異世界転生りみっくす!〜私ヒロインでしたが、なぜか転生しちゃいました。

川元椎乃

異世界転生りみっくす!

ごきげんよう皆様。

わたくし、エメラルド王国の貴族学院に通うジュディス・ガードランドと申します。とはいえ、父はしがない貧乏男爵。

エメラルド王国の王太子殿下をはじめ、高位貴族のご子息ご令嬢が通われる学園で、めだたぬようひっそりと過ごしてまいりました。


マナーも知らず放り込まれた学園生活は、なかなか辛くもありましたが、かえってそれが幸運を呼んだのでしょうか?


気づけば王太子殿下が「雨に濡れそぼった猫のようだ」と怯えるわたくしを食事に誘ってくださったり、英才と謳われた宰相子息様が「あなたの成績を私の手で変えてみたいのですよ」と勉強を教えてくださったり。


かと思えば騎士団長の子息さまは「あなたのか細い腕では御自分を守れぬだろう」とみずから護衛を買ってくださったり、100年に一人の魔法の天才児として一目置かれる青年が「あなたの放つ眩い光の前ではどんな聖魔法も意味はない」と寄り添ってくださったり。


それがきっかけで、王太子殿下の婚約者のご令嬢やその取り巻きからは「これだから躾のなってない下位貴族は!」と毎日毎日いじめられました。


もちろん王太子殿下をはじめ、みなさま怒ってくださったのですが、なにぶんご令嬢がたも侯爵家や公爵家のご息女。

証拠もないまま断罪することはかないません。それにわたくし一人が耐え忍べばよいことですから……。

微笑むわたくしに、王太子殿下の正義感に火がついたようでございました。

「次の舞踏会でジュディス!君がこの学園の生徒にふさわしいことを証明するんだ!」

それはそれは雄々しく、たくましく、わたくし達の愛を国中に知らしめることを約束してくださいました。


ついにその日。王太子殿下に寄り添い、みなさまに守られるようにして立つわたくしの姿に、ご令嬢方は怒り心頭。

さんざんに罵られましたが、殿下は毅然とはねつけていってくださいます。


そしてついに殿下がいいなづけのご令嬢に婚約破棄を言い渡されようとした時です。


ふっ、とわたくしの目の前が暗くなりました。


* * * * *


「信子さんや、漬物はまだかねー」


ええ、断じて信子さんなどと義父に呼びつけられるような立場ではないのですよ。

なんてったって!

第一王子やお友達のみなさんの!

ご寵愛を一身に受ける身!

なのですから。


「はーい、ただいま」


ああそれなのに、それなのに。

わたくしときたら、なぜぬか漬けのきゅうりを切り分けて宴会を続ける義実家のちゃぶ台にそれを置いたりするのでしょう。


それはわたくしが前世の記憶を思い出したのがついさっき、ぬかどこを床下から持ち上げようとして、思いっきり後ろにひっくり返り、頭をしこたま打ち付けたからなのですわ。

ああ、こぶが。

こんなもの前世なら、治癒魔法一発で治るのに。


* * * * *


ふっ、と私の目の前が暗くなりました。


舞踏会で倒れたわたくしはそのまま闇の中へ、どんどん落ちてゆく感覚が続き、次に意識を取り戻したときにはわたくしと、年齢不詳の美青年が、ただ二人見つめ合っていたのです。


「こんにちはジュディスさん」

「はあ……」

わたくしはわけのわからないまま淑女の礼をします。こちらの方は御典医さまなのでしょうか?気を失ったわたくしを診療してくださったのでしょうか。


「違うよ」

この人、わたくしの心を読んだ!

慌てて離れようとするわたくしに、彼は首を振りながら近づいてきた。


「このくらいの芸当ができないと、神とは認めてもらえないんじゃないかと思ってね。嫌ならやめよう。

さて、ジュディスさん。ここがどこだか判るかい?」


神? 神とおっしゃいましたかこの人。明らかにヤバイ人ではありませんか?

