第三話

 カレイと魚介類のワイン蒸しは思った以上に美味しく出来た。


 カレイには最初に下味をつけてしばらくお休みしてもらう。続けてソース作り。玉ねぎをちょっと油で炒めてからムール貝とワインを加え、蓋をしてムール貝が口を開けるまでのんびり待つ。貝が口を開けたら貝だけ一度取り出し、液体部分をバターと一緒にソースパンに移してゆっくり煮詰めて。

 煮詰めているあいだにカレイをムニエルにする。黒光りするフライパンにバターを落とし、薄く粉を振ったカレイがカリッとするまで丁寧に両面を焼く。カレイが焼けたらお皿に移してソースの最後の仕上げへ。

 煮詰まったソースに庭で取れた行者ニンニクワイルドガーリックとエビ、ちょっとのレモンジュースを加え、エビが色付くまでかき混ぜる。

 カレイのムニエルを綺麗なお皿に盛り付け、上にムール貝を乗せてから出来上がったソースを添える。上からパセリをパラパラしたら出来上がり。

────


「うん、これは美味しいな」

 カレイを食べながらダベンポートは目をみはった。

「このカレイが特にうまい。リリィ、このカレイはどうしたんだい?」

「駅前のお魚屋さんで買ったんです」

 リリィも向かいでカレイを上品に口に運びながらニコニコとダベンポートに答える。

「今日は仲買さんが良かったとかで特に新鮮だったんです」

「このムール貝のソースもうまい。これはリリィが考えたのかい?」

「お昼に晩ごはんのメニューを考えているときに閃きました」

「……これは素晴らしい」

 ソースにパンを浸しながらダベンポートは唸った。

「リリィは仕事を間違えたね」

 ふと顔を上げ、真顔でダベンポートがリリィに言う。

「間違えた?」

「これだけ料理が上手ければ、セントラルのレストランでシェフができるかも知れん」

 リリィの笑みが大きくなる。頰が紅潮するのが自分でも判る。

 だがちょっと考え、すぐにダベンポートは前言を撤回した。

「……いや、ダメだな」

「ダメ、ですか?」

 がっかり。

「そんな事をされたら僕の食生活の危機だ。僕としてはリリィにはこれからもずっとここで僕のために料理を作ってほしいものだよ」

 我知らず、リリィの笑顔が大きくなる。

「それはもちろん」

 リリィは明るい笑顔を浮かべるとこっくりと大きく頷いた。

「これからも毎日作ります」

……………


 ダベンポートに誘われてリビングでゆったりとお茶を楽しんでいる時、ふとリリィは今日の出来事をダベンポートに話すことにした。

「お魚の鮮度って、仲買人さんによってだいぶん違うみたいです」

「へえ?」

 ダベンポートが紅茶のカップをソーサーに置いてリリィの顔を見る。

「お魚屋さんのデイビッドさんが話してくださいました。お天気とかにも左右されるみたい」

「まあ、それはそうだろうな」

 ダベンポートは頷いた。

「海が時化たら出漁できない。そうしたら品薄になるか、残り物を食べるしかないものな。大きな冷凍船で運ばれてくる輸入の魚はあるかも知れんが、それにしたって品質はおそらく劣るだろう」

「そう、それで面白い仲買人さんのお話を聞いたんです」

 とリリィは顔の前でぱちんと両手を合わせた。

「その仲買さん、あんまりたくさんはお魚持ってこないそうなんですけど、鮮度がすごくいいらしいんです」

「へえ」

 興味を引かれたのか、ダベンポートは少し身を乗り出した。

「その仲買さんのお魚は市場でもまだ生きているんですって」

「それは珍しいな。それは初めて聞いたよ」

「でも、どうやって持ってきているんでしょう?」

 リリィはダベンポートに訊ねた。

「そうだなあ」

 ダベンポートが少し考える。

「逆に魚が輸送中に死んでしまう理由を考えてみるといいのかも知れないね。その原因を排除すれば魚を生かしたまま輸送できるはずだ」

「はい」

 興味を引かれてリリィも身を乗り出す。

 旦那様はやっぱり考え方が少し違う。そちらの方向からは考えなかった。

「まあ獲ってすぐに殺してしまう普通の漁法は論外として、もし生かして持って帰るんだったら海水に入れたままで持って帰るんだろうな。大型のアクアリウムを船に作ればあるいはできるかも知れないなあ」

 興が乗ってきたのか、ダベンポートはさらに言葉を続けた。

「でだ、船に魚の容れ物ができたとして、それでも魚が中で死んでしまう可能性はなんだと思う?」

「お腹が、空いたとかですか」

「ハハハ、リリィは食いしん坊だなあ」

 ダベンポートは声をあげて笑った。

「おそらくだが、要素は二つあるだろうね。一つは水温、もう一つは海水の中の酸素濃度だ」

「酸素濃度……」

 だんだん話が難しくなってきた。

「魚も息をするんだよ。海水の中の酸素が減れば息苦しくなっていずれは死んでしまうだろう。水温も大切だよ。この二つを維持するのが難しかったから、家庭用のアクアリウムはすぐに流行りが終わっちゃったんだ」

「そうなんですか」

 少し前にアクアリウムをおうちに作ることが上流階級の人たちの間で爆発的に流行したことはリリィも知っていた。そのブームはすぐに衰退してしまったのだが、それがそういう理由だとは知らなかった。

「あとは水槽に頭をぶつけて怪我をして死んでしまうということもあるかも知れないね。ともかく、こういう危険要素を排除すれば、あるいは沖合で魚を獲って生きたまま市場まで持って帰ることも可能かも知れないよ」

「でも大変そうですね」

 宙を仰ぎ、色々と想像しながらリリィは人差し指を顎に当てた。

 お魚と一緒に船に乗って帰ってくるのって楽しそう。だけど、きっとちょっと違うんだろうな。

「ああ」

 ダベンポートは頷いた。

「だから少ししか魚を持って来れないんだろう。しかし、そんなことで採算が取れるのかねえ」

「ああ、そう言えば」

 リリィはダベンポートに相談しようと思っていた事を思い出して、ポンッと両手を合わせた。

「デイビッドさんが今度市場に連れて行ってくれるって仰っていました」

「ほお?」

 ダベンポートがにこりと笑う。

「それは面白そうだね」

「旦那様も行きませんか?」

 勇気を奮い起こし、恐る恐る誘ってみる。

「うーん、平日だろう?」

 ダベンポートは少し考えた。

「僕は多分、ダメだな。リリィ、僕の事は気にせず行っておいで。その日はお休みにして構わない。まだお金はあるだろう? 何か美味しそうな魚を市場で買ってきてくれると有難い」

 そうか、旦那様は一緒に行けないのか。ちょっと残念。

「わかりました」

 リリィは内心がっかりした事にはおくびにも出さず、ダベンポートに頷いた。

「じゃあ、いつ連れて行ってもらうか、今度駅前に行った時にデイビッドさんに相談してみます」

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