超常現象対策課

柴山ハチ

第1話 出会ノ日

「これはどうですか?」

 俺の前で白衣を着た試験官が淡々と問いかける。目を凝らしてみるが、やはり見えない。

「み、えません」

 なぜ眼の検査ごときでこんなに情けない思いをしないといけないのだろう。さっきからこの白衣の試験官に問われては「視えない」という答えをひたすらに繰り返していた。視えないものは視えないのでどうしようもないのだが、これほどまでに眼が使い物にならないとなると、希望の部署への配属は難しいかもしれない。それなりに眼はいい方だと思っていたのだが、やはりプロの現場ともなると求められる精度も違うのだろう。

 部屋の中には白衣の試験官と俺の二人しかいないが「視えるかどうか」のチェックが済むと、右側の壁に取り付けられた扉が開き、背の高い女性が入ってくる。そして何も言わずに目の前に置かれた物品をキャスター付きの荷物運びの台に載せ、どこかへ運び去っていく。

 ドアが開き、再び新しい品が運ばれてくる。目の前のローテーブルの上に大きな壺を慎重に置いた。女性は再び空の台車を押して去っていく。

 俺の前に運ばれてきたのは一メートルほどの高さの壺で、中華っぽさを感じさせる龍と雲の模様が描かれていた。青磁というのだろうか。なかなか高価そうな代物だがあいにく価値が分かるほどの審美眼は持ち合わせていない。

「視えません」

 これで何度目だろう。もうこの試験に受かる気がしていなかった俺は半ばあきらめていた。才能のあるなしが左右するところの大きい分野だ。俺には才能がないんだろう。

「ん?」

 壺の端でなにかが動いた。一本飛び出ているそれは細くて茶色っぽい。かさかさに乾燥した枯れ木の枝のようだ。しかしそれは見る間に内側から姿を現すと五本に増え、壺の縁にしがみついた。ミイラの手が動いているかのようだ。

「すみません、訂正します。視えました」

 ミイラの手はもう一本、壺の中から伸びてきていた。そして両手で縁をつかむと、這い上がろうとするかのような仕草をする。やがて茶色く変色した頭蓋骨のようなものが見え始めた。

「それはどんなものですか」

 試験官の問いかけは淡々としたものだ。

「ミイラのようですね。まだ顔は視えていません。手と頭の先だけです」

「はい、分かりました」

 試験官は頷いて扉まで歩いていき、「オッケーです」と外に声をかけた。

 その声でドアが開き、背の高い女がキャスター付きの台車を転がしながら入ってくる。台車に積まれているのは一升瓶に入った日本酒だ。見慣れた銘柄のラベルを見ながらぼんやりと家にも料理用に買ってあったな、と思い出す。女はその一升瓶を取り上げると蓋を開け、今にも顔をのぞかせかけていた壺の中のミイラにどぼっと容赦なく頭から振りかけた。

「がああああがあぁぁ!」

 壺の中から悲鳴が上がるが試験官も女も特に気にした風でもなかった。やがて煙が壺の中から立ち上がり、シュウシュウという音だけが部屋の中に響いた。

 長身の女はそれを見て頷くと、一升瓶と壺を台車に載せ、何事もなかったかのように両手でハンドルを押しながら部屋から出ていった。あたりには異臭が立ち込めており、俺は今日の試験が終わったらスーツをクリーニングに出すことを検討し始めていた。

「これで本日の超常現象対策課の職員採用試験を終了致します。何か質問はありますか」

 試験官はそう言って俺の方を見た。

「合否の結果が出るのはいつ頃でしょうか」

 もしここがだめなら、他の民間企業を受けることも考えないといけない。まだ就職活動が始まったばかりのこの時期ならまだ間に合う。こういった系列の仕事でも民間の会社の中には給料がいいところもあるらしいが、俺の家はこの超常現象対策課に度々人を輩出している家系だ。家の蔵にはその仕事の関係で怪異の類に関する書物や呪具、封印具といった類の物品が充実している。そしてなにより、現役を退いたとはいえこの前まで勤めていた祖父もいる。色々聞けることもあるだろうし、どうにかここで内定をもらっておきたい。

「正式には一週間後ですね」

「分かりました。よろしくおねがいいたします」

 腰を追ってお辞儀すると、試験官はひらひらと手を振った。

「まぁ、君は合格だよ」

 一気に砕けた口調になった男の様子に戸惑った。

「は?」

 今まで確認してきた物品の数は五十を超える。その中で怪奇に取りつかれているものはさっきの壺以外見えなかった。これで合格?