「……判りませんわ」

おかしなことに、周りはまだ暗いままでランプの灯りすらないのに、わたくしと彼だけははっきりと見えるのです。

「実はね、君は死んでしまったんだよジュディスさん」

おおジュディス、死んでしまうとはなにごとじゃ。


「本当。あの舞踏会でのやり取りは君にとって、とても精神的に負担だったのではないかな?それで頭に血が上って一瞬で亡くなってしまったんだよ」

「そんな……」


王太子殿下と相思相愛になり、人生これからというときに。

悔しくて涙が溢れます。


「だからね、君には別の世界で、新しい人生を用意したよ」

「新しい人生?」

「そうだ。そこには君を苦しめた階級はない。人はみな平等で教育の水準も高い。もちろん医療技術もだ。ただし魔法はないがね」


神こと美青年はちらりとこちらを伺うと咳払いをした。

「それに……、この提案を受け入れてもらえないとなると、君は直ちに黄泉の国へ行き、黄泉の王の元でこれまでのジュディス・ガードランドの人生をいろいろと反省させられた後、それにふさわしい黄泉での生活を送らねばならないだろう」


エメラルド王国の信仰では、死してのちは黄泉の王の前へとおもむき、生前の行いのひとつひとつを吟味され、良き行いをした者、悪しき行いをした者、それぞれにふさわしい生活が待っているといいます。


わたくしにも至らぬ点は数々あったでしょう。なんといっても年若い身で死んでしまったのです。両親はどんなに嘆き悲しんだことか。親不孝者です。


わたくしはまだ半信半疑ながらも考えました。

この人が本当に神だとして、わたくしに同情してくれているんだわ!たとえ異世界であってもわたくしに優しくしてもらえるなら、この条件はのむべきではないかしら。

なんたってイケメンだし。イケメンは正義。


「仕方ありませんわ。その申し出、受けさせていただきます」


さようなら王太子殿下。さようならエメラルド王国。

私は異世界で幸せになります…。


* * * * *


こちらの世界で、わたくしの名は信子。認めたくないことですがごく普通のサラリーマンと結婚し、スーパーでパートで働き、今日はふたりで主人の実家に来ています。

なんでも、この田舎にテレビのご長寿バラエティ「日本全国ルーレットの旅」が取材に来たそうで、たまたま農作業をしていた義両親がインタビューされたのだそうです。


「まあオンエアされるかどうかは判らないわよ」

笑いながら天ぷらをあげているのは夫の姉。電車で3時間かかる我が家とは違い、この近くに住んでいます。

ちなみに、いまのわたくしはこの人が苦手です。だって前世の、王太子殿下のいいなづけだった、あのご令嬢とそっくりなんですもの……!


「いいじゃないの。東京のテレビの人なんて、お母さん初めてみたわよ。もうちょっと良い服着てお化粧ばっちりのときにきてくれればいいのにねえ」

こちらは炊き込みご飯をおにぎりにしているお義母さん。


「おーい信子。あと2本ビール持ってきてくれよ」

テレビの前から動こうともしないで、大声を上げるのがわたくしの夫。残念ながら、王太子殿下のようなサラサラの金髪も、サファイヤの瞳も、レディに対する優しさも、守ってくれる剣の腕も、なに一つ持ち合わせていない、一般的な日本人です。


