最後の3分間

山本航

最後の三分間

「時間はありませんよ、先輩。急いでください!」

 僕は怒鳴りそうになるのを抑えつつ、先輩を急かそうとそう言った。

「あと何分だ」

「三分です」

「間に合うか。どうだ、これ。間に合うのか」

「いいから。手を動かしてください。三分ですよ。三分で書き上げるんです。先輩にしかそれは出来ないし、先輩なら出来ると僕は信じていますからね」

 締め切りまであと少しだ。そもそもこんな時間まで放っておくのが悪い。普通はそう思うだろう。だけど、先輩は違う。この三分は三か月という長い時間の中の最後の三分なのだけど、その長い三か月を、先輩は無為に過ごした訳ではない。

 小説を書くということの何より大事な才能の一つに体力を上げる者は多い。ただ椅子に座って手を動かし続けるだけと侮ることは出来ない。勿論その者のスタイルにもよるのだが。

 先輩の場合は一度机の前に座ると、絶え間なくキーボードを叩きつけ続ける作家なのだ。叩き続ける? そう聞くと比喩だとそう思うだろう。だが、先輩は事実、文字通り、キーボードをたたき続ける。プロットは組まず、悩むこともない。思いつく文字をひたすらに打ち続けるのだ。

「おい、あと何分だ?」

「あと二分です。先輩、急いで」

 それで、小説を書けること自体もなかなかの才能だが、普通の人間ならば腱鞘炎まっしぐらだろう。だけど、先輩はそのスタイルでなければ、小説を書けず、それでいてその方が上手く書けると自負している。だからこそ、このマラソンのような執筆スタイルで書き続けている。

 今度の賞の最低字数は10万字、平均的な文字数と言っていいだろう。締め切りは三か月後だった。だが、そして、先輩はその規定に上限がない事を見出してしまった。

「俺、三か月で300万字書くわ」

 僕は相手が先輩だということも忘れて鼻で笑ったものだ。一か月で百万字。一日で三万字以上だ。死ぬわ。普通。

 でも、先輩は今それを成し遂げようとしている。残り一分。文字数はすでに299万、9千9百字を超えている。いけるいけるいける。

「いけますよ。先輩。急いで。早く」

「分かってるよ馬鹿。話しかけんな馬鹿。あと何分だ」

「あと三十秒、三十秒です。急いで急いで。あと少し」

 先輩は怒涛の勢いで書き続ける。何のことはない。もはや、文字数はとっくに規定を超えているし、物語はラストのラスト大団円を迎えている。どこで切ったところで、大して違和感はないはずだ。だけど先輩は妥協を許さない人間なのだ。かっけー、マジかっけーよ、先輩。

「残り十秒です。いけます、これいけますよ。先輩」

 パソコンに向かってひたすら文字を打つ。先輩は最後の最後、主人公が多くの冒険の果てに、最も大切なものを見出し、タイトルにも関連する重要な発見に関わる言葉を呟き、そして物語は幕を閉じた。

「ジャスト、ジャストです。完璧っすよ。先輩、マジ俺泣きそうっす。時間も間に合ったし、目標も達成っす」

「よーし。じゃあ、投稿するぞ!」

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