嗚呼、桜木の下で
維 黎
十度目の初恋
3:00
時計の針が午前零時を指す直前
年に一度、ひとときの間だけ
満開の
狂い咲きの枯れた老木がある
2:50
穏やかな風が桜木を揺らす
ゆらゆら、ひらひら
舞い落ちる花びらが、そっと地に横たわるまで目で追う
目線を元にもどせば
そこには彼女が
2:40
『こんにちわ。お嬢さん』
『あなたは、誰?』
『僕は、
『私――わからない。わた……し……』
『君は、
2:30
毎年同じで、まずは挨拶と名前を伝えることが最初
再びふわりと穏やかな風
彼女は、なびく髪をそっと押さえる
何度見ても
その一瞬は、一枚の絵画のようだ
2:20
いろいろと話すことを考えて来るのに
こうして彼女を前にすると言葉が出ない
想いは募り、溢れそうだけれど
こうして一瞬を感じているだけで
満ち足りていると思える
2:10
『あなた。奇麗な目をしているのね』
『そうかな。そんなことはじめて言われたよ』
『ほら。この
『あぁ、君はロマンチストなんだ』
『そうなのかしら?』
2:00
初めて彼女と会った時は、彼女の方が背が高かったけれど
今はとうに追い抜いてしまって
彼女の可愛らしい
変わりゆく自分と
変わらない彼女
1:50
この場所に初めて来たのは、彼女を
確かに来たことはないのに
どこか懐かしい
そんな空気がここにはあった
1:40
『――そのネックレス』
『君がくれたんだよ』
『わたしが?』
『そう』
『覚えていないけど。なんだか良いセンス』
1:30
夏祭りの屋台で売っていた
何物にも代え難い物
シルバーとゴールドの二色セットの片割れ
二つを合わせると、一つのハートになるカップルネックレス
今、彼女の胸元には無いけれど
1:20
たった三分間の
残り時間はすでに半分を切っている
毎年同じ文言の繰り返し
次の彼女の質問も
ずっと前から知っている
1:10
『ねぇ、私たち――知り合いだった?』
『そうだね』
『友だち?』
『とはちょっと違うかな』
『それじゃあ――』
1:00
小首を
付き合い始めた当時から
しごく当然と言える変わらない
考える時の彼女の癖は
口元をやわらかく
0:50
しばらく考えた末に
一つの結論に至った彼女は
瞳に少し、期待の色を込めつつ
小さく息を吸い込んで
慎重に言葉を
0:40
『――恋人?』
『僕はずっとそう思っていたけど』
『私も同じように思っていたはず』
『そうだと嬉しいな』
『そうよ。だって私――好きよ、あなた』
0:30
告白は彼女からだった
ここじゃなく
記憶にあるのは校庭の桜の木の下
ジンジンと体中が熱くなったのを
今でも鮮明に思い出せる
0:20
彼女はスカートの裾をきゅっと握り
下唇を噛み締めて
期待と不安の思いを浮かばせて
じっと返事を待っていた
0:10
『ありがとう』
『どうして――泣いているの?』
『君が好きだと言ってくれたから』
『あなたは? 私のこと好き?』
『うん。僕も君が好きだったよ』
瞬間、一陣の風が吹き抜けていく。
驚きで
過去十年。これまでに無かった結末。
その理由は一つだけ。この三分間の逢瀬を
去年までは『好きだよ』と返した言葉に裕子が笑みを浮かべ、花びらが散るように消えていくのが
雄也には好きな人が出来た。将来を真剣に考えたいと思える人が。
この場所のことは話していなかったが、裕子とのことは彼女に伝えた。十年間ずっと好きで、今でも好きだということを。
『裕子さんへの想いはあなたの一部。だからその想いも含めて、私は雄也さんを愛しています』
彼女はそう言ってくれた。だからこそ雄也はケジメを付けなければならなかった。それは裕子を忘れるということではなく、新しい想いを育んでいくことへの決意。それを裕子に伝えることこそが雄也のケジメだった。
そして――
満開の桜木が淡く優しい光を放って、
雄也が見つめる視線の先には、裕子の満面の笑みがあった。
再び風が舞った。
満開の桜花を飲み込んで、勢い良く空へと駆け上っていく。
後に残った老木は、一瞬にして灰となり、ゆっくりと桜花を追いかけていき、やがて見えなくなった。
――おめでとう、ユッくん。お幸せに
そんな言葉が雄也には確かに聞こえた。
「――ありがとう、ユッちゃん」
初恋は実らないと言うけれど。
雄也の十度目の初恋もまた、実らずに今日、終わりを告げた。
🌸
四月。
桜の季節。
幼稚園の園門の前にある"祝・入園式"の看板のすぐ横に、園児とその母親らしき女性が二人並んで立っている。
「パパわぁ? いっしょに、おしゃしん、しないの~?」
「先にお母さんとね。後でパパも一緒にするよー」
カメラを構えながら、微妙に立ち位置をずらす。園門の上にある桜の枝も入る構図にしたいのだが、なかなか決まらない。
「ま~だ~」
「もーちょっと待って!」
小さな女の子だ。じっとしているのもなかなか難しい。
「よし! OK! じゃ、笑って。 ハイ、チーズ!!」
カシャリ、という電子シャッターの音が鳴った。
自分の中では、会心の一枚になったと確信していた。
その時、穏やかな一陣の風が頬をなでる。
なぜか懐かしさを呼び起こすその風が過ぎたあと、ひらりと桜の花びらが一枚、カメラを持つ手の甲に舞い落ちた。
「あれ~? パパ、どーしてないてるの~?」
――了――
嗚呼、桜木の下で 維 黎 @yuirei
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