そう、いまのわたくしは「普通の主婦」であり「普通の日本人」。

エメラルド王国の学園で持て囃されていたような「特別な存在」ではありません。


ああ、神様。こんな惨めな思いをするのなら、思い出したくなかった。

いえいっそ、転生など望まずに黄泉の国へ旅立てばよかった。

わたくしは何も悪いことはしていない、むしろいじめられて苦しい思いばかりしていたので、黄泉の王も無事開放してくれたのではないかしら……。


* * * * *


「ジュディスさま。ご領地が辺鄙なところとはうかがってますが、マナー講師の一人もいらっしゃらなかったのかしら?」

食堂でとんかつと格闘するわたくしに、声をかけにいらしたのは、王太子殿下のいいなずけ、オードリアさまです。


「……マナーは父と母が教えてくれました」

「まあ。あなたのご両親は肉にフォークを突き刺して、歯で噛み切れと教えましたの?」

あきれたようにおっしゃいますが、このとんかつは食堂で一番安いのです。とても固いのです。貧乏男爵家ではこれしか食べられません。


「この学園が次世代の貴族の教養を身につける場でもあることはご存知?」

「……はい」

「マナー講習も、学科の中に入っているはずでしてよ?」

「……はい」


「ジュディスさまはその時間、どこで何をしていらっしゃるのかしら?」

オードリアさまの背後から次々とご令嬢方が顔をのぞかせます。みなさん、王太子殿下の側近のいいなずけのご令嬢です。

「あら、問題はどこでではなく、誰と会っているかではなくって?」

「勉強もせずにふらふらと殿方の間をさまよっていらっしゃるのかしら?」

「まあ、そんなはしたない真似を男爵令嬢たる方がされるものですか」


「淑女の名誉に関わることですわ。みなさん、そのような勘ぐりはおやめになって」

オードリアさまはご令嬢方を諌めます。

でもわたくしは判っています。この方が一番、わたくしに対し敵意を抱いていると。それは彼女の婚約者である王太子殿下がわたくしを目にかけてくださるせいだと。


嫉妬。

そう、わたくしは嫉妬ゆえにこのご令嬢から毎日のようにこうして嫌味を云われているのです。


「……王太子殿下は」

わたくしの心の中に、ふつふつと怒りが湧いてきました。

「生まれ育ちは選べるものではない、とおっしゃいました」

「……それが?」

「ですからわたくしは、わたくしのあるがままが一番素晴らしいのだと、王太子殿下に肯定していただいたのです!」


オードリアさまがショックを受けたように目を見開きました。


* * * * *


印象的な女性コーラスとともに、「日本全国ルーレットの旅」が始まります。

「よっ、待ってました!」

茶の間に集まった親戚一同、やんやの喝采です。信子として生きていたわたくしなら、ここで一緒に大はしゃぎするところなのですが、ジュディスの記憶を思い出した今となっては、このような庶民の馬鹿騒ぎに加わる気はおきません。


「あら、これ駅前の郵便局長じゃない?」

「緊張してガチガチじゃん」

小さな町なので、次々と顔見知りが登場します。

「制服で登場されたのですね。さすがに長たる役職についている方です、素晴らしいですわ」

一応、話に加わってみようとしましたが、全員がおかしなものを見る目でわたくしを振り向きました。

なんでしょう?


「あ、スーパーの吉田さん」

「お化粧濃くない?あれ絶対テレビが来てるって聞いて盛ってきたのよ」

「お惣菜を作る化粧じゃないわよねえ」

同じスーパーのパートとして聞き逃がせません。

「人前に出るときに見苦しくない化粧を施すのは女としての礼儀ですわ。それに化粧の濃さはお惣菜の味にはなんら影響しませんわ」


またも一同、わたくしを振り向きます。その目が剣呑なものになってきています。わたくし、なにか間違ったことを云いましたか?


「あ!おばあちゃん!」

気まずい雰囲気が、義母がテレビ画面に登場したことで元に戻りました。

「あはは。本当に取材されてるー」

「やだわ、シワがはっきり映っちゃってる。だから嫌だったのよ」

「おふくろ、そんなこと云うわりに嬉しそうじゃねーか」

「そうだそうだ、お前がしわくちゃなのは前からなんだから、いまさら恥ずかしがることねーわ」

「おじいちゃんったら!」


義父も照れ隠しなのでしょうが、必要以上に義母を攻めるのは感心しません。ここは一言いっておかなくてはならないでしょう。


「お義父さま、人にはそれぞれ持って生まれた美というものがございます。おかあさまはあくまで自然体です。そこは褒めて差し上げるべきでは?」


今度こそ、全員が不審の目で私に向き直りました。


「おい信子、どうしたんだ?さっきから云っていることがおかしいぞ?」

「何がおかしいのです?お知り合いを笑い者にする皆さんのほうが人の道にはずれているのではありませんか?」


「人道ー!バラエティ番組にそんなもの求めないでくださーい」

「信子おばちゃんどうしたの?いつも私達とノリがいっしょなのに」

義姉の娘たちが大げさにのけぞります。


仕方ありません。ここでわたくしが皆さんと同じではないということを、はっきりと宣言しておかなければ。

「いいですか、皆さん。わたくしは今までの小栗信子ではございません。わたくしは生まれ変わりました。これからはわたくしを貴族の令嬢として扱ってくださいませ」


「……はい?」


「実はわたくしは!