「最後のやつ以外全部ダミーだからね。ハッタリかけるやつならそれっぽく、何個かは怪しいだとか呪われてるだとか言い出すからすぐわかる」

 白衣の試験官は着ていた白衣を脱いで黒いスーツ姿になると、うーんと声を上げて伸びをした。

「いやぁ、お疲れ。もう二時間も経ってたね、早い早い。交通費は受付でもらって帰ってね」

「は、はい。ありがとうございました」

 試験官に礼をして試験会場から退出する。時間がかかった割にあっけなく終わったこの試験に拍子抜けしながら、言われた通り出口付近の受付に向かう。暗い廊下は人気がなく、切れかけた蛍光灯が不気味だ。革靴の音を響かせながら歩いていると、廊下の端に置かれた自販機の前に人影を見た。行政機関の建物には似つかわしくない、白い髪の毛先をパステルカラーの紫色でグラデーションに染め、派手な色のパーカーを着た中学生ぐらいの子どもだ。日本人離れした顔立ちに思わず目を引かれる。ハーフなのかもしれない。

 誰かの親族だろうかと考えながらその横を通り過ぎようとしたとき、その子どもは俺の方を振り返ってこちらをじっと見つめた。

「お兄さん、超常現象対策課の面接にきてた人?」

 子どもは色素の薄い瞳で見据えながら俺に話しかけた。

「あ、あぁ。そうだ」

 その時、急に子どもの輪郭が二つにぶれた。壊れかけたテレビを見たときのようだったが、一瞬で収まった。眼が疲れているのかと、こすってみたが今は普通に見えている。

 しかしこの子どもの気配は何か、人の皮を被った別の生物のもののような得体の知れなさを纏っていることに気づいた。人間でないものが人間のふりをしているだけのような。

 こいつ、生きている人間か?

 後ずさり距離を置く俺の様子を見て、子どもは感心したように言った。

「へぇ、お兄さん分かるんだ。名前は?」

「教えられない」

 警戒した俺は冷たい響きになるように声を出して答えた。こういう手合いは絡まれると厄介だ。先に相手にならないという意思を示しておかなければ付きまとわれ、大変なことになる。

「冷たいなぁ。どうせすぐ判るよ。同僚なんだから」

「同僚?」

 目の前の薄く笑う子どもはどう見ても社会人の年齢には見えない。

「俺、ここで働いてんの。この仕事ってあんまり年とか関係ないからさ」

 子どもは気負う様子もなく俺の方に歩いてくる。

「俺、内代ノエ。あんたは?」

「天神、天神智久」

 とっさにいつも使っている名前を名乗った。戸籍もこの表記にはなっているが、実は本名は別にある。ただ、自分の名前を知られるとまずい状況に陥ることが怪異関係では多いので、表向きの名前としてこちらを使っている。

「テンジンね。よろしく」

 そう言って差し出された手を見た。触れて大丈夫だろうか。

「ほら、新人に絡まないの」

 背後から声がした。振り返るとさっきの試験官がそこにいた。黒いスーツ姿で首を傾けながら内代ノエと名乗った子どもの方を見ている。

「だって光善寺、俺こいつと組むんでしょ。じゃあ握手握手」

「まぁ確かにな。天神、お前は配属されてすぐこいつと組んで仕事することになっている」

 いきなり始まった仕事の話に面食らった。

「組むんですか」

 おうむ返しに言う自分の姿は間抜けだったのか、内代ノエがからからと笑った。

「そーだよ。現場仕事は二人一組が基本だからね」

「それは知っているけど」

 祖父からこの仕事についてはある程度聞いていたので予備知識はある。しかしこんな子どもと組むなんて聞いていない。

「ノエは特例だよ」

 戸惑った俺の心境を組んでくれたのか、光善寺と呼ばれた試験官が言った。

「大丈夫。君の足を引っ張ったりはしないし、ちゃんと役に立つから」

「そーそー。逆に俺の足引っ張んないでよね」

 ノエは得意げに頷いている。

「ま、あんまり悪さするようだったら頭はたいて報告してくれ」

 光善寺が笑いながらそう言った。

「えー、ひどい」

 そう言ってむくれる様子は本当にただの中学生である。さっきの得体のしれない気配は何だったのだろうか。

「まぁ、詳しい話はあとでね。とりあえず今日は疲れたでしょ。お疲れ様」

 そう言われ、俺は頭を下げる。ノエは嬉しそうに手を振っていた。


 疲労感に襲われながら家の門をくぐった。就職活動が早めに終わったのはいいものの、こんなに疲れるものとは思わなかった。内代ノエの奇妙な雰囲気に必要以上に構えてしまい、記憶の中の試験の内容がかすんで見えた。

「ただいま」

「おお、帰ったか」

 祖父がひょっこりと玄関脇の和室から顔を出した。

「どうだった、試験は」

「合格だって」

「そうだろう。俺の孫が通らないならだれも通らん」

「でも途中まで全然視えなかったから焦った。五十個近く全部ダミーだったんだぞ」

「今はそんな感じか。俺の時は百個近い中にあるうちから、十個まともな品物集めてこいって倉庫に放り込まれたがな」

 祖父は懐かしそうに笑った。

「魑魅魍魎に取りつかれたいわくつきの品が全部一緒くたに放り込まれててな。中に入ったときは死ぬかと思った」

「今の時代でよかったよ」

 俺はその様子を想像してげんなりした。怪異のサラダボールなんてぞっとしない。

「最近は安全基準やらなにやら厳しいからな。さて今日は祝いだ」

 祖父はウキウキとしながら携帯電話を取り出してピザのチラシを引き寄せると、大判のピザやらサイドメニュー、デザートを注文した。和食の気分だった俺はしぶしぶ座椅子の座布団に座り込んだ。

