味の決め手は

ritsuca

第1話

「まだですか先生」

「まだですか先生」

「先生じゃないしタイマー鳴ってないからまだです」


 そんな殺生な、と炬燵に突っ伏す先輩二人をさておき、爽やかな笑顔で言い切った梶原は、手元のDSに集中している。

 梶原に鳴っていないと言われた通り、タイマーは残り3分を切るところだ。つけたときは90分からのスタートだったので、これでも随分と時間は経ったのだ。

 それでも、


「あと3分切るし、もうよくね?」

「煮込み料理は時間が味を決めるんですよ。あと3分なら、待てますよ。今まで待てたんですし」


 すげなく言われ、肩を落とせばなおさらに台所からの匂いを感じてしまい、中嶌の腹はぐうと音を鳴らした。

 そもそも一人暮らしの中嶌の部屋に今日も今日とて岡田と梶原が泊まりに来た発端は、台所の鍋でコトコト煮込まれている手羽元なのだ。


「昼間のLINEがこんな地獄に繋がるとは……」

「食ったら天国に変わるに一票」

「俺も……」

「僕は既に極楽ですんで」


 そうだろうよ、と半目で返し、中嶌は思い返す。思い返していればタイマーも鳴るだろうか、と淡い期待を抱いて。


 ◆ ◆ ◆


 講義がなくて時間も場所もとりやすいからだろうけどこの時期の学会は勘弁してくれよ本当に、と今日も花粉症でぐずぐずしてばかりの鼻をマスク越しにぐいぐいと擦り、中嶌なかしまは自転車を止める。

 止めた先は下宿先のアパート。自室のあたりを見れば、窓から明かりが漏れている。

 たしかに予告はあったが、本当に家主不在でも気にしない面々だな。いや、知ってはいるし、だからこそ鍵を預けたのだが。

 内心ぼやきつつ、自転車に鍵をかける。ロードバイクほど値の張るものではないが、せめて学会準備が終わるまでは共に走り続けてもらわないと困るのだ。何せ自分の支度もしつつ他人の世話も焼いたりしているものだから、朝早く出て夜遅くに帰る生活が続いてしまっている。

 念には念を入れて施錠を確認したところで、荷物を確認する。研究室との往復に必要な最低限の貴重品と、それから、


 きよ:みつき先輩すいません、今日ちょっと泊めてもらえませんか。飯はしっかりがっつり提供しますんで

 みつお:正座な。泊めんのいいけど俺まだしばらく研究室なんだわ、今日

 いちろー:鍵預かろうか

 みつお:お前もか。食材調達任せるわ

 きよ:あざます!平友集合でお願いします!


 みつお:すまん、これから帰るわ

 きよ:お疲れ様です。すいません、帰りがけにコーラお願いします。ペットボトルのでかいやつ。買い忘れてしまったので

 みつお:うす


 コーラ、ペットボトルのでかいやつ。これでいいよな、とひとりごちる視線の先には、カゴに入れられて相当に泡立っているであろう、1.5lペットボトル入りのコーラ2本。

 持ち上げればコンビニのレジ袋の持ち手がギリギリと手に食い込んで痛い。

 この痛みは飯の糧、この痛みは飯の糧、と言い聞かせて自室まで歩けば、早速台所を使っているらしい、きよ、こと梶原と、いちろー、こと岡田の声が換気扇から外に送られてきている。


「ただいまー」

「あ、みつき先輩おかえりなさい! コーラありましたか」

「正座な、いちろーも。コーラ、これで足りるか」


 袋から透けて見えるボトルが2本あるのを確認した梶原が、十分です、と頷いてレジ袋を受け取る。途端に軽くなった半身に軽くバランスを崩して、おっとっと、と柄にもなく声をあげて靴を脱いだ。

 ドバドバと勢いよく鍋にコーラを注ぐ梶原は、明らかに上機嫌だ。

 何があったんだ、と首を傾げれば、岡田もどこかニヤニヤしている。


「えーと、卒論お疲れ?」

「今日も祝ってくださるんですか? ありがとうございます! 今日のぬか漬けは何ですか?」

「いや、ごめん、最近ぬか床は混ぜるだけで精一杯でな……」

「でしょうねー。ヘブンコンビニでバイトしてる同期が、毎日のようにみつき先輩目撃報告送ってくれますもん」

「それ誰が得すんの……?」


 ふふ、と笑う梶原に、中嶌は腰が引け始めている。

 ニヤニヤを通り越して爆笑し始めんばかりの岡田が、ちょいちょい、と手招きをした。耳を貸せ、とのジェスチャー付きだ。


「今日のメイン、手羽元のコーラ煮なんだけどな。きよん家に大量に届いて、そっから家庭内戦争が勃発して、台所がロクに使えない有様になっちまってたからここに来たんだと」