エメラルド王国の王太子殿下に見初められた女ですのよ!?

真の名はジュディス・ガードランドというれっきとした男爵令嬢なのです!!」


しばらく沈黙が続きました。そして恐る恐る口を開いた義姉から放たれた言葉は。


「の……」


何よ、云いたいことがあるなら云ってごらんなさい。


「信子さんが中二病を発症したーーーーーーーーーーーー!!!!」

座布団と、ビール瓶と、うちの夫がひっくり返りました。


* * * * *


茶の間に緊迫した空気が漂っております。

これより義両親、わたくしたち夫婦、夫の姉夫婦とその高校生と中学生の姉妹、夫の従兄弟夫婦とその高校生の息子、お隣の中村さん(男やもめ)、その隣の田中さんご夫婦(スイカ農家)、お向かいの酒井さん(元ヤン)とそのボーイフレンド(職業不詳)による、「第一回チキチキ信子さん中二病対策会議」が開催されようとしています。


チキチキはいらないのではないでしょうか?


上座に座布団を三枚重ねて座らされたわたくしに、皆さんが一様にキラキラした視線を向けてきます。なんででしょう?


「いやー初めてみたよ、中二病に罹患した患者!」

中村さんは定年退職したお医者様です。


「うちのクラスは大半が中二病だけどね」

「あんたはリアルで中二でしょうが」

こちらは義姉夫婦の姉妹。


「大丈夫よー、三十すぎて定職にもつかずロックバンドでデビューしたいっていってる中二病がここにいるからー」

酒井さんのボーイフレンドさんのことですが、それは中二病ではなくニートと呼ぶのです。


「はいはい静粛に!静粛に!」

裁判所の木槌代わりに、ビールの栓抜きをカンカンとちゃぶ台に打ちつけて、義姉が一同を鎮めます。

「まずは信子さんの言い分を聞こうじゃありませんか」


栓抜きがそのままマイク代わりになります。

それを受け取ってわたくしはコホンと咳払いをしました。

「えー、わたくしはさっき、ぬかどこを持ち上げた際、前世の記憶を取り戻し」

「前世キターーーーーーーーーー!!!」

なぜかガッツポーズの高校生男子。うるさい、そこ。


「エメラルド王国の貴族学院に通っていた、ガードランド男爵の一人娘、ジュディスだということを思い出しました」

「ほほう」

中村さんがメモを取り始めました。わたくし、症例ではありませんからね?


そこでわたくしは、いかに王太子殿下と出会い愛されたか、その側近の方たちから禁断の思いを受け取ってしまったか、そのいいなづけのご令嬢からどんなむごい仕打ちをうけたかを赤裸々に語りました。


「マナーもなってないわたくしでしたが、王太子殿下は、そのありのままのわたくしが良いと、初めて云ってくださったのです……それが初恋で、最後の恋だったのです……」

そう、人間ありのままに生きるのが幸運を呼ぶのです。わたくしが松たか子なら、ここで城を建てながら歌うところです。

しかし、初恋は実らないものとは真実だったのですね。嗚呼わたくしの殿下……。


台ふきんで涙を拭うわたくしに、ぱらぱらと白けた拍手がおきました。何やら不穏な空気です。


はたして、義姉は渋い顔でちっちっちと人差し指を振りました。

「信子さん、まず設定がゆるすぎる。なんの取り柄もない男爵令嬢が王太子に愛されるなんて世の中そんなに甘くないのよ。マイナス10点」


「そこはわたくしのドジっ子属性で」

「ドジっ子キターーーーーーー!!」

うるさいぞ男子高校生。


「設定の後付け禁止!マイナス10点!」

ぷうと頬をふくらませるのはリアル中二女子。

二度漬け禁止みたいにいわないでください。わたくしは大阪の串カツではありません。


「王太子一派に加え、神様までイケメンなんてイケメンインフレだと思いまーす!マイナス10点!」

いまどきの高校生女子は夢も希望もないですね。


「特に問題はないと思うんだけど……」

「そうですよね、田中さんの奥さん!」

「あえていうなら、ぬかどこがねえ……」

「きっかけがぬかどこじゃねえ……」

「ロマンがないわねえ……」

「マイナス20点ねえ……」

田中さんの奥さんとお義母さんは、ぬかどこがひっかかるみたいです。ていうか、あなたのぬかどこですよ、お義母さん!


