「わたしも、親にいい学院だからとすすめられて」

 これは嘘ではないが、美波の口調はつい弱くなってしまう。

「私もそうよ。パパから為になる学院らしいし、遠方の学校で学ぶほうが見聞も広がるだろうって言われて。でも、こんな田舎じゃねぇ……。駅前にもろくなお店がなかったじゃない」

「あの、パパって、いえ、お父さんは何している人なの?」

 好奇心にかられて美波が問うと、雪葉は鼻をそらした。

「華道のお家元よ」

 告げられた職業の珍しさに、一瞬、美波も夕子も黙ってしまう。

 思い起こせば、美波の小学校時代の同級生には家がお寺だという子もいれば、中学時代には親が歌舞伎役者だという子もいた。そういう家の子は、医者だ弁護士だ、学者だ、会社社長だ、というようなある種の〝普通〟の家とはちがっていて、彼女たちを見たときのように、どこか珍しいものを見るような目で美波は雪葉を見ていた。

「へー、流派……とかは?」 夕子が訊くと、

「ごめんなさい。それは言えないの」

「え、なんでよ?」

 不思議そうな顔になる夕子に雪葉は口早に告げた。

「学院長から、家のことはここでは言わない方がいいって言われたのよ。ここで過ごすあいだは俗世での生活のことはいっさい忘れるように、と」

「ああ、そう」

 夕子もまた学費免除の特待生であることを黙っておくようにと言われている身である。あまり詮索してはいけないと思ったのだろう、それ以上訊こうとはしなかった。

「ちなみに、あなたたちのお家は何していらっしゃるの?」

「うちは小さな工場をやってんの」

「わたしの家は……サラリーマンというか、商社で働いているの」

 美波の父は現在はヨーロッパに単身赴任中である。一年のほとんどを海外で過ごし、家にも滅多に帰ってくることがない、ということまでは言わなかった。

 三人は廊下を歩きつづけた。

「それにしても……大きな建物ね。すごいわ……」

 感心したように雪葉がつぶやく。たしかに石造りの建物は大きく凝ったつくりだが、全体に重々しく、やはり押しつぶされるような気がして、美波はどうしてもこの建物が好きになれないでいる。

「向かい側の建物には美術室や音楽室があって、二階にはそれぞれの教室があるの。あ、そういえば雪葉は何組なの?」

「私は青薔薇組だと言われたけれど」

「あ、それじゃ、夕子と一緒ね。カードもらった?」

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