物語のとなりの人
螢音 芳
物語《まほうしょうじょ》のとなりの人
僕の名前は
特に特徴のないいたって普通の男子中学生だ。
身長は平均的、顔立ちも可もなく不可もなし。特技と趣味を聞かれたら困るタイプだ。
ただ、ほんの少しほかの人と違うところをあげるとするならば、それは幼馴染の存在だ。
◇◆◇
「あ、あのう……」
授業中、隣の席から消え入りそうな声が聞こえた。
隣を見ると、幼馴染の少女、
よく見ると、足元のかばんから謎生物のしっぽとおぼしきものがはみだしている。
やれやれ、いつものことか。
毎度毎度抜け出す理由を考えなければいけないことに、難儀だな、と同情気味に思う。
だからでこそ、事情を知る人間としてここは協力すべきだろう。
僕は授業の解説をしている先生の声に割りこむように手を挙手すると大声で言い放った。
「先生、東雲さんが緊急事態でトイレでピー(自主規制)したいそうです」
僕の発言に解説をしていた先生はおろか、こそこそ話し込んでいたクラスの生徒の声までやんだ。
「の、野々崎。そのピーというのはなんだ、ピーというのは」
授業を急に中断されたことに怒っているのか、こめかみをひくつかせながら先生が質問してきた。
「いやだなあ、先生、言えるわけないじゃないですか。だから(自主規制)とまでつけたのに。あ、知りたいというのなら細かく説明してもいいですよ。用は人間のせいり……」
と続けようとしたところでごいんっと後頭部に衝撃が走った。
「やめなさいっ、恥ずかしい!」
紳士的に解説しようとしたのをとめたのはあろうことか幼馴染の茉莉香本人だった。
「いや、だって先生が質問してきたから答えたほうがいいかな、と思って」
「そういう問題じゃないし、そもそも最初の言葉がまずおかしい! あーもうどこから突っ込めばいいかわからない!」
「そんなに問題点のある言葉とは思えなかったけど」
「おおありよ!人をなんだと」
「とりあえず、茉莉香」
「何よ!」
「急がなくていいの?」
冷静に指摘すると、あ、と茉莉香は時間が止まったかのように動きを止めた。
おまけに周囲を見れば先生をはじめクラスの生徒の視線が僕ら2人に集中していた。
「あ、あう……」
茉莉香が困ったように表情をひくつかせる。
一瞬の沈黙。
「すいません、トイレで用足してきます、ごめんなさい!」
そう言うと茉莉香は0.5秒ぐらいで机の下のバッグをひっつかみ、さらに1.2秒ぐらいで教室から走って出ていった。
ふむ、記録更新だ。
遠くの廊下からうわああああああん、という声が残響して聞こえる。ほかの教室の授業の妨害になっていないといいのだが。
取り残された生徒と先生が呆気にとられる。
「え、えーそれで。問3までいったかな」
教師が授業の続きをはじめるべく声をかけた。
どうやら、今のやり取りをなかったことにするようだ。確かにそれが賢明だろう。
クラスの生徒も同じく授業に戻ることにしたのか、板書をとる者と話に興じる者とに分かれる。
僕も同じく板書をとるべくペンを手にとりつつ、ふと窓の外を見上げると、鳥よりも大きい影が空を飛んでいくのが見えた。
僕の幼馴染は何を隠そう、魔法少女だ。
ファンシーながらも鬼畜な謎生物から力を与えられ、中学生でも持つには痛恥ずかしいステッキと衣装で世界に混乱をもたらす魔獣と日夜戦っている、テンプレート的スタンダードな魔法少女である。
そして、僕は茉莉香が魔法少女であることを知っている唯一の人間だ。
一応、彼女が変身するところも見せてもらったことがある。
どんなものだったか具体的に言うのは、彼女の尊厳のためにノーコメントとさせていただく。
感想だけ言わせてもらうなら、とにかくピンク色であふれていたとだけ残しておこう。うん、ピンクとレースだった。
授業を聞いているふりをしつつ、こっそり机の下でスマートフォンを操作し、ニュースのページを表示させる。
先ほど更新されたばかりらしく、都市部で暴れていた魔獣をピンク色のふりふりした衣装を着た何者かが倒した、という記事がアップされていた。
どうやら今回も無事に倒すことができたらしい。
程なくしてがらっと再び教室の扉が開いて茉莉香が恥ずかしそうに戻ってきた。
