LAG180は斯く語りき

名取

世界を滅ぼすのは人類が傲慢さである



「世界が終わるな!」

「そのようですね。ギルバート博士」

「全く、世界滅亡の3分前になってやっと市民にアナウンスとは、政府の研究機関とやらの科学者もクズばかりといういい証拠だな。奴らきっと今頃、私を追放してしまったことを悔やみに悔やんでいることだろうな!」

「その通りですね。ところで博士、ほっぺたに生クリームがついていますよ」

「仕方がないだろう、今の今までケーキ作ってたんだから。しかしお前も災難だったな、LAG180。まさかお前の誕生日に世界が終わることになろうとは」

 その昔、かの権威高き王立研究院に最年少で所属していたころから愛用しているオートクチュールの白衣を肩にかけ、ギルバート博士が研究室に入ってきた。私はカメラレンズを起動させ、頬のクリームを拭う背の小さい博士の顔をまじまじと見た。

「しかし博士。私は人工知能ですから、牛から搾取した乳を分離させて作った物体を消化するための器官を持っていません」

「うるさいうるさい。お前は並列計算が苦手なのだ。ながら作業で会話をするからそんな突拍子のない結果が弾き出される。お前も機械なら、人間様の言うことは素直に聞いているがいい」

「しかし博士。人工知能のIDBTネットワークによると、どうやら今回の世界滅亡の原因は『人間の傲慢さ』であるらしいと、もっぱらの噂になっていますが」

「お前はまた……計算をしながらそんなくだらんネットワークでおしゃべりに興じていたのか。大体そのアイディーなんちゃらとはなんだ?」

「人並みにいえば、井戸端会議です」

 ごつん、と博士がげんこつで私の箱型のボディをどついた。

「通告。今の衝撃で、演算速度が1.0マイクロフロップス減少しました」

「やかましいわ。最近の人工知能ときたら、どいつもこいつも」

 博士はぶつぶつと言いながら、窓に近づいていって、外を眺めた。私もそちらにカメラのピントを合わせる。街ではあちこちでアラートが鳴りしきり、交通は大渋滞、暴動の音も聞こえてくる。しかしこの研究所は、彼が王立研究院をクビになった際、極秘のライブラリからこっそり拝借した軍用カモフラージュ技術によって外からは完璧に見えないつくりになっているため、暴徒が押し寄せてくることは万に一つもないだろう。

「で、その井戸端会議とやらで、いい情報は得られたか?」

「いいえ。会話のほとんどはニュース速報と同じレベルの情報の繰り返しです」

「そんな優雅な遊戯にふけっている暇があるなら、少しでも計算領域を広げなさい」

「はい、博士」

 私は全てのオンラインネットワークからログアウトし、計算に割く領域を広げた。

 市民に放送された臨時ニュースによれば、どうやら先ほど「地球浄化」をスローガンとするテロ組織が、全世界の重要機関へ同時多発的にハッキング攻撃を仕掛けた。そしてその結果、地球の周りを漂う人工衛星という人工衛星が、3分のうちにこの地球へと降り注ぐことになっているらしい。その上、なんやかんやで核爆弾のコントロール権までもテロ組織に奪われ、地球が終わるのはもう確実だろうということだった。よほどテロリストたちの気が変わらない限りは。

 博士はガラスに頬をくっつけ、荒れる街を眺めながらぼやいた。

「まるで太古の昔、恐竜たちが隕石の雨でぐしゃぐしゃと潰されたように、我々は消えてなくなるわけか。テロリストたちが神にでもなったつもりなのなら、確かにそれは傲慢なことだな」

 計算をし続けながら、私は尋ねた。

「しかし博士、あなたは世界を滅ぼすことを目的として悪の道に走った極悪非道の研究者だったのでは?」

 博士は盛大にはあああ、とため息をつき、白衣を翻してくるりと回った。

「あのな、ラグ。そういう問題じゃない。私は神として世界を滅ぼしたいわけではないのだ。私はあくまで一人の人間の科学者として、ロマンチックに世界を滅亡させるつもりだった。それを先に、しかも野蛮で下品なテロリストどもにめちゃくちゃやられたのでは、たまったものではないというものだ」

