無限地獄

立見

無限地獄

 仲がいい姉妹だったと思う。

 少なくとも、表面上は。



――ガラ、と引き戸を開けて妹はベランダへと出る。緩やかなウェーブのかかった髪が、動くたび肩で軽く揺れた。大学に入ると同時に明るいブラウンに染めた髪。お姉ちゃんのその色可愛いから、とわざわざ一緒にカラーリング剤も買いに行った。

 6つ年が離れた姉妹だった。喧嘩するには年が離れすぎていて、疎遠になるには年が近すぎる。幼い頃から妹は姉によく懐き、姉もよく妹の面倒を見ていた。

「お姉ちゃん。ごめん、そこのハンガー取ってー」

 洗濯籠を抱えた妹がベランダから話しかけてくる。

 ソファの足元に重ねてあったハンガーを取り、妹へ渡す。今日はよく晴れ渡っていて、7階のここからだと、ベランダからの景色のほとんどが澄んだ青空だった。

 びょう、と風が吹く。高所なせいか、やけに強い風だった。妹の華奢な体躯が一度ぐらつく。

「大丈夫?」

「うん。でも洗濯物飛びそう……靴下とかは中に干そっかな」

 言いつつ、シャツなどをハンガーにかけていく。

 背後にあるつけっぱなしのテレビから、どっと笑声が湧いた。

 風はなおも吹き続ける。窓の両側でうるさいほどカーテンが靡いた。 

 ゆっくりと妹の背に近寄る。

 ベランダの柵は妹の腰より少し高い程度。

けっこう危ないんだよね、とこぼしていた。

 ふわりと風をはらむカットソーは、以前に色違いで買ったものだった。

 伸ばした両腕は震えていない。 

 


 どんっ


 妹の姿は視界から落ちていった。―――


 

 

 

 

 死ぬ時は何が起きたのかよく分からなかった。 

 あの日、昼頃に、珍しく何の連絡もなく姉が遊びに来た。昼食はまだだというので、二人で外食にでも行こうかという話になった。私は洗濯物だけ干したいと言い、姉には部屋で待っていてもらっていたのだ。

 天気がいい日だった。これから姉と二人で食事に行けるのが楽しみで、何処に食べに行こうかと考えていたら、ふいに背後から衝撃を受けた。

 低いベランダの柵から、あっけなく身体は滑り落ちていった。


 私は何度も、自分の最期の3分間を姉の目線によって見続けている。無防備な私の背を、姉の手が力強く押すその瞬間。ひそやかに姉の笑い声がした後に、再び記憶は繰り返される。

 此処はそういう地獄だ。

 こうして私は、死後にようやく自分が姉に憎まれていたことを知った。

 仲が良い姉妹だと思っていた。記憶にある限り、喧嘩をした覚えもない。私は姉が大好きだった。親には言えないことも姉になら相談できたし、いつも姉は私を受け入れてくれていた。

 けれど、それも全て偽りだったのだろうか。優しい言葉も笑顔も、裏にある気持ちを押し殺して姉が演じていたものだったのか。

 地獄に落ちたということは、私は確かに罪人なのだろう。こうして姉が私を殺す場面ばかり延々見せられているのだから、おそらく姉に対して何らかの罪を犯したのだ。

 何度も見せつけられる記憶に、飽くほど泣いて苦しんで、その後はずっと考えた。私は姉に何をしたのか。

 此処での時間は無限に等しい。一番古い記憶から、死ぬ直前までの自分の人生を、幾度も幾度も思い返した。


 それでも、私には分からない。

 姉がなぜ、殺意を抱くほどの憎悪を私に持ったのか。実際に殺すほど私を嫌ったのか。

 私に分かるのは、姉が躊躇なく私を殺せたこと。姉にとって私は、「妹」ではなかったのだ。


 誰でもいい。私が姉に何をしてしまったのか、教えてほしい。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無限地獄 立見 @kdmtch

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