変身は三分まで

ペトラ・パニエット

変身は三分まで

「いいかい、優理花ゆりか。決して、3分以上変身を維持してはいけないよ。それは、何があってもだ。優理花ゆりかは偉い子だから、ボクと約束してくれるね」

 私が魔法少女になった日、父は私にそう言った。

「もし、3分以上変身したら、どうなってしまうの?」

 幼い私は問い返した。 

「時計うさぎが来る」

 それが、父の最後の言葉だった。



 †

「敵、階位ランク枢機卿級カーディナル次元門ポータルから発生。2時の方向です。10秒後にエンゲージ」

 ジャネットの通信が、私を現実へと引き戻した。

 隣で戦う香奈が「まだ来るの!?」と声を上げている。

「文句言わない。来るとわかっていれば、対処出来るわ」

 10秒もあれば、十分だ。

 落ち着いて杖を構え、術式の詠唱を始める。

 むしろ、『術式の読み間違えで不幸にも自爆』なんてほうが怖いぐらいだ。

天焦がす精霊の詩ル=サン・オ・フィ=エリア夢幻の間に揺蕩う魂フォサ=サピリア・オ・ラ=トレア此処に汝の威を示せフィレア・オ・ユール・イサ・フォサ=カタラッソ――」

 瞬間。

 閃光が煌き、天を名状しがたい光の破壊が満たす。

 相変わらず、自分で行使しておきながらよくわからない力だ。

 発生後の空間の静寂と生理的な不快感だけが行使したのが攻撃であること、その威力が凄惨なことを認識させる。

 門ごと破壊されたのだろう、追撃はこなかった。


「お疲れ様でした、優理花。今回も素晴らしい働きでした」

 帰投すれば、ジャネットの事務的な挨拶が投げかけられる。

 魔法少女という業務は字面のわりにどちらかといえば仮面をかぶりベルトで変身する方に近く、仰々しい戦略基地なんてものもあるのだ。今はもう慣れたが、当初こんなものを作られたときには夢を壊された気分だった。

「ごめんね、優理花ちゃん。私、ほとんど役に立てなくて……」

 と後ろから声をかけたのは香奈だ。

「そんなことないよ。私の変身は3分までしか維持できないし、それに、魔導兵装ウィケッドアーマーがあるとはいえ生身で戦えるんだもん。すごいと思う」

 魔法少女がどういう存在なのかについては、偉い人もよくわからないらしい。あ、この場合の偉いというのは、学術的に権威があるとかそういう意味だ。

 しかしそれでも解析することはできるらしい。そういった経緯で出来たのが魔導兵装ウィケッドアーマーだ。私のデータを基にしているからやはり少女しか扱えないらしいが、それを聞いた時にはご都合主義だと思わず突っ込んでしまった。どちらかといえば都合は悪いにもかかわらず。

 そう。香奈は、変身のインターバル中の無防備な私を守ってくれる。

 『魔法少女の変身を3分以上維持してはいけない』とはいうが、特に冷却期間とかの問題ではないらしく『解除してすぐにまた変身』なんて挙動は許されるらしい。とはいえ、変身も0.01秒で出来たりするわけではない。変身を解除してから変身するまでには決して短くない隙がある。

 そういった時間の補助を受け持ってくれたのが彼女、まゆずみ香奈だ。

「でも……」

 彼女の美徳は献身的なところだが、欠点は控えめに過ぎるところだと思う。

 こういうモードの時の彼女は、いくつ前向きな励ましをしても態度が変わらない。

「でもじゃない。ねえジャネット、今回の交戦時間は?」

 それでも、彼女との長い付き合いの中で対処ぐらいは分かっている。

「10分34秒です、優理花」

「じゃあ、私は香奈が助けてくれなかったら3回やられてたわけだ。ほら、香奈は役立たずじゃないよ」

 こう言った風に具体的な根拠をあげて肯定してあげれば、とりあえずその分は自分の頑張りを認めてくれる。正直こう言った部分は少し面倒な性格だと思わなくもないのだが、そこは世話の焼ける相棒の些細な欠点なのだ。

 なにせ彼女に背中を託して、早四年。今更他の誰かなんて考えられない!

 ほんとうは、私の言葉だけで気を取り直してほしいというのは傲慢か。


 魔法帝国ドーマと魔法少女わたしとの戦いは、七年前に始まった。

 ちょうど父を亡くした日だ。

 それ以来ドーマの尖兵たちは幼くして魔法少女せんしとなった私の前に試練のように降りかかり、それを今日まで打ち払ってきた。

 いつ終わりが来るともしれぬ戦いにかつては辟易も覚えたが、今はもう日常の一部のようですらある。私と香奈とジャネットがいて、戦略基地のみんながいて、ドーマの尖兵が来る度に戦う。気を悪くする人もいるだろうから大声では言えないが、それが私の『かけがえのない日常』だ。

 だが、魔法少女の『少女』が指すように、私にも少女としての生活がある。

 ……幼くしてなったと言った。私はまだ少女なのだ。


「なんだか、あんまり変わんないよね」

 香奈が言う。

「まあ、魔法少女である前に人間たれってことでしょう。3分とはいえ、人格性以外はどちらかといえば私のほうが脅威なんだから」

 魔法少女の存在は一応表向きには秘匿されている。それがどういう理由でなのかは推測するしかないが、とにかくそういうわけで私は少女らしい生活を送っている。

 とはいえ、魔法少女であるという理解を得ずにそういった生活を送るのも難しいというのは自明だ。ほら、敵が来る度に抜け出すのは流石に無理があるだろう。

 そこで用意されたのが箱庭ガーデンだ。

 全寮制の寄宿舎や学校をはじめとした様々な環境を用意して、私や香奈、他の魔導兵装ウィケッドアーマー装着者候補などが一堂にそれ『らしい』生活を送る場として提供されている。