顔を赤くしながらすまなさそうに戻る様子を見て、先生も問い詰めることはせず、むしろ同情的にうなずいて席につくよううながした。なんとなく、先生が一瞬こちらのことを冷めた視線で見たのは気のせいだろう。
茉莉香が何事もなかったかのように隣の席に座る。
まだ顔の赤い様子を見て、ん?とどこか違和感を覚えると同時に嫌な予感がした。
ふと、手元のスマホの画面を閉じるべく視線を戻すと、先ほどのニュースの記事に新しい画像がアップされていた。
そこにはピンク色の人影とは別に、黒ずくめの服装の長身の男性が映りこんでいた。
◇◆◇
放課後になり、僕は茉莉香に相談にのってほしいと言われ、教室に居残った。
クラスのみんなが去った教室で、2人っきりになると茉莉香はいきなり言った。
「健吾君、どうしよう。助けてあげたい人がいるの」
あまりにも抽象的すぎる言葉に僕はあきれてしまった。
だけどもそこは幼馴染。携帯で見たニュースと帰ってきたときの茉莉香の様子を見て、また魔法少女のテンプレート的お約束から何があったのか予想がついていた。
「もしかして、今日魔獣退治に行って、ピンチになったとき助けてくれた人がいた?」
こくん、茉莉香がうなずく。
「で、おまけにその人は素性は話さなかったけど、悪役っぽい雰囲気をだしていた?」
こくこくとさらに茉莉香がうなずいた。
「だけども、その人今の立場にいやいやながらも従っている感じがして、むしろいい人そうでだから助けたいと思った?」
「すごいね、健吾君、詳しいこと言っていないのに、そこまでわかるんだね」
僕の推論に関心したように茉莉香が言った。
どうやら全部当たっていたらしい。いやいや、お約束がすぎるだろう。
魔法少女を突如助ける正体不明の人物はお約束中のお約束だ。
やれやれとため息をつくと茉莉香に問いかけた。
「それで、結局茉莉香は助けたいっていうけど、具体的にどうしたいの?」
「それ、は……」
というと、茉莉香は黙り込む。
そして首を傾げた。
「どうしたらいいんだろう?」
どうやら、本当に考えていなかったらしい。がくりと脱力しそうになる。
だが、これが茉莉香である。
感情や信念が先に立ちどう動くかは後からついてくる。そしてその感情が純粋に誰かの力になりたい、その一心から生じている根っからのお人好しなのだ。
その行動に飾り気はないし、裏表もない。だからでこそ魔法少女に選ばれたのだと思うのだが。
自分とはあまりにも違いすぎてまぶしく感じることがある。うらやましい、とすら。
だがそんなことは幼馴染の立場としても、男の沽券からもおくびには出さず、言うべき言葉を探し出す。
「別に、今無理に考えなくてもいいんじゃないかな?」
「え?」
「茉莉香のことだから、自分の気持ちに正直になって行動するんでしょ?いつもそれで結果はどうであれついてくるんだから」
もしそれが悪い結果だったら自分が支えればいいだけの話だ。
だけどもどんな結果でも茉莉香は乗り越えられる、本当にそう思う。
「うん、うん、そっか、そうだね」
うなずくごとに悩んで硬くなっていた茉莉香の表情が柔らかくなっていく。
どうやら元気を取り戻したらしい。それなら何よりだ。
「元気が出たみたいだね、じゃあ帰ろうか」
「うん!」
お互いかばんを手にとったところで茉莉香が僕の表情を見て声をかけた。
「あれ?健吾君、何か怒ってる?」
茉莉香の指摘を受けて一瞬手が止まる。
時折だけど、幼馴染というせいか茉莉香は僕のことになると鋭い。
「いや、別に」
気づかせないように素気なく言うと、先に歩き出した。
このとき、茉莉香の指摘は当たっていた。
茉莉香を助けたという人物に対して僕は嫉妬していたのだ。
魔法少女のお約束として、敵側にいるはずなのにこちらを助けてくれる人間はそのあと魔法少女と恋におちる可能性が高い。
現に今日の茉莉香の様子を見ると、助けたいという気持ちもあるがその人物に恋心を抱いているようにも見えた。
それが、非常におもしろくなかったのだ。
男が嫉妬するのは見苦しいことは知っている。
それでも、茉莉香のことは僕が支えてきたのに、とか。
幼馴染だから茉莉香のことは僕のほうがずっと知っているのに、とか。
そんな情けない考えばかりがループして自己嫌悪に陥っていた。
