きみと読み進めるわたしの青春
宮下龍美
第1話 笑顔が似合う彼女
図書室の中から眺める空は、綺麗な夕日に焼かれている。放課後が始まってからずっとここにいたが、どうやら読書に集中し過ぎていたみたいだ。時間も忘れて読み耽る事が出来たのは、ある意味嬉しいことだけど。
そろそろかな、とブックカバーもされていないライトノベルを閉じて、カバンに仕舞う。
それと殆ど同時に、図書室の扉が開く音。椅子に座ったまま振り返ってみれば、眉尻を下げて少し申し訳なさそうに微笑んだ待ち人が。
「ごめんね、待たせちゃった」
「部活だったらしょうがないよ。僕の方こそ、水泳部大変なのに誘ってごめん」
「いいのいいの! きみと本屋さん行くの、いつも楽しいから!」
それが本音なのだとは、考えずとも浮かべている笑顔をみれば理解できる。実際彼女は、本屋に行けばいつも楽しそうだ。それが僕と一緒なのか、それとも本が好きだからなのかは分からないが。
「そうだ、きみにオススメされたラノベ、昨日読み終わったよ! お陰で今日は寝不足だったけど、すっごい面白かった!」
「そっか、それは良かった。でもそれより、図書室なんだからもうちょっと音量下げようか」
吸い込まれそうなほどに綺麗な青い瞳を、爛々と輝かしている彼女には悪いけど。一応のマナーとして。
宥めるように言ってみれば、小さな唇が弓を引くように口角を上げた。それがまたとても可愛らしくて、つい見惚れてしまう。
「でも、今はわたし達だけ。二人きり、だよ?」
「……っ」
「ふふっ、なんてね」
僕の頬が赤くなったのは、二人きりというワードに反応してしまったからか。からかわれた恥ずかしさからか。どちらにせよ、可愛らしい笑顔を真近で直視してしまったから、というのは変わらない。
「さっ、行こっか! 昨日読んだラノベの感想は、歩きながら聞いてよ!」
「うん、もちろん聞くよ」
明るく朗らかな笑顔とともに、図書室を出て目的の本屋へ向かう。その道中、是非とも感想を聞かせてもらおう。それが、僕と彼女、
「あれ、きみが読んでる本って……」
僕が綾乃と出会ったのは、学校の図書室でのことだった。いや、出会ったという表現は適切じゃない。綾乃とは同じクラスだから。けれど、こうして話しかけられたのは、この時が初めてだった。
そして、そんな言葉をかけられた僕は、この前の日に発売されたラノベの新刊を読んでいて。顔を上げた先にいた彼女の青い瞳は、興味深そうにその表紙と僕の間を行ったり来たり。
会話したこともないクラスメイトから話しかけられた僕は、頭の中で大量の疑問符を浮かべるのみ。
「もしかして、きみもライトノベルが好きなの?」
やがて投げられた問いは、輝いた青い瞳とセットで。まるで、砂漠を彷徨う中、ようやくオアシスを見つけたような。探し求めていたお宝を、ようやく見つけた旅人のような。
無言で頷いた僕の頭に、まさかと思考がよぎった。この学校全体ではどうか知らないが、僕たちのクラスに限れば、ライトノベルを読んでる人なんていない。オタクの趣味だからと、リア充の皆さんは嫌悪の眼差しを向けてるかもしれない。
それなのに。まさか。こんなに可愛くて、聞いた話によれば水泳部で大活躍してるらしいこのクラスメイトが?
