僕らの戦い~卒論提出まであと3分~

小峰綾子

卒論提出まであと3分

最後の瞬間まで、あと3分。勝っても負けても、3分後にはこの4日間に渡って繰り広げられた3人の男たちの戦いの結果が明らかになっているであろう。


1月31日16:57

卒論の提出はどの学生も一律、この日の17:00までに各々教務課に持っていくこと、という規定であった。


その男は、最後にプリントアウトした表紙と注釈、参考文献がまとめられた計3枚のA4用紙をもって走ってきた。彼の名は、圭一。この戦いの主役であり、心優しい友人2人を巻き込んだドタバタ劇を繰り広げた元凶ともいえる。

逆方向から走ってくる男、それは洋介。大学のパソコンルームのプリンター印刷出力が立て混んでいて埒があかないため、急きょ最寄りのコンビニまで全力疾走する羽目になった。口は悪いがなんだかんだでお人よし、圭一のゼミ仲間である。彼は圭一らと同じ4年生ではあるが、残念なことにもう1年大学生であることが決定済みである。なので今回の卒論提出に関しては本来無関係なはずであった。

また別の人物がゆっくりと、後方のエレベーターから降りてきた。彼は、理(おさむ)。彼も2人のゼミ仲間、自身は締め切り一週間前に卒論を提出済みである。あとはぎりぎりまで卒論に追われて泣く者たちを高みの見物、と思いきや何故か友人の卒論作成を手伝わされる羽目になった優等生である。彼は小脇に抱えていたファイルを、友人たちの姿を見るなりゆっくりと頭上に掲げた。


3人は落ち合う場所として決めていた教務課前にほぼ同時に集合した。周辺に手ごろな場所がないので、誰が言うともなく地べたで作業を始める。圭一は、洋介がコンビニのコピー機で出力してきた卒論の後半部分を受け取り、すでにプリントできていた前半部分と合わせる。とんとんと端をそろえた後にパラパラとめくる。細かい推敲をする時間はもう無いが、最低限の確認をするためだ。

「え、最後の2ページだけページ数書いてない」

「後から付け足したから抜けたか。貸せ。仕方ないからそこだけ手書きだ。俺が書くからお前は最後の参考文献とかチェックしとけ」

同時並行で理は購買で買ってきたファイルの袋を開ける。しかし、ファイルを開いたときに3人に緊迫した空気が走った。このファイルは2つ穴式。綴じこむにはパンチで穴をあける必要があるのだ。

「穴あけパンチ!悪い、理、もう一回購買までひとっ走り行ってきて」

「もうそんな時間ないって。っていうか、購買に無くない?そんなもの」

「じゃあ、ボールペンとかで開けるしかねえ。」

圭一と洋介が、何かパンチのかわりになるものをカバンから探そうとする。ボールペンか、いやハサミか。ファイルに綴じこんで提出なんて教授は言ってなかったぞ、誰が決めたんだ!などと言い合っていると、

「穴あけパンチ、貸りられますよ」

うしろから女子学生が声をかけてきた。今しがた教務課から出てきたところのようだ。

「あ!ありがとうございます。」

圭一は卒論をわしづかみにし教務課の中に走っていく。中の職員に声をかけるまでもなく、ご自由にお使いください、と言わんばかりにそれはそこにあった。彼女もぎりぎりで卒論を提出にきて、パンチ穴をあける必要があることに気づいたのかもしれない。しかし、圭一よりも3分ほど早く提出できているだけ優秀である。


16:58

無事パンチ穴を開けることができた圭一が廊下に戻ると、理がファイルの背表紙に論文のタイトルを書いていた。

「え、そこにも書くの?っていうか他人が書いて大丈夫?」

洋介が代わりに応える。

「時間の短縮。別にこんなの誰が書いたっていいだろ。まず提出できなかったら意味ねぇし」

「これ、前表紙にも書くんだっけ?俺どうしたっけな」

「理、急いで」

「急かさないでよ。この論文一応保管されて誰でも閲覧できるようになるんだって。一応丁寧に書いといた方が」

「こんなぎりぎりまで提出できてないようなやつの論文、誰も見ねぇって」

こうして理の字で、ファイルの背表紙、前表紙のタイトルが書き上げられた。圭一は急いで論文をファイルに綴じこむ。


16:59

圭一が教務課に飛び込んでいった。

「卒論です、お願いします。」

教務課の職員がパラパラとめくって確認をする。その動作がスローモーションに感じられる。教務課では本文まで詳しく精査することはないが、明らかな枚数不足がないかその他不備がないかなどのチェックは受けなければいけない。ここで不備が見つかったら指摘箇所を補足して再提出となるが、もう圭一には時間がなかった。パソコンルームに戻ってやり直す時間はない。ぶっつけ本番の綱渡りである。