◇◆◇
月日は流れ一つの季節が過ぎようかという頃、茉莉香とあの人物は順調に絆を深めていった。
茉莉香は笑顔でどんな経過をたどっているか教えてくれた。
またピンチになったけど助けてくれた、こっそり敵の弱点を教えてくれた。
この間は本当はこんな立場が嫌で茉莉香と一緒に戦いたいと告白してくれた、とも。
聞いていた僕の心中は、茉莉香を応援しようという気持ちの高気圧と敵側の人間を嫉妬する気持ちの低気圧がぶつかり、心の中で台風が発生していた。
ある日の放課後、茉莉香が涙を流しながら僕に相談してきた。
「健吾君、どうしよう。しーちゃんが、私を助けてくれてたことが上にばれて追い詰められて、決着をつけようって」
しーちゃん、とは茉莉香を助けてくれていた敵側の人間の愛称だ。
……とうとうこの時が来たか、とため息をつく。
敵対している人物と友好的な関係が長く続くわけがない。いずれ破綻し、追い詰められたその人物とは仕方なく敵対することになる。
だが、これはチャンスでもある。古今東西拳を交えて悩みを語り合った人間とは、本音で語ることができ仲が深まるものだ。
仲が深まる……その単語にちくりと胸が痛む。
だが、その葛藤はおくびにも出さず、なけなしの見栄をはって僕は言うべき言葉を言った。
「茉莉香、それで君はどうしたいんだ?」
こうやって相談しにときには、茉莉香は突然の出来事でパニックになっているだけだ。必要な点を、突いて現実にもどしてやればいい。
「私は……しーちゃんと戦いたいんじゃない、しーちゃんと一緒にみんなをおびやかす魔獣と戦いたいの」
茉莉香が顔をあげて強い口調で断言する。
茉莉香の中ではもうすでに答えがでているのだから。
「じゃあ、しーちゃんがどうして譲れないのか知らないと」
「うん、そうだね。だから、私しーちゃんに直接聞いて確かめてくるよ」
先ほどまでとは違った、覚悟を決めたまなざしで茉莉香はうなずくと走り出した。
遠くで、健吾君、ありがとう、と叫びながら。
僕は遠く離れていく幼馴染の背中をただただ無言で見送った。
きっと笑顔で送り出せた、と思う。
その日の学校からの帰り道。
なんとなくすぐ帰る気になれず、すっかり暗くなるまで学校に残ってしまった。
茉莉香は今頃しーちゃんと戦っているのだろう。しーちゃんと話し合うために。
そして戦いが終わるころにはしーちゃんと絆を深めてかえってくるのだろう。
もう、僕の入り込む余地がないほどに。
はあ、とため息が出る。
とぼとぼと曲がり角をまがったところで、どん、といきなり胸に白いなにかがぶつかってきた。
「野々崎どの!ご無事でしたか」
胸にとびついてきた何かがアニメでしか聞けないような、幼かわいい声で僕に言った。
よくよく見ると、イタチかオコジョのようなそれは茉莉香を魔法少女にした鬼畜謎生物だった。
「どうしたの、鬼畜生物? 茉莉香のところにいなくていいの?」
やや不機嫌な声で言うと、謎生物は、がーんっと擬音語が聞こえてきそうな表情をうかべた。
「ひどい、ひどいでありまする、野々崎どの。ワタクシめのことをそのように思っておいででしたのか!」
「勉強ざかりの中2女子を捕まえたあげく、みんなのためにとか否定できない正義論を盾に、日夜命をやり取りする危険な場に単独で戦えと口八丁手八丁で送り出す。その所業を鬼畜と言わずして何と言う?」
茉莉香がいるために言えなかった本音をこれでもかとぶつける。
「こわい、こわいであります。普段から野々崎どのは無表情でありますが、今日はそこに目が真冬なみに冷え冷えしてるであります!」
失敬な、僕にも表情の変化ぐらいある。今は確かに不機嫌が重なっているので視線と口調が冷めていることは認めるが。
「で、要件は何?謎生物」
「ひどい、ワタクシにだってジョー……」
どこんっ。
謎生物が名乗ろうとしたところでいきなりうしろの壁が爆発した。
周囲に土煙が立ち込める。
「しまったであります!話し込んでいる間に奴らの接近をゆるしてしまったであります!」
慌てたようにイタチもどきの生物が叫ぶ。
そこまで言ったところで僕はどうして謎生物が僕のところに来たのかを悟った。
魔獣の勢力がなぜかは知らないが僕を襲撃にきたのだ。