「わ、わたしも! わたしも好きなの、ライトノベル!」
そのまさかだったわけだ。
「今まで周りはみんなラノベを読んだことない人達ばかりで、感想言い合う友達なんていなかったんだけど……」
「ちょっと分かる、かも。ラノベってあんまりいい目で見られないし……」
「だよね、だよねっ!」
表紙の絵が原因なのか、ライトノベルは一般の人たちからすると、他の小説に比べて俗なものだと思われているだろう。それどころか、小説とも思われていない可能性だって。素晴らしい作品がいくつもあるのに関わらず、オタクの趣味だからとか、そんなつまらない理由でラノベ自体やその読者、果ては作者まで馬鹿にする人が、この世にはいるのだ。悲しいことに。
だからこの時の綾乃の話は、僕にとっても頷けるものだったし。
「ねぇねぇ、良かったら、今読んでるその作品の感想、今度言い合おうよ! わたしも読んでくるから!」
この提案も、僕は二つ返事で受け入れたのだった。
それからの毎日は、それ以前と比べるべくもなく充実したものになった。教室でも綾乃は話しかけてきて、周りの目も気にせずラノベの話を二人でする。
最初は奇異の視線を向けられてはいたけど、それでも綾乃と感想を言い合ったり、次巻の展開を予想してみせたりするのは、とても楽しかった。
そうして現在。新刊の発売日の放課後には、部活終わりの綾乃と一緒に本屋へ向かうのが恒例となり、今日も行きつけの本屋で新刊を買った綾乃は、ホクホク笑顔で帰路を歩いている。
「今日も沢山買ったね」
「うん! 読むの楽しみだなぁ……」
「また夜更かししないようにしなよ?」
「大丈夫だよー。それよりも、最近は部活が忙しくて、読む時間が取れるかが心配なんだ」
「そんなに大変なんだ、水泳部」
「優勝に向けて頑張ってるからね。今度の大会、きみも見に来てよ」
水泳の大会といえば、当然ながら選手はみんな水着だ。だからつまり、綾乃も水着になってるわけで……。
「むっ、今変なこと考えてたでしょ……」
「いや別にそんなことは」
「怪しいなぁー」
頬を膨らませジトーッと僕の目を覗き込む綾乃。なぜ心の中を読まれてしまったのか。でも、僕だって思春期の男子なんだから、多少は仕方ないと思うんだよね。
しかし綾乃は、訝しむようなジト目から一転して破顔。どうやら、不機嫌になったりしたわけじゃなさそうで一安心。
「ふふっ、冗談だよ。ちゃんと見にきてね? きみの応援があれば、わたしは頑張れるから」
「もちろん。僕なんかの応援で綾乃が頑張れるなら、喜んで行かせてもらうよ」
「ありがとっ」
身に余る光栄だ。僕は綾乃と違って、部活に所属してるわけでも、みんなから好かれるような性格をしているわけでもない。ただ、綾乃と同じ趣味を持っているだけ。そんな僕なんかの応援でも、綾乃の役に立てると言うのだから。
それからしばらく他愛のない話をしながら歩いていると、「あっ」と声を上げた綾乃の視線が、左手側に向いた。そこにあるのはゲームセンター。今日行った本屋の帰りには、いつもこのゲーセンの前を通るし、意外とゲームが好きな綾乃と何度か立ち寄ったこともあるのだけど。
「どうかした?」
「あのクレーンゲームの景品……」
タタタッと軽やかな足取りで、店先に設置されたクレーンゲームの筐体へ向かう綾乃。その後を追って景品を見てみれば、先日アニメ三期が始まったライトノベル、そのキャラのぬいぐるみだった。
たしか、綾乃が好きなジャンルのラノベとは違ったはずだけど、ラノベ界では一大タイトルの作品だ。そのキャラとなれば、もちろん綾乃も存じているだろう。
「ねぇねぇ、きみってクレーンゲーム得意だったりする?」
「え、うーん、どうだろう。あんまりやらないからなぁ」
「そっかぁ……」
むむむっ、と眉を潜ませているのは、どうやらこの景品のぬいぐるみが欲しいから。しかしやろうとしないあたり、綾乃もクレーンゲームが得意というわけでもないのだろう。
「よし、それじゃあ僕がちょっとやってみようかな」
「ほ、本当⁉︎」
「取れるかは分からないけどね」
「代わりに店員さんにやってもらうとかのズルはダメだよ?」
「ははっ、さすがにしないよ」
なんだっけ、たしかクレーンゲームにはコツがあって、無理して一度で取ろうとしないとか。いや、素人が素人から聞いた話だから、信憑性もなにもないんだけど。
ということで、百円を投入していざチャレンジ。傍の綾乃も、固唾を飲んで見守っている。そんなに見られると、逆に緊張してしまうのだけど。
まず一度目は当然のように失敗。持ち上げることは出来たけど、すぐにアームから景品が落下した。二度目も同じくだが、少しずつ穴に近づいてはいる。