17時ちょうど、教務課の扉が閉められる。この時点で扉の中にいて卒論のチェック待ちをしている生徒は2人。今のこの瞬間に教務課の中にいる学生だけがチェックを受け提出することができる、というルールだ。

理と洋介は教務課から少し離れたところで待っていた。今、教務課のドアが閉まったが、その1分後ぐらいに走ってきた男子学生が呆然と立ち尽くすのを見ていた。

「間に合わなかったんだな」

「頑張ったのに可哀そうに。あの人卒業できんのかな」

「他人事みたいに言ってるけど、洋介も来年ああなる可能性大だからね」

「まあどうせ1年後だし。どうにかなるって。圭一のを見てるから、ここまでぎりぎりにはしないよ」

「でも、ぎりぎりになるやつはいつも言うんだからね。あと一週間あれば、とか」


そのとき圭一が教務課から出てきた。

「どうだった?」

と聞こうとする二人に向かって、すかさずガッツポーズを見せる。思わず二人は

「よっしゃ」

「やった」

と自分のことのように喜ぶ。卒論を期限内に提出するという戦いに、彼らは勝ったのだ。圭一は二人に深々と一礼をした。

「よし、祝杯だ祝杯。飲み行くぞ」

「俺たちほぼ徹夜だけどな!」

そして三人はナチュラルハイなままその場を立ち去っていった。


4日前・1月27日

「まだ半分!?お前マジで言ってんの?」

洋介が叫ぶ。卒論がもうちょっとなので手伝ってほしいと言われ、圭一の家まで足を運んだのだが進捗を聞いて激怒した。

「全然もうちょっとじゃねえじゃんか!あと4日だよ?おい」

「分かってるって。こんなはずじゃなかったんだよ」

ピンポーン。ドアベルが鳴った。

パソコンに向かい続けている圭一の代わりに洋介が出ると、理が立っていた。

「お疲れ。手伝えって言うから来たけど、状況は?どうせ半分ぐらいしかできてないんじゃないの?」

理は淡々とした様子で圭一から状況を聞き出す。さすがもう卒論を提出しているだけあって冷静な構えだ。

「よし、洋介、パソコン持ってきてるよね?」

「一応自分のノーパソはもってきた」

「圭一、とりあえず今書けてる部分だけでいいからメールで洋介に送って。洋介は一通り読んでみて誤字脱字とかおかしなところがないか確認して。あと圭一、参考文献と注釈はまとめてある?」

「このノートに、メモはしてあるけどまとまってはいない」

「結構この参考文献と注釈が手間取るんだよ。よし、こっちは俺がまとめておくから打つのは自分でやって」

「理は甘いんだよ。こいつの卒論だぞ。終わらなきゃ俺と一緒に留年すりゃいいんだよ。なんで俺達が巻き添えに」

文句を言いながらも洋介がパソコンを立ち上げる。

「いや、だからこんなつもりじゃなかったんだって」

圭一が弁解する。

「まさかこのタイミングでインフルエンザになるなんて」

そう、圭一は一週間前にインフルエンザに罹った。一人暮らしで看病してくれる者もおらず、結局この1週間はほとんど作業が進められなかった。

「うん、でもそれを差し引いたとしても進んでなさすぎだからね」

「不運にも程があるだろ。っていうか予防接種しとけばって俺、言ったよね!?ねえ!」

「悪かったってば。小学生の時以来罹ってないから俺はインフルエンザにはならないと思ってたんだよ」

「ばっかじゃねえの」

洋介が吼える。



このようにして、戦いは始まった。この後も数々の困難が彼らを襲う。まさかのタイミングで圭一のパソコンが壊れる、学校のパソコンルームに移動するも圭一が自宅に下書き用の重要なノートを忘れ洋介が取りに行かされる、など。だがその様子は別のテーマの際に記すとしよう。


だが、この時はまだ3人とも「まだ4日あるからなんとかなるだろう」と悠々と構えていた。


締め切り3分前になっても提出ができておらず奮闘しているとは、この時点では彼らは知る由もなかったのであった。

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