卒業式後に、決着を

中文字

最後の試合

 中学の卒業式が終わり、穴目ヶ岳 由貴(あなめがたけ ゆたか)は詰襟の留め金を外しながら、卒業証書が入った丸筒を弄びながら構内を進む。

 廊下には、卒業する先輩と後輩、高校で学校が別々になる友人たちが、思い思いに別れを惜しんでいる。

 そんな光景を見ながら、由貴が向かうのは柔道場――中学の部活動として、青春の汗を流した思い出の場所だ。


「森藤め、卒業式が終わったら道場に来いって、何の用だよ」


 由貴が名前を出した相手は、森藤 智子(もりふじ ともこ)という、同学年の女子生徒。同じ柔道部に所属し、県大会で個人優勝を果たし、女子部員のエースだった。


「卒業式の後で呼び出し。これは、あいつが俺に告白――してくるわけないか」


 とは呟きつつも、由貴も重大真っ只中の男子。甘い予感を、期待しないではない。

 しかし着いた柔道場の扉を開けてみると、智子が柔道着姿で立っていた。


「遅い! ほら、早く道着に着替えて!」


 智子の一方的な発言に、由貴は眉を寄せる。


「道着は残してあるから、それに着替えるのはいい。だが、まずは俺を呼んだ理由を聞かせろよ」

「もちろん、勝敗の決着をつけるため!」


 智子の言葉に、由貴は肩を落とす。


「勝敗って、部内で一年に一度お遊びでやる、男女混合無差別階級の試合結果のことを言っているのか?」

「一年のとき由貴が勝って、二年のときは私。三年のときは当たらないまま、お互いに重量級の相手に準決勝敗退して、一勝一敗じゃない」

「それはそのとおりだけど――俺とお前じゃ階級が違うじゃないか。勝ち負けにこだわらなくたっていいだろうが」

「私が48キロ級で、由貴が60キロ級。およそ10キロの差ね。でもそれぐらい、いいハンデじゃない?」


 体重差をハンデ――つまりは自分の方が実力は上と言い切った姿に、由貴はカチンと来た。


「そうまでいわれたら、相手しないわけにはいかないな」


 由貴は靴を脱いで畳に上がり、智子を睨みつつ更衣室へ。



 お互いに柔道着となり、試合の開始線の上に立つ。


「それで。審判がいないようだけど、俺たち最後の試合の取り決めはどうするよ」


 由貴が質問すると、智子は道着の中からタイマーを取り出した。


「中学柔道の試合と同じ三分間。一本勝負で、延長なし。そして武道者として相応しい態度で戦うこと」

「反則は自粛。ポイントに数えるのは、技あり以上ってことだな」


 お互いに了承したところで、試合開始の合図として頭を下げ合う。そして開始線を一歩踏み出し合ったところで、智子が手にあるタイマーのボタンを押し『ピッ』とカウント開始の音がなった。


「おらああああ!」

「たあああああ!」


 お互いに威嚇するように大声を放ち、由貴は両手を上げて大きく構え、智子はタイマーを横に投げながらレスリング選手のような前かがみの体勢へ。


 一歩一歩、お互いに近づく。

 そして手を伸ばせば触れる距離になり――まず由貴が動く。


「しゃらああ!」


 素早く腕を伸ばして襟首を掴みに。十キロも体重に差があるため、しっかりと掴めば有利に試合展開ができる。そういう考えだ。

 しかし相手は女子の県大会制覇者。易々と襟首を掴ませない。


「ふっ」


 短い呼吸の後、手が霞んで見えるほどの素早さで、由貴の腕を払う。そして逆の手で道着を掴みに行く。

 由貴は避けようとするが、逃げきれず袖を浅く握られてしまう。

 この瞬間、智子が投げの動作に入る。一本背負いだ。


「はっ!」

「くぬおッ!」


 由貴は一歩後ろに下がりながら、力任せに智子の手から袖を引き抜く。

 智子は投げの動作の直後には、再び最初の体勢に戻り、由貴の道着を掴もうと手を小刻みに動かしていく。


「軽量級の女子選手は、組み手争いからの投げまでが男子より素早いっていうけど、森藤の手早さは本当に随一だな」

「それはどうも。でも、褒めたって手を抜いたりしないから」

「単なる感想だ。他意はない」


 由貴は会話をしながら、智子の方が実力が上であると認め、腹を決めた。

 大きい構えから小さい構えに変えて、智子との組み手争いに挑む姿勢になる。


「私の土俵で戦おうって気なら、舐めないで欲しいんだけど」


 不満そうな智子に、由貴はニヤリと不敵に笑う。


「勝算あってのことだ。ほら、来いよ」


 由貴の挑発に、智子はあえて乗っかった。


「ふっ!」


 短く呼吸しながら、先ほどと同じように袖を掴みにいく。

 由貴は素早く反応し、肘から先を素早く動かすようにして、智子の手を払い除ける。

 しかし一度拒まれたぐらいで、智子の組み手争いは終わらない。阻止されることを見越して、既に逆の手が伸ばしていた。

 由貴の方も急いで逆の手を動かし、智子の手を払い除ける。


「ふっふっふ――」

「…………………」


 智子は短く呼吸をしながら手を繰り出し続け、由貴は呼吸を止めてでも手を素早く動かして払い続ける。


 およそ三十秒の間、二人は熾烈な組み手争いを行い続けた。

 しかし、いよいよ均衡が崩れる。

 智子の手が、由貴の左袖を掴んだのだ。


「ふっ――」


 掴んだ瞬間には、もう智子は投げの体勢に入っている。得意技の一本背負いだ。

 横に右回転しようとする智子の体――それを押し止めるように、由貴の左手が智子の右襟首を掴む――中学三年間の部活動で、由貴が初めて披露する左組。

 予想外の組み方に智子は混乱し、体の動きが一瞬止まる。

 その一瞬のうちに、由貴が投げの導入に移る。本来、左組ならば左に横回転するはずだが、由貴は右組のときのように右に回転を始める。そして袖を握る智子の手の袖口を握り返しつつ肩の上まで持っていきながら、半回転して腰を落とし――袖つり込み腰という技へ。

