急いで駆けつけて君の手を握るとまだ少し温かい
城崎
急いで駆けつけて君の手を握るとまだ少し温かい
「最後に聞こう。君はそこから飛び降りて、後悔しないのかい?」
目の前の彼女は、彼女よりも少し背の低いフェンスにもたれかかっていた。フェンスは老朽化が進んでおり、心許ない。あと少し身体を傾ければ、下へと真っ逆さまに落ちてしまうだろう。下にあるのは、固い地面だ。落ちてしまえば、彼女の身体がどうにかなってしまうのは間違いない。
彼女は、どうにかなってしまうことを望んでいるのだ。彼女は所謂、自殺を試みようとしている。
「後悔しかしないわよ。見ていないドラマもある。映画もある。あと1巻で完結する予定の漫画はまだ発売されていないから読めてないし、行こうと思っていたテーマパークには行けてないし食べたいと思ったお菓子だって食べられてない。他にも、やり残したことがいっぱいある。これから生きていれば、やりたいことだって増え続けるかもしれない。でも、死ぬの。今死ぬの」
「どうして? 人はいつか死ぬんだ。今じゃなくったっていいだろう」
「どうしてあんたが、そんなことを言って私を止めようとするの? この期に及んで、博愛主義にでも目覚めたわけ?」
「ひどいな、君は。そりゃあ俺だって、目の前で人が死のうとしているのは止めるよ?」
「じゃあ、立ち去ってよ。あんたが立ち去ってから、あんたが容疑者かなんかに疑われないくらいの時間が経ってから落ちるから」
「そんなに君の度胸は持つのかい?」
「持つわよ。少なくとも、今日中は持つ。だって、今月いっぱい考えたんだもの。それに、今日実行できなかったら、次は1年後よ」
「1年後? 今日は一体、何の日なんだい?」
「あんたに教える義理はないわ」
「それもそうだ。俺と君の間に、義理だなんてものは存在しない」
「そうでしょ? なら早く、どこかに行って。さよなら。あんたとの会話、別に悪くなかったわよ」
「そんなことを言うなんて、本当に参っているんだね。死のうと思った原因を、俺に話そうとも思えない?」
「別に参ってないわよ! 私は至って普通よ。むしろ、あんたの方が異常だわ」
「うん、それについては同意しよう。アレだろ? この理不尽な世で生きていこうと思う方がおかしいってヤツだろ? それは俺も、常々思っている」
「あんたは、そういうのとは別で異常だわ」
「そんなに言わなくても良いんじゃないか? もしかして、俺のこと嫌いだったりする?」
「当たり、大ッ嫌いよ」
「アッハッハ、この天邪鬼め」
「……前言撤回するわ。私が死ぬ理由。それは、あんたとのこの不毛な会話よ」
彼女は、気怠そうにフェンスへと身体を傾ける。このタイミングで落ちようと思うだなんて。どうやら彼女は、俺を容疑者に仕立て上げたいらしい。
「まったく」
俺は彼女の方へと駆け、そしてその白い手を取った。彼女を引き上げ、そして俺が空中へと残る。
「え……」
震えたような声。きっと彼女は、らしくもない怯えた表情をしているのだろう。彼女の顔を見て笑えないのが残念だけれど、きっと俺は彼女の手を掴んだ時から笑っていたはずだ。精々、あとに残った俺の身体を見て、飛び降りが選択肢からなくなってしまえばいい。
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