「……すまん、話の繋がりが全くわからん」

「つまりですね、目の前にあるのが一番よくないんじゃないかな、と思ったんです。なのでこれ、うちから没収してきました」

「ああ、なるほど……なるほど……?」


 いや、それはお前、新たな火種になるんじゃ、と続けそうになった声を、唇の前に出された指に止める。どうやら二人ともその可能性を考えなかったわけではないらしい。

 まあ、これだけいい匂いがしてたら無視するのも当たり前か。

 下拵えの一環でしばらく焼いていたのか、台所にはとても香ばしい、食欲をそそる香りが漂っていた。


「あ、先輩方。これ、あと2時間くらいかかるんで、適当に座っててくださいね」

「おーともさ……って、はあ!?」

「え、ちょ、それ俺きいてないんだけど!?」

「いちろー先輩は果物に夢中できいてなかっただけじゃないですか」

「あ、はい、サーセン」


 わーわーと言い募る先輩二人をよそに、梶原は鍋の煮え具合を確認する。ここからが今日の本番なのだ。


「あ、そうだ。冷やご飯なさそうだったんで、これから炊きます。コーラ煮が出来上がってからセットで食いましょう」

「「鬼か!!!」」

「文句は食後に受け付けますね」


 胃袋を握った側が勝ちってやつだよなー、これ。家主かたなしじゃんなー。食後は文句言う気とか失せてるよなー。わかるわー。

 言い交わしつつ、とぼとぼと炬燵に向かう先輩二人の背をちらと見て、梶原はほんの少し、頰を緩めた。


 ◆ ◆ ◆


「まだですか先生」

「まだですか先生」

「先生じゃないしタイマー鳴ってないからまだです」


 同じ大学・学部とは言え、すべての研究室が同じ学会に所属しているわけではない。梶原の研究室は3月には特に学会発表をする予定などもなく、通常通り毎週開催されるゼミと勉強会の合間に卒業旅行なり何なり行くらしい。

 爽やかな笑顔で言い切る梶原は、卒業旅行の予定はなく、目下積みゲー消化中とのことで、手元のDSに集中している。何年越しの積みゲーなのかは聞いていない。

 対する己と岡田は、2人して炬燵に突っ伏している。学会が終わったら蒲団を外してただの卓袱台にしないと。頭のメモ帳に書きつけて、中嶌は炬燵の上に置かれたタイマーを見る。

 梶原に鳴っていないと言われた通り、タイマーは残り1分を切るところだ。まだ2分しか経っていなかったことに半ば絶望しつつ、中嶌は言を続ける。


「あと1分切ったし、もうよくね?」

「煮込み料理は時間が味を決めるんですよ。あと1分なら、待てますよ。今まで待てたんですし」


 すげなく言われ、肩を落とせばなおさらに台所からの匂いを感じてしまい、中嶌の腹はぐうと音を鳴らした。

 本日のメイン、手羽元のコーラ煮は、梶原がバイト代でこの部屋に寄贈した保温調理器を存分に活用してのメニューだ。沸騰するまでに10分、沸騰してから5分、それから火を止めて鍋を保温調理器に移し、タイマーをセット。90分くらいですかね、と聞こえてきた時には、岡田と顔を見合わせてしまったが、それもあと3分。もう少しと思えば思うほどに威勢良く主張する胃に、がんばろうなと声をかけつつ中嶌は腹を摩る。

 白米とビールがひたすら美味しくいただけそうな匂いが漂う中、中嶌の横から岡田が突っ伏したまま声を上げた。


「せんせーそれさっきも言われた気がします」


 そうだよな、やっぱり早く食べたいよな。だってこれ明らかに美味そうな匂いだもんな。それに仕込みも最初から見てたなら尚更早く食べたいよな。

 内心、うんうんと頷く中嶌に気づいているのかいないのか、画面から目を離さないままに梶原が言う。


「あ、今からボス戦なんで、タイマー鳴ってもボス戦終わるまでは待っててくださいね。あと、うちの姉、待てない男は嫌いだって言ってましたよ」

「待ちます」

「おい。おい待てお前ら。おい」

「耐えろ、中嶌」

「くっそ……」


 鳴り始めたタイマーを止めると、裏切り者め、とドヤ顔の岡田を抓り、中嶌は空腹を訴える腹を摩った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

味の決め手は ritsuca @zx1683

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説