 左組に袖つり込み腰。両方とも、由貴は部活内で練習をしたことすらない。まさに思い付きの、ぶっつけ本番な勝負手だった。


 智子は由貴の投げ技が何かを悟り、慌てて袖を掴まれた手を引いて外そうとする。しかし相手は十キロも階級が上の男子。その握力には敵わない。

 由貴は声を上げながら、袖つり込み腰で智子を投げた。


「おおおおおおおお!」


 奇襲に近い、不意の一撃。

 このままいけば一本取れる――そのハズだった。


「このおおお!」


 智子は投げらきる直前に自分から畳を蹴って跳び、自分の重心をズラして投げにくくしてきたのだ。

 重心変化に由貴は対応しようとするが、練習不足の投げ技であったため、投げきれない。

 智子は側面から落ち――背中は畳につかない。審判がいたら「技あり」と声がでる場面だ。

 由貴が素早く寝技で追撃しようと動くが、智子が素早く起き上がったことで取り逃がし、立っての仕切り直しになった。


「おしかった。けど、技ありを取ったから、俺がリードだ」

「ふんっだ。相手に得点がとられようと、柔道なら一本取ればいいのよ、一本を」

「俺が優位に立ったからって、負け惜しみを言うなって。それに体感的に、試合時間はあと半分ってとこだろ」


 軽く言葉を掛け合ってから、二人は再び近づきあう。

 そして高速の組み手争いが始まった。

 しかし先ほどまでとは違った点がある。

 まず、智子『技あり』の分を取り換えそうとするように、繰り出す手の素早さが上がった。

 そして由貴は、積極的に組み手を取りにはいかず、智子が伸ばしてくる手の阻止に重点を置いている。


 だが、組手を組もうとしないことは、消極的な行動として反則行為となる。

 事前に取り決めていた通りに、この試合の間では反則行為は自粛しなければならない。


 そのため、由貴は反則にはならないように、工夫を凝らすことにする。

 組み手争いに疲れたかのようにみせて、わざと腕の動きを鈍らせ、智子に袖を握らせたのだ。

 そして智子が餌に食いついてきた瞬間、由貴の足が素早く繰り出された。


「しっ――」


 短く息を吐きながら、足払いを仕掛ける。

 同階級の試合であれば、片手を繋ぎ合った状態では組手不十分で取るに足りない一撃だっただろう。

 しかし、十キロもの体重差があるため、由貴の足払いは智子の体勢を揺るがせる。


「くっう」


 このまま投げられかねないと悟り、智子は素早く逃げた。

 そして、またような状況が二人の間で再現された後、由貴が距離を離しながら呟く。


「さて。体感だと、あと数十秒で試合時間終了――俺の勝ちが決定だな」


 智子は畳の上にあるタイマーをチラリと見て、覚悟を決めた様子で大きく息を吐く。


「ふーーー。よしっ」


 智子は構えを両手を上げるような大きいものへ変える。

 試合時間終了間際で、両者の構えは開始直後と互い違いの姿へ。

 智子が得意な組み手争いを捨てた行動の意外さに、由貴がどう対処するべきか迷う。そのうちに、智子が手が触れられる距離にまできて、さらにはもう一歩近づいてもくる。

 ここで智子の襟首を掴めば、由貴の勝ちは確実。県大会覇者を、一本を取ってぎゃふんと言わせることができる。

 そんな美味しい誘惑に、由貴の手が自然と伸びてしまう。


「くのっ!」


 由貴が右腕を伸ばし、智子の襟首を狙う。

 その瞬間、智子の腕がぱっと翻り、由貴の右袖と左襟を掴んだ。そして、先ほど投げられた仕返しをするように同じ技――袖つり込み腰に素早く入る。


「はああぁ!」


 このとき由貴の視界では、急に天上と地面が入れ替わったような景色が展開していた。

 完璧に智子に投げられてしまったのだ。


『ピピピピピピピ』


 アラームが鳴る中、由貴は畳に背中をつけて大の字になっていた。


「あーあ。一本負けかよ……」

「よっしゃー! 勝った!」


 残念がる由貴の隣に、智子は大輪の笑顔を咲かせながら寝っ転がった。

 由貴は負けたことにムッとしかけ、智子の嬉しそうな笑顔の前にどうでもよくなった。


「俺の負けだ。これでそっちの勝ち越しで決着だな」

「いひひひっ。敗者の弁、ありがとうね」


 智子の小憎らしい笑い顔を見て、由貴は今更ながらのことを質問する。


「それにしても、なんで俺との勝敗にこだわったんだよ。他にも負け越しや引き分けの相手は居ただろうに」

「さーて、どうしてでしょうねー」


 由貴が何度も聞くが、智子は笑顔のまま胸の内を決して答えなかった。

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