「じいちゃん、俺寿司とかがよかった」

「若者が何を言うか! ピザに勝るものはない」

 このイタリアンじじいめ。

 そうこうするうちに両親、そして大学生の妹が帰宅し、家族団らん食卓を囲むこととなった。今日貰った俺の合格の知らせに母と妹、祖父は喜んでいたが、父は浮かない顔だ。

「お前、本当にこの進路でいいのか?」

「なんで?」

「他にいろいろあるだろう」

「そう言われてもな。視えることに理解ある職場なんて、そうないだろ」

 家族の中で、父だけが異形のものが視えない。祖父とその娘である母、そして妹は視える筋の血を引いているため視ることができるが、婿養子である父は全くそういったものにかかわりはない。普段は銀行員をしていて、オカルトや超常現象の類といったものに関しては縁のない生活だ。

「まぁな。お前が納得しているならそれでいいが」

 そうは言っても釈然とはしないようだ。視えることについて理解はあるが、それに伴う不便さ等については当人にしかわからないことも多い。俺が父の立場でも同じことを訊くかもしれない。

「国家公務員よ、別にいいじゃない」

 母は母でお気楽だ。彼女は占いの方面に長けており超常現象対策課には入らなかった。もとより自由な気質の人だ。お役所勤めは合わないだろう。

「おにーちゃん、初任給でなんか奢って?」

 そうかわいらしくおねだりする妹は普段俺のことを『智久』と呼び捨てで読んでいる。

「初任給は安いんだぞ、覚えとけ」

「えー、何買ってもらおうかな」

 こいつ、聞いていない。

「私も何買ってもらおうかな」

 楽しそうに母も便乗してくる。ちなみに二人とも着道楽なため、洋服に掛ける額は半端じゃない。初任給なんて一瞬で蒸発してしまう。

「俺ゴルフバッグ」

「じいちゃんは年金で買えよ」

「つれないな。あ、そうだ智久、あとで俺の部屋に来い。いいものやる」

 いいもの? 祖父の言ういいものなんて怖いものに決まっている。しかし行かないともっと怖い嫌がらせをされるに決まっている。

 仕方なく、夕飯の後祖父の部屋を訪れた。その部屋は床の間や自然木をそのまま利用した違い棚、雉のはく製など今時珍しい純粋な和室である。それもそのはずで、建て増しした我が家は半分が鉄筋コンクリート、もう半分が築百年を超す木造建築となっている。そして祖父の部屋はその築百年部分の要に当たる部分にあった。

「じいちゃん、入るよ」

「おう」

 祖父に断ってから襖を開けると、何やらかがみこんでごそごそしていた。

「お前にこれ、やるよ」

 そう言って渡されたのは一本の日本刀だ。

「かっこいいな」

 祖父から受け取り、黒光りするその鞘を払うと、銀色の刃がギラリと光った。

「刃、本物だけど大丈夫なのか?」

「許可は貰ってる。仕事で使うだろうからもってけ」

 俺が春から始めるのはこんなものを振り回さないといけない仕事だ。改めてその危険性に思いをはせた。怪異退治の類はまだ実践で行ったことがなく、家の蔵で読んだ書物の知識はあったが不安もあった。ただ中高大と柔道部で鍛え、剣道の道場にも通っていたおかげで体力方面には自信がある。

「お前をこの道に進ませるかどうかは、正直迷った」

 祖父が珍しく神妙な顔でそう言った。

「だからできるだけ関わらんようにさせていたんだが。まぁ、やりたいというなら止めるいわれもないわな」

「やっぱり、危ないことが多いんだろうな」

「あぁ。そうは言っても、新入社員に無茶はさせんだろう」

 祖父は首を振って俺を見た。

「しっかりやれよ」

「あぁ」

 そう言って握った刀は重かった。

「これだけは覚えておけ」

 そう言って祖父は俺の眼を見た。

「無理だと思ったら逃げろ。人間の力なんぞ、たかが知れてる。俺たちにできるのはせいぜい、小物を追っ払ったり封じたりするくらいだ。間違っても自分より強いものに挑もうなんて考えるな」

「分かった」

 怪異に遭遇する日常の中で、本当に危ないものをかぎ分ける嗅覚だけは備わっている。自分の力を過信することはないが、用心するに越したことはないだろう。

「自分の命があって初めて、他人の命を預かれる。絶対死ぬなよ」

 肩に祖父の手が載せられる。俺は頷いて手に持った刀を上げ、掲げて見せた。

「約束する」

 

 そして四月、桜並木の中を黒スーツにビジネスバッグ、そして肩に刀を入れたバッグを背負った俺は門をくぐる。この先の人生において波乱の幕開けである、超常現象対策課職員としてのキャリアが始まろうとしていた。

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