因果律を正せ
凍龍(とうりゅう)
因果律を正せ
戦後、時計メーカーからスタートし、今では世界的な精密機械メーカーに躍進した会社の創業者が亡くなった。
俺は体調を崩し気味の祖父の名代で、会ったこともない老人の葬儀に参加することになった。
「どうせなんも仕事しとらんのやから、暇じゃろう?」
そう言われては断りようがない。
別に望んでニートを気取っているわけではない。
最初に勤めた電子機器メーカーが入社早々外資に買収され、新入社員は即戦力になり得ないとして早々に首を切られた。それ以来、新しい働き先を見つけるたびに、まるで何かの
最後に勤めていた会社はなんと落雷による工場火災で設備の一切合切が丸焼けになった。死人が出なかっただけましとは言えるけど、工場は無期限休止、敷地内に併設されていた独身寮にも延焼し、俺は文字通り裸一貫で放り出された。
そんな状況で、幼い頃から世話になった祖父に頼まれて誰が逆らえよう。
祖父の威厳は病床でもなお健在で、彼の意思はすなわち我が家の
「とは言うものの、さて、どうしたもんかな」
告別式に続き、広間に移動して立食形式の精進落としになった。
俺は着慣れない喪服のネクタイをぐいと緩め、
この洋館は創業者が建てた時計工場を改築、復元したものだそうで、広間の裏にある保存室には当時の工房や設備も、稼働状態のまま保存しているらしい。
入り口正面の壁際には、会社のかつての看板製品でもあった豪華なアンティーク調の柱時計がどっしりと据えられ、当時の栄華を今に伝えている。
だが、はっきり言って立地は最悪、とてつもなく不便な山の中だ。
いまだに免許を持ってない俺にとって、送迎バスなしにはここまでたどり着くことすら難しかった。
俺は広間を泳ぎ回って盛んに弔問外交をしている壮年のビジネスマン達をぼんやり見渡しながらため息をつく。
帰りのマイクロバスは当分出ない。
「そりゃそうか。みんなじいちゃん世代の人ばっかりだからなあ」
俺はいい加減飽きていた。退屈ついでに余計なことまで考える。
「失礼のないように、これで相当の礼服をあつらえなさい」と祖父からもらった手間賃はけっこうな金額だったが、このあと新しいアパートを探し、職を見つける所まではもたないだろう。
「あー、どっかに衣食住全部コミの都合のいい仕事は転がってないもんかなぁ」
不謹慎にも心の声が漏れ、大時計を挟んで反対側の壁にもたれていた若い女性にクスリと笑われた。
「あ!」
俺は赤面しながら会釈を返すと、彼女から隠れるように大時計の脇で身を縮める。平均年齢高めのこの場所には珍しく、俺とそう変わらない年齢のようだ。多分、彼女も誰かの代理で参列させられ、同じように退屈しているのだろう。
「あれ?」
ふと気づく。
広間のざわめきに紛れてそれまで聞こえなかったけど、この時計、どこかおかしい。
「なんだこれ、狂ってる?」
俺は時計の筐体に耳を寄せ、わずかに漏れてくる機械音に耳を澄ます。振り子の音とは別に、内部のどこかから聞こえてくる機械音がほんのわずかに不規則だ。
「三回遅れて、四回目は早い?…」
俺は文字盤の正面に回り込むと自分の腕時計と柱時計の分針を見比べ、
「ま、時間は合わせてあるみたいだし、四回目で帳尻が合うから別にいいのか…」
そう、何気なくつぶやき、ふと、視線を感じて振り向いた。
「あ、あなた、それが判るんですか?」
「へ?」
先ほどの女性が、まるでこぼれそうなほどに目を見開いたまま俺を凝視していた。
風のように現れた執事風の男に連行されるように別室に通され、待つようにと言われてそのまま放置された。
まるで映画に出てくる富豪の書斎のような豪華な内装。時代物のシャンデリア、磨かれて飴色に輝く組み木細工の応接セット。
俺は居心地の悪さを感じながら辺りを見渡し、何でこんなことにとため息をつく。
「何か機嫌を損ねるようなこと、言ったっけなあ」
確かに、世界有数の時計メーカーでもある大会社の製品にケチをつけたわけで、叱られる程度は覚悟しないといけないのかも知れない。と、思ったところで扉が開いた。
「遅くなってすまない。あ、気にせず、そのまま」
立ち上がろうとする俺を押しとどめ、長身の紳士が切れのある身のこなしで部屋を回り込むと、正面の椅子に腰を下ろす。
「さて、早速だが、君はあの大時計の仕掛けに気づいたと聞いた。それは事実かい?」
ネカフェで下調べをした際に見た顔だと思い至る。確か、この紳士は創業者の息子、現社長のはずだ。
「あ、え、ちょっと変だな、と」
「あれは普通の人間が知覚できる性質のモノじゃないんだけどな」
彼は苦笑を浮かべながらそう言うと、
「ところで君、お
いきなり問われて驚愕する。まだ自己紹介もしていないのにこの人はもう俺の素性を知っているのか。