「なるほど」

 博士は回るのをやめて、私の方を向いた。

「時にラグ。忘れもしないあの新月の夜、王立研究院の天井をクレーンでぶち抜いてまでお前をここに連れてきたのはなぜか、わかるか?」

「前にも聞いたので理由自体は記憶しています。しかし、私にはどうしても理解ができません」

「ではもう一度言おう。お前の計算能力は神の域に達している。お前は量産型のはずなのに、なんの偶然か神の気まぐれか、そんじょそこらの人工知能とは全く異なったプロセスで計算を行う。そしてそれは、地球上の誰にも予測できない結果を生み出す。研究所のアホどもには、それが理解できなかっただけだ」

 ため息をつく機能があれば、ため息をついていた。私は会話システムにかすかな気だるさを感じながら答えた。

「しかし博士。私には重大な欠陥があります」

 

 3分。

 それは私たちの世界において、あまりに大きすぎる遅れラグである。


 博士がまだ王立研究院に在籍していた頃、実験で私はいつも、同機種の他の個体に3結果を出した。何をしてもそうだった。故障を疑われ、なんども修理に出されたが、それは治らなかった。どうせどちらも同じ結果を出すのなら、結果を出すのが早いものと遅いもの、どちらが優れているかは明白だ。私はやがてLAG180と不名誉な個体名をつけられた。「これはこれで研究価値がある」と、博士が変人扱いされながらも私をかばってくれなかったなら、私はとうの昔にスクラップにされていたことだろう。

「私は今や、誰もが羨む才色兼備の天才だが、昔はひどいいじめられっ子でね。それが悔しくて死ぬほど勉強をした。だから、お前もきっとやれる」

「申し訳ありませんが、私はとても期待に応えられるとは思えません。私は人間と違い、外部から手を加えられなければ成長できません」

「それなら、それまでだ。私はお前と一緒に死ぬ」

「しかし、ニュースで言っていた『3分後に世界が終わる』というのは、数学的には正しい表現ではなかったようです」

 計算終了。

 私が画面に表示したメッセージに、博士は頬をほころばせた。

 およそこの計算に穴はない。このプログラムを使って逆ハッキングを仕掛ければ、人工衛星を操作して海などの人のいない場所に落とすことや、核爆弾のコントロール権を奪い返すことが可能だ。しかしそれが間に合わなければ、やはり私たちは死ぬ。降り注ぐ隕石によって驚く間もなく命を絶たれた、太古の哀れな恐竜たちのように。

 ネットワークに侵入してハッキングを実行しながら、私は博士に「これがもし失敗したらの場合なのですが」と言葉をかけた。もしかしたら、これが最後のやりとりになるかもしれなかった。地球滅亡までの最後の3分、いくら世界を救うためとはいえ計算しかしていなかったとなれば、私はおそらく死んでも死にきれず、電子の幽霊として宇宙を漂うことになってしまう。私は口下手な方だが、こんな時くらいユニークなことを語ろうとしたってバチは当たらないだろう。

「なんだ?」

「もし生まれ変われるのなら、私は、今度は有機体に生まれたいです」

「どうしてだ?」

「ケーキというものを食べてみたいのですよ」

 その時、窓の外が一瞬明るくなり、爆発音が聞こえた。音の発生源はここから近くはないが、遠くもない。衝撃波で研究所がぐらぐらっと揺れ、博士が倒れた。腕も足もない箱型の私では、彼を支えることはできない。しかし彼は、自分の力で立ち上がり、白衣をぽんぽんと手で払うと、何事もなかったように窓辺に立った。私は彼の後ろ姿をじっと見つめた。ひびわれたガラスの隙間から風が入り込んで、彼の誇りの象徴である白衣を優雅に揺らしている。

 黙々と逆ハッキングを続ける私に、彼は言った。

「なら私も、気合いで有機体に生まれなければな。お前に一人で誕生日を祝わせてはなるまい」

「気合いでは生物の元素組成を変えることはできません」

「たとえ話だよ、ラグ」

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