ラスト
月満輝
ラスト
「海に行こうよ」
「今から? もう三分しかないよ」
「ここからなら三分以内に着く。ほら早く」
ユウタは私の手を引いた。人々の波とは逆方向に走っていく。なぜか可笑しくて、笑った。笑いながら走った。息が苦しくなって、それでも笑った。そうでもしていないと、泣いてしまいそうだった。
海は荒波立っていた。暗い空を映す海は、私たちを飲み込んでしまいそうだ。怖くて一歩後退る。しかし、ユウタは私の手を引いて、浜に降りた。
「待って、待ってよ。危ないよ」
波と風の音で、必死の声は掻き消されてしまう。いや、聞こえているだろうが、ユウタは無視しているようだ。海に向かって、ずんずんと進む。まさか、このまま……
「い、嫌だ。嫌だ! まだ死にたくない! 怖い! やめてユウタ!」
喉が裂けんばかりに唸る。それでも、ユウタの力に逆らうことが出来ない。どんなに腕を振っても、後ろに下がろうと踏ん張っても、どんどん波に近づいていく。
「なんで、なんでこんなことするの? このために海に来たの? 嫌だ、嫌だよユウタ」
足に何が触れた。冷たいそれは、私たちを飲み込もうと引っ張る。力が抜けて、膝を着いた。もうだめだ。死ぬとわかっていた時から、覚悟していたのに、いざ目の前にすると、怖くて仕方がない。死にたくない。死にたくない。
「もうすぐかな……」
ユウタは波の中に座った。そして、私の頭を肩に寄せた。そして、優しく撫でた。
「こんなに怯えてる。さっきまでのは、やっぱり強がりだったんだね」
ユウタは笑う。その声で、心臓の鼓動がスピードを落としていく。頭を撫でるユウタの手は、震えている。こんなに強い人でも、死ぬことは怖いんだ。自分の腕を見た。こんな傷だらけの腕じゃ、ユウタを包んでやれない。無力だ。
「キナ」
ユウタは私の額に優しくキスをした。そして目に涙を浮かべて、笑った。
波はさらに荒くなる。風も強く、暑い。怖い。でも、泣いたってどうにもできない。それなら、ユウタと笑っていたい。私は、ユウタの涙を拭った。顔を合わせて、吹き出した。
腕時計を見る。残り、一分三十九秒。
「ねえ、ユウタ」
「何?」
「さっき走ってた時にさ」
「うん」
「人波の中で、あいつを見つけたの」
「あいつって、雪田先生?」
「ぐっちゃぐちゃな顔で泣いてた」
「へぇ」
「それだけじゃないの。思いっきり転んで、犬の糞に顔から突っ込んでたんだから」
「良く見えたね」
「作り話だもの」
「なんだよそれ」
残り一分二秒。
「お腹空いたな」
「今一番何が食べたい?」
「うーん、ポテトかな」
「えー? もっと高級感あるものにしようよ」
「別にいいだろ? 食べたいんだから」
「だから貧乏性って言われるのよ」
残り四十二秒。
「あ」
雲が割れ、空がギラギラと輝き始める。風と波が、暑さと強さを増していく。
「もうすぐだね」
「うん。ユウタは、家族と一緒じゃなくて良かったの?」
「最後に、キナと一緒にいたかった。あんなやつらよりね」
「私も。ありがとう、連れ出してくれて」
目の前に、大きな大きな塊が迫ってくる。私たちの命は、もうすぐ終わる。これまでの苦しみからも逃れることが出来る。でも、もっとユウタと一緒にいたい。
残り十五秒。私は、ユウタの唇に、唇を重ねた。ずっとこのまま、私たちの時は止まる。それでいい。こんな幸せな最期、誰にも味わえない。ユウタは小さく「愛してる」と囁いた。つい笑ってしまった。涙が溢れ出る。
残り三秒。焼かれるような暑さも気にせず、私たちは、確かな愛を囁きあった。
私の人生で一番幸せな時間だっだ。
ラスト 月満輝 @mituki_moon
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