不思議に思っていると、隣にいた叔母さんが耳打ちしてきた。

 お母さん、闘病の末に顔が変形しちゃったから、見ない方がいいわよ。

 なんでも顔面の神経を患っていたらしくて、長いこと入院していたらしい。長い闘病の末、顔は生前の面影がないほど変形してしまった。

 少し虚しくなった。とうとう元気だったころの母親の顔は、見ることが叶わなかったと思うと、目が潤んだ。

 でも今更悔やんだってしょうがない。仕方なく、そのまま淡々と事を進めて、葬式を終えた。

 そうこうしている内に夜も更けて、家には家族のみになった。今ではもう物置のようになったかつての自分の部屋で、何年かぶりに眠りについた。

 するとこんな夢を見た。実家の居間に自分は座っていて、襖を隔てたすぐ向こうの和室に母親がいる。

 襖は閉じている。でもなぜか母親がその向こうにいるのは分かったそうだ。自分は座ったまま、襖に向かって会いたいと願っている。母親を一目見たい。かつての母親の笑顔を。

 しばらくすると、襖が両側にすすーと開いた。やっぱり母親はそこにいた。普通の服装で、正座している。小学生の頃によく見た光景。懐かしい後ろ姿だった。

 そう、なぜか後ろ姿だったんだ。和室の奥の仏壇の方をずっと見ている。テレビの一時停止画面みたいにピクリとも動かない。

 声は出せなかった。動けもしなかった。ただ、母親に向かって、ひたすら顔を見せてよ。そう念じていると、急に母親の背中が揺れだしたんだ。

 震えるように揺れている。次第に頭をビクつかせるほどに前後に揺れだした。そしてとうとう身体ごと、前後左右にひたすら揺れるようになった。

 その間、ずっと無音だった。音もなく母親の背中が揺れているのを見ていることしかできなかった。ただ、それをみて何故か、ああ、笑ってくれたんだな。そう感じたそうだ。

 気がついたら朝だった。ああ、夢だったんだな。それでも母親に会えたことが嬉しかった。夢とはいえ、母親に対するわだかまりが解けたような気がした。

 最後の最後に、母親の方から会いに来てくれたんですかねえ。その人はそう締めくくったんだ。

 でも、妙だと思わない?せっかく夢の中で会いに来たのに、後ろ姿しか見せてくれなかったなんて。

 君はどういう風に解釈する?その人の深層心理、母親に一目会いたいという願望が夢になって現れたのか。それとも母親が最後に会いに来てくれたのか。

 こんな風に考えることもできる。やっぱり夢はその人の願望で、後ろ姿しか見ることが出来なかったのは、長らく会っていなかったから、記憶の中にしか母親の姿を夢想することができなかった。

 もうひとつは、母親が会いに来てくれたけれど、自分の顔がとても見られたものじゃないから、後ろ姿で笑顔を見せるしかなかった。

 そしてもうひとつは、そもそも笑ってなんかいなかった。

 この中に正解はあるのかな?まあ都合のいいように解釈するのが、一番いいんだろうけどねえ。

 

 

 

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