「だいたいさあ、異世界召喚って普通逆じゃない?こっちから普通の高校生が転生して魔王と戦ったりするんじゃないの?」

「普通の高校生ってところが効率悪いよな。最初から吉田沙保里を召喚したら最強じゃね?」

「なんでただの男爵令嬢が日本に転生するの?なんのメリットがあるのよ?」

「説得力ないよな。マイナス20点だ」

夫の従兄弟夫婦は公務員です。いちいちメリットとか効率とか面倒くさいです。


でもこんなに減点されるということは……。

義姉が計算します。

「ふっ、30点というところね」

「さ、30点ですって!?」

打ちのめされて座布団から崩れ落ちるわたくし。


「ところで信子さん。その王太子とうちの弟、どっちがイケメンなの?」

義姉のいうところの弟とは、すなわちわたくしの夫です。

「だんぜん、王太子殿下です」

「即答!」

夫が泣き出します。

「じゃあ、王太子と吉沢亮では?」

「急にリアル!」

「それは甲乙つけがたいですね」

「つけられないんかい!」

ツッコミを入れる夫は千鳥のノブ状態です。顔は大悟似ですが。


「で結局、信子さんはどうしたい訳?」

「わたくしは……」

そこで転生前に見た悪役令嬢・オードリアさまの顔がふと浮かびました。


* * * * *


オードリアさまがショックを受けたように目を見開きました。

ですが、それはわたくしが殿下の寵愛を受けていることに対してではなかったようです。


「貴女、何をおっしゃってるの?」


オードリアさまが心底呆れたように

「あるがままに、ですって?

いつ王太子殿下がそのようなことを肯定したと云うのです。マナー講習も、護身術も、魔法学もちゃんと学ぶよう、殿下がさんざんおっしゃっているのではありませんか。

ジュディスさま。貴女それらをことごとくサボタージュされてるのよ?殿下が嘆いていらっしゃったわ」

「殿下が!?そんな訳ありません」

「いいえ、直にお聞きしましたもの。殿下のご厚意で、騎士団長のご子息さまがあなたに特訓されたそうですね」

「はい!!」


わたくしは、満面の笑みを浮かべてみせます。殿下はわたくしのことを特別とおっしゃって、いろいろとお計らいくださるのです。

わたくし愛されている自信があります!

そんなわたくしに構わず、オードリア様は淡々と述べられます。

「聞くところによると、貴女は最低限の護身術も会得できず、騎士団長のご子息に、それでは自分の身も守れぬだろうとさじを投げられたそうですね」

「え?えーと、そこはあの方が守ってくださるんじゃ……」

「あの方の剣は王太子殿下に捧げられたものです!何故男爵令嬢ごときを守らねばならないのですか?付きまとわれて迷惑しているとあの方はおっしゃってましたわ!」

泣きながら訴えるのは、騎士団長子息さまのいいなずけ。


「魔術師さまも、大変お困りのようでしたわ」

さらに言い募るのは魔法省の大臣のご息女。最近、天才と言われる魔術師さまに熱烈アプローチ中だとか。

「基礎を教えても表面しか理解されず、中身のない変わった魔法をお使いになるとか」

「そういえばジュディスさまは光魔法の属性があるのでしたわね」

オードリア様がわたくしに確認します。わたくしは勢い込んでうなずき、

「魔術師さまには褒めていただきました!私の光魔法の前では、あの方の聖魔法も意味はないと!」

「それ褒めてるんじゃありませんわ」

魔法大臣のご息女は額に手を当てて、頭痛をこらえているようです。

「貴女の光魔法が、『ただ光るだけ』の魔法でしかないから、聖魔法を教えても使いこなせないだろう、もっと光の癒やしなどを使えるように魔法学に励んでほしいという意味なのです……」


周囲がしーんと静まり返り、やがてオードリアさまが私を憐れむように優しくおっしゃいました。

「何を勘違いされているのか知りませんが、貴女はなんでもご自分の都合の良いようにしか解釈なさらないようね」

「そんなはずありません!」

私は奮然と立ち、ご令嬢方へ背を向けると王太子殿下が食事をされている特別室へ向かいます。

殿下たちに、わたくしの潔白を証明していただかなくては!