 あくまでごっこ遊びといえばそうかもしれないが。

「テキストの147頁を開いてください」

 ……ごっこに甘んじてほしいと思うときは、授業が妙に難しいときというのは私たちの共通認識だ。


 †

司教級ビショップ枢機卿級カーディナルが各4体、さらに使者級アポストル20体が次元門ポータルから5秒後にゲートアウトします」

 ジャネットの冷静さは美徳なのか怪しい。昔の香奈なら間違いなく取り乱す量を淡々と宣告されれば、そういった確信も抱く。

「これでも、どうせ最終決戦とかじゃないんでしょうね」

 ドーマは気まぐれだ。急に攻勢が激しくなったり緩くなったりする。

 一カ月来なかったときさえある。

 だからこれもそうに違いない。

「優理花ちゃん!時間!」

 変身時間が危険域に差し迫ったことを示すサインが、デバイスから発色していた。

「香奈、お願いできる?」

 いつものように声をかけ、変身を解除しようとすると上部から痛烈な衝撃が来た。

「敵、女教皇級プリーステスの奇襲です。察知できませんでした」

 体勢を立て直し、横目に香奈の状態の確認をする。

 まずい。

 墜落した位置は寄宿舎のほうだ。

「追撃、来ます」

 魔導砲。

 あれは危険だ。香奈も寄宿舎の皆も。

 多目的ディスプレイから現在の変身時間を確認した。

 2分52秒。ここで庇いに行けば間違いなくその制限は過ぎてしまう。

「香奈!」

 結論から言えば、この確認は無意味だったと思う。

 だって、私はためらわなかった。


 †

「時間切れだ。約束を守ってくれなかったんだね」

 ウサギが目の前で言った。そのうさぎは、なぜか砂時計を抱えていた。

「『時計うさぎ』?」

 ウサギはコクンと頷いた。

「ボクはね、番人なんだ。世界のものが、世界から忘れられた何かになってしまわないよう監視をしているんだよ。それが3分なんだ。カップ麺だってそうだろう?」

 荒唐無稽な言い分はアリスらしいが、いってることはちっともそうじゃなかった。

「君のお父さんは、魔法使いだったんだよ。お母さんも、みんなも」

 魔法という文明は失われてしまったんだ。

 君のお父さんが、世界から失われた『神』の力を奮い過ぎたから。

 兎が続けていった言葉は要約するとそういうことだ。

 兎は続けていった。

「そして今、君は『魔法』を使い過ぎた。代償が来るよ。今度は君と『科学』が、君にとってのそれと同じになる。いっぱい助けてもらったみたいだから」

 どうしてそんなことをするの?

 気がつけば、そんな言葉が口から洩れていた。

「知らないよ。そういうルールなんだ」

 呆然とした。

「3分、世界を戻すのにあいさつの時間があるよ。その間に、機甲戦隊テックレンジャーによろしく言っといて」

 兎が手に持っていた砂時計を逆さにした。

機甲戦隊テックレンジャー?」

 私は聞いた。

「君が助けた……えーと、なんだっけ。ともかく、その五人だよ」

 私は、父がいなくなったわけを理解した。


 †

 3分だ。

 3分で全てを伝えなければならない。

「貴方達は、今日から機甲戦隊テックレンジャーになったの。世界を託してしまってごめんなさい」

 最初に出たのは、謝罪の言葉だった。世界を守る重責は良く知っている。

「助け合えるって素敵なことよ。あなたたちは五人もいる。でももっといるの。私は一人だったけど一人じゃなかった」

 これは、大事にしてほしいことだ。

 魔法少女わたしは一人だったが、立ち向かった人わたしたちは一人じゃなかった。だから戦えた。

 それから、いくつかのことを言った。先輩から後輩へのエールとか、そういうヤツだ。これから起こることを思えば、一つと言わずいくつでも応援してあげたい。

 なんなら、隣で戦えればそれが一番いいのだが。

 気がつけば、もう1分しかなかった。

「でもね、一つだけ注意して。決して3分以上変身を維持しちゃダメなの」

 どうしてここを詳しく説明してくれなかったのかとずいぶん恨みに思っていたものだが、実際3分は言いたいことが多すぎる。急に話せと言われればまとめられない。

「どうして、そうしたらいけないの?」

 ああ、そこで質問されると時間が無くなっちゃう。もう10秒だ。

「時計うさぎが来るから」

 結局、私の最期の言葉は父と同じだった。




 †

 私、どうなったんだろう。

 暗い闇の中を漂うように、おぼろげな感覚だけが私に存在した。

「おはよう、優理花ちゃん。また会えたね」

 耳に聴こえるのは香奈の声だ。彼女もまた失敗してしまったことを理解した。

「優理花。これからは、ボクもともにある」

 これは父の声だ。父もここにいるのか。


 これ、目、開くな。

 そのことに気づき見たものは、魔界だった。例の三分ルールを決めた奴がいるとすればこんな場所だろう。

「お、やっと起きたみたいだね」

 父の声がする。

「ロスタイムだ。これ以上、運命の被害者を出してはいけない」

 この場所には、もっと多くの人がいた。

「ロスタイムは何分なんですか?」

 もっと未来の誰かが聞いた。

「3分だ」

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