「だーっはっはっ、まったく探す手間が省けたぜい!」
僕の推測どおり土煙の中からサソリのような頭に赤茶色の肌の筋骨隆々とした男が現れた。
「少し脅しをかけたら、そいつが一目散に駆けていったから楽だったぜ」
思わず胸にしがみついて震えている謎生物を僕は見下ろした。
「お前、尾行されているのに気づかず、結局案内してきたのか」
「ひっ、ひい、野々崎どのの視線がシベリア級まで冷え冷えとしたものに!」
僕の視線を受けてイタチのような生物がさらに縮みあがった
げひひ、と品のない声でサソリ男は僕たちのやりとりを見て笑った。
「いやあ、それにしてもお前だったのか」
一拍おくとサソリ男は言った、今の僕にとって最悪の一言を。
「シャイニー・ロリポップこと、東雲茉莉香と恋仲という男とは!」
……。
今まで口に出すのも恥ずかしいため、あえて言わなかった茉莉香の魔法少女としての名をよく言えるな、という突っ込みはこの際おいておく。
今重要なのは、恋仲、と言った部分だった。
「あ゛?」
僕が思わずつぶやいた一語ですらない一音に、サソリ男はおろか、胸に爪を立てて制服に傷をつけてまでしがみついている謎生物まで表情が固まった。
恋仲、恋仲ね。今の僕にとって禁句の言葉をよくもまあ、勘違いとはいえ、この最悪なタイミングで言ってくれたものだ。
サソリ男が僕の温度差から間違いに気づいたらしく焦った表情を浮かべた。
「あ、あれ、もしかして、君、違うの?」
その一言を聞いた瞬間、ぷちん、と何かがキレる音が聞こえた。
一歩踏み出し、距離を詰めると、時にはリュックのようにも使う学生カバンの持ち手を握り締め、相手の顔面めがけて振りかぶった。
バキィ。
手元にいい感触の手応えを感じる。おそらくゲームだったら、クリティカル!の表示がでていただろう。
「ぐふぉっ」
エコーでもつきそうなやられ声でサソリ男が横っ飛びに吹っ飛び、コンクリートの壁に激突した。
サソリ男と僕の様子を見て謎生物が震える。
「ああわわわ」
「ふう、すっきりした。よし、逃げよう」
僕は学生カバンを肩にかけなおし、胸に謎生物をはりつけたまま走り出した。
「え、ええ?」
謎生物の事態を読めていない声を無視して僕は走り続ける。
後ろではこんのぉおおお!という野太い声が響いた。
本来、魔獣に対して一般人が対抗する方法はない。そのために魔法少女という存在が必要なのであって、普通の人間であれば見かけた時点で逃げるのが得策なのだ。
一瞬頭に血が上ってしまったせいでわれを見失ってしまったため、クリティカルヒットを決めてしまったが、奴に大したダメージは与えていないだろう。
現に、今も全速力で僕のことを追いかけてきていた。
「の、野々崎どの!追ってきているでありますよぉっ。どうするのでありますか!?」
「んー、やっぱり身体能力は向こうが上か。追いかけっこしても追いつかれるな」
なるべく曲がり角を曲がるようにして追いつかれないようにしつつ、近くの廃棄された工場に向かう。
工場内に入ったところで頭上を大きい影が横切った。
目の前をずずん、と土煙を立てながらサソリ男が着地して立ちふさがった。
「逃がさないぞ、小僧。よくもやってくれたな」
殴ったことに対する怒りも相まって、子供が見たら泣き出しそうな凶悪な形相でサソリ男がこちらを見る。
「休日の朝、せっかく早起きしたときにこの顔が映ったらいやだろうなあ……」
「いやかましいっ」
その時、つんつんと謎生物が服を引っ張り、よじのぼると僕に耳打ちした。
「あの、こういう時のために茉莉香どのからもらった魔法を詰め込んだ玉をお持ちではないですか?」
「ああ、持ってる」
こっそり返すとバッグの柄をぎゅっと握りしめた。
もし、万が一のためにと茉莉香からお守りのように渡されていたのだ。玉を地面にたたきつければ一気に光が炸裂して茉莉香にはっきりピンチなことを伝えることができるし、相手にぶつければ魔法少女でなくとも相手にダメージを与えることができる。
ただし、使えるのは一回きりだ。
「でしたら、茉莉香どのを呼ぶのです!」
謎生物が耳元で叫ぶ。
サソリ男がそれを見てにやりと笑った。
「ほう、シャイニー・ロリポップを呼ぼうっていうのか。来れたらいいんだがな」