「ええ。たださすがに最近は体調を崩すことが増えまして、今回は私が名代で…。あの、このたびは誠に…」
「ありがとう。だが気にしないでくれ。あらかじめ判っていたことだ…」
そう言ってわずかに眉尻を下げると、
「しかしまさか、言い伝え通りに君みたいな人間が現れるとは思っていなかったな」
「え!? 言い伝え、ですか?」
なんだかだんだん話がわからなくなってきた。
「ああ、うちの古い
「はあ」
「さらに溯り、飛鳥時代に大陸から漏刻と呼ばれる水時計を持ち込んだのがうちの祖先だ、とも言われている。さすがに眉唾かとも思うけど、実際、当時の記録も色々残ってるからねぇ」
漏刻と言われても正直どのくらい昔の物か、そしてそれが俺の今の状況にどう関係するかも判らない。
「それで、あの、それは俺と、どう…」
「ああ、悪いね、つい先走ってしまった」
彼は再び苦笑じみた笑みを浮かべ、扉に向かって「入りなさい」と声をかけた。
「あ、さっきの…」
靴音を響かせて現れた人物をよく見れば、さっき大時計のそばで俺に驚きの目を向けていた若い女性だった。
「先ほどは失礼しました」
彼女は深々と礼をすると、不思議に輝く瞳でこちらを見返してきた。
「ところで、お父様」
「ああ、今から話す。ああ、君、どうかな、うちで働く気はないかな?」
「はい?」
ずいぶん後になってからも、その時の間抜け面をよくからかいのネタにされる。
それはそうだろう。初対面でいきなりそんなことを言われて驚かない人間がいたら見てみたい。
だが、結局俺は話を飲んだ。職に困っていたのは確かだし、衣食住すべてを保証と言われてあっさり心を決めた。
俺は葬儀終了後も洋館に残り、その一角に小さな部屋を与えられた。仕事は時計資料保存室の職人見習い。
細かい手作業は嫌いじゃなかったし、古い時計をメンテナンスするのは純粋に興味もあった。
だが、仕事に慣れ始めたある日の夕刻、俺は再びあの応接室に呼び出された。
「あの、今日はどんな用件で?」
部屋には、あの時顔を見せた若い女性一人しかいなかった。
彼女はあの日のようなドレスではなく、消防士のような無骨な作業服に身を包んでいた。
「
「仕事? 保存室の業務なら職長に…」
「いえ、本職の方です」
「本職?」
「ええ、“調律士”としての仕事」
「調律? ピアノですか? 俺、音感なんてない…」
「違う、時を越え、因果律を調整する、
「時を! え?」
「あなたをスカウトするきっかけになった大時計。あれは普通の時計じゃないの。この世界線の因果律の歪みを検知する。そして、因果律のわずかな歪みを知覚しうる希有な人間を、我々は代々一族に受け入れてきました」
「…すいません。映画か何かの設定ですか?」
「まあ、それが普通の反応よね。とりあえず行きましょうか」
彼女は小さくため息をつくと立ち上がり、部屋の奥にあるもう一つの扉に向かう。
「あの、香さん?」
「一つだけ注意しておくわ。この先一生、あなたは絶対に人を殺めてはいけない。そして、特定の人物以外の命を救ってもいけない。目の前で助けを求めていて、自分なら救えると確信していても、絶対に手出しをしてはならない」
「…よく意味が判りませんが」
「意味はすぐに判る。だからそれだけ約束して。いい?」
「はあ、まあ」
扉が開く。
外は一面火の海だった。
「うわ! 何です、ここ!?」
「あなたが焼け出された工場。7月3日深夜、過去の世界」
「過去!」
「いいから早く、あなたの部屋に案内して」
「お、俺の!?」
「そう、あの日あなたは、歓迎会でお酒を飲んで泥酔してた。そうでしょ?」
顔全体を覆う酸素マスクを手渡され、訳もわからぬまま、わずか一週間前まで通っていた寮への道をひた走る。
「因果律の歪みが原因であなたは命を落とす可能性があった。歪みは小さなうちに修整しなくてはいけない。それが世界線を守る基本ルール」
「世界線?」
「詳しく説明している暇はない。ほら、早く! 自分を救って!」
入り口は消防隊によって固められている。俺は食堂側の裏口に彼女を案内し、サッシドアのガラスを叩き破る。
すぐに黒煙が猛烈な勢いで噴き出してくる。彼女にならって酸素マスクをかぶり、飛び込んだ。
泥酔した俺を救おうと炎の中に飛び込んできた勇敢な消防士のおかげで、俺はなんとか死なずに済んだ。だが、工場は全焼。寮も延焼し、俺は再び職と住処を失った。
「あー、どうするかなあ? また就職活動かよ」
俺はぼやきつつ空を見上げる。
その時、スマホに着信が入った。
「あ、じいちゃん?」
「おー、お前、ちょっと頼まれてくれんか?」
「いや、俺、たった今失業したばかりなんだけど」
「そうか、どうせなんも仕事しとらんのやから、暇じゃろう?」
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