ですが、特別室に至る途中には当然ながら護衛がいます。そこで通す通さないの押し問答をしていると、宰相子息さまが通りかかりました。

「あ!助けてください!!わたくし、王太子殿下にお会いしなくてはならないんです!」


眼鏡にかかった前髪をふっと払って、冷たい美貌をこちらに向けた宰相子息さまは、護衛に少し下がるように命じてくれました。

「その前にジュディス嬢。私からもあなたに云っておくべきことがあります」

こんなところで愛の告白でもされたらどうしよう、ともじもじするわたくしに、彼は意外な言葉を発しました。

「私が放課後、貴女の勉強を直々に見て差し上げます。貴女の成績を私の手で変えなければ」


「宰相子息さまが勉強を教えてくださると?」

思わず浮足立って彼の手を掴んでしまいました。

でも宰相子息さまは静かにわたくしの手を離すと

「王太子殿下の在学中に落ちこぼれを出したと合っては外聞が悪いのです。ジュディスさん、あなたの成績は壊滅的ですよ?いったいどんな勉強をしているのですか」

黒縁メガネをくいっと持ち上げると、宰相子息様は呆れたようなため息を付きます。

「勉強ですか……?ええと、授業を受けています」

「……は?」

「勉学とは本来そういうものでは?授業以外に時間を使わなくてはならないのは、その教え方に問題があるのではありませんか?」

宰相子息さまはしばらくほうけてらっしゃいましたが

「……ただの落ちこぼれかとおもっていたら、理論武装して開き直りやがる。こいつの辞書に努力という文字はあるのか……?」

ぶつぶつとつぶやくので

「辞書でしたら、ロッカーの中に置いてますわ」とお答えすると

「置いているだけかよ!」と怒られました。

聞かれたことに答えただけなのですが、何を怒ってらっしゃるのでしょう?


宰相子息さまが黙ってしまわれたので、わたくしは頭を下げて特別室へと向かいました。おい待て!と云われたような気がしますが、かみ合わない会話を続けるのは苦痛です。

一刻も早く王太子殿下に会いたい!!


特別室では、王太子殿下が側近のみなさま――さきほど私をいじめにきたご令嬢方のいいなずけのみなさま――とフルコースを召し上がっているところでした。


「殿下!わたくしをお助けください!!」

オードリアさまたちがひどいことを、と云いかけたところで殿下が片手を上げて制し、口元をナプキンで拭われました。

そんな些細な仕草もTHE・王子様。パーフェクトイケメンです。


「いいところに来た。私の用件から先に云わせてもらおう。ジュディス、今度の学園の舞踏会では君がこの学園にふさわしい生徒がどうか、私のいいなづけに成果を見せてもらおうかと思っている」

「オードリアさまに?でもわたくし今あの方にいろいろ云われて大変で……」

思わず涙が滲みます。ですが殿下も、他のご子息も誰もわたくしにハンカチ一枚さし出そうとはされませんでした。

「王太子殿下!わたくしを助けてはいただけないのですか!?」

「助けたいと思い、いままで側近を何人も送り込んだであろう。だがジュディス、人は教えられることだけでは成長しない。みずから学ぶ姿勢があって初めて、勉学も鍛錬も魔法も、己の血となり肉となるのだ」


「そんな……わたくしは殿下が助けてくれると思えばこそ、今までこの学園でやってこれたのです。いつかおっしゃってくださいましたわ、『雨に濡れそぼった猫のようだ』と。かわいがってくださっているものと信じておりました!」

「実際に雨の降る中、猫のようにはしゃいで泥だらけになった生徒を保護して、着替えや温かい食事を用意するのは、王太子として当然であろう。君はこの国の民なのだから」


え……わたくしはにゃんこ扱いだったのですか……。


「しかもあの時間はマナー講習の時間だったそうだね。オードリアから聞いたよ。まったく授業にも出ずに何をしているんだ」


* * * * *


そうでした。

わたくしは別に王太子殿下に愛されていたわけでも、側近の皆様に守られていたわけでも、ご令嬢にいじめられていたわけでもありませんでした。

誰もがわたくしにのぞんだことは「ジュディス・ガードランド自身が努力し、それを態度で示さなければ、理解は得られない」ということでした。


王太子殿下や側近のみなさまはわたくしの憧れで、おそばにいることがただただ嬉しく、一方のご令嬢方がマナーや社交を説くたびに「わたくしを妬んでいるのだわ」と遠ざかろうとしておりました。