そう、おいそれと玉を使うわけにはいかない。
茉莉香は今しーちゃんを説得するためにがんばっているのだ。
それを邪魔するのは自分として許す訳にはいかなかった。
「ですが、どうするというのです! 身体能力に差があるのは、先ほど野々崎どのがおっしゃったとおりでしょう!? あいつを倒すことはおろか、玉をあいつに当てて使うことすら困難なはずですよ!」
イタチもどきの魔法生物が指摘する。サソリ男が優位に立っていると確信しており、やりと笑う。
そんなこと、言われなくてもよくわかっている。こちらが玉を当てようと投げても、見え見えでよけられてしまうだろう。
普通の人では対抗するすべがないのだ。
「なので、面倒くさいので手順を省いて、玉をはじめ、いろいろなものをつめて爆弾風にアレンジしたものをこちらに用意してみました」
僕は料理番組であらかじめ下ごしらえした材料を取り出すかのごとく、黒い物体のつまったペットボトルを学生カバンから取り出した。
「いやいや待てぇっ!さっきまでのモノローグに対してその展開はおかしいだろう!」
「む、モノローグに対して突っ込むとは無粋な」
「物騒なものを持った輩に言われたくないわっ!」
突っ込み返すサソリ男を無視し、ペットボトルをにぎりしめて一歩踏み出す。
「ま、まて、落ち着け、話し合おう、な」
サソリ男が引き気味に笑いながら後ずさる。
その様子になんだか警察官に諭される爆弾魔になった気がしてしまう。
「あくまでもこれは化学実験並の力しかないはずだよ。それでも怖いの?」
「茉莉香どのの魔法によって効果が増幅されるなら、あるいは倒せてしまうかもしれないであります」
うぐ、とサソリ男がのどに詰まった声を出す。
「く、余計なことを……。俺様が、こんな人間のガキに……」
「たかが人間、そのガキに追い詰められるとは思わなかった?」
静かにサソリ男の言葉を予想して続ける。
確かに僕はただの人間だ。
茉莉香のような特別な力はない。それどころか、今茉莉香が困っていることに直接手を貸すこともできない。
僕が授業を普通に受けているときも、家でごはんを食べているときも、ベッドで寝ているときも、茉莉香はどこかで戦っている。
自分に力がないことにどれだけ苛立ったか。
「僕が何も備えていないと思った?」
『だいじょうぶだよ、私が守ってあげるから』
そう言って茉莉香はあの玉をくれた。
僕は人間、だけど男だ。
好きな女の子にただ守られていることに我慢できるわけがない。
茉莉香の秘密を知る自分が狙われることは予想がついていた。
だから、茉莉香の弱みにだけは絶対なるまいと、固く自分の中で決めたのだ。
ぐ、う、とサソリ男がうめく。
僕はサソリ男にペットボトルを投げつけるべく手を振り上げた。
「なーんてな」
サソリ男がにやりと笑った。
すぱっと手元を何かが走った。
切られたペットボトルの半分が地面に落ちる。
「あめえんだよ! 人間風情が油断するからこうなるんだ!」
叫ぶと、サソリ男の背後から巨大なサソリの尾が伸びた。
「わわわ、正体を現したであります! あいつは魔獣の中でも将軍格、正体をあらわしたときの強さはふつうの魔獣の比ではないであります!」
おろおろとイタチもどきの謎生物が僕の肩を行ったり来たりする。
「てめぇは、俺を怒らせた! 生け捕りなんて言わねえぇ、茉莉香の目の前に八つ裂きにした状態で見せつけてやる!」
サソリ男が尾をしならせ、襲い掛かってくる。
僕の目の前に尾の先の針がせまる。
その瞬間、カチリ、とサソリ男がスイッチを踏んだ。
どんっとサソリ男がいたあたりの地面が爆発した。
オレンジ色の閃光に僕は思わず目を閉じ、かがみこむ。
「ぐふぉっ!」
本日2度目のやられ声をあげながらサソリ男が吹っ飛び、工場内のコンテナのある方に吹っ飛ぶ。
さらにスイッチが発動してコンテナの上部が爆発し、崩れてサソリ男に降り注ぐ。
「あ、あああ!?」
状況がわかっていないサソリ男がコンテナから逃げる。そのたびに次々とスイッチが発動しては爆発、崩落をおこし、ぐふぉとか、げふうっとかやられ声が響く。
やっぱり魔法のようなものを使わないと致命傷にならないらしく、本来だったら何度も死んでいそうな爆発の連鎖にサソリ男がひっかかっていく。
