第32話 咳の音

 鼻が利く人の話をしたから、今度は聴こえる人の話をしようかな。

 心霊体験ってさ、こういうのが多いよね。怪異に遭遇して、姿が見えたと思ったら、一言ゾッとするようなことを言われて終わり、みたいなパターン。

 今まで僕が語った話の中にも、そういうのあったでしょ?まるで怖い話のテンプレートみたいだよね。

 でも、この話を聞いた時に、全部が全部そういう話じゃなかったんじゃないかな?って思ったよ。


 —咳の音—


 知り合いの知り合いから聞いた話。その人はいわゆる視える人だったけれど、同時に”よく聴こえる人”でもあった。

 この世の存在じゃないモノの姿が視えるよりも、聴こえることの方が多いそうだ。

 例えば交差点を歩いていたら、甲高い叫び声が聴こえたかと思うと、急にプツッと止まった。辺りを見渡しても事故なんか起きちゃいない。不思議に思っていたら、渡り終えた時に電柱のそばに花束が添えてあった。

 とある地方へ出向いた時、遠くから大勢の赤ん坊の泣き声がするなあ、と思ってたら、近くに水子供養のお寺があった。

 とまあ、こんな風に聴こえやすい人なんだよ。視えるよりは。

 その人が親戚のお見舞いで病院に行った時の事。

 親戚が老衰によってほぼ寝たきりになっていたから、お見舞いはすぐに済んだ。顔を見に来ただけのようなもの。付き添っていた親戚と立ち話をしてから、すぐに病室を出て帰ろうとした。

 その階はいわゆる終末病棟なのか、そういう人たちばかりが入院しているようだった。どの部屋も、もう先が長くはなさそうな人たちばかり。独特の匂いが漂ってる。

 早くここから離れよう。そう思いながらエレベーターに向かって歩いていたら、激しい咳をする音が聴こえた。

 ゴホッゴホッ、ゲホゲホッ、ヒュー、ヒューッ。

 食べ物でも詰まらせたんじゃないのかって位むせかえってる。音のする方を探したら、どうやら突き当たりの病室の方から聴こえてくる。

 おいおい、これはまずいんじゃないのか。いくら何でも心配になって、病室を覗きに行ったら、妙な光景が目に飛び込んできた。

 部屋の中にはベッドが二つ。どっちも仕切りのカーテンは開いていた。けれど誰もいない。なのに激しくむせかえる音は止まない。

 ゲホゲホッ、ゲホッ、カヒューッ、カヒューッ。

 どういうことだ?ベッドの向こうに倒れてるのか?病室に入りこんでベッドの両側を確認したけど、やっぱり誰もいない。

 ふと気が付いた。あ、そういえば病室の入り口に名前が貼ってなかった。それにこの音、むせかえっているんじゃなくて、辛そうに呼吸している音だ。

 ゴホッ、ガハッ、カヒューッ、カヒューッ。

 途端に怖くなった。あれっ、これってもしかして、やばいヤツじゃ・・。

 顔から血の気が引いた瞬間、病室のどこかから聴こえていたはずの音が耳元で聴こえた。

 カヒューッ、カヒューッ、カヒューッ、カヒューッ。

 あああ、やばいっ。逃げ出そうと入り口に向かって振り返った時だった。

 おマえハいいヨなア ふつウにいキできテ。

 まるでバラバラの音声を継ぎ接ぎしたような抑揚のない声だったそうだ。

 どうかされましたか。

 あれっ?

 気がついたら看護師さんから声を掛けられていた。病室の真ん中でぼーっと突っ立ってたそうだ。さほど時間は経過していなかったらしい。

 あっ、ええと、なんでもないです。

 そうですか、エレベーターはあちらですよ。

 看護師さんは妙に淡々としていたそうだ。なにか前例でもあったんだろうか。そう思わせるような口ぶりだった。

 ああ、どうも・・・。

 突っ立っていたってしょうがない。キツネにつままれたような気分で病室を後にして、エレベーターに入って、扉が閉まった瞬間。

 カヒューッ、カヒューッ、カヒューッ。

 エレベーター内でまたあの呼吸音が聴こえた。

 あああっ、なんだよもうっ。勘弁してくれっ。

 結局病院を出るまで耳元で呼吸音が聴こえていたそうだ。

 その人はこう言ってた。よく怖い話で、一言聴こえて終わりってパターンがあるけど、あれはきっと気付いていないだけなんですよ。聴こえた後にだって、きっと怪異は憑いて来てるんです。

 僕は幸運だった。病院からは出られないのか、出た後はあの呼吸音は聴こえないですからね。もしかしたら今も憑いて来ていて、黙っているだけなのかもしれないけど。

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