学園の舞踏会の日、王太子殿下はまず側近たちを使って特訓させたわたくしのダンスやマナー、魔法や勉学についてご令嬢方に、その成果を見せようとなさいました。

でも、何も学ばなかったわたくしの結果は散々でした。ご令嬢方が残念そうに、ただ首を振りました。そこに「わたくしに対する嫉妬」などはなく、もちろん憐れみも呆れもなく、単なる無表情でございました。


そして最後に。

王太子殿下がされようとしていたのは、オードリアさまとの婚約破棄ではなく、わたくしに対する最後通牒だったのです。

このテストに受からなければ退学、というところまでわたくしの成績は下がっていたのです。


わたくしは殿下への愛のときめきなどではなく、退学のプレッシャーで倒れてしまったのです……。


* * * * *


「どうしたいって……」

前世の記憶をすっかり取り戻し、突然落ち込んだわたくしには答えることが出来ませんでした。

思えば、こういう主体性のないところを王太子殿下やオードリアさまに指摘されてきたのです。

しかし、主体性のないジュディスとしては成長のないまま、わたくしはあの世界での生を終えました。


黙り込んだわたくしの前に、おかあさんがおにぎりを、おねえさんが天ぷらを、おとうさんがコップを置き、夫がビールを注いでくれます。


「まあ、呑め」

「あ、はい」

転生前は未成年だったわたくしですが、今は立派なオトナ。

ビールを一気にあおり、ぷはーっと息をつきます。

落ち込んでいても、ビールはうまい。


「……何があったか知らねえが」

さきほど、わたくしが失礼な口を聞いたお義父さんですが、とても優しい声で云ってくれました。

「信子さんは頑張ってると思うがね。残業続きのこいつの代わりに家のことを全部やって、パートにまで出てくれて」

「嫁いできたときはろくに料理もできなかったのに、今じゃ毎日弁当を作って」これはお義母さん。


「信子おばちゃんのインスタ見てるよー。おじちゃんにキャラ弁は似合わないと思うけど」

「今日の煮物もおいしいよ」

「それに遊びに行くと、いっつも部屋がきれい」

「あんたたちは自分の部屋は、自分で掃除しなさい」

義姉一家は最後は説教でしめくくります。


「うちの病院の事務もパートさんだったけど、きびきび働いてくれとったなあ」

「第一、働いているだけで偉いと思わない?」

「お前が!どの口で云うのか!!」

酒井さんがボーイフレンドに四の字固めをかけます。ギブアップしたら開放してあげてくださいね?