あわわわわ、とイタチもどきが顔を青ざめる。
「な、なん、だと……?」
這うように爆発から抜け出てきたサソリ男が地面のスイッチを踏んだ。
それと同時に天井から大量の鉄骨が降り注ぎ、うまくサソリ男が逃げられないよう周囲に突き刺さってくれた。
ゆっくりと僕はサソリ男に近づく。びくり、と怯えたようにサソリ男が僕のことを見上げた。
「言ったはずだよ、僕が何も備えていないと思った?って」
そう、こんなこともあろうかと廃工場全体にトラップを設置しておいたのだ。いざというとき襲われても誘導して迎撃できるように。
「さて、どうしようかな。確か僕のことを生け捕りどうのこうの、八つ裂きがどうのって言ってたよね?」
その言葉を受けて、サソリ男の表情からわかりやすく血の気が引いた。穏やかに聞こえるように言ったはずなのになぜか肩にのったままのイタチモドキもびくっと怯えたように硬直する。
「だいじょうぶ、僕は殺したりなんかしないから」
だって、ここでこいつを倒してもまた別の奴が襲い掛かってくる。
ならば、ここは生きて戻って僕のほうを狙うのは間違いだって仲間に知らせてもらいたい。
「だから、僕の実験体になってよ。生きて帰れるように加減はするから」
僕はバックの中から配合量を変えたペットボトルをいくつか取り出してみせた。
「ひ、ひとつじゃないのかよおおおお!」
サソリ男の悲痛な叫び声を聞きつつ、距離をとった僕は実験を開始した。
◇◆◇
翌朝、僕は表面上のすがすがしい気持ちと奥底の重い気持ちをないまぜにしたまま学校に登校した。
サソリ男はどうなったか?
ちゃんと家に帰ったよ、無事に。本当に、無事に……うん。
とぼとぼと歩いていると、学校近くの路地のところで茉莉香に会った。
「おはよう、健吾君!」
茉莉香が笑顔であいさつする。茉莉香の学生カバンからイタチ謎生物のしっぽが飛び出しているが、健吾、と聞いたところでビクンっと硬直してするするとカバンの中に戻っていった。
「おはよう、茉莉香」
しーちゃんのことはどうなったの?
聞きそうになった言葉をすんでで飲み込んだ。
聞いたら、最後だ。ここは聞くべきじゃない。
だが、茉莉香はこっちの心とは裏腹に言った。
「あのね、健吾君ね。しーちゃんとがんばって話し合ってきたよ」
「そっか」
「それでね、しーちゃんもつらい過去があるってわかってね。それでも私説得して、しーちゃん、組織を抜けることになったんだ」
「そっか、茉莉香の思いが伝わったんだな」
どうやら、思惑どおりうまくいったらしい。
問題はこの後だ。
「うん!でね、組織にとってしーちゃんは裏切者になるからね。一緒にいたほうがいいってことになってね一緒に住むことになったの」
いきなり同棲!?
「ん、そうなんだ」
あまりの衝撃に生返事を返す。
「でねでね、学校も通おうってことになって、今日一緒に来たんだよ。この子がしーちゃんだよ」
同棲の事実にうちのめされて前半部分が聞けなかったが、この子、という部分を聞いて顔を上げた。
よく見ると、茉莉香の後ろに小学生ぐらいの女の子が立っていた。
この子がしー……ちゃん?
「
しーちゃんこと静ちゃんは礼儀正しく頭をさげた。
「野々崎健吾です、よろしく。というか、ニュースの写真で見たときはもっと身長が高くて凛々しい感じだったような」
気になったことを聞くと、ああ、と静ちゃんは表情を変えないままうなずいた。
「私は隠密が主な仕事だったので正体がばれないよう、変身時は男性に見えるようにしていたんです」
「そ、そうなんだ」
僕がうなずくと、静ちゃんもうなずいた。自分が言うのもなんだけど表情の変わらない子だ。
どうやら、僕は盛大な早とちりをしていたらしい。
表情にださないよう意識しつつも、大きく安堵した。
きーんこーんと予鈴のチャイムが鳴る。
「あ、二人とも遅刻しちゃうから行こう!」
茉莉香が我先にと駆け出す。
「待ってください」
と妹のように静ちゃんが後をついていく。
その背中を見つつ、二人に置いて行かれないように僕もいつもと変わらない日常に向かって走り出した。
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