第八話(エピローグ)

「ジェームズ?」

 ミスティル卿は隣に座るジェームズを促した。

「はい……」

 少し緊張した面持ちでジェームズが口を開く。

「簡単に言うと、僕は今学校で護符の一般化を研究しています」

「一般化?」

 興味深げにダベンポートがジェームズの顔を覗き込む。

「そうです」

 ジェームズは頷いた。

「今、護符化できているのは治癒の呪文くらいです。これは主に必要があったから発展したのですが、ならば他の呪文も護符化できないかと、僕はそう考えました」

「護符化というのは難しいのかね?」

 ミスティル卿がダベンポートに訊ねる。

「難しいですね」

 ダベンポートは首を縦に振った。

「呪文は通常、術者、対象、エレメントの三つの要素で成り立ちます。護符化するということはこの全てを抽象化する事を意味します。術者の抽象化は比較的簡単だと思うのですが、対象とエレメントの抽象化はなかなか難しい」

「僕は、エレメントの抽象化はマナソースへの置き換えで解決しました。これによって術者のマナ負担を軽減し、術者の抽象化も進めるのが基本方針です」

「……何を言っているのかよく判らんが」

 ミスティル卿が難しい顔をする。

「その研究はうまく行っているのかね、ジェームズ?」

「一定の成果はあげています」

 とジェームズは胸を張った。

「リリィさんにお見せした『マリー・アントワネット号』の魔法はこれの応用です。あの船の水槽には恒温維持呪文の魔法を抽象化した物を使っています」

「ほう、面白いね」

 ダベンポートは興味を引かれたようだ。

「マナソースはどうしたんだね?」

「海を使っています」

 ジェームズは答えて言った。

「船ですから、マナソースの指向を真下に向けたんです。そうすれば、そこには必ず海がありますから……」

「確実にマナを吸い上げられると言うわけか。治癒の護符が大気をマナソースに指定するのと同じ発想だね」

「そうです」

 ジェームズはにこりと笑った。

「それで、将来性の方はどうなのかね?」

 父親だけあって、ミスティル卿はその研究の成果が気になるようだ。

「上々です」

 ジェームズが身振りを交えながら説明する。

「今は船一隻ですが、ゆくゆくは大きなプールを作りたいと考えています。恒温維持呪文ですから水温は自由自在です。いずれは南洋や北海の魚も王国で食べられるようになると思いますよ」

「それは事業化するのかね?」

「無論、そのつもりです」

「やれやれ」

 ミスティル卿は意味ありげにダベンポートの顔を見た。

「貴族がそのような世俗の活動に興味を示すとは、時代も変わったものだ」

ノブレス・オブリージュ高貴さは義務を強制するですよ、父上」

 ジェームズはミスティル卿に反駁した。

「我々が事業化してその技術を一般に解放すれば、いずれは市井の労働者の利益になりましょう。我々は搾取するだけではなくて、富を還元する方法を今後は考えないといけないのです」

…………


 その後もジェームズは大いに語り、富の還元に関する議論は白熱した。

 正直なところ、半分ぐらいの話は浮世離れしていてリリィにはよく判らなかったが、遠くのお魚には大いに興味がある。

(北のお魚は冷凍されて北の国から運ばれてくるから、たまにデイビッドさんのお魚屋さんでも売っている。オヒョウとかも確かそう。でも、南の方のお魚って見たことがないな……。どんなお魚がいるのかしら……)

「王国は北に位置しているため、南の魚はなかなか手に入らないのです。ですが、僕の技術を使えば……」

 男の人がお話ししている時に口を挟むのはマナー違反だ。なので、リリィは黙って座っていた。だが、好奇心は募るばかりだ。

 ふと、そんなリリィの様子を見てダベンポートは目を細めた。

「どうしたのかね、リリィ? 知りたいことがあったら訊ねてごらん?」

 そう言ってリリィを促す。

「はい」

 ダベンポートの言葉に甘え、思い切ってリリィはジェームズに訊ねてみる事にした。

「ジェームズさん、南の海ってどんなお魚がいるのですか?」

「南洋の魚かい?」

 リリィの純粋な好奇心にジェームズが微笑む。

「そうだねえ」

 ジェームズは顎の下に手をやると宙を仰いだ。

「基本的には鮮やかな色合いの魚が多いね。赤とか、青とか。黄色い魚もいるね。味はまあ、一緒だよ。魚は魚だ」

「行かれたことがあるのですか?」

「ああ、何回かね」

 いいな。行ってみたいな。

 羨ましそうにするリリィを見て、謹厳そうに見えたミスティル卿も微笑みを浮かべる。

「リリィさん、いずれは誰でも行けるようになると思うよ。そうだね、君がおばあさんになる頃には」


 結局、ミスティル卿のお宅には三時過ぎまでお邪魔してしまった。

(お昼をご馳走になった上に午後のお菓子まで頂いてしまった……)

 食事はどれも素晴らしかった。パーラーメイド達の立ち居振る舞いも洗練されていて、誰もがとても美しい。

(これが貴族のお屋敷……。わたしはまだまだだ)

 帰りの馬車の中でリリィはダベンポートに話しかけた。

「ミスティル様のお家のパーラーメイドの人たちは大変に洗練されていました。わたしも見習わないと……」

「そうかね?」

 だが、ダベンポートはあまり感心しない様子だ。

「彼女達は実のところ、そこらの女給ウェイトレスと変わらないじゃないか。確かに客間の掃除はするかも知れないが、それまでだ。僕はリリィと暮らしている方がよほど性に合っている」

「あ、ありがとうございます」

 ダベンポートの飾り気のない言葉に、リリィは少し顔が火照るのを感じた。

「しかし、ジェームズ坊やには驚いたね」

 片手で頬杖を突いて窓の外を眺めながらダベンポートは話題を変えた。

「漁業を事業化か。色々考えているようじゃないか」

「でも、あの魔法は安全なのですか?」

 リリィは一番気になっていたことをダベンポートに訊ねてみた。

「ああ、聞いた限りでは大丈夫そうだよ」

 ダベンポートはリリィの方を振り返るとにっこりと微笑んだ。

「どうやら学校でもしっかりとした指導教官に付いているようだし、考え方も間違ってはいない。今はまだ船の上じゃないとジェームズ坊やの護符は働かないようだが、いずれは陸上でも使えるようになるだろう」

「そうですか。よかった……」

 安堵の息を漏らす。

「リリィ、ジェームズ坊やのことが気になるのかい?」

 ふと悪戯っぽい笑みを浮かべ、ダベンポートはリリィに訊ねた。

「いえ、そうではないのです」

 リリィが慌てて訂正する。

「ただ、ジェームズ様が事件をお起こしになるとまた旦那様が忙しくなってしまうと思って、それだけが気がかりでした」

「ふむ」

 ダベンポートは鼻を鳴らした。

「まあ、今のところは大丈夫だろう。僕は先に船が沈んでしまわないか、そちらの方が心配だよ」

「それはきっと大丈夫だと思います。あまり遠くにも行かないようですし……」

 やっぱり旦那様と一緒にいると安心する。

 夕闇の迫る丘の帰り道、リリィはダベンポートとお喋りしながら魔法院の方へと運ばれて行った。


──魔法で人は殺せない9:リリィの憂鬱 完──

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【第二巻:事前公開中】魔法で人は殺せない9 蒲生 竜哉 @tatsuya_gamo

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