そして続く三回目。百円玉がもうないからこれで最後になってしまう。高校生のお財布事情は世知辛いものがあるのだ。新刊買ったばかりだから余計に。
最後の百円玉を投入して、アームを操作する。綾乃はそれを、グッと拳に力を入れて見守っている。アームは一度目と二度目に同じくぬいぐるみを掴み、しかし、それを途中で落とすことなく、見事取り出し口の穴へと運んできた。
「よしっ」
思わずガッツポーズ。景品を取り出して綾乃に渡そうと思えば、右腕に軽い衝撃が。しかしそれと相反するように、包み込むのは柔らかな感触。
まさかと思い首を横に回せば、そのまさか。
満面の笑みを浮かべた綾乃が、喜びのあまり僕の腕に抱きついていたではないか。
えっ待ってなにこの状況⁉︎
「やったっ! さすがだよ! 実はわたしもこの前何回かチャレンジしたけど、全然ダメだったのに!」
「ちょ、ちょっと、綾乃!」
「やっぱりきみはすごいや、わたしに出来ないことをこんな簡単にやっちゃうんだもん!」
髪から香ってくるのはシャンプーの匂いだろうか。鼻腔を擽るそれは腕を包む柔らかな感触も相まって、甘い痺れを脳に送り込む。
まるで麻薬のようだ。ずっとこうしていたいと本能の部分が考え始めるも、理性がそれに待ったをかけた。ここは公衆の面前。思いっきり街中で、通行人やゲーセンで遊んでる人たちが、何事かとこちらを見ている。羨ましいと言わんばかりに嫉妬の視線を向けるもの、あらあらと微笑ましく生暖かい視線を向けるもの。周りの人達の反応は様々だが、恥ずかしいことに変わりはない。
そもそも、僕たちは付き合ってる恋人同士というわけでもないのだ。そんな二人がいつまでもこんな体勢でいるわけにはいかない。同じ学校の生徒が見たら誤解されてしまうだろうし、そうなれば綾乃に迷惑がかかってしまう。
「わかった、わかったから、とりあえず離れてくれないか……」
「え? ……………あっ」
ようやく今の状況のヤバさに気づいてくれたのか、蚊の鳴くような声を漏らした綾乃は、顔を真っ赤にして腕を解放してくれる。僕から距離も一歩取ってしまった。まあ、仕方ないか。僕みたいな冴えない男に公衆の面前で抱きついてしまったのだから。
「……はい、これ。とりあえず、綾乃にあげるよ」
「……ありがと」
取り出したぬいぐるみを綾乃に差し出せば、案外素直に受け取ってくれた。普段の彼女なら、僕のお金で取ったから受け取れない、とか言いそうなものなのに。
俯いてしまった綾乃の表情は、よく見えない。長い髪からチラリと見える耳は赤いままだから、顔も同じ色なのだろうけど。
でも、彼女が今どんな表情で、なにを思っているのか。いつもは明るく朗らかな笑顔で僕を魅了してくれている綾乃が、なにを思って僕の腕に抱きついてきたのか。
知りたいと思っても、そんなこと口に出せるわけもなくて。
「えっと、綾乃、門限大丈夫?」
代わりに発したのは、この変な空気を払拭するための言葉。その意図を察してくれたのか、ようやく顔を上げてくれる綾乃。頬はまだ、少しだけ赤みが取れてなかったけど。
「ホントだ。そろそろ間に合わなくなっちゃう」
綾乃の家はちょっと厳しいらしくて、高校生になってもまだ門限を設けられている。でもロマンチストな綾乃は、いつか恋人と二人で門限を破ってみたい、とかも言ってたっけ。
いつか彼女にもそんな相手が現れるのかと思うと、少しだけ胸の奥がチクリとする。
「ねぇねぇ」
「ん?」
ぬいぐるみを腕に抱いた綾乃が、笑顔で僕を呼びかける。頬を赤らめたままのその笑顔は、とても可愛くて。やっぱり、僕はそんな綾乃に見惚れてしまう。綺麗な青い瞳、長く艶やかな黒髪。そして、何度も僕に向けてくれている笑顔。その全てに。
「門限、二人で破っちゃおうか」
だから、そんな言葉を投げられてしまえば、僕の時間は止まってしまう。
いつも通り、僕をからかってるだけだと分かってはいる。けれど、直前までの出来事や、彼女が今浮かべている笑顔の質が、いつもと違うから。分かっていても、なにかに期待してしまう。
「なんて、ね……。冗談だよ」
「あ、ああ、うん。分かってるよ、もちろん」
見上げてくる瞳から逃れようとしている時点で、疚しいことを考えていたと自白しているようなものだ。僕の赤くなった顔もバッチリ見られているだろうから、なおさら。
「さぁ、帰ろっか。あんまり遅くなると、きみも親に怒られちゃうでしょ?」
「うん、そうだね。怒られるのは勘弁だ」
いつか綾乃が門限を破る時が来たとして。
その時、隣にいるのが僕だったら。
なんて、ありえない想像をしてみた。
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