わたくしは小さい声で云ってみます。

「でもそれって、当たり前のことじゃありません?」

「「「「そんなことはない!!」」」」

全員が大声をあげ、わたくしは飛び上がりそうになりました。


「毎日の家事、家の維持がどれだけ大変か」

「夫が仕事ばっかりで話しできないって精神的にキツイことよ?」

「パートだってお金をもらってるんだもの、手抜きなんてできないし」

「だいたい、毎日の献立を考えるだけでも一苦労なのに!」

「それなのに、主婦は三食昼寝付きでラクしてるって思ってる男の多いこと!!」


女性陣がわたくしを慰めてくれようとしますが、ほぼ男性陣にクリーンヒットしてます。お義姉さん、お義兄さんが瀕死ですけど大丈夫ですか。


今度は男性陣がわたくしを説得してくれます。

「いや、本当に助かってるんだよ……?」

「弁当があれば食費を浮かして趣味に使えるしな」

「コンビニ弁当もうまいけど、飽きるもんじゃよ」

「仕事終わってから洗濯したり風呂掃除したりすることを考えただけで大変だ」

「働きたくても働けない人は世の中にたくさんいるし」

「いや、だからお前がそれを云うなよ……」

「お、おれは家に居てくれるだけで充分だから!」

最後はお義兄さんです。日頃の力関係がしのばれる発言です。


「小栗信子」としての人生を振り返れば、そんな重大な成功はしていませんが、小さい努力の積み重ねでここまで来たような気がします。

それなりに勉強して進学しましたし、人見知りでしたから就職するのも勇気がいりました。

結婚するときも悩みましたが、一人地元を離れてきました。

今のパート先では女性の集団の中で。人間関係にも苦労しています。

でもエメラルド王国の学園のように孤立もしていませんし、友達も出来ました。


「……わたくし、頑張ってます?」

うんうん、と全員が頷きました。


「信子はさ、今の信子をもう少し信用したほうがいいよ。その前世の記憶がないままでも、貴族なんかじゃなくても、好かれてるんだから」


* * * * *


そのまま会議はお開きとなり、わたくしと夫は縁側に座って休むこととしました。


「ああ、でも、良かったー」

脳天気な声で夫が笑います。

「……何が」

「だってさ、エメラルド王国に、ジュディス・ガードランドだろ?付き合って初めて、信子が俺んちで食事をつくってくれたことを思い出したよ」


そういうこともありました。メニューはただのカレーでしたが。


「そのあと二人で古い映画をレンタルしてきて、一緒に観たよな?」

そういうこともあったような。たしかあの映画は……。


オズの魔法使い。

主人公が目指す街はエメラルド・シティ。そして主演は……


「ジュディー・ガーランド……」

「そうそう!」

夫がここ数年で一番の笑顔をわたくし、いえ私に向けてきます。この人、こんな無邪気な顔もまだ出来たんですね。顔の作りは大悟ですが。

「あれがさー、信子の頭の中にずっと残ってたんだなあ。それでひょいっと前世の記憶と間違えて出てきたんだ。俺はそう思う。

で、ちょっと、嬉しかった……」


やだ、いい年して顔を赤らめてますよ、この人!!

いえ私の頬も熱くなってきたんですけど!!!


前世の記憶を取り戻したときは、こんな平凡な世界や、何者でもない自分がとても嫌でした。

でも、私が「小栗信子」として生きてきた時間もまた、小さい幸せに満ちていたではありませんか。


好きな人の家に行ってカレーを作って、2人で映画を見て。

その人と一緒になって、大勢の家族ができて。

頭を打ったら、みんなが心配してくれて。


ジュディスだった時にはどんなに説教されても気づけなかったその「小さな幸せ」や「自身の努力」を、知らないうちに私は手にしていたのです。


ありがとう神様。私を成長できる世界に転生させてくれて。

今となってはあれが前世の記憶だったのか、夫の云うような過去の記憶だったのか、今ひとつ自信が持てません。

でもただ一つ云えるのは、この世界でジュディスと同じ過ちをおかさなくてよかった、ということです。


「さーて、落ち着いたし、そろそろスイカ切ろうか?」

縁側に顔をのぞかせたお義姉さんが云いました。田中さんから頂いたスイカを、水を張った金ダライにつけておいたのです。そろそろ冷えて食べごろではないでしょうか。

私が台所へ行くと、高級そうなスイカをお義姉さんが持ち上げようとしているところでした。

「お義姉さん、スイカ重いですよ」

「だーいじょうぶだって!よっこらせーの……」


ゴン!!!


ほらいわんこっちゃない、持ち上げた拍子にバランスを崩して床に頭をぶつけてしまったではないですか。

「すごい音がしたねえ」

にこにこ笑うお義母さんに、立ち上がった義姉は言い放ちました。


「無礼者!」


「「……は?」」

「わたくしを誰と心得る!エメラルド王国第一王子がいいなづけ、オードリア・ヘッピリゴシバーン公爵令嬢なるぞ!」


私とお義母さんは黙って顔を見合わせました。

そしてお義母さんは座布団を積み上げ、私は中村さんと田中さんと酒井さんを迎えに行きます。

そう、これから「第一回チキチキお義姉さん中二病対策会議」が開かれるのです。


……やっぱりチキチキはいらないんじゃないかしら?

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異世界転生りみっくす!〜私ヒロインでしたが、なぜか転生しちゃいました。 川元椎乃 @shiino-k

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