十
食堂のカーテンはかなり大きい。すでに脚立に乗っていた美波は真保に頼んだ。
「ごめん、食堂へ行って」
素直に真保は学院長室をでて食堂へと向かう。脚立のうえで背伸びをしてどうにかカーテンをはずす作業が終わったとき、窓から差しこむ光を受けて、部屋の床で一瞬走った光が美波の視界に入った。
「どう、終わった?」
二階に行っていた晃子が足早にもどってきて声をかけたとき、美波は身体をこわばらせていた。すこし緊張していたのだ。
「まだ」
答えたのは美香だった。呆然として、食堂の椅子に座りこんでいる雪葉を見る。雪葉が気分が悪くなったと言うので、休ませているのだという。
「全然、役に立たないのよ」
わざとらしげにせっせとカーテンをたたみながら言う美香に、美波は小声で注意した。
「言い過ぎよ。妊娠三ヶ月でしょう? 無理したら流産しちゃうかもよ」
「私だって妊娠中なのよ!」
美香が腹立たしげに言う。
「八ヶ月ならもう大丈夫じゃない、私は一番大事なときなのよ! 何かあったらどうしてくれるのよ?」
また美香と雪葉のあいだに火花が散ったので、美波はあわてて場をつくろおうとした。
「仕方ないわよね。大丈夫よ、そこで休んでいなさいよ」
「……トイレ行ってくる」
「またぁ?」
「いいじゃない」
美波は美香の太い腕をなだめるようにたたいた。
(わたしって、まるでひどく年上のおばさんみたい)
と自分でも自嘲の笑いが出る。
「……私は三ヶ月目のころ……無理なことばっかりしてた……。流れてくれればいいと思って……」
まとめてあるカーテンの布の山を見ながら、誰に言うともなく美香がつぶやく。目には後悔と怒りがこもって、その顔にはすこしも少女らしい華やかさや可憐さがない。
それでも、恨みに燃えてしまうその気持ちがわかって、美波は正直内心はあまり好きになれない美香の背を、愛情でも友情でもなく、ただ同情から撫でてやった。
(気の毒に……)
何故、自分だけが……、と美香は恨みに思っているのだろう。
世間一般の妊婦は、子どもを産むことに喜びと誇りを持ち、周囲の人の気づかいや優しさにつつまれているものだ。だが、ここでは誰も美香のことを思いやってくれない。その理由は少しは美香自身の性格のせいもあるのだろうが、もちろん美波は今そのことを口にする気はない。
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